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〇雁蕩山は広大な山塊である。それを説明するのも、なかなか難しいし、紛らわしい。それに、私が訪れたのは、雁蕩山の最も東側の霊峰景区のみである。そこにあった案内板で、雁蕩山を案内してみたい。〇今回案内するのは、雁荡山世界地质公园である。これが雁蕩山全体の説明案内になるのではないか。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する雁荡山世界地质公园は、次の通り。雁荡山世界地质公园雁荡山世界地质公园主要位于中国浙江省温州市乐清市境内,部分位于永嘉县及温岭市,距杭州300公里,距温
〇2019年3月12日、雁蕩山站へ着いたのは朝の8時12分だった。駅の外に出ると、バス乗り場があって、「①景区公交」、「②旅游伝線」とあって、「①景区公交」の方のバスに「灵峰⇔車站」とあった。多分、こちらだろうと思って、運転手に「雁蕩山行のバスか」と尋ねると、「乗れ」とおっしゃるので乗った。〇まだ誰も乗っていない。行き先が不案内なので、一番前の席に座った。その後、4、5人が乗って来て、ようやく出発となった。〇雁蕩山站から灵峰景区までは、西へ5、6㎞くらいのはずである。日本に居る時に、そういう
〇2019年3月12日、温州南站を7時48分に出るG7576次電車に乗って、雁蕩山を目指した。雁蕩山站への到着予定は8時21分だったが、8時12分には雁蕩山站に着いていた。駅を出たところにバス停があって、そこから公交バスに乗って雁蕩山へ向かう。〇ただ、雁蕩山は広大な山塊なのである。一日や二日で見学できるところではない。百度百科が案内する雁蕩山を見ると、そのことがよく判る。雁荡山雁荡山以山水奇秀闻名,素有“海上名山、寰中绝胜”之誉,史称中国“东南第一山”,主体位于浙江省温州市
〇温州を訪れることが無かったら、多分、雁蕩山を知ることは無かったのではないか。それ程、日本では知られたところではない。偶々、越国縦断を決行して、温州を訪れ、雁蕩山へ行く機会に恵まれた。○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する雁蕩山は次の通り。雁荡山雁荡山以山水奇秀闻名,素有“海上名山、寰中绝胜”之誉,史称中国“东南第一山”,主体位于浙江省温州市东北部海滨,小部在台州市温岭南境。雁荡山形成于1亿2000万年以前,是环太平洋大陆边缘火山带中一座白垩纪流纹质破火山。《载敬堂集》
〇2019年3月12日も、朝早く起きて、雁蕩山を目指した。せっかく温州站前に泊まったのに、温州南站まで行くモノレールの駅が無いのである。冗談のような話だが、本当である。〇それで仕方が無いのでタクシーを利用した。せっかく駅前の交通利便なホテルを選んだのに、何ともひどい話である。多分、後日、モノレール温州站ができるのだろう。それしか考えられない。〇朝6時過ぎにはホテルを出た。6時30分には温州南站に着いていた。今回、温州南站から雁蕩山まではG7576次電車で行く。G7576次電車は温州南站を7時
〇2019年3月11日は、終日、温州市で過ごした。夕方、温州站前にある温州万融商务大酒店へ帰って来て、しばらく休んだ後、夕食を取りに外に出た。ホテルがあるのは温州站前だから、食べるところはいくらでもあった。〇昼食が遅かったし、それに拉麺と炒飯を食べたので、それ程、お腹は空いていなかった。でも、何か食べないと朝までは持たない。地下街を歩いていたら、定食屋さんみたいな店があったので、そこで食事した。〇豚肉の蒸し焼きみたいな感じのものが美味しそうだったので、それを頼んだ。これは以前、食べたことがあ
