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室生龍穴神社・奥社2月は誕生日月であり、節分、立春が私にとっての『新年』であり、エネルギーチェンジが完了する大切な日です。節分に『豆まき』をし、湯船にお湯を張り『御神酒』『清め塩』を入れて、一年の邪気を払い、身体を清めました。翌、立春の日、一年振りに、奈良の大神神社、室生龍穴神社、龍鎮神社のお参りに行って来ました。1年前の誕生日からスタートした『GoGoYear』の終盤、ブログでご縁が繋がった『LeiManaさん』、コメント・ラリーにより、互いの『今ここ』が共鳴、各
妄想バカリズム霊力は捨てました。前世は保持した様ですが自己啓発の為に封印します。今世は無能です。霊力があると邪神が接触して来ます。地球人とのダイレクトコンタクトは違法です。邪神邪神とは宇宙の反社です。高次元のヤクザ、半グレ、詐欺師です。巧みな言葉やゴージャスな姿で能力者を誘惑します。反社を神と崇めていたのが過去の地球の歴史です。邪神の十八番(オハコ)邪神は未来はコウなると伝えてきます。コレは邪神が勝手に妄想する未来です。付き合う必要はありません。人間は予知能力にあやかり、旨味を吸
間にちょこちょこといろんなこと投稿しているのでかなり前になりますが、次は泉涌寺と書いていたのですが…💦ごめんなさい。その前に今熊野観音寺に参拝していました🙏泉涌寺が開門する前にこちらを先にお参りさせていただいていました。総門ここに来て初めて泉涌寺?今熊野観音寺ここで合ってるの?と思ったのですがこの総門(地図の下にあります)をくぐってから泉涌寺を目指して歩いていき後もう少し、というところで左の脇道に進むので総門くぐっているので広〜い境内の中にある。という感じが
『北野』のメッセージが続き、もしかして京都の北野天満宮からお呼びがかかってるのかな?と思ったのですが、遠すぎてすぐには行けません。大阪にないか探してみると、平野区の如願寺に繋がりました。ご縁のある、熊野権現・春日皇大神もお祀りされていて驚きました。平野区のどこにあるのかな〜?と思って調べてみると、なんと、何度か呼ばれた楯原神社の隣でした。楯原神社は、昨年9月に妹とY子と呼ばれました。↓『楯原神社に呼ばれる。鹿児島繋がり集結!!』9月24日土曜日の夜、フト、平野区の『楯原神社』が降りて
前編はこちら↓『破っちゃイヤよ落語「三枚起請」①前編』〜はじめに〜今回はお待ちかね(?)、三枚起請でございます。そこまで長い落語ではないのですが、調子に乗って書いていたら(笑)再び60,000字を超えてしまったよ…ameblo.jp「源やん…ちょっと見てみ、あれ。」「なんや?」「あそこにメス犬が1匹歩いてて、その後ろをオス犬が3匹歩いてるねん。あれ、やっぱり起請もらってるんかなぁ?」「3人でムカついてるのにつまらんこと言うな‼️え〜、邪魔するで」「あら〜源さん起こしやす!お久
〜はじめに〜今回はお待ちかね(?)、三枚起請でございます。そこまで長い落語ではないのですが、調子に乗って書いていたら(笑)再び60,000字を超えてしまったようで、また話を分けなければならなくなりました😱これも僕が省略して書かないからというただそれだけのせいであります🐥(いや、ちょびっとは省略してるんですよ⚠️笑)そんなに長いかなぁ?🤔っていうかひょっとして今までのやつがギリギリで収まってたってこと?ただこのお話もワタクシ非常に好きな演目でありまして、面白みをそのまんまお伝えしたい
日向薬師からバス停に戻って来ましたが30分の待ち時間があったので、ちょっと周りをふらふらなんか鳥居が見えたので行って見ます日向神社の様ですお詣りしてみましょう鳥居と正面には拝殿鳥居の神額には白髯神社の文字手水鉢は天保3年(1832年)の銘拝殿創建は不詳白髯明神とも呼ばれ、日向薬師を開山した行基に協力を惜しまなかった渡来人の高麗王若光を讃えて創建されたと伝わります白髯明神から日向神社に改称したのが昭和8年(1933年)平成25年までは茅葺き屋根でした祭神猿田彦命速玉
