ブログ記事318件
洛陽もラスト10寺。内4寺。もっときっちり計画を立てるべきでした。もっとスムーズに巡拝出来るハズ。長円寺洛陽参りとても気さくにお話ししてくださり、お茶と飴もいただきました。ほうじ茶、美味しかったです。次の壬生寺への道も教えてくださいました。ありがとうございました。壬生寺洛陽初の車で動いたので、横の駐車場へ。狭い!時間があれば電車でお参りをしたかったです。二巡目するつもりなので、次は周りもゆっくりみたいです。正運寺右手の扉のインターホンを鳴らして、巡拝中を伝えてはいり
前回からの続き(令和5年11月23日のこと)ですこの日最後の目的地に到着しました福勝寺(ふくしょうじ)住所・京都市上京区出水通千本西入七番町323-1通称・ひょうたん寺、桜寺、峰薬師御本尊・薬師如来HP・福勝寺竹林山福勝寺(ひょうたん寺)京都【公式】竹林山福勝寺(ひょうたん寺)は京都にある真言宗善通寺派のお寺です。節分には「宝珠尊融通御守」を求めて千人以上の方々が見えになります。fukushoji-kyoto.jp札所・洛陽三十三所観音霊場(第29番)
北野天満宮あたりをウロウロ。JR円町スタート。洛陽参りの地蔵院椿寺。椿はチラホラ咲きです。友人が、ここから洛陽スタートさせました。コンパクトなので、西国〜とつくより、体力的に巡拝しやすい札所が多いいです。長文屋で七味買って。妖怪ストリートをてくてく。大将軍八神社時を司る神さま京つけものきたので漬け物買って。とようけ屋山本で豆腐を買って。斜め前の清和院。洛陽参り。洛陽札所ラストのところですが、まだ自分は洛陽は数ヶ所残ってます。ずっと行きたかった千本釈迦堂へてくてく。
泉山から出て来ましたバイクなので法性寺にまわってきましたとりあえずまた看板と石碑を写しました今回額の方はやっと確認できました確認して気がつきました横の2つも洛陽霊場の額でした今回の泉山も含めて京の霊場の管理人さんに連絡ですね
善能寺の境内に入りました御詠歌額を期待しましたが朱印は泉涌寺本坊で受付の案内だけしかありませんでしたでは、移動します
さて、来迎院から移動善能寺に来ました洛陽三十三所の看板を写しました駒札も写しましたそして、近くに石碑がありましたので写しました大仏てのは、方廣寺の事清水とは清水寺事ですでは、中に入ります
さて、十二薬師の看板以外にも洛陽三十三所観音二十八番壬生寺中堂の看板もありました先の十二薬師の看板もそうだが置いてあるのは節分だからかなあ…又来たらわかるか…
西国三十三霊場十五番今熊野観音寺案内柱確認の後来迎院善能寺今熊野観音寺悲田院と通りました看板石碑は確認しましたまた来週にきたいと思います
降りてきた途中にありました洛陽三十三所第十八番善能寺案内板無住なのか朱印は、泉涌寺の様ですねでは移動します
戒光寺から移動次の法音院に来ました駒札に洛陽三十三所と七福神の紹介がありました境内に入りました入口とお堂で、洛陽三十三所の看板を確認しましたでは、次に移動します泉山京都七福神第二番弁財天と京都十三仏第三番文殊菩薩戒光寺看板を確認しましたでは移動します
四条に来ましためやみ地蔵仲源寺の所に再確認に来ました入口に洛西三十三所の看板を確認境内に入り確認通称の寺と洛陽霊場の看板が並んでましたでは、行きます
なんと、駒札に洛陽三十三所と洛陽十二社の案内がありました完全スルーじゃなかったんですね機会があったら聞きたいですね
前回からの続き(10月14日のこと)です烏丸通りを上がって行くと、再び九条通りまで戻ってきました🤣その2つの通りが交差する交差点から少し上がると、左手に参道があります城興寺(じょうこうじ)住所・京都市南区烏丸通九条上ル西入ル御本尊・千手観音菩薩HP・城興寺京都市の納骨堂なら瑞寶山城興寺京都駅八条口より徒歩8分の永代供養墓・納骨堂、瑞寶山城興寺のサイトです。写佛会洛陽三十三所観音霊場、第二十二番札所。小指が結ぶあなたの笑顔「小指みくじ」、心で描く観音様「写佛会」の寺www.kyot
1月4日(土)予定最後の場所、今熊野観音寺へ。新那智山今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)西国三十三所観音霊場第15番洛陽三十三所観音霊場第19番ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第1番泉山七福神巡り第3番神仏霊場参拝の道第122番ここに辿り着くまでに3度も道に迷ってしまいました。でも予定通りの時間に到着。道が分かれるところに警備員さんが居たので、入ってって良いか聞くと、少し先に自転車を止める様に指示があった。自転車を止めて再び道の分岐に戻
