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先哲が説く指導者の条件『水雲問答』『熊沢蕃山語録』に学ぶ/安岡正篤¥681Amazon.co.jp★★★★☆安岡正篤先生が、「水雲問答」「熊沢蕃山語録」から指導者の条件を説く。安岡正篤先生の本は初読でしっかり理解するのは難しく、本書も残念ながら「・・・で、なんだったんだ?」という感じ。「読書百遍意い自ら通ず」を信じて何度も何度も繰り返そう。
ジュラ紀の海岸で「恐竜」に踏みつぶされた「カメ」のお話Yahoo!ニュース地層年代としてのジュラ紀は約2億130万年前から約1億4500万年前だが、そのカメの化石は2007年の調査でクルテドゥー(Courtedoux)というフランスの国境に...社内調査の徹底を指示経産相、関電の金品受領問題で日本経済新聞...元助役から多額の金品を受け取っていた問題で「化石燃料や再生可能エネルギーなども含め、社内的にこういう構造がないか明確にせよと指示した」と述べた。大津絵のTシャツと
利長、永姫先頭に行列高岡開町まつり、まちなか練り「入城」47NEWS高岡開町まつり400+10」(富山新聞社後援)は14日、高岡市中心部で行われた。加賀藩2代藩主で高岡の基礎を築いた前田利長と正室永姫に扮(ふん)した...古九谷大皿みこし堂々お練り加賀で十万石まつり開幕中日新聞大聖寺藩初代藩主の前田利治公をしのび、古九谷発祥の地として産業の発展を祈る「十万石まつり」が十四日、加賀市役所周辺で始まった。十五日まで。商売繁盛に千客万来!馬を左右逆に書いた将棋駒「左馬」はな
ドルは石油によって支えられているそういう人はいっぱいいるしかし石油はアメリカが支配しているところあるいはアメリカ本土にしかないものではない結局帝国の力の源泉は交換しようがない交換不可能な財産を担保にするしかないそれは技術力でも金塊でも石油でも天然ガスでもない熊沢蕃山が400年も前に喝破したように『時・所・位』『時間』及び『時刻』『場所』上下左右・東西南北のような『位相』timeplacedimensionsこの三
本当は江戸が朝廷だった現代では京に天皇が居て、公家も住んでいて、だから朝廷で、江戸は征夷大将軍が施政をとっていた幕府だ、といった画一的な見方を、学校歴史でもとっている。だが実際はそうではなかったという事が「赤穂義人纂書」にも明確に出ている。江戸時代「大陸人は貴種ゆえ、大和で誰が王となっても差し支えないが、大和の者は賤ゆえそれは出来ぬものである」と書いたのは熊沢蕃山である。だがこれが幕府の逆鱗に触れ熊沢は流罪にされた。弟子である山鹿素行も「聖教要録」に当
晴天利尻山素朴画水彩田中じゆうこう重光1988年に利尻山に行きました❗稚内よりフェリーに乗り❗利尻島につきました。そこから、ゆっくり歩いてキャンプ場に向かいました。キャンプ場からは、利尻山が見え清々しい風が、吹いていました。しばらく、キャンプ場にとどまり近くの風景などをスケッチしていました。キャンプ場の管理人のおじさんも絵を描く人だったので、利尻山の油絵を見せてもらったりしてとても楽しい時間を味わいましたね🎵ある日、利尻山に登りたくなり、テントで朝から弁当を作り
【蕃山忌熊沢蕃山(くまざわばんざん)の命日享年73】江戸時代の陽明学者。儒教の経典『孝経』の注釈書『考経小解(こうきょうしょうかい)』を記した。【インドネシア独立記念日】1945年(昭和20年)、インドネシアのスカルノが独立宣言した。首都はジャカルタ。現代活学講話選集6先哲が説く指導者の条件『水雲問答』『熊沢蕃山語録』に学ぶ【電子書籍】[安...600円楽天【送料無料】熊沢蕃山の思想冒険/山田芳則【本】5,400円楽天【バリ島インドネシアお
(17年7月記事)京都の人だねこんなタイプの視野が広い本物のインテリね一つ方向だけ見て言うタイプではないしかしかなり強い主張して監獄に閉じ込められ死んじゃった人なんだけど考え方もやったこともすごく京都の人っぽいね熊沢蕃山(1619~1691)江戸時代初期の有名な陽明学者岡山の池田光政につかえていた口だけつべこべ言ってるんじゃなくて実務やっていた行政家です昨晩ちと話しましたヤマと森をどうして行ったらいいか?ということを真剣に考えた人ですよ山陽・山陰
セルパワー使ったことあります。一昨年の春、家族が、中耳炎になった!頭が痛い。耳が痛いと言い、しかも、直ぐに病院には行かず、数日後、耳鼻咽喉科の名医を探し、病院に行くと、帯状疱疹と診断されました。そのとき、#JESの#希望の命水を飲んでもらい、#セルパワーの機械に、毎日かかりました。後遺症が残る可能性が高かったですが、セルパワーと、希望の命水のおかげで、完治しましたセルパワーの初期の機械は、友人が自宅に持ってきてくれましたおすすめです。薬事法か、法律の関係で、販売する人は、事実で
