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おしゃれなホテルの朝ごはん食べて少し休みうどん平向かう途中母里太兵衛の像が見つからないΣ('◉⌓◉’)名店の肉ごぼううどんを堪能して駅に向かうとブラバンによる夜桜お七がカッコいい(≧∀≦)終わって振り向くと母里太兵衛が居た!場所変わりましたよね?4月関東でバドミントン強くなりたい方に☆地方ツアーの決まり方☆
京都の「御香宮神社」の所にこんな立て札がありました。「黒田節誕生の地」この伏見桃山の地に福島正則の屋敷あったそうです。黒田長政が福島正則の所に家臣の「母里太兵衛」を使いに出し、その時福島正則が巨大な鉢をだしこれで「飲み干せば何でも褒美を取らす」と言い、友信は見事に飲みほし豊臣秀吉から下賜された自慢の槍(日本号)を貰い受けました。此の事がこの場所で行われたそうです。桃山天満宮にはこんな石が置いてあります。おいてある看板この石は、
黒田節で有名な日本号、福島正則から呑み取った酒豪・母里太兵衛博多駅前にある母里太兵衛の銅像、大杯で酒を飲み干す場面、槍には現在安全の為か保護テープが巻かれている。黒田家の家臣では一番の武闘派で生涯で76の首級をあげました。母里太兵衛は長政の名代で伏見城にいる福島正則を訪れた時に酒宴となるが長政の戒めで酒は断ります。すると酒癖の悪い福島正則は黒田の武士は酒によわいのかとしつこくからんできます。飲めないとみて大杯に注がれた酒を用意させて「これを飲んだら褒美をなんでもとらすぞ!」と
後藤又兵衛母里太兵衛凄い刀を持っているよねぇ超強烈な武器に映るよねぇ
三社参りDE黒田官兵衛その2黒田長政が愛用した水牛の兜の像の奥に右手に長槍左手に大杯を持った像があります。これは黒田二十四騎の中でも特に重用された黒田八虎の一人である母里但馬守太兵衛友信の像です。※もりたじまのかみたへえとものぶ黒田節のモデルになった人物であり黒田節は母里太兵衛が福島正則から名槍“日本号”を呑み獲った逸話が歌われています。母里太兵衛↑黒田節の逸話もあります。日本号大河ドラ
どこが「in西日本」やねんと、お嘆きの貴兄に、お待ンたせいたしましたッ今回は兵庫でっせ今が旬()の、軍師・官兵衛ゆかりの地に行ってまいりました官兵衛っていったら中津城・・・じゃなくてぇ、姫路城じゃなくてぇ、「妻鹿城」でっすつまじか・・・どこそれ。これは「めが」と読むのじゃそうな。またの名を、「国府山」(こうやま)城。甲山(こうやま)の山頂に築かれた山城なんじゃYOでは、早速妻鹿城へ、LET'SGO山陽電車の妻鹿駅に到着。。↓
福岡城の続きです。黒田二十四騎のひとり、母里太兵衛邸長屋門。因みに黒田二十四騎から更に優秀な武将を「黒田八虎」と呼び、この中にも母里太兵衛は入ってます。あの後藤又兵衛も「黒田八虎」のひとりですが、官兵衛の死後、長政と折り合いが悪く、出奔し大阪の役で豊臣秀頼方につくことになります。本丸方面へ向かう途中、官兵衛の隠居地となった三の丸御鷹屋敷跡も訪問。松ノ木坂御門跡。こんな感じだったそうです。古写真があるとイメージが湧きやすくて、いいですよね分岐点。左へ。表御門跡へ。表御門跡。
福智山山頂からの景色です。故郷の上野側。直方市、遠賀川方面。皿倉山、北九州方面。平尾台方面。英彦山方面。景色を楽しんだ後、再度、福智神社上宮の祠にお参りして下山開始。蝶が羽を広げて止まってくれました。同じ道を下ったつもりが、一本外側を歩いてました。そのおかげで、福智神社の鳥居に出会えました。上野越まで下りてきましたが、鷹取山にも行ってみたくなりました。地図上では10分で行けることになっていたのでGO!ワシワシ登ったら7分でした!城壁の跡が残っています。あ、ここはNHKの
9月の福岡行は、黒田官兵衛の父・職隆公433回忌法要のためのものであり、播磨の黒田武士顕彰会の一員として同行させていただきました。9月22日(金)職隆公法要の前日博多駅に着いて、一番に向かった先は、もちろん母里太兵衛銅像が建つ場所。台座に刻まれた「黒田節」の歌詞は、福岡藩の母里太兵衛が、戦国大名・福島正則から大杯の酒を飲み干せば望みものをやろうという約束で福島藩の家宝であった「日本号」を飲み取ったというエピソートを指しています。。。このあ
※これは『信長の野望創造戦国立志伝』のプレイ記録です。所有拠点数:36武将数:160●1572年12月通康の勲功が9000越えたら5つ目の拠点を要求してきた。3000越えたら1200につき1要求する感じかな。1200っていまいちきりの悪い数字だな。たぶん士道も関係してるんだろうな。●1573年2月だいぶ前から八神城に攻めるって言ってて、やっと動き出した。直家、清水、宇野3家が提案してて、3家に許可出したが、結局どの武家が落とすんだろう。西からは清水宗治、東