11月4日(土)遅れた時間を挽回する為、全力で自転車を走らせる。そこで気付いた。電動アシスト自転車のパワーを上回ると、ペダルを踏むのに自力が必要となる。それでも十分に楽をさせてもらっているので、多少のことは運動と思うことにした。西国三十三所観音霊場第十九番霊麀山革堂行願寺(こうどうぎょうがんじ)洛陽三十三所観音霊場第四番札所でもあります。西国三十三所で唯一の尼寺だそうです。ここでも本堂でお参りし、御朱印を頂きます。西国三十三所ご本尊
11月4日(土)電動アシスト自転車は、乗り心地はママチャリと差異は無いが、こぎ出しは圧倒的に軽く、加速も良い。気分良く、最初の目的地である六角堂頂法寺へ向かう。11月だからという理由で上着を着て行ったが、天気に恵まれ、早々にTシャツ姿になった。20分程、自転車を走らせて頂法寺に到着。頂法寺の真ん前にある有料駐車場じ自転車を預ける。自転車を盗まれたら弁償なのです。西国三十三所観音霊場第十八番紫雲山六角堂頂法寺(ろっかくどうちょうほうじ)洛陽三十三所観音霊場第一
外に出るときはマスクをしてます。いまだにコロナ怖いし風邪やインフルエンザもかかりたくないし。最近またマスクをする人が増えてきたように思います。コロナ前京都洛陽三十三所観音霊場を巡っていた時にマスクをしてたらそのお寺のおばあさんに不審がられた(苦笑)京都の人って回りくどくなくはっきりものを言う人いるからねどっちにしても京都の人苦手ですね六角堂頂法寺三十三寺まであと七ヶ寺となりました
法音院(ほうおんいん)は、京都市東山区泉桶寺山内町にある真言宗泉涌寺派の寺院。総本山泉涌寺の塔頭。本尊は不空羂索観音。洛陽三十三所観音霊場第25番札所。歴史鎌倉時代末期の嘉暦元年(1326年)、無人如導によって泉涌寺山内に創建されるが、応仁の乱により荒廃する。江戸時代の寛文4年(1664年)と翌寛文5年(1665年)に江戸幕府や旗本である本多正貫夫妻に支援され、覚雲西堂の手により現在地に再建される。以後、本多正貫の子孫である駿河国田中藩主本多家の京都における菩提寺となった。境内には正貫が
入り口にありました朱印の案内で洛陽六阿弥陀巡拝第一番洛陽三十三所観音巡礼第五番新長谷寺とありました本堂内にあるかな期待して入ります
洛陽三十三所観音霊場もfinal三十三番札所の清和院へ北野天満宮から1キロちょっとで到着清和院【せいわいん】京都東山七条智積院を本山とする真言宗智山派の寺院であります。清和天皇が譲位後の後院が、仏心院を礎に清和院と改められました。現在京都御苑の東に清和院御門が残り、その歴史を留めています。清和天皇は、元慶四年(八八〇)に崩御されましたが、その子孫から後に武家の棟梁となる清和源氏が生まれました。清和院は江戸時代初めの御所大火で類焼し、その後現在の北野七本松一条の
洛陽三十三所観音霊場三十二番札所は神宮丸太町にあります北野天満宮からは遠いんよねって…事で…四番札所の行願寺に行った時に参拝しました廬山寺【ろざんじ】比叡山天台18世座主元三大師良源によって天慶年中(938年~947年)に船岡山の南に創建されました。寛元3年(1245年)に法然の弟子である覚瑜が船岡山の南麓に再興、中国の廬山にならって蓮社を結び道俗貴賎が群集し、廬山天台講寺と号しました。室町時代に応仁の乱で焼失した後、元亀3年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちは正親
地蔵院から北野天満宮の境内にある、洛陽三十三所観音霊場三十一番札所へ向かいます北野東向観音寺【きたのひがしむきかんのんじ】延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城鎮護のために建立され、当初は朝日寺と呼ばれていました。天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後の応和元年(961)、筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観世音菩薩を請来し安置されました。応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く筑紫の観世音