あっさり答えは出るよ自明のことだ『電子マネー』とは要するに『数字』だブロックチェーンだなんだ言ったところでどんなに最新技術を盛り込んだところで手の込んだ数字の羅列であること変わりはないんだどれほどそれが素晴らしいとモチあげるオダてあげるやつらだって否定はできない筈厳然たる事実だ小学校のしょっぱなから大学まであるいはその先大学院まで算数から数学まで延々とみんな教えてくれたよなそれで食ってる人がいるからだしかしその中の誰か一人でも『数とは何
家光没後の五十年間は、江戸時代を代表する元禄の文化が、主として民間から作り出された時期であった。この盛り上がる力は幕府の権力のいかんともなし得ざるものであり、むしろ逆に幕府を圧迫して、その政策を文治主義に転ぜじめている。この大勢は朝廷に対する幕府の態度をも著しく変えた。四代将軍家綱は、後水尾上皇のために修学院の離宮を造営し、また佐渡の順徳陵を修理した。次の綱吉は、二百年来絶えていた大嘗会を復興し、また葵祭りをも蘇生させ、さらに歴代の御陵を調査して、荒廃せるものを修理した。かくして信長や秀吉の態
憂きことのなおこのうえに積もれかし限りある身の力ためさん江戸時代前期の儒学者、熊沢蕃山(くまざわばんざん)の歌です。「さすが儒学者・・・」と想わせる一首ですが、私たちも、我が人生をこのような気概で臨んだなら、さぞかし面白いだろうと思わせる歌です。「憂きこと」とは、大変なこと、辛いこと、苦しいことと云った意味でしょうが、兎に角、人生に次から次へと圧し掛かってくる苦労を、「もっと乗っかって来い・・・、もっと乗っかって来い・・・」と云っているのですから、胎(はら)が据わって
憂きことのなおこのうえに積もれかし限りある身の力ためさん江戸時代前期の儒学者、熊沢蕃山(くまざわばんざん)の歌です。「さすが儒学者・・・」と想わせる一首ですが、私たちも、我が人生をこのような気概で臨んだなら、さぞかし面白いだろうと思わせる歌です。「憂きこと」とは、大変なこと、辛いこと、苦しいことと云った意味でしょうか。兎に角、人生に次から次へと圧し掛かってくる苦労ということだろうと思いますが、その苦労に、もっと乗っかって来い、もっと乗っかって来いと云っているのですから、
儒学者・熊沢蕃山の記念館開設へ備前・伊里の顕彰グループ活動山陽新聞岡山藩主池田光政の藩政を支え、隠退後は備前市に居を移し、河川改修などに尽力した儒学者・熊沢蕃山(1619~91年)を顕彰する活動が、備前市伊里地区で...夢の仕事フランスで「銀河の考古学者」募集中Sputnik日本業務内容は最古の星々の性質の研究だ。学歴として大学院修了が求められる。宇宙化学と銀河天文学分野の経験者は優遇される。フルタイム勤務で...新時代の「伝統の一戦」は巨人対広島に?影が薄す
母が、棺に納めて欲しいとまとめた荷物一式の中に、祖母の手帳がありました。条例で燃やせないモノがあるので、確認のために仕分けをしながら、年末年始は手帳を読みふけっていました。ある言葉が繰り返し書かれていました。祖母の座右の銘なのでしょう。憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力ためさんうきことのなおこのうえにつもれかしかぎりあるみのちからためさんググってみたら、江戸前期の陽明学者、熊沢蕃山の歌らしい。その意味は…生きていると、苦悩や困難なことが降り掛かる。
『世に棲む日日ー二』ー司馬遼太郎●狂生ー①✪「三千世界の烏を殺しぬしと朝寝がしてみたい」という俗曲の歌詞は、高杉晋作の作である。江戸を去ったかれは、道中、三味線をかかえていた。もっとも普通の三味線ではなく、折りたたみ式のからくりになっていて携行しているときは小さくすることができる。使うときに伸ばして、弾くのである。道中は旅籠に泊まるたびに酒を飲み、酌婦をはべらせ、この三味線を弾いて唄をうたった。箱根の関所を破ったあげく、毎夜、泊まりを重ねるごとに酌婦をあげ、弦歌に酔
◆蕃山は、「江戸時代260年の歴史の中で、ナンバーワンの政治家であり、政治思想家」だった今では、見事に全く忘れ去られてしまった感のある中江藤樹(なかえ・とうじゅ)の高弟で陽明学者の熊沢蕃山(くまざわ・ばんざん)について、触れてみたい。蕃山といえば、「江戸時代屈指の経世家」であった。今風に言えば、「江戸時代260年の歴史の中で、ナンバーワンの政治家であり、政治思想家」だったのである。幕末の陽明学者・山田方谷(ほうこく)が私淑し、方谷が「小蕃山」と呼ばれた事は、記憶に新し
