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2ヶ月近く前になってしまいましたが、5月2日は古希記念茶会に伺いました。席主さんとはSNSで出会い、流派は違うものの、お茶会にもよくお声掛けいただき貴重な体験をさせていただいておりました。個人的なお茶事なので、あまり詳しくは書けないのですが、お軸は朱色などのカラフルな文字の珍しいもので、型染めで有名な芹沢銈介のものでした。お軸の他のお道具も河井寛次郎など、同じ大学出身のアーティストの作品でまとめられていて、席主さんの大先輩達の物で組んだというのがこの日のテーマでした。自分の出身大学の先輩
雨がザーザー降るなか清水寺から茶碗坂(五条坂)を降りて河井寛次郎記念館へびしょ濡れを拭いてあがると可愛い猫ちゃんがえきちゃんです河井寛次郎さんは益子焼の濱田庄司さん達と共に日常使いの器に美を見いだす民藝運動に関わられた陶芸家芸術家ですねこちらは登り釜があるご自宅をお子さんやお孫さん達が記念館にしたものです娘さんの夫が館長さんを勤めご家族で運営されていますえきちゃんその場所からず~っと動かない近づいても動かないよく見たらファンヒーターの温風が気持ちよかったんだね人の暮
50周年河井寛次郎記念館3月にブロガーのシェルさんの「河井寛次郎記念館」の記事を懐かしい思いで読ませて頂き近いうちに行きたいなと考えていました河井寛次郎(かわいかんじろう)1890~1966年(76歳没)陶芸家として有名ですが、他にも彫刻、デザイン、随筆、詩、書など幅広い分野で作品を残されています1955年文化勲章を辞退同じく人間国宝、芸術院会員の推挙も辞退され無位無冠のいち陶芸家として最後の最期まで創作活動に尽くされた新しい自分が見たいのだ仕事す
見事なコレクションの数々もさることながら、室礼の美しさと澄みやかな美意識に目を奪われがちです館長もお元気そうで何よりでした😆次回は6月3日(土)より開館
料理教室研修旅行、お隣富山県砺波市のアートホテル楽土庵さんに併設されているレストラン、『イル・クリマ』伊藤シェフの料理教室にて、砺波平野及び富山県の豊かな食材を使うお料理を皆様と学びました.先ずは楽土庵ディレクターの林口様から、散居村のお話をご講義いただく.500年の歳月を掛けて作り上げられた散居村は自然保全の意味でも豊かな循環型社会を形成しています.SDGsと呼ばれて久しいですが、散居村はまさにその先駆者であったのです.伊藤シェフのレッスンは要所をしっかり抑えた丁寧
バーナード・リーチ日本絵日記(講談社学術文庫)Amazon(アマゾン)372〜6,162円日本民藝館の売店で発掘。バーナードリーチが昭和28年2月16日から昭和29年10月26日まで、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎と共に日本中を旅した際のことを事細かく記した日記。当時の日本各地の様子と、外国人から見た違和感などが分かって面白い。民藝運動については色んな書籍を読み漁り、バーナードリーチの作品も至るところで目にしたが、どこでどうやって作っていたのかということを追体験できた。挿絵も
「私の好きなものの中には必ず私はいる」河合寛次郎民藝館がお好きなら河合寛次郎記念館もきっとお好きですよ!と、年若い素敵な知人から教えて頂き、春に思い切って一人旅へ。冒頭にあげた河井寛次郎の言葉に強烈に胸打たれ、作品も人となりもよく知らないままになぜか行かなければならないと背中を押されるようにして出かけて行った。この旅は河井寛次郎記念館に行く為だけに企画した。人と物の関係を深く洞察し、生きる喜びを作り出す人の言葉だと思った。噛み締めるほどに味わい深い言葉。こんな言