〇2019年3月11日は、浙江省温州市に居た。ここのところ、例年3月は中国に居ることが多い。2018年3月は海南島から広州を経て、福建省の泉州まで北上した。2018年の旅が南越旅游で、2019年の旅が北越旅游で、両方の旅行で越国を縦断したことになる。〇今年2020年の3月は西安周辺を自由気ままに歩いてみようと計画していた。と言うのも、昨年10月28日から、春秋航空に佐賀空港から西安空港までの直行便が就航した。それで、早速、その第一便に乗って昨年10月28日から11月8日まで、西安から黄陵、韓城
〇温州市の江心嶼を見学後、向かったのは温州市最大の繁華街である温州五馬街であった。折角温州市を訪れたのである。温州五馬街くらいは見ておきたかった。〇温州市を訪れるに際して、最初温州五馬街へ泊まろうと思った。しかし、朝早くホテルを出るのであれば、交通の利便性が第一だろう。そう考えて温州駅前のホテルを選んだ。それが意外と不便で困った。○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する温州五馬街は次の通り。五马街五马街,中国著名商业街,古称五马坊,温州旧城古街道之一,东起解放街与公
〇温州市の江心嶼の詩を続けているが、今回は徐照の「題江心寺」詩である。【原文】題江心寺徐照兩寺今為一僧多外國人流來天際水截斷世間塵鴉宿腥林徑龍歸損塔輪卻疑成片石曾坐謝公身【書き下し文】江心寺に題す徐照兩寺、今は一と為り、僧は外國人多し。流れ來る、天際の水、截り斷つ、世間の塵。鴉は
〇温州の江心嶼の詩を続けているが、ブログに載せることが難しく、難儀している。どうやっても登録できないのである。字数が多くも無いのに、字数制限に引っ掛かるのである。原因不明で困っている。〇今回は、張擴の「宿溫州江心寺詩」である。うまく載せることが出来ることだけを願っている。【原文】宿溫州江心寺詩張擴出城何所詣孤嶼海雲中寺影一拳石潮聲四面風斷煙迷過鳥密葉墜丹楓
『温州ショッピングセンターにおけるクラスター』|疲労困憊したおじさんのブログhttps://ameblo.jp/masaya1015/entry-12585136331.htmlОтправленосiPhone皆さまも、お大事に。
〇今回は、孟浩然の「永嘉上浦館逢張八子容」詩。【原文】永嘉上浦館逢張八子容(一題作永嘉浦逢張子容客卿)孟浩然逆旅相逢處江村日暮時衆山遙對酒孤嶼共題詩廨宇鄰蛟室人煙接島夷鄉園萬餘里失路一相悲【書き下し文】永嘉の上浦館にて張八子容に逢ふ(一題、「永嘉浦にて張子容客卿に逢ふ」に作る)孟浩然逆旅は相逢ふ處にして、江村は日暮れの時なり。
〇今回は謝霊運の「登江中孤嶼」詩について。【原文】登江中孤嶼謝霊運江南倦暦覧,江北曠周旋。懐新道転迥,尋異景不延。乱流趨正絶,孤嶼媚中川。雲日相輝映,空水共澄鮮。表霊物莫賞,蘊真誰為伝。想象昆山姿,緬邈区中縁。始信安期術,得尽養生年。【書き下し文】登江中孤嶼謝霊運江南は暦覧するに倦み、江北は曠しく周旋す。新しきを懐ひて道は転た迥かに、異しきを尋ねて景は延からず。
○温州市の江心嶼へ出掛けた。ここは中国の歌枕の一つである。ここを大勢の風流文士が訪れ、多くの佳詩を作っている。そういうものの幾つかを案内したい。○最初に、謝靈運から紹介したい。謝靈運は東晋から南朝宗時代の詩人だから、相当古い時代の詩人である。日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する謝靈運は、次の通り。謝靈運謝霊運(しゃれいうん、385年(太元10年)-433年(元嘉10年))は、中国東晋・南朝宋の詩人・文学者。字は宣明。本貫は陳郡陽夏県。魏晋南北朝時代を代表する詩人
