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以下の写真は令和5年10/1現在の状況です。“東大寺開山良弁僧正1250年御遠忌”の準備が続いていますが、10月に入り特別公開などが併せて始まりました。初日はあいにく、しとしと雨です。大仏殿では、中央参道を通行止めにして、奉賛コンサート用のステージ等を造作中。そのため両脇の芝生に仮通路が作られています。いつもと違う角度で、大仏殿を眺められるのは嬉しいですね。↓月イチの穴くぐりもスムーズに。↓雨のなか、紅白の萩が垂れてますね。また東大寺ミュージアムでも、「執金剛神縁起絵巻」など関連史
東大寺三月堂こと法華堂。毎年12月16日に開扉される執金剛神さまが特別開扉されています。脇に東大寺ミュージアムで展示されていた東京藝術大学による復元像も据えられています。同じ空間にあると、当初この色合いの執金剛神さまがおられたんやなと、よりハッキリイメージできます。耐震化工事が完了した戒壇堂。拝観が再開。東大寺ミュージアムにおられた四天王さまが戻っておられます。免震台の上に乗っておられ少し高くなっています。その分、踏まれっぷりのいい邪鬼たちが以前よりよく見えるようになりました東大
この日は大王道中の大王道奈良観光大仏さまを久々に拝める日その前に、とにもかくにもご朝食いよいよ、ホテル日航奈良さんの美味しい朝食ともこの朝でさよならなので、大好物になってしまったビネガーと副菜類、そして茶粥はもちろん!!絶対食べようと思っていた豆乳鍋も、たんと頂きました豆乳鍋、飛鳥時代に唐から奈良にやって来た僧侶が、寒さをしのぐため、ヤギの乳で作ったと言われる郷土料理『飛鳥鍋』を豆乳でアレンジしたものコクがあって、大変美味しゅうございました
【住所】奈良県奈良市雑司町406-1【御朱印情報】直書きで300円頂いた御朱印がこちら!
○西塔のバス停から下ったところに存在するのが常行堂と法華堂になる。常行堂と法華堂の二つのお堂は渡り廊下で繋がっている。常行堂の前に、次の案内板が設置してあった。弁慶のにない堂西塔にある法華堂・常行堂という二つの建物は、渡り廊下で繋がり並び立っている。その昔、怪力の弁慶が、この渡り廊下を天秤棒にして、二つの堂を担いだ…との伝説から、「弁慶のにない堂」と呼ばれている。○また、常行堂については、次の案内板が設置してあった。延暦寺常行堂
7/8(土)、鎌倉へひとり散策に行ってきた記事の続きです。前記事はこちら『鎌倉散策7/8②鎌倉宮』7/8(土)、ひとり鎌倉散策に行った時の、記事の続きです。前記事はこちら『鎌倉散策7/8①永福寺跡と中尊寺ハス』7/8(土)、久しぶりに鎌倉へ、ひとり散策に行…ameblo.jp鎌倉宮からバスに乗り、わかれ路で下車。ちょっと早いけど、ランチ。とても美味しかったので、再訪。「手打ち蕎麦千花庵」。今回は、『烏賊天ぷらざる蕎麦』にしました。とても、美味しかった!こちらのお蕎麦は、塩で食べ
以前に、一度一人では参拝しているのですが母が行ったことないと言うので、こちらに参拝。輪王寺の常行堂へ。雨があまりにも強かったらやめようと思ってたけど、少しマシだったのでホテルへ向かう道なりなので、ちょっと寄り道。常行堂|輪王寺嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって、比叡山延暦寺の『にない堂』に模して建立されました。純和様の宝形造(ほうぎょうづくり)で、隣の純唐様の法華堂(ほっけどう)との間に、歩廊を設け接続されています。この形
2023卯0682023年01月13日(金)『2023年冬初詣in奈良』初日世界遺産東大寺を参拝御朱印六種を拝受しました華厳宗総本山東大寺前回の参拝blogです『2022寅008寺/華厳宗総本山東大寺(奈良県奈良市)』2022寅0672022年04月10日(日)『2022年春大和路御朱印&桜巡り』3日目最終日は奈良市内の寺社御朱印を巡りますまずは世界遺産東大寺を参拝御朱印三…ameblo.jp約8ヶ月ぶりの参拝世界最大級の木造建築国宝“大仏殿”ご本尊は国宝“盧