◆「事上磨錬によって手に入れることのできるものは、静坐によって得るものの倍です」以下、吉田公平・小路口聡・早坂俊廣・鶴成久章・内田健太『王畿「龍渓(りゅうけい)王先生会語」其の11』からです。王龍渓(1498~1583。WangJi)は、陽明学の創始者・王陽明の高弟で、陽明亡きあとの真の後継者です。その生涯を、師の教えの啓蒙活動に捧げました。日本陽明学の祖・中江藤樹は、王龍渓の思想を契機に大悟し、藤樹の弟子たち、特に熊沢蕃山と並ぶ二大弟子の一人の淵岡山(ふち・こうざん)とその
おはようございます。今朝の福岡は夜半からの雨も上がり、晴れています。今日は橘一徳さんの「陽明学」をお送りします。テーマ「中庸」「中庸」にいう自然の境地脳の中で、この感性と知性の働きの比重が大切になってくるのですが、人は感性が主となって知性を働かせていくこと、このバランスが最も重要になってきます。「義を先にすれば、後に利は栄え、富を好(よし)とし、その徳を施せ」と言うように日本の商人たちは「商い」をする上でもっと大切なのは損得の知性ではなく、「仁義礼智信」の感性だ
「易経」は形式的な言い方をすれば、儒教の経典である四書五経の中の「五経」の筆頭であり、「陰陽二元論から森羅万象の因果律を説く」ものである。…むずかしいことは抜きにして、とにかくすごいんやぁ、と思ってください^^;儒教って何?「論語」で知られる孔子の教えを祖とする思想の体系。儒教が朱子学・陽明学を生み、陽明学が日本に渡り、佐藤一斎、熊沢蕃山、荻生徂徠、大塩平八郎を感化しさらに、高杉晋作、西郷隆盛、吉田松陰らの思想を育て、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、らに引き継がれ、明
蕃バン族は→=蛮バン族蛮族は、蛮荊ケイ→南方の異民族夷エビスは、東夷。戎じゅうは、西戎→驪リ戎。狄テキは、北狄→白翟テキ、赤狄。蛮→=蠻バン→變ヘン→変蛮は、蠻の省略形→糸筋が変わった?蛮=蕃は楚の地を指していう蕃は、まがき。かきね。→まがきを守るのは→蕃衛(衞)蕃籬はんり=藩籬籬り=竹+离ち+隹=竹+雨竜=靁スサノオ+尾の短い鳥?熊沢蕃山の名は→伯継。字は、了介。蕃山は、号。本姓は、野尻。養子先の姓は、熊沢。岡
4月28日に歩いて以来、ご無沙汰していた報恩大師備前四十八ヶ寺を車で巡拝した。もう足掛け3年だ。近場だからついサボり気味である。いい加減、満願しなくてはなるまい。今回は備前市内の4ヶ寺を訪ねた。まず始めに、正楽寺様である。家からブルーラインに乗り終点で降りて最初の信号を右折する。広い駐車場がありその脇に熊沢蕃山(くまざわばんざん)のレリーフがある。熊沢蕃山のレリーフ蕃山は江戸時代の始め岡山藩主池田光政が招聘した陽明学者である。岡山藩の礎を築くことに尽力したが、やがて幕府から睨まれここに
憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力試さん熊沢蕃山の作とも、山中鹿之介の作とも言われている歌ですが、「憂きこと」というのは,いつこの身に降ってくるかわかりません。そして、その人にとって、何が「憂きこと」なのか、本人以外に、本当のところはわかりません。今、入蔵の身の上に、大きな「憂きこと」が訪れています。「大きな」とわざわざ言うのは、「憂きこと」は日常的に訪れているのですが、その中でも、結構重たいからです。前にも書きましたが、ありがたいことに入蔵は、憂きこと
【蕃山忌】熊沢蕃山(くまざわばんざん)の命日。享年73。江戸時代の陽明学者。儒教の経典に『孝経』があるが、彼はこれの注釈書『考経小解(こうきょうしょうかい)』を記した。現代活学講話選集6先哲が説く指導者の条件『水雲問答』『熊沢蕃山語録』に学ぶ【電子書籍】[安...600円楽天【送料無料】熊沢蕃山の思想冒険/山田芳則【本】5,400円楽天
「岡山城」と言いますか、「岡山藩」第五弾は、現在の岡山県備前市閑谷にあります特別史跡「閑谷(しずたに)学校」へ向かいます。「閑谷学校」は、1670年三代藩主池田光政の意を受けた津田永忠によって、現存する世界最古の庶民の為の公立学校として、約30年の歳月をかけて創建させます。この津田永忠は、「閑谷学校」の創建だけでなく、社倉米制度、百間川の開削、新田開発などの土木工事にすぐれた功績を残しました。また彼より以前には、光政の意を受けた熊沢蕃山が様々な藩政改革を推進する等成果を挙げ、光政はこ
真備町の惨状にTV・紙上で接する岡山市民は熊沢蕃山と津田永忠になる百間川のお蔭と今更ながらに感謝いたしました。私共が暮らす旭川東域は津田永忠入魂の沖新田の広がる地域なのです。この度も旭川の放水路としての大役を十分に果たしてくれました。池田藩主光政公が敬われる所以です。為政者に相応しい・・・。