○温州市最大の観光名所、江心屿で最も目立つ存在が東塔西塔である。もともとは江心寺の塔が東塔であり、兴庆寺のものが西塔だった。この両寺が江心屿の寺である。○百度百科の江心屿項目に、東塔西塔の案内がある。東塔东塔始建于唐咸通十年(869年),一说建于北宋开宝二年(969年),曾毁于兵火,南宋绍兴十年(1141年)重建。元至正,明万历,清乾隆多次重修。塔高28米,底径8米余,6面7层,青砖围砌。过去外围层层有平座、栏杆和出檐,内有扶梯直上塔顶,可俯瞰瓯江澎湃,饱览风
○江心屿の中心が江心寺にあることは間違いない。江心屿は信仰の島なのである。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する江心寺は次の通り。江心寺(浙江省温州市寺庙)江心寺,位于浙江省温州市鹿城区江心屿。唐咸通七年(866),在江心孤岛的东山建普济禅院。宋开宝二年(969),又在江对面的西山建净信讲院。南宋绍兴元年(1131),宋高宗赐改普济禅院为龙翔禅寺。因寺江中,俗称“江心寺”。宋宁宗时品选天下禅宗丛林,列为十刹之一。其后八百多年里,该寺屡废屡兴。新中国成立
○温州市内で、最大の観光名所は江心屿ではないか。そのことは日本に居る時に確認していた。それで、温州へ着くと、最初に訪れたのが江心屿だった。○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する江心屿は次の通り。江心屿江心屿,位于温州市区北面瓯江中游,呈东西长、南北狭的形状,属于中国四大名屿。该屿风景秀丽,东西双塔凌空,映衬江心寺,历来被称为“瓯江蓬莱”。历代著名诗人谢灵运、孟浩然、韩愈、陆游、文天祥等都曾相继留迹江心屿。千百年来文人留有叹咏江心屿著名诗章近800
○2019年3月に浙江省の温州市を訪れた。今回は北越旅游と題し、厦門から南靖、福州を経て、温州へ来た。厦門から福州までは福建省だったが、温州は浙江省になる。○日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する温州は、次の通り。温州市温州市(おんしゅうし/うんしゅうし、英:Wenzhou、温州語:[ytɕiɤu])は中華人民共和国浙江省東南沿海に位置する地級市。商才に長けた温州人は「中国のユダヤ人」と称されることがある。温州人は商売がうまいと古書にもみえる
○温州での宿泊先は、温州万融商务大酒店だった。温州站の目の前にあるホテルで、これ以上交通利便なホテルは無いと判断して選んだ。それが大違いで驚いた。○温州南站から二か月前に開通したばかりの温州轨道交通に乗って、温州站までの切符を買おうとして、驚いた。温州轨道交通には、肝心の温州站駅が無いのである。温州轨道交通は間違いなく温州站の上を通過しているのに。○そんな馬鹿な話は無いと思って、何度も確認したが、間違いない。驚き呆れたが、今更、どうすることもできない。それで惠民路站まで行って、1㎞歩いて温州
○2019年3月19日、電車で福州から温州へと向かった。福州へ来た時は南靖站から福州南站までだった。今回の福州から温州への電車は福州站からの出発になるG56次電車である。○G56次電車は朝の7時53分に福州站を出て、終点は北京南站到着が18時53分だから、11時間で2011㎞を走る新幹線である。福州站から温州南站までは302㎞、時間にして、およそ2時間である。○朝が早いから、6時前に起き、ホテルをチェックアウトして、地下鉄で福州站へと向かった。7時には福州站に着いていた。朝食を取る時間も無か
