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さてさて·········今はどこに行っても携帯があれば色々なことを調べられるのですが、未だに紙媒体の「地球の歩き方」が大好きで行く国行く国の本を買っている海外放浪「いつだって野宿ライダー」ことhiroaraです昔はそんな本すら持っていなくて現地で地図を購入·····ひたすら歩き周る、聞きまくるという旅······もうできん(笑)いやぁ本当に便利になったもんだ(笑)ただ便利になった分、本当の旅の楽しさや怖さがなくなったような···なんかちょっと悲しい気分ですねでもその分、情報が増えた
さてさて········インドネシア、フローレス島も残すところ後3日。去るものもあれば来るものもあるそんな流れに身を任せ早海外放浪7年目「いつだって野宿ライダー」ことhiroaraですここフローレス島は発展中なう新しいホテルやレストランがたくさん進出してきています。そんな中、空港近くに新しいレストランがオープンしたので行ってきました!「MaiCeng'go」まだオープンしたてのインドネシアンフードのお店です空港から3分のとこにあるレストランです一見すると平屋立ての店舗かと思いきや
さてさて········インドネシアの孤島フローレス島生活も残り4日‼国を移るのに慣れすぎて未だにあまり実感のわかない「いつだって野宿ライダー」ことhiroaraですしかし、遠足前の子供のように······ワクワク感はとまらないwこういうところは、いくつになっても子供のまんまですね(笑)最近は1年以上住んだここラブハンバジョで行きつけのお店なんかに最後の挨拶を兼ねて訪問中そんなこんなで長いことお世話になった美容室に髪を切りに行ってきました場所は空港から10分位のとこにあるここフロ
さてさて··········わんこと一緒に海外放浪6カ国目、いつまでも彷徨い続けていたいと本気で考えている「いつだって野宿ライダー」ことhiroaraです12月20日でここフローレス島での生活が終わります自然と海に囲まれたいい場所でしたが、骨を埋める場所ではなかったってことかなそして2019年7カ国目となるお次の国は·······ベトナムホーチミンに決定しました昔、観光で3日間だけ行ったことはありますが実はほとんど知らない(笑)どちらにしてもアジアで探していたこと。あまり知らない国
さてさて·········わんこと二人海外放浪、常に身を寄せ合って今日も生きる「いつだって野宿ライダー」ことhiroaraです私、わんこ(ミニチュアダックス、日本生まれ、13歳)と一緒に海外を周るという変わり者わんこを日本から海外に、海外から日本に連れて行った経験がある人ならわかると思いますが··········ガチ大変なのです(笑)人間はパスポートがあればすぐに渡航できますが、わんこはそのパスポートに変わる色々なドキュメントが必要です。まずその国の輸出許可証、そして行く国の輸入許可
片田舎の小さな町テツくんは当時海外放浪して帰ってきたばかりだったようで外国人の先生を日本に呼びあることを学んでいて時々ワークショップを開いたりしていた。なんとなく風変わりでヒョロヒョロ痩せていて第一印象はこんなところにも変わったひとがいたもんだとそれくらいでも好きを仕事にしてるからかとてもキラキラしてみえたそのあとも不思議ちゃんに誘われ何度か顔あわせたけどとくになにもなくテツくんはまた海外へ行ったり全国まわっていたようでしばらく会うこともなく何年かが過ぎた
日常に軸足を置く若い頃はそんなこと思わなかったし出来ればどんどん外に出たくなる欲がでてたひとりで海外放浪にもガンガンいったこれカッコいい!と感じれば自分の中に取り入れたなにが日常で非日常がわからなかったそれがいつからかわからないけど「まあ、これでいっか」になった。当時の僕を知る人は、「野心家で挑戦的」だったよねぇという人もいるみてみて!オレって凄いでしょ!確かに当時の文字にドヤ感もでてる😂外に出たおかげで、それがあったおかげで自分の中で振り幅が広がった感あるし今は自分
ぶつくさぶつくさの続き。これほど旅が好きなのに南の島やヨーロッパが好きなのになぜ、旅する仕事や海外移住生活を選択する人生を歩んでこなかったのか。どんな人生をも送る自由があった結婚前の若かった私は何を考えて生きていたのか何に興味があったのか。私はきっと地方の小都市から東京に出て来ただけで満足してしまっていたのだ、と思う。東京暮らしは楽しかった。見るもの聞くもの全て
コナちゃんは情報通。多くの友人がおり、部活に生徒会に暇な日は屋上にと、とてもアクティブな女の子。アクティブなので好きな偉人が育った地の大学へ進学したし、アクティブなのでバックパッカーして海外放浪していたね。この春めでたく結婚おめでとうコナちゃんそんなコナちゃんと同じ部活にいたのがシゲル君でした。実はシゲル君、中学3年のアル子と同じクラスで同じ班でした。賢くて色の白い男の子。彼が2人目の彼氏になるわけですが、いかんせん付き合った期間が短く、かつずっと好きだったみっちゃんと違いあまり思い入
