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何を書いたのか忘れてしまったため、調べてみたことをまとめます。………………………………………………死産後の手続き………………………………………………【妊娠12~22週までの場合】死産届火葬許可申請書上記書類を届出人(自分)の所在地か死産地のどちらかの市区町村役場へ、分娩から7日以内に提出する必要があります。提出は代理人でも行うことができます。その際委任状は不要です。ただし、訂正は届出人しかできません。自分で提出する場合は本人確認書類(運転免許証。保険
お久しぶりです。パソコンの調子がすこぶる悪く全然更新できませんでしたが…今日は病院で火葬について話したときの記録です。わたしが出産した大学病院は、提携している葬儀会社があってなんと出産2時間後には火葬のはなしをしに病室へきてくれました。正直出産を終えたばかりで火葬のことなんて考えたくもなかったのですが、、旦那さんと2人で説明を聞きました。まずは火葬の日取り決め。いつがご都合よろしいですか?と聞かれましたがいつがいいなんて希望もあるわけがなく…出産翌日は友引で火葬場がお休みだっ
昨日、とても良いことがありました✨セミナーに来てくださった方が、またお話しましょうと声をかけてくださっていたので、会いに行ってきました大木町の社会福祉協議会で、団体登録をしませんか?と言っていただきました✨社会福祉に大変詳しい方で、社協とも繋がりがあり、どうすれば活動しやすいか、たくさんアドバイスを頂きました!かたや私は、社協の存在も分かっていなかった世間知らず。。町と社協が連携する事で、様々な福祉事業が円滑に回っていることを知りました。まちづくり事業の一環として、登録をすれば、施設
流産・死産は戸籍には載らないという記事を昨日書きました。「なくなった子を1人の”人”として認めてもらえない時、悲しいと思うんだな」『亡くなった子を1人の”人”と認めてもらえない時、悲しいんだな。』今や婚姻届は役所に用紙をもらいに行かなくても色々なデザインの物があって好みのものをダウンロードしたりしてそれに必要事項を書いて提出していいんだね。ふと、出産届…ameblo.jpお腹の中で胎動もあってお腹の中でちゃんと生きてたのにね。間違いなく出産したのにね。戸籍法という法律があるから流
今や婚姻届は役所に用紙をもらいに行かなくても色々なデザインの物があって好みのものをダウンロードしたりしてそれに必要事項を書いて提出していいんだね。ふと、出産届けはどうなんだろう?とググッたらやはり出産届けも同じ。かわいい絵柄の物がたくさんあった。出生届けの隣に出生証明書の欄がある。その中にショッキングな欄を見つけた。死産後レインボーベビーが生まれているから様式が変わってなければ見てるはずなんだけど、記入した記憶が無い。”この母の出産した子の数”の所。単位出生子は
幼稚園の年長から高校卒業まで皆勤の健康優良児保健室で寝た事も無ければ点滴、入院も初。。。入院の準備をして、いざ、病院へ入院してあらかじめ子宮口を開く処置を行なった後、子宮収縮剤で人工的に陣痛を起こし流産させる方法で中絶手術入院は2泊予定中絶手術終わった後には死産の届出を提出したり埋葬許可書を発行してもらったり。とする事はたくさん。(と、入院した時に説明された気が相変わらず、記憶曖昧)中絶手術した後は、子供と一緒に写真を撮る事も手型や足型を取ることも出来ま
16時過ぎ頃に、火葬業者さんが部屋に来ました。まずは死産届けの書類の記入と火葬代金の話。死産届けには本籍地の住所の記入が必要でした。なぜか結婚前の本籍地の都道府県の記入する場所もありました。代金は現金でその場で払うか、振り込みのどちらかと言われました。料金は4万5千円。私たちは現金が手元に無かったので、後日の振り込みとなりました。後で色々調べてた時に火葬についても少しだけ調べたら、費用的には自分たちで色々手配した方が抑えられるようでした。でも私たちは急に色々起こった中で、こんなこ