お水取りで有名な二月堂♡*石段を登って中からの景色を見に行きますヽ(*´∀`)石段を登ると手水舎⁽⁽ଘ(ˊᵕˋ)ଓ⁾⁾景色とても良かったです♡*24時間入れるみたいなので夜とか綺麗だろうなー⁽⁽ଘ(ˊᵕˋ)ଓ⁾⁾もちまる映ってしまってるヽ(´▽`)/景色を楽しんだので下に降ります(=´∀`)こっちにも手水舎がありました♡*法華堂を通って隣の手向山八幡宮に⁽⁽ଘ(ˊᵕˋ)ଓ⁾⁾
久々に、ガイドブックに出て来る王道の鎌倉。島津忠久、大江広元、毛利季光のヤグラの下の平場。↑ここは、北条義時の法華堂。↓北条義時が葬られた土地の上に、法華堂が建てられたという。現在は、法華堂は失われているが、平成17年の発掘調査で法華堂の場所が確認され、その場所には杭が打たれている。↓※因みに、現在はここに掲げられた看板にQRコードが有り、これを読み取ると、かつての法華堂の姿がスマホ越しに再現されるようになっているので、現地に行った際にはお試しを!北条義時の法華堂の隣に
久々に、ガイドブックに出て来る王道の鎌倉。頼朝の持仏堂だった白幡大明神の脇の階段を上がると…源頼朝の墓。ここが、頼朝の法華堂が建っていた場所らしい。大きな石の五重塔。これを建てたのは、江戸時代後期の薩摩藩主・島津重豪らしい。(ペリー来航の20年前に亡くなっている。)(※島津の御初代が頼朝の御落胤だとかいう噂を利用して、源頼朝は我が先祖だとするアピール=外様大名は幕政に関与させてもらえないが、我が家は名門だというアピールの為。ただし、御落胤でなくとも、鎌倉時代の御家人で薩摩守護を命じら
久々に、ガイドブックに出て来る王道の鎌倉。鶴岡八幡宮境内を出て、少し東へ。『西御門』と書かれた石碑が。↓ここは、鎌倉幕府初期の頃、源頼朝が存命中に将軍御所が存在した、所謂、『大蔵幕府』の西の門が在った所。そのすぐ近くに、頼朝の法華堂跡の石碑が。↓石碑の裏手には、白旗大明神。鶴岡八幡宮境内社に白旗神社が在ったが、どちらも御祭神は源頼朝。↓こちらは、かつて源頼朝が拝んでいた観音像を安置した『持仏堂』だった所。まっぷる鎌倉江の島'24(まっぷるマガジン)楽天市場
大変長らくお待たせ致しました。今回は前回の続編です。1923年から1926年にかけて、日活京都撮影所旧劇部に所属していた旧劇俳優の変遷を辿りたいと思います。投稿してから一年以上になってしまいましたが、1923年よりも以前に日活の前身である横田商会、並びに発足後の日活京都撮影所に所属していた旧劇俳優の変遷につきましては、以下のリンクを参照願います。新情報を随時更新しています!『日活京都(1910年〜1923年)』大変長らくお待たせ致しました。記念すべき第1回目は、1910年から1923年に
今回は、現在の神奈川県鎌倉市にあった鎌倉城です。鎌倉城って何?って感じだと思いますが、源頼朝が樹立した武家政権である鎌倉幕府の本拠地が置かれた場所をいいます。詳しくは、ブログ内で少しずつ解説していけたらと思います。鎌倉城跡は現在、鶴岡(つるがおか)八幡宮やその周辺にあたり、鎌倉駅から徒歩20分弱くらいで行くことができます。鎌倉駅。JR東日本の横須賀線(総武祖快速線、湘南新宿ライン直通含む)と江ノ島電鉄の江ノ島電鉄線が乗り入れています。人口約17万人の鎌倉市の中心駅ですが、鎌倉市と横浜
大変長らくお待たせ致しました。記念すべき第1回目は、1910年から1923年にかけて、日活の前身である横田商会、並びに発足後の日活京都撮影所に所属していた旧劇俳優の変遷を辿りたいと思います。今から111年前の1910年、実業家の横田永之助(1872〜1943)によって、現在の京都二条城付近に関西初の映画撮影所である横田商会二条城撮影所が開設されました。二条城撮影所跡同じく1910年、当時京都千本座と云う劇場の経営者だった牧野省三(1878〜1929)が監督を務めた映画『忠