どんな仕事をするか?よく挙がる話題です。僕の中では、それよりも大切なもの「どう生きるか」って事です。じゃないと、無職なんてやれない(笑)僕は社会人になってからトータルすると2年弱くらい無職やってます。しかも自信満々に(笑)資本主義経済の中でも特殊な文化の日本。不思議なもので、この国で無職って冷やかな目でみられます。常識と異なるのは、ダメだと。世間体ってヤツですね(笑)僕が知る限り、お金稼いでるのに幸せそうじゃないって人結構いるんだよね…仕事が上手くいって給与高
習字そろばん英語公文スイミングピアノ三味線バレー家庭教師佐鳴学院(全教科)個人塾(英数)↑私が子供の頃やっていた習い事です…というか、やらされていた習い事って言った方がいいのかも(笑)今断言できるのは、何一つ身になってないってことです!笑家にピアノがあるけど、弾けるのは猫踏んじゃったくらいで、インテリアと化してるし。そして今思うのは、ある程度お金に余裕がないと子供にこんなに習い事させられないなぁーと。年子の弟もほぼ同じものをやっていたし。ってことで…子供の
こんにちは。りょうへいですこの自己紹介ブログは僕の他のブログを読む上で僕がどんな環境やどんな考えを辿ってきたのかが分かった方が読みやすいかなと思って書きました。結構長いので暇な時にでも読んでいただけたら幸いです。・家族1998年に茨城県で生まれ、父、母、年の離れた姉が2人、年子の兄と僕という家庭です。親は共働きでかなりな仕事マンですが収入は世帯平均収入と同じくらいです。・習い事小さい頃に体操、水泳、習字、ヴァイオリン、を強制的に親に習わされ楽しいと感じないまま、辞めたいと思って親
何か挑戦する時に、いつもネックになることの一つは、私の場合は、お金のことでも、いつも振り返ると、お金だけは、どうにかなってる(笑)最初、1月にセブ留学し、2月に引っ越しし、2月にプーケットに旅行し、3月にマレーシアにノマド体験しよう♪と、思った時は、実際、どうなることやら、だったのだけど、なんとかなってるんだよねー!!細かく、ウオッチしてないから、よく分からないんだけど、なんとかなってるー(笑)1番、怖かったのが、ローンも貯まりきり
4月6日嵐ほんとに活動休止しちゃうんだよね最近環境が変わって忙しかったり嵐がいつも通りの嵐だったりするから活動休止は夢だったんじゃないかってでも現実なんだよねいつ戻ってきてくれるのかな寂しいよVS嵐が終わる夢見て怖かった夢でまで活動休止なんだ…活動休止のこと考えてまた悲しくなったあの日の衝撃は昨日の事のように覚えてるきっとずっと忘れられない何年後の私は嵐と笑っていますか?活動休止して良かったねって思えていますか無期限は怖いよ嵐にしやがれ嵐にしやがれ〜!!!!!
シルクロード、どこかわかる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう小学校?中学?の頃、博物館へエジプト展に行ったり、敦煌展に行ったりしてました。そんな頃、喜多郎さんのシンセサイザーがテーマソングのNHKの「シルクロード」(だったと思いますが…)をよく見てました。その後、「海のシルクロード」とか東西の文明の交流、地球の人の対流がクローズアップされました。私は東アジアの文化の親和性というか、類似というかに興味が出てきて、東アジアの神話からみる共通性に着眼した民俗学的な雑
私は5年間海外で生活をしました。そして帰国して3年がたちまた再び脱出計画を立てています。海外にいるとラクなんです。自分らしくいることができる肌荒れもしないし生理痛もなくなる。なんでだろう?その謎がチャイルドセラピスト講座を受けることで解けました。謎というよりはただ単に日本にいる時に私自身が自分らしく生きられてい
はじめまして。昨年会社を退職しそれから語学留学、海外放浪を経て現在転職活動中の25歳です。以前はプログラマとして働いていたのですがプログラマでもノルマがあったり、思うようにできなかったり、、この仕事をずっと続けることはできないなと思い退職。学生時代にすることができなかった留学を退職して初めて実行。その後南米、カリブ海、アフリカ、ヨーロッパと海外放浪。そして今年から転職活動を始めました。とりあえずネットで調べて自分に良さそうなエージェントや、前の会社の転職した元先輩に紹介されたエージ
写真は1984年5月のアリアンス・フランセーズ。同じクラスのインドネシアのオバサンと。1982年Parisその年、2月からアリアンス・フランセーズに復帰。前の年の12月に行ってたクラスは移民と難民ばかり。良い女等居ない。白人も垢抜けない旧共産圏の連中しか居ない。それでも初めての国際的な雰囲気のクラス。一発で毎日がバラ色に変わった。「そうだ、これこそが俺のやることだ。」と感じた。当時は世間知らずのナイーブ、本当にそう感じてた。本当にナイーブ。2月のクラスは