西国のお参りに和歌山へ午後に家を出て6:55、新宮市に到着グランホテルはもん亭青岸渡寺にお参りに行って帰る予定でしたが、せっかくここまで来たので熊野三山も参拝に!≪豆知識≫●熊野三山(くまのさんざん)熊野の「本宮」「速玉」「那智」の3つの聖地を言い、「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」3つの神社の総称としても使われる。7:00、ホテル出発ここから35㎞、熊野川に沿って地道を走ります。ずっとこんな感じの道
こんばんはわかばです。前回の続きです。『玉置神社へ。』おはようございますわかばです。今日から12月ですね。11月28日久しぶりに玉置神社さんに行きました。3年ぶり?2回目の参拝です。今回のお参りは、壱岐島へ行く前…ameblo.jp玉置神社に参拝の後「このまま熊野本宮大社へ行こう!(๑•̀ㅂ•́)و✧」ということになった私たち。一路、南へ車を走らせます。いつか、熊野をまわるときは熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社を一気にまわってあと、寄りたい神社も数社まわろうと思っ
11月の穢れやゴミを落とし、お礼参拝氏神さま
熊野権現•熊野三社巡り🌈熊野リトリート☆リトリート/お申込みフォーム😊😊✨熊野三社巡り✨リトリート☆申込みフォーム🌟ssl.form-mailer.jp熊野地域にあります、世界遺産「熊野本宮大社⛩」「熊野那智大社⛩」「熊野速玉大社⛩」に祀られてあります、熊野権現さんのエネルギーを活性化させるリトリートを行います🌈✨日本の神々の中でも力強い凛としたエネルギーを放つ熊野権現。🌟☆☆~~~∞~~~☆☆🌟熊野権現
近所の長福寺を訪ねました。『長福寺本堂』重要文化財。金龍山。奈良時代の僧行基の開基と伝えられる。本堂は桁行く5間、梁間5間、入母屋造の鎌倉建築で、内部は柱、壁面に仏画を極彩色で描く。所蔵品:金銅能作生塔(国宝・鎌倉・東京国立博物館蔵)、木造黒漆塗彩絵厨子(県指定文化財・鎌倉)など。(生駒市教育委員会)長福寺山門本堂本堂正面本堂瓦屋根の獅子像(阿形)本堂瓦屋根の獅子像(吽形)長福寺境内熊野権現の祠観音像と七重石塔弁財天の祠宝篋印塔
ご先祖の瀬織津姫ですが、どうも印象がマチマチで捉え難い様子が伺えますので、瀬織津姫ファンからは怒られそうですが、分かって来た実態像について書いてみようと思います。先ずは、神社に祀られている瀬織津姫ですが、大きく3パターンあるのではないかと思います。①偉大な人間が神となり、子孫達から祀られた瀬織津姫②祓戸の大神としての瀬織津姫(厄除)③神としての瀬織津姫(龍神や荒魂として)ホツマツタヱによると大山祇であるサクラウチの長女が瀬織津姫ですので、人間としての瀬織津姫があります。人間の
四国八十八ヶ所霊場第84番札所南面山千光院屋島寺(なんめんざんせんこういんやしまじ)秋の熊野権現社昨秋の参拝の折に撮影した屋島寺の中にある熊野権現社。本堂と蓑山大明神様の東側、大師堂の北側に祀られています。〜2021年11月撮影〜🌿🌼華王(りりぃ。)🌼🌿(再編集して、再投稿)
熊野那智大社は、熊野古道を登った場所だった。急坂を喘ぎながら登った。YouTubehttps://youtu.be/TjHchOTDEMw熊野那智大社八咫烏には、賀茂健角身命と言う名前だった。参拝して解ることは感動がある。八咫烏は、人間の名前があった。境内には、たいない巡りがあった。祭神は、天照大神などの両親だ。熊野詣で多くの貴人が訪れた。熊野詣は、再生の願いだろう。と、想う。おわり
