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11月4日、近江聖人「中江藤樹」について書きました。東洋哲学者の内、「聖人」とまで呼ばれたのは中江藤樹くらいしかいません。〜近江聖人・中江藤樹先生の教え〜「五事を正す」「貌」(顔かたち)和やかな顔つきで人と接し「言」(言葉づかい)思いやりのある言葉で話しかけ「視」(まなざし)澄んだ目でものごとを見つめ「聴」(よく聞く)耳を傾けて人の話を聴き「思」(
―あなたの五月病の症状を教えてください―との“キャンペーン”がありました❗◇5月31(水)…――と言うので~おじさんにも~思い当たる節が⁉ひょっとしていま思えば❕あれが〰そーかも⁉💥おじさんのGW連休中は忙しかったんですョ〔4枚のスタンプは!‥KFC仲間の゙マミーさん゙からお借りしました❗…勝手にゴメンなさい〕これ!これ〰~おじさんのGWが過ぎた後―気が抜けて!‥どこかへん⁉気だるさで!何もしたくなく、する気も起こらずただ~ぼんやり
今日は、岡山藩主池田家の菩提寺、曹源寺にお参りしてきました。備前市吉永町の和意谷池田家墓所、和気郡和気町の津田永忠墓所と合わせて三点セットで、岡山藩主池田家墓所として平成10年(1998年)国の史跡として指定されています。⇒国史跡『岡山藩池田家墓所』を訪ねる(2017/12/13)⇒三石城址と津田永忠墓所を訪ねる(2017/12/15)================================岡山駅などから曹源寺までのバスも出ているのですが、本日は、あえて
みやがわデンキ、宮川雅子です。最近、町内のあちらこちらに旗が立っています。「熊沢蕃山生誕400年」とあります。勉強不足で、江戸時代初期の陽明学者だということしか知りません。あれ?岡山の人だと思っていたぞと、Wikiで見てみたら、岡山藩に仕えていたようです。なんだか、一筋縄ではいかない反骨な人のようです。少しおもしろそうな人です。何年か前には勉強会なるものをされていたようですが、今でもあるのかな~?などと思いながら、合展の招待状を、お届けしています。
■夫の新作(古本・自己啓発本・参考書・新刊の各ガイド)■4-8本の名は知っていても読んだことはおろか手に取ったことさえないそのようないわゆる名著がどんなに多いことでしょうかアルベルト・シュヴァイツァー博士の『水と原生林のはざまで』はまさにそのような本の一冊なのです(この本を一読してわかることは)この本はキリスト者の書いたいわば伝道の書だということですそれは、例えば第1章冒頭ではルカ伝16-19が第5章末尾ではマタイ伝23-8が麗々しく引用さ
中江藤樹は大洲藩加藤家に仕えた武士で、27歳の時に郷里の近江高島へ戻って学問と教育に励み、朱子学を批判し実践を重んじた陽明学を国内に広めた。彼の弟子には熊沢蕃山がいる。また、幕末の大塩平八郎は陽明学者だった。高島市安曇川町上小川に書院が復元されていて、その少し北の玉林寺に母と並んで墓が残る。
藤樹書院は江戸時代初期の儒学者である中江藤樹の私塾。中江藤樹は大洲藩加藤家に仕えた武士で、27歳の時に郷里の近江高島へ戻って学問と教育に励み、朱子学を批判し実践を重んじた陽明学を国内に広めた。彼の弟子には熊沢蕃山がいる。また、幕末の大塩平八郎は陽明学者だった。高島市安曇川町上小川に書院が復元されていて、近くには彼を祀った
■夫の新作(古本・自己啓発本・参考書・新刊の各ガイド)■4-7エイブラハム・リンカーンは独学で身を立てたという点では野口英世とよく似ていますし今でいう学齢期のころ父親に勉強するのを反対されたという点では二宮金次郎が、両親の死後伯父に勉強するのを止めさせられたのとよく似ていますそして丸木小屋で生まれたリンカーンも没落農家の末裔だった金次郎も英世も子どものころに貧しい暮らしを送ったという点では全く同じですこの三人の偉人の生涯から少年の私は殊勝にも