法華堂法華堂不空羂索観音菩薩像梵天像帝釈天像金剛力士像(吽形)金剛力士像(阿形)持国天像(四天王)増長天像(四天王)広目天像(四天王)多聞天像(四天王)執金剛神像(秘仏)は12/16のみだそうでいらっしゃいませんでした。奈良時代創建の正堂と鎌倉時代再興の礼堂を融合させた美しい姿です。堂内には御本尊の不空羂索観音立像を中心に仏像が立ち並び、すべてが奈良時代に造られた国宝です。(パンフレットより一部抜粋)とにかく圧巻、そして慈悲深さと力強さの、心洗われる空間でした。
この写真は令和5年3/22現在の状況です。大仏殿前の彼岸桜、一気に8分咲きになりました。参道脇のソメイヨシノ、チラホラと咲いてます。↓雨予報も、朝もやはれて青空に。↑法華堂前にて↓浮雲園地にて〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜↓3/21朝、彼岸桜6分咲き。↑中門前より(この眺めなら入堂料不要)。↑↓参道あちこち工事フェンスあり。↓参道ソメイヨシノ/チラホラと咲く。↓おかっぱ桜/蕾少なめ。↓枝垂れ桜/強剪定で樹形が…。〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜🌸〜
この写真は令和5年3/20現在の状況です。今年3/14、東京では観測記録最速タイでソメイヨシノが開花したらしい。東大寺大仏殿前の彼岸桜が、咲き始めました(朝撮影)。奈良公園のソメイヨシノは、蕾からピンクの花弁がのぞいて、もうすぐ咲きそぅです。これから奈良公園の桜の開花情報を、今年もご紹介出来ればなぁと思っています。法華堂前(午後撮影)では、満開の枝垂れ桜目当てに次々近付いてくる観光客から、しっかり鹿煎餅をゲットする頭脳派な鹿さんがウロウロと。大仏池脇の奈良公園事務所、河津桜は既に見頃過ぎ。
まずは、頼朝さんのお墓義時法華堂桜がちょこっと🌸覚園寺ほんでお昼ごはん
いつもだったら途中脱落するNHK大河ドラマも、鎌倉ゆかりの題材となれば珍しく最初から最後まで観ていた『鎌倉殿の13人』。小栗旬さん演じた北条義時の墓近くにいたので、寄ってみることにしました。杭が沢山刺さっていますが、ここは法華堂跡です。2022年に湘南工科大学長澤・井上研究室の技術により、スマートフォンアプリ「AR北条義時法華堂」を作成し公開されました。アプリでは、北条義時法華堂の復元CGを楽しめます。アプリ内のカメラで現地のAR看板にあるマーカーを読み込むことで、その時々の現地を背景
公園内にはいろんなものがあります四月堂(三味堂)四月に法華経に由来する法華三味会が行われたことから四月堂の通称がある二月堂東大寺にある奈良時代創建の仏堂現存する建物は1669年再建で国宝に指定本尊十一面観音御朱印登廊法華堂(三月堂)東大寺最古の建物天平5年(733~747)から天平19年までの創建本尊不空羂索観音毎
この写真は令和5年1/28朝の状況です。朝起きると、薄っすらと雪化粧。朝8時~2時間半ほど歩き回って、たくさん写真を撮りました。“寒波ふたたび”で選外となった写真なのですが、没にするのは残念なので、3回に分けてご紹介します。見慣れた景色も、雪化粧すると違って見えますね。
仏像シリーズ3年目です!!今回は5回投稿で、昨年のNHKで放映された「鎌倉殿13人」にも登場していた運慶にちなんで、鎌倉時代までふくめて、会いに行きたい仏像をゆかりある東大寺周辺でピックアップしました。これからの季節、節分や修二会の行事で楽しめそうなお寺をを選んでみました^^ーーーーーー法華堂は、三月堂とも呼ばれています。たくさんの仏像が安置されていることを知られていますが、大仏殿の東にあり、少し離れているので、訪れる方は少ないようです。天平時代にタイムスリップする超お勧