『出張の合間の神社巡り(日吉大社①)~なぜ荒魂を祀るのか~』『出張の合間の神社巡り(伊砂砂神社)~大将軍とは~』『出張の合間の神社巡り(等彌神社①)~鳥見山と謎の主祭神~』『出張の合間の神社巡り(阿良須神社)~不…ameblo.jp『出張の合間の神社巡り(日吉大社②)~悪の王子~』『出張の合間の神社巡り(日吉大社①)~なぜ荒魂を祀るのか~』『出張の合間の神社巡り(伊砂砂神社)~大将軍とは~』『出張の合間の神社巡り(等彌神社①)~鳥…ameblo.jp↑のつづき。さて、この日
熊野摩崖仏に参拝しました案内に従い、駐車場に車を停めて、拝観料を支払うと係のご婦人が「杖を持って行ってくださいねなるべく長いのがいいですよ」と声をかけてくれましたなぜ、長い方がいいのかなと思いましたが、言われた通り、なるべく長いのを選んでお借りしました始めはゆるやかな階段です杖の必要は、あまり感じませんが・・・あと100mと書かれた鳥居の先にすごい階段が待っていました「鬼が一晩で作った」という伝説があるそうですここからが杖の出番です足元をしっかり見て、足をかける
京都東山かつて弘法大師が翁の姿に変えた熊野権現と出会ったという場所お山の中です(絶対にオフレコですが、お大師様少しはじっとしててほしい)赤い橋が緑に映えますぽっちゃり気味のお大師様私ここまで会いに参りました参りましたのよく来たねって言ってくださいませね
霊峰富士龍の女神夜空希来(よぞらきき)です初めての方は写真をクリックしてください💕龍の女神って?夜空希来って?こんな人です✨このブログにご訪問くださってありがとうございます💕あなたとの出会いに感謝します今晩はお楽しみ「龍夜会第二夜」『記念すべき「龍夜会」∞第一夜‼️第二夜、メンバー募集‼️』霊峰富士龍の女神夜空希来(よぞらきき)です初めての方は写真をクリックしてください💕龍の女神って?夜空希来って?こんな人です✨このブログにご訪問く…
冷気漂う中轟音と共に現れる塩川滝の水は、半原の南山から流れて中津川に注ぐ。神亀年間に良弁僧正が、ここに清瀧権現を祀ったとの伝承があり、八菅修験の第五番の修行所であったともいう。今も滝近くには塩川神社が地域の守り神として祀られている。雨乞いの滝としても有名だったが、また不思議な話がある。滝上に渕があるが、その水脈が遠く江の島に通じているというのだ。中津川を下って角田大橋の横に市杵島神社の小さな森がある。江の島の弁天様は岩屋から穴伝いに塩川滝へ向かわれ、疲れてそこに休まれたのだという。角田に姿を現わ
お土産を買った後は駅前まで戻り次は二本松神社へ参拝。ココは今大河ドラマでやってる『鎌倉殿の13人』で源頼朝が伊豆で流人としてとらえられていた頃から仕えている御家人・安達盛長(13人の1人)が平安末期に熊野権現を祀ったことに始まり、室町時代に奥州探題・畠山氏が八幡神を合祀したという歴史ある神社。長い石段を登って、随神門をくぐって、閑散とした参道を歩いて神門をくぐると拝殿がある。現在の社殿や随神門は江戸末期の大火で焼失した後に再建されたモノだそうで、築200年チョットに
『普天満宮』(沖縄県宜野湾普天間)社務所横の控え室に掲示されています『女神さま』です。撮影OKとの確認の上、写真撮らせていただきました。(2022.05.21撮影)素敵です!めちゃ素敵です!😍(御由緒より引用)当宮の縁起伝承には首里桃原に女神が出現され、後に普天間の洞窟に籠られた。神社聖域の洞窟にも入って参拝させていただけます。行かれた際はぜひ。それではまた!😁
高御祖神社(たかみおやじんじゃ)▶御祭神:高皇産霊神、伊弉諾尊、伊弉册尊など▶長崎県壱岐市芦辺町諸吉仲触81創建は不詳で、紀州の熊野権現を勧請して以前は熊本山という場所に鎮座されていましたが、後に現在地に遷座しました。熊野権現、熊野三所権現と呼ばれていました。江戸時代の橘三喜の壱岐の式内社の比定の際に、宮司が箱崎八幡宮に別座で祀られていた高御祖神社の社号をこの熊野権現に付けて社名を改めていたので、橘もそれに準じて高御祖神社に比定しました。高皇産霊神(たかみむすびのみこと)は古事