私の赤ちゃんSkyは15週目にして悲しいことにお腹の中で心拍停止していることがわかりました今日は5月17日(日)2泊3日の入院をしてSkyを取り出してあげます。今まさにその入院の部屋からこのブログをアップしています。いつもは3歳の娘がいるとパソコンや携帯をなるべく触らないようにしているのでブログを書けるのは朝早くか夜娘が寝てから。今はサクサクかけます。入院記録に関してはまた改めて書こうと思います
夕方に落ち着いていた腹痛はまた痛くなっていました。特にトイレに行った後が痛いので内臓が動くと子宮も一緒に動いて痛いのかな、と思ったりしていました。薬は、痛み止めと母乳の分泌を止めるものが出ました。夜になって看護師さんが死産届を持ってきてくださいました。明日の午前中に、夫が役所に持っていく予定になっているため早めに欲しいと伝えてありました。そっと中を開けてみました。そこに書かれていたのは「13週自然死産」の文字でした
主人は午前中仕事だったので、退院手続きを済ませ、最後に1人でくぅちゃんに会ってきたくぅちゃんはまた少し乾いてしまって、特に足先は痛々しかったたくさんお話ししたお名前、くぅちゃんにしたよありがとう、ごめんね、明日迎えに来るからねくぅちゃんって何度も呼んだ母から受け継いだ子守歌も歌った2人で写真も撮った涙は次から次へと溢れてきて、1時間程お部屋を使わせてもらい、たっぷりお別れした主人が到着し、病院でお昼を食べてから、区役所へ向かった死産届けを出して火葬許可証を受
~はじめに~※自己紹介はこちらから⇒★当ブログへのご訪問ありがとうございます。いいねやコメント、また読んでくださるだけでもとても励みになっています。こちらの記事は、2019年秋に私が経験した妊娠17週での後期流産(死産)について綴っています。私の個人的な経験や考えを書いておりますが自分の心の整理をするとともに、まだまだ情報を得づらい後期流産・死産のことを少しでも多くの人に知って頂ければ、同じ経験をして悩んでいる方のお役に立てればと思っております。多
死産後は少しの間でしたが、夫と赤ちゃんと病室で過ごしました。そして、夫は仕事に戻りその後親友が来てくれました。親友は私の体調を気遣って、「少し休みなよー。」とあまり長居はせずにお昼前に帰宅。私は起き上がるだけでも気分が悪く、赤ちゃんを枕元に寝かせて少し休みました。ひと休みしてから、赤ちゃんを冷やさないといけないのでと助産師さんが一旦赤ちゃんをナースステーションに連れて行きました。15時過ぎ、火葬の手続きの為、夫が病室に戻りました。葬儀屋さんがきて、火葬の手続きが終わると赤ちゃんは葬儀
2018.8.2013w1dたまちゃん出産。体重23㌘身長10.0㎝性別不明たまちゃんにしてあげられたこと〇お洋服を着せる〇急なことで小さなお洋服を用意することもできなかったけど、T病院のボランティアグループの方が作って下さったお洋服と帽子のセットを何枚か助産師さんが持ってきてくれて、その中からお洋服を選ばせてもらった性別はわからないけど、女の子っぽい可愛い柄のお洋服を選び、その小さなお洋服でもたまちゃんには大きいので身体の上にかけてあげることにした私と同じようにお
こんにちは。昨日、無事に退院することができました。結局、台風の影響で彼は都内からなかなか出ることが出来ず、埼玉に戻ってくるのがお昼すぎる、、とのことで、登録しているタクシーを呼んでみるも、“都内に全車両行ってしまっているから全く戻ってくる目処が立たないんです…”と言われてしまいました。。タクシーつかまった?タクシー全くつかまらない。JRが止まってる関係で、都内に行っているから埼玉まで戻ってこれないって💦ゆっくり歩いて帰るかな、、(産院から歩くと私のゆっくりの歩行では