2022年の最後の参拝は千葉県市川市にある日蓮宗大本山の正中山法華経寺へ。こちらは本院大客殿。今回中には入りませんでしたが、奥に鬼子母神堂があります。大荒行堂。寶殿門。宇賀神堂。清正公大神祇堂。太田稲荷大明神。法華堂前の四足門。国指定重要文化財です。国指定重要文化財の法華堂。刹堂前の手水舎。刹堂。八大龍王堂。八大龍王堂の裏手の石碑や石仏など。妙見堂。祖師堂前の手水舎。手水舎横の浄行菩薩さま。国指定重要文化財の祖師堂は修復中でした。国指定重要文化財の五重塔。
大蔵幕府跡の石碑鎌倉幕府の御所跡です。矢印通り、白旗神社方面に進みます。と、白旗神社が左手に奥の鳥居をくぐった奥が源頼朝のお墓法華堂跡の石碑白旗神社勝運なのに白旗?鳥居をくぐり、階段を登ると中腹の平坦な場所に源頼朝のお墓法華堂は、頼朝の持仏を祀っていたところ頼朝が亡くなって、お墓が建てられた!という感じでしょうか?降ります。そして、降りて東に少し歩くとまた、階段💦登っていくと、中腹に平場北条義時法華堂跡らしいですが北条義時のお墓?墓石等は、ありません。
お昼少し前の東大寺は大混雑。大仏殿の入り口は長蛇の列が続いていた無理・・・今日は大仏様にお会いできずに帰るか諦めて柵の外から手を合わせる。一陣の風が幕を舞い上げる。これ大好き仕方ない、そのまま法華堂へ向かう。大仏殿までは人が多くても、その先は空いている国宝の仏様がたくさん並ぶ国宝法華堂に行かない人がいるのか・・・不思議法華堂の中が前回訪れた時と変わっていて、厳かな感じがちょっと軽くなったようなこちらの日光・月光両菩薩様好きだっ
2022.12.10鎌倉幕府創成を偲ぶ源頼朝・北条義時のお墓、法華堂跡を訪れました史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)【国指定史跡】50m程の小道を挟んで別々の階段の先にある、源頼朝墓と北条義時墓が合わせて1つの国指定史跡に指定。法華堂跡地に建てられたという源頼朝を祭神とした白旗神社が鎮座する先に階段があります▼「法華堂跡」の石碑階段を昇ります▼史跡の記念碑階段を昇りきると…ここには源頼朝の墓とされる石造りの層塔があります。源頼朝の居館大蔵幕府跡推
ここに案内されてるところに全部寄りました案内マップが大活躍頼朝は1199年に没したあと法華堂に葬られ頼朝の墓所として信仰されていましたが法華堂は火災などで廃絶、この辺りが跡地とかその頼朝の墓は5層の石塔で出来ていました頼朝の墓の脇ではまだ紅葉が鮮やかでした12月なのに暖かいし紅葉が見られるなんて鎌倉パワーをもらった気がしました頼朝の墓から少し歩いたこちらも見事な紅葉ここも階段を上がった先にあったので出迎えられた感がありましたこの辺りも法華堂の跡地三浦泰村は北条や鎌倉幕
北条義時(1163~1224)・・・鎌倉幕府第2代執権。江間小四郎と称す。源頼朝挙兵のときから父・時政と共に各地で戦功を挙げ、頼朝の信任を得る。時政失脚後、執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。承久の乱で朝廷方を制圧し、幕府権力を確立。「鎌倉殿の13人」の主人公。11月末の平日鎌倉日帰り旅・・・まだまだ続きます。前回の記事・・・『【み】源頼朝(みなもとのよりとも);鎌倉日帰り旅行⑦』源頼朝(1147~1199)・・・鎌倉幕府初代将軍。源義朝の
12/23、奈良にも雪が降りました。白く積もるほどではなかったけれど、2時間ほど散策して写真をたくさん撮ったので、何回かに分けてご紹介します。白い粒つぶみたいな雪で、道までは雪化粧せず。いつも楽しく拝見してるブログがありまして、同じ頃、同じ場所で、同じ光景を撮ってる。なんかデートしてるみたいに一致して、不思議なもんですねぇ。手向山八幡宮の後ろに若草山が写る位置、今度チェックしよぅ。