2021年10月15日参拝。武蔵国式内社巡りのつづきです奈良神社(ならのじんじゃ)JR高崎線・熊谷駅よりバス【朝日自動車】妻沼行き「農業活性化センター前」下車15分、または「奈良小学校前」下車17分。参道の両脇、一面の稲穂🌾が美しいですこれが一の鳥居なのかと思ったら、違いました二の鳥居。一の鳥居は、200mほど手前の酒屋さんのところにあったようなのです※画像3枚ネットよりお借りしました。振り返って、この石灯籠に気がついていれば、一の鳥居がもっと手前にあると気が付けたかも知れ
おはこんばんわ~。今日も1日、お仕事お疲れ様でした…。実は、昨日の投稿分のブログすけど、睡魔に襲われて今日になりました。さて~令和珍選組の山本○郎が「外国人に生活保護を与えるべき、外から来ていて困っている人たちがいたら救う、そういう成熟した国に住みたい」とほざいている様ですけど、「だったら自分がそう言う国に行きやがれ!」って本気で思うご時世、皆さま如何お過ごしでしょうか?我々、日本国民の血税からが外国人に生活保護…「与えているじゃん!」。このガキ!本当にバカでして、外国人の生活保
令和4年5月15日(日)今回は午後から西国三十三所第一五番霊場の札所である今熊野観音寺に参拝する。今熊野観音寺は真言宗泉涌寺派の寺院で本尊は十一面観世音菩薩(秘仏で弘法大師作と伝えられる。)である。また、今熊野観音寺は以下の霊場となっている。・西国三十三所観音霊場・ぼけ封じ観音、近畿十楽観音霊場・洛陽三十三所観音霊場・神仏霊場会また、古くからの後白河法皇頭痛封じ霊験記にも記されているとのことで「頭の観音さん」として広く人々の信仰を集め賑わいを見せている寺院てある。本日は15日(
大和国吉野郡奈良県吉野郡川上村西河731(駐車は下部写真参照)■祭神大名持命「吉野山」の最高峰「青根ヶ峰」を源流とし東方で「吉野川」と合流する「音無川」。その途中には雄略天皇ゆかりの「蜻蛉の滝」も。当社は「吉野川」との合流地点「西河」集落内に鎮座します。吉野郡に多い「十二社神社(十二柱神社・十二神社)」ですが、川上村には十一社も鎮座しています。これは熊野那智大社から勧請された熊野権現を祀る川上村「柏木」の氏神から、さらに分祀されたものと伝わります。道路向かいのちょっと空いたスペース
素戔嗚神社から日光街道へ目の前に立派な「大橋」千住大橋です千住大橋が架橋されたのは、徳川家康が江戸に入府して間もない文禄3年(1594年)のこと隅田川最初の橋で、当初の橋は現在より上流200mほどのところで、当時「渡裸川の渡し(戸田の渡し)」と呼ばれる渡船場がありました架橋を行ったのは関東代官頭の伊奈忠次土木工事の大家だった伊奈忠次でも難工事だったようで熊野権現に祈願してようやく完成したといわれています伊奈忠次が祈願したとされる熊野権現はこの故事が元となって橋が架け
みなさんこんばんは~(*^^*)以前の訪問になりますこの時期もきっと参拝者はすごいのでしょうね~沖縄には神社が少ないです、一宮はここだけここが一の鳥居扁額もいいですね参拝者がすごいです、しかも与えられた時間は5分…急いで参拝し御朱印をもらいます…祭神は?伊弉冊尊、速玉男尊、事解男尊熊野権現は沖縄にまで来てましたね拝殿から見上げる琉球の軒丸瓦は三つ巴、不思議な感覚当然狛犬さんはシーサーでしょうね・・・これ吽形で立派な狛犬ですね阿形、
琉球八社巡り、最後は普天満宮です。琉球八社巡りを考える前から、普天満宮だけは単独で行こうと思ってました。コロナで鍾乳洞が拝観ができなかったので、結局今回が初参拝です。やっと来れた〜駐車場は鳥居の右側の坂を登った先になります。普天満宮は、洞窟内に琉球古神道神を祀ったのが始まり。と言う事は元は御嶽なんですね。この洞窟に入ってみたかったんです!いざ!赤瓦の風格のある拝殿です。そして左三つ巴紋。写ってないけど左手には手水社。笑顔お座りした笑顔の控えめワンコに見える「お座り出来