バカバカ言うのも好きじゃないけどね何にでも馬鹿レッテルを貼って回る人いるでしょ?なんとかバカ!とくくるとくに日本に多い日本人ってのは基本的にややこしいこと考えるのが嫌いそういう本が売れることもない稀に熊沢蕃山とか湯川秀樹みたいな人いるにはいるけれども(熊沢蕃山は『場所・時間・位相』は経済的交換ができないとした17世紀前半江戸期日本の経済思想家生きていれば確実にノーベル経済学賞)(
■夫の新作(古本・自己啓発本・参考書・新刊の各ガイド)■4-6A先生の「医者」という言葉から連想される人物こそ名にし負う世界の偉人HideyoNoguchiその人に他なりません二宮金次郎と同じように貧農の出の野口英世が幼時に遭遇したヤケドという不幸をバネにして(並はずれた情熱と忍耐と努力によって)世界的な医学者になるその「逆境をはね返す負けじ魂」から少年の私は貴重な人生訓を学んだのですそしてこの人生訓は後年憂き事の尚この上に積もれかし限りあ
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究169(問85)」で確認してください。問85正解は➌。➌「熊沢蕃山」(陽明学者)の部分が誤り。『聖教要録』や『中朝事実』は、古学派の祖とされる山鹿素行が著した。ここでは、陽明学と古学について、簡単な解説を加えておく。陽明学明の王陽明が創始し、中江藤樹(日本陽明学の祖)やその門人熊沢蕃山らによって受容された儒学。陽明学は、その中心思想である「知行合一(ちこうごういつ)」(認識と実践は不可分)の主張にみられるように、現実を批
問85標準レベル江戸時代の儒学について述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊第5代将軍徳川綱吉は、上野忍ケ岡の林家の私塾と孔子廟を湯島に移して学問所として整備し、林羅山の孫信篤(鳳岡)を大学頭に任命して、この学問所を主宰させた。➋日本陽明学の祖とされる中江藤樹らによって受容された陽明学は、その中心思想である「知行合一」の主張にみられるように、現実を批判して矛盾を改めようとする革新性をもっていた。➌『聖教要録』を著して朱子学を批判した熊沢蕃
岡山県の紅葉も既にほとんどが散りつつある中、今日は、ギリギリで頑張っているところを歩いてみました。コースは、岡山後楽園→土光敏夫先生記念苑→西川緑道公園→長泉寺→半田山植物園旭川を渡って後楽園に向かいます。後楽園の中に入り、簾池軒の前を通っていきます。ところどころに朱いところが残っています。このあたりはすっかり散って敷もみじになっています。延養亭が見えます。すっかり茶色になっていますね。このあたりも半分は散ってしまっています。
総選挙で自民党が圧勝した翌日の10月23日、この日の149年前に、日本と言う国がガラッと変わってしまった。岡山藩の家老、熊沢蕃山から、いよいよ日本全国に広まっていった陽明学が倒幕の原因になったというのだが、本当だろうか?そこで149年前の日本にタロットdeタイムスリップ!✨🌍✨🌍✨🌍✨🌍✨🌍✨ケンケンガクガクの闘争があり、日本は2つに分かれている。タロット大アルカナの月のカードは、よく似た姿の狼と犬が小さな小川を境界線に互いに吠えあっているという構図になっている。まさに!何
メンターは、陽明学者!「ある武士が近江の国を旅していたとき大切なお金を馬の鞍に付けたまま馬を返してしまった。武士が金が戻らずがっかりしていたが、その時の馬子が金をそっくり渡すため武士のもとに戻ってきた。感謝した武士はせめて礼金を渡そうとするが、馬子は受け取らない。聞くと馬子の村に住む中江藤樹の教えに導かれてのことと言う。そこで武士は迷わず藤樹の弟子となった。この武士こそ後に岡山藩の家老となった熊沢蕃山である」日本陽明学の祖、中江藤樹をメンターとし、陽明学を学んだ熊沢蕃山が、
机にかじりついて本の表紙をいじくりまわしていることが修行ではなくて、貧乏で悩むことも、困難におちいることも、災厄に出遭うことも、みな修行である。それによって心に工夫をしなければならないと教えていただきました。私は貧乏をなんとも思ってはおりません」熊沢蕃山(渡部昇一上智大学名誉教授)熊沢蕃山は冬のさなか、寒い風に吹かれながら中江藤樹の家の軒下に座って入門を迫り、ようやく弟子にしてもらった。しかし、その翌年、父親が浪人してしまった。当時の浪人とは