今日偶然出会った2つの映像マドモアゼル・愛先生ののYouTube動画どんな時にも通用する究極の開運法がある絶対絶命、これですべてが終わり、、、何も残らない、、、という体験をした方は意外に多いと思います。その際に、恐怖や不安の中で、最低限のことでもいいので、そこから逃げずに何等かの対応をして逃げなかった人は、今、それなりの成功をされているはずです。成功とまで言わなくても、ご自身の境遇にそれなりに満足されて暮らしていると...youtu.be唐揚げを作ろうとして目に油が入ってしまってと目を擦
館内にあった河井寛次郎さんご本人様の写真。優しくて大らかそうな人柄が伺える。建物自体も昭和12年(1937年)築とは思えないほど立派。家具にも木の温もりがあり、ほのぼの心休まる記念館だった。
私はただ暮らしたいのだ『私はただ暮らしたいのだ』昨年冬ホテルステイの際吉本ばななさんの本を読みたくなり書店にてタイトルに惹かれ購入した本イヤシノウタ1,2ページで一話が完結する短編のストーリーなのに目…ameblo.jpこの一文から「暮らし」にまつわる本を読んでみたくなった市の図書館へ行きオラクルカードを引くようにピンとくる本を選ぶ早川ユミさんの「くらしがしごとしごとがくらし土着のフォークロア」くらしがしごと/早川ユミ著|天
今回の京都旅行で2番目に行きたかった場所が「河井寛次郎記念館」。建物も素晴らしいし、登り窯も残っているとの事で楽しみに足を運んだ。市バスを降り、バス通りから細い路地に入ったところに記念館があった。開館時間とともに入館。受付の男性は優しく穏やかで、到着した途端心温まる応対でとても嬉しかった。建物は1937年(昭和12年)のものとは思えないほど立派な木造建築。陶芸作家であった河井寛次郎さんの工房兼ご自宅。建物そのものも、置いてある陶器、素敵な花器にさり気なく飾ってあるお
過去も未来も「現在」を起点として思考した結果です。・・・・・・・過去が咲いている今未来の蕾で一杯の今(陶芸家・河井寛次郎の言葉)いまのあなたがいまのあなたの運命にふさわしい(釈迦)あなたの行動はあなたの未来の予言(キリスト)出典:『小さな人生論2』(藤尾秀昭、致知出版、pp.95-96)・・・・・・(空p35)疲れたら空を見ましょう。空は自由だった過去にも乗り越えた後の未来にもつながっている。空を見て心に旅をさせましょう。(時間p
【いのちの窓】は陶芸家河井寛次郎(1890-1966)の詩のような随筆のような文章の中に真摯で素直でユニークな《寛次郎ワールド》が詰まった本。すべてのことは自分の表現仕事が暮し暮しが仕事道を歩かない人歩いたあとが道になる人自分は過去を無限の過去を生きて來た自分は未來を無限の未來を見るものだ物買って來る自分買って來るおどろいて居る自分におどろいて居る自分などなど。短い言葉なのに深さ広さ奥行き高さいろんな視点を教えてくれる。やさしさの中
「岩井窯」一人で家を建て一人で窯を造り一人で薪を割り一人で土をこね一人でろくろを蹴り一人で焼きあげるその労苦の数々をここに来てやっと知ることができたきつねが鳴き青大将が訪れ時にはまむしも出るという山裾の一軒家二十三歳の沸騰するような情熱がこの三段構えの登り窯に激しく燃えているのだ思わぬ雪が却ってわたしの心をかきたてる初窯の大ぶりの茶碗にたててくれる抹茶のうまさリーチを知り河井寛次郎先生を知り師匠の吉田璋也先生を語る彼のつつましさと一徹さと
3月を迎えてから比較的気温が高い状態が続いています。自然界の反応は素直で、各地から花の便りが届いています。3月中旬の段階で早くも東京のソメイヨシノが開花宣言し、こちら福島でも梅や椿が満開になっています。春の花を見るたびに、毎年同じことを思います。あらゆる花はその瞬間に理由もなく咲くのではなく、種子が土に落ちてから、根と芽を出し、生長を経て、もろもろの条件が整ってはじめて開花するのです。いわゆる「縁起」とは何かというテーマに相当します。*