福勝寺から2キロほど洛陽三十三所観音霊場三十番札所の地蔵院へここは…椿が綺麗なお寺この日は…椿は咲いてないんよね…地蔵院(椿寺)【じぞういん】歴史はとても古く、そのはじまりは奈良時代に僧・行基によって摂津の国昆陽池(こやいけ、今の兵庫県伊丹市)のほとりに建立した地蔵院に始まるとされています。こじんまりした山門ですねでも…何気に京都らしいかも…手水舎鉢の中に鉢が…珍しいよなぁそして…おぉ~立派な蛇口…地蔵堂聖武天皇の勅願によって神亀三(726)年
洛陽三十三所観音霊場の大詰め!今回は二十九番札所から三十三番札所まで行くぞぉ~まずは…二条駅から北へ2キロほど二十九番札所の福勝寺へ福勝寺【ふくしょうじ】高祖弘法大師空海が、唐から帰国された後に、河内国古市郡中村(現在の大阪府羽曳野市)に開基されたと伝えられております。その後、一時は荒廃したようですが、正嘉年中(1257年~1259年)に覚済僧正によって京都油小路五条坊門の地に再興され、天文年中(1533年~1555年)以前に室町一条の地に移り、慶長十九年(1614年)~寛永
令和5年8月19日(土)今回は朝から真正極楽寺(通称は真如堂)に行くことにした。昼までに帰るかたちで。08:15頃自宅を出発する。↓京阪電車と市バス203系統を利用↓祇園四条駅⇒岡崎道バス停09:15頃真正極楽寺に到着する。真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は京都市左京区浄土寺にある天台宗の寺院で山号は鈴聲山(れいしょうざん)。本尊は阿弥陀如来で頷きの阿弥陀と呼ばれている。通称は真如堂(しんにょどう)と呼ばれている。境内にある新長谷寺は洛陽三十三所観音霊場第5番札所となっ
この日最後は洛陽三十三所観音霊場二十八番札所の壬生寺場所はし四条大宮の近くにあります烏丸と大宮と…行ったり来たり…と…疲れる壬生寺【みぶでら】律宗・壬生寺は正暦2年(991)快賢僧都によって創建されました。本尊は延命地蔵菩薩(重要文化財)であり、古来よりの地蔵信仰とともに、厄除・開運の寺として庶民の信仰を集め、2月の厄除け節分会は、約900年もの歴史をもつ行事です。また、幕末に活躍した新選組ゆかりの寺としても知られ、境内の壬生塚には隊士の墓塔を祀っています。境内には、洛
正運寺から四条烏丸方面へ行き洛陽三十三所観音霊場二十七番札所の平等寺へ向かいます平等寺【びょうどうじ】長徳三年(997)因幡(現在の鳥取県)の国司を務めていた橘行平(たちばなゆきひら)は京都へ戻る途中急病に襲われました。闘病中のある日、夢の中に現れた僧から「因幡賀留津(いなばがるつ)の海中に衆生を救う浮木がある」というお告げを聞いた行平は、当地へ向かいこれを引き上げました。その浮木は薬師如来の形をしており、行平が浦に像を祀るお堂を建立したところ病気が治りました。無事京都へ戻
長圓寺から北上四条大宮を超えて洛陽三十三所観音霊場二十六番札所の正運寺へ正運寺【しょううんじ】寺伝によると、正運寺の始まりは慶長5年(1600)肥後の武将・加藤清正に仕えていた重臣・飯田覚兵衛(かくべえ)を開基、深誉を開山として創建されたといいます。山門以前は「将軍寺」という寺名でしたが、殺戮を繰り返した武将が平穏を願って「正運寺」に変えたとか観音堂の十一面観音菩薩像を参拝した妊婦が寺で無事に出産したという伝えがあり、「安産寺」と呼ばれ女性からの篤い信仰を集めました
次の洛陽三十三所観音霊場二十五番札所はに…泉涌寺にあるんですここは…泉涌寺に行った時に参拝させて頂きました法音院【ほうおんいん】法音院は嘉暦元年(1326)に無人如導によって創建されたと伝わります。創建初期の詳しい由緒は不明だが、応仁の乱(1467〜1477)で焼失した後再建され、天正年間(1573〜1592)には朱印地の存在を示した記録が残っています。江戸時代初期の泉涌寺再興に伴い、法音院も寛文五年(1665)に幕府、本多正貫夫妻の援助を受けた覚雲西堂によって現在地
今回は京都駅からスタート二十四番札所なら二十八番札所まで行くぞぉ京都と言えば…そう!京都タワーだぁ~1964年、東京オリンピックが開催された年に完成した京都タワーは、海のない京都の街を照らす灯台をモチーフに建てられたんですその高さは131mで、東寺の五重塔の2倍以上の高さを誇るんよ京都市街で一番高い建物なんよね京都タワーの隣を通ると…東本願寺浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、一般に「東本願寺」と呼ばれています。御影堂ごえいどうには宗祖・親鸞聖人の御真影ごしん