熊沢蕃山元和5年(1619)~元禄4年(1691)江戸時代初期の陽明学者で、政治家、経世家。諱は伯継(しげつぐ)、字は了介。号は息遊軒。備前岡山藩池田光政に仕官し藩政に参与。零細農民の救済や土木事業で業績をあげた。光政への思想的(儒教)影響力が大きい。大胆な藩政改革は、藩内からも幕府からも不審を招き、岡山を去る。浪々の中で幕府政策批判を続け、69歳で古河城(茨城県)に蟄居謹慎を命ぜられる。古河城にて、元禄4年(1691)死去。享年74。■蕃山と岡山藩元和5年(
【蕃山忌】熊沢蕃山(くまざわばんざん)の命日。享年73。江戸時代の陽明学者。儒教の経典『孝経』の注釈書『考経小解(こうきょうしょうかい)』を記した。先哲が説く指導者の条件『水雲問答』『熊沢蕃山語録』に学ぶ(PHP文庫)[安岡正篤]668円楽天熊沢蕃山の思想冒険[山田芳則]5,400円楽天
男の風格をつくる論語(29)孔子の心を伝える者たち⑪上知と下愚とは移らずⅱ子曰わく、唯上知と(じょうち)下愚(かぐ)とは移らず。陽貨第十七仮名論語262頁7行目です。伊與田覺先生の解釈です。先師が言われた。「ただ最上位の賢者と最下位の愚者とは変わらない」伊與田先生の著書『百歳の論語』第四講、孔子の心を伝える者たち、にはこう書かれています。先師が言われた。「ただ最上位の賢者と最下位の愚者とは変わらない」これは押しても突いてもその人間を変えることはできない、という事
男の風格をつくる論語(25)孔子の人間的魅力をつくったもの⑨貧しくして諂うこと無しⅲ子貢曰わく、貧しくして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無きは何如。子曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて禮を好む者には若(し)かざるなり。子貢曰わく、誌に云う、切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如しと。其れ斯(これ)を之(これ)謂うか。子曰わく、賜(し)や、始めて與(とも)に詩を言うべきのみ。諸(これ)に往(おう)を告げて来(らい)を
前の記事から、間があいてしまって、スミマセン。矢田寺の続きです。いやオマケのお話です。向こうに見えますのは、矢田寺の本堂の南側面です。ここから、正面の「矢田寺道」を大和郡山市内の方に帰れば良かったんですが……。前回に、矢田山中の「矢田寺・四国八十八ヶ所巡り」を歩いたでしょ!それで、ハートに火がついてしまいました。ここ(矢田寺)から南へ!目指しますのは、松尾山(標高315m)。矢田丘陵の南の峰です。※その山頂までは行きませんが……。矢田丘陵の山中、こんな山道を、ひたすら歩きまし
更年期無頼!"憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力ためさん"人生は50歳からが面白い@マリコですブログにご訪問ありがとうございますお母ちゃんは、娘イジメの天才である!25歳バツイチ再婚。夫は18歳!あなたが死んじゃったかと思ったの・・幼子を失った悲しみは・・赤ん坊(ワタシ)の夜泣きに泣かされた一年間~!私、トイレが近いんです~と、お母ちゃんを恨んでみる。。踏切の音の響く夜。あなたのために死んじゃいけないと思ったの~①踏切の
水島図書館で「戦災のきろく展」惨禍伝える日章旗など41点山陽新聞(会員登録)水島空襲や戦時中の倉敷市民の生活を伝える「戦災のきろく展」(市、市教委主催)が17日、同市水島青葉町の水島図書館で始まった。惨禍を伝える資料41点が...遠賀川大水害遺構研修Yahoo!ブログ-Yahoo!JAPAN午前中、ふれあいの里で行われている通学合宿の子どもたち18人に昭和28年6月の遠賀川大水害を伝承するために遺構研修を行いました。私は「遠賀町助成...伏見城の遺構を移