私は産後、後陣痛が結構酷かったのですが、みなさんそうなんでしょうか?痛い時に飲んでいいけど6時間は空けてね、と渡されてた痛み止めをぴったり6時間おきに飲んでました。それでも痛くて動けない時も。この日は夕方退院だけどそれまでは比較的自由にしてました。色々できることを今のうちにと思って書類系を片付けました、あと医師の署名が必要な書類もあったので、書面窓口に行ったりしてました。会社に言われてた診断書については、やはり意味がわからなかったし、助産師さんに相談しても、皆さん、?って感じだったし、
手術当日改めてエコーに映る赤ちゃん私の願いは届かず、動かなかった。それを見ても涙は出ない。悲しいを通り越して私の感情は『無』だった術前処置をされる時も体が仰け反るほど痛かったはずなのに、気持ちが付いてきていなかった。また私のせいで赤ちゃんが死んでしまったまた私が赤ちゃんを殺したどれだけこの辛い思いを繰り返せばあの時の私の罪は償えるんだろう。。そんな事ばかりが頭の中をぐるぐるしていた手術台に登るのは場所は違えど、つい最近の記憶だ寝て起きて、そうしたら私のお腹は空っぽ私
出産後、私が眠っている間に主人が息子の今後についての説明を受けたそうです。息子の腐敗を防ぐために冷やさないといけないこと、死産の届出をして火葬をしなければいけないこと、自分たちでの手続きが難しい場合は代行業者を紹介できること、などなど。私たちは代行業者を通さずに自分たちで息子を見送りたかったので色々調べました。調べてみると、どこの火葬場でも胎児の火葬をお願いできることがわかりました。ただ、普通の火葬場は火力が強く赤ちゃんを火葬した場合には骨が残らないこともわかりました。なるべく息子の骨
出産してすぐ始まる、お別れの準備逢えたばかりなのに、、、死産届け、、、火葬の予約、、日にち決め、、、心が引き裂かれる思いだった。主人も同じ思いだったはずなのに、私に分からないように、色々と調べ連絡してくれて、私に話すときも、言葉を選び、色々な日にちや、時間を決めてくれた。主人は、本当に優しい。これも、息子から改めて貰ったメッセージ。この人と結婚して、良かったこの人とじゃなきゃ、、、私達は、自然とずっとパパ、ママと呼び合っています息子はお空にかえっても、パパとママに変
※死産(後期流産)の記録です。退院した日の午後、死産届を提出するために市役所へ向かいました提出する際、届人の名前を夫(父親)の名前だけ記入していたのですが、職員の方が「よかったらお母さんの名前も…」と言ってくださったので私の名前も記入しました私は自分が経験するまで妊娠12週以降の流産・死産の場合死産届の提出や火葬をするということを知りませんでした天使ママのブログを拝見していると、病院を通して火葬場の手配などをされている場合も多いみたいですが、私が出産した病院
しばらくして病室に戻ることになった。親には一旦帰ってもらうことにした。分娩台から車椅子に移った。病室に戻る途中、お腹の大きい患者さんが廊下の体重計に乗っていた。夜眠れないのだろうか、長い間入院されているのかわからないが無事生まれるといいなと思った。病室に着いたら4時半を回っていたと思う。後陣痛と喪失感におそわれた。眠れるわけなかった。ペタンコになったお腹に慣れなかった。そのまま朝の6時過ぎ、旦那から電話がかかってきた。私「2時に生まれたよ」旦那「そう。お疲れ様。」私「性別