一目見た瞬間違うって判る本物保証の河井寛次郎作品がこれです。落札価格はなんと312401円(284001円+税)この落札価格ならまともな共箱の扁壷でも買える金額です。この壷の作者は勿論河井武一氏。典型的な河井武一氏作の扁壷(角壷)です。自分も昔、共箱で持ってました。もの凄く数を作っていますので絵付けも色々。でも扁壷ですから形と大きさにある程度決まりがあって高さ16センチ位×横10センチ位×厚さ6センチ位。このサイズの扁壷
2月12日(日)晴れ京都東山。清水寺で有名な五条坂・清水坂の南に馬町がある。東大路通の馬町から西へすぐ。今日は市川屋珈琲店に来ている。嫁とお散歩だ。美味しいオリジナルブレンド「馬町ブレンド」をいただく。こちらは評判の「季節のフルーツサンド」だ。なんとなく厨房を眺めていたらフルーツサンドの制作風景が。にゃるほど。ここにパンを挟んでもう一枚のフルーツパンを乗せると出来上がるわけね。何と言ってもパンが三層でク
患者さんから京都の書家の展覧会の切符を頂いた。たまたま午後から予定が空いていたので、2/19に京都大丸ミュージアムに出かけた。久々の書展は、いつぞやの毎日展以来か。アルファベットやハングルが表音文字なのに対して、漢字はご存知のように表意文字であり、文字そのものが意味を持つ。これが書の原点だと思う。例えば「優」という字を自分はどのように優しく書けるだろうか、と問うてみると、具体化するのはなかなか難しいことがわかる。それが単語、文節、文、文章、俳句、などとなってくると、表現の仕方は
結局これもシンクロ現在の芸術家を押し並べて見たとき、シーレのような尖った芸術家は存在し得るのだろうか。概ね独善の謗りをうけるのだろう。概ね中二病と呼ばれるのだろう。なんとも今の時代芸術家にとっては楽な時代ではないと思えるのだが。「すべての芸術家は詩人でなければならない。」まぁねぇ~今の時代の芸術家にも受け継がれていると思うのですがこの一行への旅を楽しめる感性を持たれた人は__________どうやら"中二病"ということらしいのです(笑)だとするなら中二病は、天才に至
何度見てもいいものは何がいいというよりただいいね!京都で鍵膳から河井寛次郎記念館へと回り寛次郎の素晴らしい作品を沢山拝見してきましたが、自分が生まれる前から両親がとても影響を受けていたので無意識の中にスーッと入ってきます。家に帰って寛次郎の作品を改めて観ました花紋抹茶碗(大)花紋抹茶碗(小)三色扁壺柿釉ぐい呑み2呉須筒描紋茶碗三色打薬抹茶碗1960年70歳の作品辰砂呉須鉄絵花紋扁壷21937年47歳の作品呉洲鉄菱花紋長
河井寛次郎記念館に館長の猫のえきちゃんに挨拶に伺いましたら、寛次郎の木彫を代表する兎を飾った玄関間で正座して待っていてくれました。抱っこもさせてくれました。…………………………河井寛次郎またゆったり拝見しました作品も生き方もいいね!何がいいというよりただいいね!好きなんだな。私は浜田庄司も河井寛次郎もほんの数点持っていて「物語のある料理『野の花料理・恵那の野山の蕎麦懐石』」でも使っていますが、濱田庄司の方が如何にも民の技という感じで、使いやすく
真作保証はどこまでホントウか。基本的にはこの言葉をそのまま鵜呑みにしてはイケナイ事は周知の事実です。良くて半年間の保証。その程度です。最も真作永久保証は別物です。そう言う出品者は別格。これはもう老舗美術商の考え方ですから。もし美術商と付き合うのならそう言うお店を選んでください。そうでないお店の場合は兎に角値切って買う事。失敗しても後悔しないように。ニセモノでも出来が良ければ別作家の作品として自分は買う事も有りますが。中身の方が遥かにイイ