北斗宮を後にして寒北斗酒造のに戻る途中・・・あれ?ここは?黒田武士で有名な「母里太兵衛友信公」のお墓のある曹洞宗麟翁寺(りんのうじ)2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」o(^▽^)o黒田官兵衛を岡田准一さんが演じていました~カッコよかったです黒田二十四騎の一人「母里太兵衛」役は速水もこみちさんでしたもこみちさんも凛々しくてカッコよかったです酒の飲みっぷりも最高でした(@ ̄Д ̄@;)連れがいたら顔出してしたのですが・・・お寺の中誰もいない
こんばんは〜ご訪問ありがとうございますやーーっと!激務が終わりました担当する研修のスケジュールの関係でかなりの激務だった3週間今日はついに寝坊してしまいました遅刻しなかったけど本当にギリギリ出社…今の会社は6年働いてますが、こんな本格的な寝坊は初めてでした当たり前の話だろ、自分…2週間前からこの前の激務スケジュールをこなしたらご褒美にと決めていたマッサージ親友と待ち合わせをすることにしてましたが、私の仕事が終わりそうになく…二転三転させて結局19時半に予約やっつけ仕事で何と
飯塚市の内野宿を出発し、冷水峠を越えると、筑紫野市の山家宿に入ります。現在でも、かつての街道を彷彿させる道幅と史跡が残っています。**こちらは山家宿の入り口である西構口(筑紫野市史跡)。搆口とは、宿場の出入り口を示す門塀で、宿場内に向かってL字形で石組み基礎の上に土塀を築いて漆喰で固めています。長崎街道の宿場町でも、石垣と土塀、瓦が完全に残っているのはこの山家だけだそうです。因みに、飯塚方面からの東搆口は現存していないそうです。長崎街道の趣が残る場所。かつては旅籠や商
先日2017年4月上旬の福岡城さくらまつり開催期間中の歴史的建造物特別公開の続き。「祈念櫓」を見学した後は、「旧母里太兵衛邸長屋門」に向かいました。2017年の福岡城跡歴史的建造物特別公開の祈念櫓のレポ。http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12271197370.html「祈念櫓」から、歩いて来たルートを戻り、それから右手に進むと、「旧母里太兵衛邸長屋門」に到着です。由緒書き。母里太兵衛(母里但馬守友信)は、黒田二十四騎の一人で
右手前方に見えます白壁の建物は、旧母里太兵衛邸長屋門でございます。*以下こちらのサイト様より転載*〝黒田24騎の一人で、福島正則から名槍日本号を飲み取ったという「酒は飲め飲め…。」の筑前今様で知られる豪傑母里太兵衛の邸宅に構えられたもので、武家屋敷長屋門として代表的な江戸時代の優れた建造物である。なお、現在の天神二丁目の野村證券福岡支店の地は、母里太兵衛の当時の屋敷跡で、この長屋門はそこにあったが、昭和27年證券ビル建築のため取り除かれ、昭和40年現在地に復元されたものである。
黒田節で有名な母里太兵衛の子孫の方にお会いしてきました。博多駅前にも銅像が立つ母里太兵衛は黒田官兵衛・黒田長政の黒田二代に仕えた猛将で、有名な黒田二十四騎の一人です。並々と注がれた盃を飲み干して福島正則から名槍・日本号をせしめた話は余りにも有名ですが、関ケ原の合戦では人質となった主君の妻子を密かに救出する等、豪快なだけでなく、非常に利発な人物であったことがうかがえます。また、黒田家が福岡に入城して福岡黒田藩が成立すると、筑前鷹取城主、益富城主を歴任し、桐山丹波と共に冷水峠の整備に尽
羽生くんが国別の会見で書いた「日の本一の力を!」「日本の国旗を背負って戦うという自覚が一番強い試合」「(の、をつけたのは)真田幸村的になりましたけど」「自分たちが日の本で育ってきているわけなんで、そういう意味でちょっと日の本一にしてしまいました」日の本一、というと黒田節を思い出す。黒田節とは母里太兵衛(もり、または、ぼりたへえ・福岡藩士・大酒呑み)が、福島正則の所へ黒田長政の名代として挨拶に行った。そこでは家中の者が集まって酒盛りが開かれていて、正則が大盃を持ちだし「
ここのところ、石原慎太郎元都知事も、稲田防衛大臣も、大事な事を追及されると『記憶にない』の発言をしていますが、都合の悪い事を追求されての『記憶にございません』って、ロッキード事件からですかね。あれからどれだけの、月日が経っているやら。いつまでも、こんなアホな言い訳が通る時代だと、本気で思っている政治家(石原さんは、もう政治家ではありませんが)が、いる事に進歩が無いなと呆れるばかり。今の時代で、重要な問題での会見や、国会答弁で『記憶にない無い』