ストレッチャーに乗せられた私は陣痛室に移動させられてた。時折人の声が聞こえたり、うっすら目を開けられたりした。感覚としては起きたいんだけど、眠すぎて何度とも寝て起きてを繰り返してる感じ。旦那が来た時はなんとなく覚えてる。うっすら目を開けてボヤーッと旦那が見えた。「大丈夫?」って言われて「うん」って頷いてまた眠くなって目を閉じた。しっかり会話が出来る様になったのはそれから1〜2時間したくらいだった。旦那に実家の母に連絡をしてもらい15時過ぎくらいに来てもらう様に言ってもらった。
火葬、行って来ました。胎児の火葬は朝一のみなので9時から。15分前に到着しててくださいとのことだったので早めに到着し、外で担当の葬儀屋さんが待っててくれた。この寒いのにーーー!大変だ。合流し、そのままロビーで待ってて火葬場の従業員さんには時間ぴったりに案内して頂いた。告別室で赤ちゃんへ対面。と、持った来た一緒に焼きたいものを箱の中に。一週間経った赤ちゃんは水分がだいぶなくなってました。周りのガーゼがだいぶいろいろ吸ってた模様で色がだいぶ全体的に変わってました。ちょっとゾンビ
先生が書類を持ってきてくれました。死産届け。こんなものが世の中にあるのも知らず、まさか自分が記入することになるなんて。。。そして葬儀屋さん到着。赤ちゃんも退院です。一緒に帰ることも出来るみたいだけど、葬儀まできちんとした環境で過ごさせてあげることも出来ないのでお願いしました。冷蔵庫に入れておくわけにもいかないしね(笑)年末年始じゃなかったらもしかしたら一緒に帰って、保冷剤を切らさずにクーラーボックスか何か新品買ってきてお花やおもちゃで包んであげておうちに帰ってたかもです。わか
死産扱いになるので、葬儀屋さんの説明を受けました。別室に通され待機。その間に夫と死産届の手続きについて検索。夫と相談する時間があり良かったです。私たちの希望は、火葬はシンプルに火葬のみでいい。名前もないし、供養は仰々しくなく。その後、看護師さんが胎児を持ってきてくれました。ケーキのようなかわいい箱に入っていました。きれいにガーゼに包まれていました。夫は私の横からそっと覗いていました。しばらくして、葬儀屋さんが到着。散々検索してどうしようか話していましたが、結局全て葬儀屋
もぅすぐ、あれから1年。それまでに、流産のことはひと段落させ、妊活再開の内容にしたい。と思っていたのですが...無理そうです今回は、火葬手続きに向けて。結論を先に言うと、全て自分達で手配・手続きしました。1.火葬場を電話予約2.お寺さん電話手配3.市役所に死産届提出、火葬許可申請記入、火葬場使用料支払→火葬場使用許可書・埋火葬許可証受取4.骨壷、ドライアイスなど必要な備品購入5.コメちゃん引取り6.火葬水曜日午後(退院した日の午後)火葬手続きについて夫と話しな
7月19日22週と1日早朝看護婦さんが赤ちゃんを濡らしに部屋に来るコットンで優しく濡らされる赤ちゃんをみると数時間前に比べ顔に赤みが増していた更にアイスノンで冷やされた赤ちゃんの体はとても冷たく・・・亡くなっているとはいえとても可哀想だった。8時00シャワーに入った。数時間前まではパンパンだったお腹赤ちゃんがいたお腹でも・・・もう居ない・・お腹を触りながら何とも言えない気持ちになったシャワーを終えると内診に呼ばれた。先生「ひかげさん出産立ち合
前回の記事までと、それ以前に書いた火葬の日の記事で今回の子宮内胎児死亡からの一連の出来事を綴ったことになります。わずか5,6日のこととは思えないくらいいろいろなことがありました…。今日は、覚え書きも兼ねて手続きや仕事、お金のことなどを書いておこうと思います。今回は14週で胎児死亡、お産になりました。14週というのは産科では後期流産、法的には死産になるらしいです。後期流産と言っても流産手術ではなくお産の処置だったわけですが…。もっと週数が早いと流産手術になっていたとのこ