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犯罪被害者を知ってもらうことそれは、若い皆さんの力が必要です身近に意外と、犯罪被害者はいますそんなときあなたならどうするかそんなクエスチョンに答えと共に考えてくれる人を増やしたいのです答えはなくて良いのですともに考えてくれることともに立ち止まってくれたり理解しようとしてくれたりそんな小さなあたたかな心を若い子たちにより知っていただきたい。ボランティア是非とも参加してみてくださいね。そして命や人の優しさに触れてください参加募集の詳細です↓https://www.pre
読んでくださっている皆さまありがとうございます。死別2年目のシンゴの嫁です。死別1年140日目。この度。死別○日目としてアップしていた死別してからずーっと書いていた日記の転記がやっと終わりましたー!!今日の昼にアップした死別160~165日目までがアナログ日記の最後でした。もう既に時は4月・・・日記は半年間くらいなのに転記にほぼ1年かかってるし。なんという筆不精2019年のゴールデンウイークに実家に帰省中。遊んで過ごしなが
今回、遺品整理で見つけた物は1月に見た時は、入っていなかったので義弟が持ち出して、また、持って来たのでしょう。中身が気になりますよね。出てきたのは未公開株の投資詐欺にあっていました。こんな危険な物に手を出していたなんて。彼と出会った頃、ボロボロの車に乗っていました。廃車にする車をタダで譲ってもらった。ローンで買いたくないから今お金を貯めてると言っていました。本当に次の車とその次の車は現金で買っています。お金に対して硬い人だと思っていました。いつだったか忘れたけど、例の親友が
私は今、不動産でパートとして働いています。パソコンが少しだけ得意なので、毎日パソコンとにらめっこしています。パソコンとコミュニケーションをとるのは得意なんですが、人とコミュニケーションをとるのは苦手です。なので、会社では接客はしていません。それって、どうなの?と思っていますが、苦手なので仕方がないなというスタンスでした。今日は会社で宅建をみんなで受けようという話になりました。毎年言われていることなんですが、パートだし、接客できないし。と断っていました。難関なのはわかっているので、受け
こんばんはーとりあえず今の気持ち書きます。こくまがさ、やたらお手伝いしてくれるんだ今日なんか私が風呂に入る為に脱ぎ捨てた服を片付けてくれたり…腕の傷に一所懸命薬を塗ってくれたり…私が普通じゃないの分かってるのなんで急にそんな良い子なの最近はこくまから私にギュッてしてチューしてママって言うんだ…誰に対しての罪悪感かは解らない…謎の罪悪感に苛まれる話がしたいよとりあえず今は自分と戦ってる
窓から見えた月。こんな時を、まあまあ楽しんでいる私。今まで起きたことないこと、なんか、すごいなぁ。明日も元気で過ごせたら、それだけでいいって、ずっと言ってるじゃん。あとは別に、viaゆいごんプロジェクト〜言葉が星になるならYourownwebsite,AmebaOwnd
今日は夫との死別の悲しみを消化する時が来たことを身体が教えてくれた。そのことをお話したいと思います。死別の悲しみを笑顔に変える専門家思考の学校認定講師林ゆりです。昨年末、はじめて健診で胃カメラなるものをしました。噂には聞いていましたがオエッとなりっぱなしでしんどかったです・・・。で、その結果胃潰瘍で、その原因はピロリ菌とのことでした。50年以上ピロリ菌を飼っていたのですね~わたしは胃は丈夫だと思っていたし胃の調子が悪いと
こんばんは。かのんです。お父さんのベッドから離れ食事をしようとする私の人差し指を握りしめたまま離さなかったお父さん。一旦お家に帰るため入院中のお母さんの元を離れようとする私の手を掴んだまま離さなかったお母さん。離さなければよかった。お父さんの手を。お母さんの手を。ずっと握りしめられたままその手を離さなければよかった。温もりのあるその手を離さなければよかった。命あるその手を離さなければよかった。離したその手がまるであの世とこの世の境目に見える
今朝は5時半に目が覚め、しっかり朝ごはん食べて初出勤。何とかなりそう。やっぱり世間話や年齢を言うと『お子さんは?』『旦那さんは?』の話にもなったが子供はいない、旦那は昨年死別、今は女一人と猫一匹の暮らしで、社会復帰のリハビリ中と素直に言う事で、逆に変に隠すよりも働きやすそうだ。変な同情もされなかったので有り難かった。後は覚える事がありすぎて、私の緩みきった頭が着いていけるかだけど(^_^;)猫娘、ただいま~にも出迎えなし。クッションの上で寝てましたとさ。逞しくなったなぁ。