◆中江藤樹とその門人たちの活躍を抜きにして、江戸文化を語ることはできません。昨年11月に入稿させて頂いた拙稿『日本陽明学の祖・中江藤樹(仮)』のことに関して、4月27日に出版社から、「このゴールデンウィーク中に編集作業をスタートさせます」といった内容の連絡を頂くことができました。前代未聞の出版不況の中、拙稿を刊行して頂けるだけでもありがたいと思っています。内容は、中江藤樹の伝記であり、「日本陽明学」の入門書となっています。中江藤樹とその門人たちの活躍を抜きにして
安岡正篤一日一言Amazon人間なにが悩みかというと、自分が自分を知らざることである。人を論じたり、世を論じたりすることはやさしいが、自分を論じ、自分を知るということは、実はこれが一番大事であるにかかわらず、なかなか難しいことである。人間は、先ず自分を責むべきであって、世の中や時代を責むべきではない。世の中が悪い、時代が悪いというのならば、そういう時世に対して、一体自分はどれだけ役に立つのか、それをどう解釈し、それに対してどういう信念・情熱を持っているのか、
「雲のかかるは月の為風の散らすは花の為雲と風とのありてこそ月と花とは尊けれ」熊沢蕃山今様「自反而縮雖千萬人吾往矣」(自ら反(かえり)みて縮(なお・直)くんば、千万人と雖(いえど)も、吾(われ)往かん)…自らを省みて、正しいと確信できたのであれば、千万の敵であろうと恐れずに立ち向かって行く。孟子公孫丑章句「自分が為さずして誰が為すか今やらずして何時やるか」「芸の行き止まりを見せずして一生を終わるを、まことの芸とす」「肝胆相照らせば、天下と共に秋
人生の問題は、人間関係(信頼)と実行(応対と挑戦)。人物とは、元気(気力)・志・度量・風韻。そして、情熱と創造と実行の継続。才能があっても、すぐにへこたれたり、私利私欲ばかりでは長続きするような仕事や大業はできない。仕事ができなければ、人生を楽しむことは難しい。楽しまずして何の人生か。楽しむための、しなやかで強靭な精神の背骨を作る栄養は、古典・人物・実践。そのうちの古典のテキストが以下のもの。1.小学2.孝経3.大学4.中庸5.論語6.孟子7.荀子8.
小池百合子氏が主宰となってスタートする「政治塾」に5000人近くが参加表明したそうだ。正に、百合子ブーム真っ盛りといった様相である。「皆さんには批評家ではなく、プレイヤーとなって政治に向かって頂きたい」と小池氏は述べた。お話は少々逸れますが、中江藤樹や熊沢蕃山は陽明学ですが、陽明学の始祖である王陽明の言った「致良知(ちりょうち)」とは、人間のアプリオリな良知を人間精神の本体とし、これこそが理の出自であるというように理解されるもので、これは孔子の「性善説」に対し「先天的道徳知」
【蕃山忌】江戸時代の陽明学者、熊沢蕃山(くまざわばんざん)の命日。儒教の経典に『孝経』があるが、彼はこれの注釈書『考経小解(こうきょうしょうかい)』を記した。以下は電子書籍【インドネシア独立記念日】1945年(昭和20年)、インドネシアのスカルノが独立宣言した。首都はジャカルタ。地球の歩き方(D25(2015〜2016年)[ダイヤモンド・ビッグ社]価格:1836円(税込、送料無料)(2016/8/16時点)
何も私は「反米主義」で言ってるのではないのです。歴史不在の処に、設計主義的に国家を作らざるを得なかったアメリカは可哀想な国なんだとしても、神代から数えれば数千年という歴史を有す私たちの国日本が、その歴史なきアメリカの後を無思想に追従していくという、その姿に最早耐えられそうもないから言っているのです。「学問は歴史に極まり候事に候」と荻生徂徠は言いましたが、「歴史を知る」とは、「鳴くよ(794)うぐいす平安京」とか、「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」といったような、「年表丸暗記」をい