こちら、随分落ち着いて来た気がします。ネットで色々な情報が飛び回りましたが、一番面白かったのは、「これ以上家に監禁されたら、夫婦のヨリが戻ってしまうじゃないの!!」というジョークかな。他にも、「弁護士さん、離婚はやめるので、弁護士費用、返金出来ませんか?しばらく隔離されていたら妻が妊娠したので離婚はやめようと思います。(数日後)やっぱり返金しなくていいです。離婚します。よく考えたら、ほんの数日で妊娠が分かる訳ないじゃないか!!」最初の頃に笑ったのは、懸賞金の話。「近所に湖北
「宮崎正弘の国際情勢解題」令和弐年(2020)3月13日(金曜日)通巻6400号記念増大号<前日発行>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~なぜイタリアで、「武漢コロナ」が突発的大流行となったのか昨年の中国人観光客600万人、イタリア在住の中国人は推定40万人****************************温州人は「中国のユダヤ人」と呼ばれ、世界中にネットワークを拡げて凄まじい投資、というより投機行動で悪名高い。ドバイの不動産投機、その
【追記の追記】1型糖尿病、武漢肺炎対策1型糖尿病は1日、4、5回、インスリン注射を行います。その際、消毒綿、針の付替えなどなど、必要な手順がありますが、全部、必要ありません。2014年11月に劇症1型糖尿病を発症し、糖尿病についてありとあらゆる本を読んで、「私の流儀」を確立。以来、丸5年以上、以下の方法をとってきました。合併症の懸念もなく、HbA1cは6.2以下でコントロールしてきました。私の流儀は以下です。1)マスクは外出時。私は68歳なので、感染は危険。人混
今日は雨だったけど意外に暖かかったですね~大分市内でも夕方から、霧とまではいかないけど靄が出てたんで、今夜は濃霧注意報があるかもですよ。明日は天気で気温も上がるみたいだし小春日和になると良いですね~さて、今日は大きなミカンのお話です。まずは先日もらった柑橘系ポンカン系のミカンなんですがデカイ!左にあるミカンは温州ミカンの2Lサイズですよソフトボールよりもでかくて食べ応えありましたよまーちょ
コロナウィルス致命傷になる確率はそんなに高いとは思えないけど、中国は武漢に続けて、温州とか寧波とか杭州とか事実上街閉鎖。伝染力の方は恐ろしい。横浜の豪華クルーズ船3300人に船内閉じ込めはトップニュースですが、こちらは日本では報道されていないですね。
武漢、温州だけでなく深セン、広州、上海も武漢肺炎の蔓延で封鎖される直前です。(ツイッターより)ツイッターに、恐ろしい情報を見つけました。武漢、温州だけでなく、なんと10万近い日本人がいるはずの広州、、深セン、そして2400万都市の上海も封鎖直前だというんです。これらが封鎖されれば、30万以上の日本人の人権問題にかかわりますよ。
つたないブログにご訪問くださりありがとうございますおかげ様で励みになり心から感謝しています家人が寧波に戻ってから眠れなくなり不安で落ちつきません。寧波も操業停止命令でました。今週は会社はおやすみです。家人は「本社の命令でもないのに日本に逃げたら、操業始まってから中国人社員が言うこと聞かなくなる」と言って帰ってきません。近所にたくさんお店がありますがローソンとマクドナルドが開いてるだけだそうです。寧波のローカルスーパー三江の様子豚肉はなかったそうですが街は静かで物もないわけではないと
コロナ私自身は既に日本に帰ってきてから2週間以上経過、何の問題もなく過ごしています。マスク着用。できるだけポケットハンド。不安全ですけどね。笑。靴やコート、リュックは玄関先でアルコールシュッシュつ。何かに触れればすぐに殺菌ジェル。しかし、拡大止まりませんね。武漢の友人と会社の秘書を通じて状況はフォロー。日本大好きな武漢の友人は、毎日日本料理を勉強してるみたい。不安だろうけど、やり取りくらいで1ミリの慰みにもならないだろうけど少しね。残された私の部下は火曜日に帰国が決定。これで実質全員退避