こんばんはバルフレアです^^昨日はブログ休みました^^私の仕事は月曜日は割と暇なんですが、今日は暇と言うより壊滅的志村けんさんの影響力?それしか考えられない^^国で自営業者を対象?30万円の給付これは私は賛同しかねますが^^うちの会社は対象者いないようです^^自己申告制ということですが、超面倒くさそうサラリーマンはほぼ貰えない残念一律10万円のほうが良かった国が財源確保するために?いずれにしろ、諦めました^^明日から明けダブル公休なんですが、明日の予定は夕方
4月6日月曜日青い空に桜の淡いピンク色風も無く穏やかで誰もが出掛けたくなるような春の日三年前も同じような青い空に淡いピンクが鮮やかだった。タイムスリップしたみたいだった今朝、起きて…しばらくしてから『あ…夢…久しぶりに見たゾ…』結婚式みたいなことしてた。フクザツ。そして、お芝居の台本の表紙作り?を任されてた。もう会いたくないひとも初めて夢に出てきた。でも、嬉しかった。今日は命日。三年経った。長かったのか?どうなのか?全くわからないけど、三年も会ってない、話もしてない
こんばんは( ̄ー ̄)亡くなった人の分まで生きなきゃ死別後に知人に言われたことがある吸血鬼でも妖怪でもないから人の分まで生きるとかムリ~口調は明るかったが私の目は笑ってなかったと思うマジで亡くなった人の分まで生きるって何なん?( ̄ー ̄)内容が暗いからコンニャクの写真でも載せておこうという意味不明なリンスちゃん( ̄ー ̄)
赤いセーターを着た女の人が私に「ご主人に会いたい?数日中に会わせてあげる」夢の中とは知らない私はその意味がどんなものなのか、すぐに分かって言った。(ようやく夫の側に逝けるんだ)会いたいです。すぐに会いたいです。待ってたんだから。嬉しい夢。これが正夢だったら良いのにな。馬鹿みたいだけど私はずっと夫が1年以内に迎えに来てくれると信じている。1年でなくても3年以内に。なんで3年?さぁ、なんでだろう。毎日夫にお願いしているし優しい人だから、私が一人で生きていくことが心配で放っ
ちょっと不謹慎な言い方、言葉が出るかもしれません。すみません。森三中の黒沢さんの件で、大島さんと村上さんが出てた。お二人の、自宅待機での様子、お話をされてました。沢山の時間の中で、隅々まで、色んなところを掃除しているというのを聞いて、何だか羨ましい気持ちになってしまいました。全ての予定、スケジュールも狂ってしまい、子どもとの距離を保つ大変さ、もちろん楽では無いはずです。そんな事、したくてやっているはずは無いから。でも私の中ではそことは関係なく、あちこちを掃除というのがキーワード
午前中に葬儀社の方が三人来て娘を式場へ連れて行ってくれた私と葬儀社の方一人、車に向かって合掌で送り出した残ってくださった方は部屋に戻って明日の手順を説明してくれ、手元供養のカタログを置いて行った午後になり式場へ一緒に行くために父母がやってきた隣の駅前にあるこじんまりとした新しい式場だった自分の名字が書かれた看板を見て涙が出た係の人が扉を開けてくれた小さな部屋に白いお棺が置かれている小窓から顔が見えた綺麗に化粧をしてもらってまるでお人形のようだ
2020年4月6日(月)の、まったりした午後。今~ちょっと。団地内をお散歩してきました。👣👣・・お会いした方~3人と2匹。当地・山梨県と言っても東のはずれ。田舎っちゃ田舎の新興住宅地。神奈川県の田舎部分と接しています。あ!東京都ともクッツイテいます。多摩西部ね~。県庁所在地甲府より新宿の方が近いっちゃ近い。空気と星が綺麗。人口密度も低い。でも皆さん、不要不急の外出は控え。おとなしく暮らしているっぽ。普段お散歩している方々は?していないみたい。暇・・・
しばらく見なかった、虎ノ門ニュースというネット番組を最近また見始めた。夫と二人で、最後にした仕事は、この番組の出演者の一人から依頼されたものだった。その出演者が出演している日は全く見なくなったけど。夫が好きだった武田邦彦先生の撮影が今年の3月に予定されていた。会えるのを楽しみにしていたのに叶わなかったことを思いながら、まるで夫の遺言のように心に刺さった話があったので、書き記しておきたい。1:17:00から始まる「虎ノ門サイエンス」というコーナーテーマは「寿命と長寿のサイエ
言葉では綴れない心で魂で感じる時間想い伝えたい伝えて欲しい想い全部で感じる裸足になって地面に立って涙を流してあなたで想いが溢れてく