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長町武家屋敷跡@金沢の城下町を散歩。livedoorBlog加賀藩時代の上流・中流階級藩士の侍屋敷跡。土塀と石畳の路地が続いており、藩政時代の情緒ある雰囲気を味わうことができます。冬には雪や凍結から土塀.縄文の暮らし仮想体験読売新聞墓とみられる穴を囲むように住居跡などが並び、石神井川流域の拠点となる集落という。南関東の環状集落としては最大級で、2015年に国史跡に指定された。vol.15元全日本女子バレーボールチーム監督眞鍋政義氏に訊く。[中編]フォーカスシステ
大河ドラマでお馴染みの黒田官兵衛につきまして、人生の後半においては九州がその中心となります。今回福岡(博多)から豊前(中津)に旅してその足跡を追いかけます。まずは博多駅からバスで福岡市博物館に向かいます。ここは金印であまりにも有名な博物館ですが、黒田家伝来の国宝を拝むことができます。通常は金印と並び、黒田節で有名な日の本一の槍を見ることができますが、今回黒田官兵衛特別展の最中にて、小田原征伐の際に北条家から贈られた国宝の「日光一文字」の刀を見つことができました。織田信長から贈られた「圧切長
長崎街道・筑前六宿の一つ内野宿は、黒田節で有名な母里太兵衛が黒田長政の命で代官として宿場建設にあたりました。しかし、間もなく母里太兵衛が大隈城主となったので、内野太郎左衛門がその後任につきます。江戸時代の内野宿は、大名の参勤交代、オランダ商館長、長崎奉行、幕府高官等の往来が多く、宿場として非常に栄えていたそうです。シーボルト、ケンペルの江戸参府記や伊能忠敬、吉田松陰などの日記にその記録が残るといいます。また黒田長政は内野宿に本陣を置き、度々狩りをしていたともいわれています。そんな
福智山から下山途中、鷹取古城のあった鷹取山(633m)山頂に寄りました。城跡のある山頂からは、眼下に直方平野や彦山川流域を一望することができます。我が家もかすかに見ることができました。福智町方面直方市方面鷹取城の起こりは、1046(永承元)年、長谷川吉武という武将が、平直方、中原成道を討った功で、この地を賜り、家臣の永井因幡守宗久に築かせたものです。ただし城といっても非常時に籠る砦のような簡単な構造のものでした。今でも長谷川姓は、田川郡など地
大河ドラマ『軍師官兵衛』が放映されている時、かなり盛り上がっていた福岡この光雲神社(てるも)にも沢山の観光客の方が訪れたみたいです(*´ω`*)福岡市民にとっては、花見の名所として有名な西公園にこの神社はあります祀られているのは、福岡藩祖・黒田如水と福岡藩初代藩主・長政かつては金龍寺という禅寺があったのですが、福岡藩2代藩主・忠之のとき、徳川家康を祀る東照宮を建立。明治維新を迎えると、参詣者も少なくなってきたため、明治40年(1907年)、東照宮跡に光雲神社が建立されました社
臣さんです。今夜はトレーナー業が出稽古、一般向け出張トレーニングの代講でした。唐突に話が来て忙しいのにダメダメー、と断ったのですが「すいません、替りにイケメンをよこすと言っちゃいました」ですって。フザケてやがる。イケメンて言われたら行かなアカンやん…。(*´・ω)(ω・`*)ネー今日はお酒で語る戦国物語第2弾、黒田官兵衛の忠実な臣下で槍の名手として名をはせた母里太兵衛(友信)の酒豪伝説についてお話しいたします。大河ドラマ化された記憶も新しく黒田節の主人公といえ
一度書いたのですが、間違って削除したようで、再度載せます。文禄の役の停戦交渉が行われている頃、伏見の福島正則の屋敷に、朝鮮から一旦帰国した母里太兵衛が、黒田長政の名代として挨拶に行きました。そこで家中の者が集まって酒盛りが開かれました。厭戦気分を吹き飛ばすという目的もあったようです。先方に失礼があってはいけないと同僚から酒を飲むなと言われていたにも関わらず、大好きな酒を前に席を外せません。そのうち、大盃が持ちだされ、福島正則が「これを飲み干せばどんな褒美も取らす」とふっかけます。そこで
お土産も沢山買いました♪栃木県宇都宮餃子32個と大容量、冷凍庫に入るかな?と、心配しましたが…あけたら、8個入り4パック入りだったので大丈夫でした。餃子は浜松より宇都宮派です(`・ω・´)キリッ愛知県三河の本みりんこのまま飲んでもいいし。ヨーグルトやアイスにかけても美味しい、と評判のもち米100%でできた本みりんです。小サイズが売ってたので、迷わず購入。楽しみだなー宮崎県つぼ漬なぜか我が家で大人気のつぼ漬。やっぱり九州のつぼ漬のほうが、美味しいんですよねー。不思