河井寛次郎記念館に猫のえきちゃんに挨拶に伺いましたら、寛次郎の木彫の代表作の兎を飾った玄関間で正座して待っていてくれました。抱っこもさせてくれました。…………………………河井寛次郎またゆったり拝見しました作品も生き方もいいね!何がいいというよりただいいね!好きなんだな。私は浜田庄司も河井寛次郎もほんの数点持っていて「物語のある料理『野の花料理・恵那の野山の蕎麦懐石』」でも使っていますが、濱田庄司の方が如何にも民の技という感じで、使いやすく、
ここは民芸好きは絶対訪れて甘いものをいただきたいお店その暖簾をくぐると左側に天井までの壁一面を覆う総欅造り拭き漆の大飾棚がまず目に入る。重厚で繊細いつ見ても素晴らしい。流麗な木目や精巧な金具の一つひとつ、時を経ていっそう風格をたたえるその棚は、のちに木工芸の分野で初の人間国宝となる黒田辰秋が鍵善のために制作したもの。とても素晴らしいものです。ここはいつもタイムスリップをした様な想いになります。京都祇園で300年続き現当主で15代続く、くずきりが特に有名な和菓子屋さん「鍵
こんにちは(*^^*)5歳&2歳の2男児ママ、ひだまりん♡です。数あるネット情報の中、ブログを見に来てくれて、本当にありがとうございます♡幼児教育や食べ物、心のことについて、お伝えしています。ママが心優しく居られますように♡子どもたちが愛されて育ちますように♡そんな願いを込めて〜♡未来の蕾でいっぱいの“今”本を読んでいたら、懐かしい言葉に、また出逢いました。“過去が咲いている今、未来の蕾でいっぱいの今”陶芸家の河井寛次郎さんの言葉です。初めてこの言葉を知っ
【関西徒然アート巡り&おいしいもん】ご来訪ありがとうございます🙏✴︎精神的に疲れた時は京都が癒してくれると信じて疑わないmameです。アート巡りや美術館巡りというと、どうしてもメディアで取り上げられる企画展を楽しみに回りがちなんですが…ゆっくり作品と向き合って癒されたい時はコレクション展もおすすめです。■2022第4回コレクション展京都国立近代美術館2023年1月22日まで京都国立近代美術館は絵画に限らず、写真や現代美術など多岐に渡るコレクションを誇る
東山区、清水寺にもほど近い場所にある「六原公園」。特に何か特徴があるというわけでもない公園。敷地内にはこの六原エリアの住民の交流の場となる施設があったり。そんな公園内にある石碑。そこには『京都市陶磁器試験所発祥地碑』と書かれています。かつてここには、陶磁器製造技術の開発と技術者の養成を目的に、明治29年(1896年)京都市陶磁器試験場が設立されました。それ以前の江戸時代、茶の湯の流行に伴い、粟田焼・清水焼、通称『京焼』の茶陶器の製造が盛んでした。明治時代には茶陶の需要は激減
ふと去年の今頃は何をしていたか…と思い出す。まさか1年後に今のような状況になるとは知る由もなかった頃、京都の”河井寛次郎記念館”を訪れていた。河井寛次郎(1890-1966)は、大正から昭和にかけて京都を拠点に活動した陶工。住まい兼仕事場が記念館として残されている。ずっと行ってみたかった場所だ。興味を持ったのは、民芸運動のことを知って感銘を受けたからだった民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は
作品に銘を入れない陶芸家の二大巨頭は河井寛次郎と浜田庄司。作家物を知っている人にとっては当たり前なのですがその河井寛次郎作品に関しては自分も少しは得意とする所です。絶対では有りませんが。河井寛次郎の名前が冠された落札作品の一部を少しだけ自分目線で解説。絶対に違うとは言いませんよ。あくまでも個人的な感想です。そこは念の為御留意下さい。見方としては先ず第一印象で寛次郎で有るか無いかを判断。その上でその作品を再度検証して行くのですがそこから先は