※この記事は死別当時の日記が元になっています実家に帰っていた。帰省中は実両親とチューリップを見に行ったり水族館に行ったりした。帰省する前にお墓に寄った。お墓からは私が帰省時に使う高速道路が見えていた。帰省前にコンビニに寄ると店長さんの奥様がいた。店長さんはまだ毎日シンゴのためにコーヒーを献杯している。奥さんが「まだ全然ダメでね・・・。」と言っていた。実家に帰省中。シンゴの親友のLINEのアイコンがシンゴと親友のツーショット写真に突然
休みの日。どこにも出かけない時は家でのんびりゴロゴロしてた。DVD借りてきて二人で見る事が多かったかな休みが普通の仕事の人よりも少なかったかから家で過ごす事の方が多かったの。映画好きの夫でも自分が見たくて借りてきた映画なのに気がつけば寝てしまっている事もあったのね。休みが月に4〜5回あるかないか?だったもんね。3回の時もあったね。気持ちはわかるよ。テレビを見ながらソファーでウトウトするのなんとも言えないくらいに幸せで至福の一時だもんね。借りてきたDVD
まだ幼いあの子が私のすぐ側でキラキラした笑顔ではしゃいでてこの後何が起こるか全て知ってる私はまだ間に合うまだ間に合う変える事が出来るまだ間に合うまだ間に合うそう願いにも近い気持ちであの子に何から伝えようか迷ってたまだ間に合うまだ間に合うそう必死に思いながら目が覚めたほんの数秒寝ぼけて現実が分からなかったもういないもういないんだ現実に戻り胸が締め付けられたあんなに優しくてあんなにキラキラ笑ってた子がもういない残酷な現実
元宝塚雪組トップスターたかね吹々己さん(旧芸名:高嶺ふぶき)が甲状腺乳頭がんのため、5月で芸能界を引退。そして、その後旅館の女将さんに転身するとのこと。がんを患う方、多いですね。完治される方。治療中の方。共存しながら生きる方。解放される方。色々な段階があり、色々な捉え方があります。私は母ががんに負けたとは捉えていません。約17年の闘病生活。最初のがんは治療から5年経過しているので、がんサバイバーと捉えていました。その後、ちょこちょこ入退院を繰り返していました。6年前に
ブログを始めて、最初は読んでいるだけだった。自分のことを書くなんて何だか想像できなかった。子供の頃憧れて買った鍵付きの日記帳ですら、あっという間に投げ出してしまってたし交換日記(死語)なんて苦痛でしかなかった。そんななかで一番長く続いたのは、彼の闘病の記録ノートだった。最初は無印のノートに書いていたけれど、いつでもどこでも過去のデータを見られるようにとLifebear(カレンダー・日記・ノート・ToDoを無料でスケジュール帳に管理できる手帳)というものにシフトした
毎日毎日感染者数が増えてしまって…見ない方が良いと分かっているのだけれどニュースばかり見てしまって…郊外の私の地域でも10人以上…割と近くで感染者が出ている事も分かり電車に乗らなければ大丈夫と思い過ごしてきたけれどもう何処の地域でかかってもおかしくは無いのだな、と不安になります。他の方も書いていましたが…もし夫が大動脈解離の手術後、亡くならずそのまま仕事も復帰していたとしても、都心まで40分の満員電車に乗って通っていたらコロナウィルスにかかってしまっていたかもしれない…夫の会社はまだ
*自己紹介と私の人生を変えた2年間の時系列記事はコチラ**上記時系列記事を、死産/うつ病経験のまとめでテーマ別に再整理しました**天使ママ・パパの為の自助グループリスト(地域別)を作成しましたのでご活用下さい⇒その①、その②**読書記録を「学び」のテーマでまとめています。グリーフケアについて、週末に見つけた言葉メモ。●「グリーフワーク」という特別な活動があるわけではない。「悲しみと共に生きられる自分」になるまでの日々の暮らしそのものがグリーフワーク●泣いても笑
お久しぶりですすっかりブログを書くことも読むこともちょっと留守してましたコロ助のせいですイランことばかり考えさせられますそれに一人になる時間がない!またチビが私から離れなくなりました大御所の師匠が亡くなりましたそれからチビはフラッシュバックしたのと大好きな人がまた亡くなったから私が居なくなるお姉ちゃんが居なくなると思って離れると怖くなりましたチビと二人で大声で泣きましたきよCが俺もうすぐ一年俺が悪かったとチビに来たのかも知れません大御所さんの突然の死がきよCと
お義母さんの友達のご主人が亡くなった。入院1ヶ月半ほど。最期に家族が面会ができたかどうか不明。葬儀を身内だけで済ませた後、電話が来たそうだ。「もう泣いて泣いて慰めようがない」そうだろうなぁ。私は「コロナが収まるまで訪問はしないように」と。「常識はずれじゃないか、不人情じゃないか」と気にするお義母さん。「嫁に止められたと電話すればいい」と言った。確かに冷たいかなぁ…でもあちらも高齢者で、お義母さんは喘息と不整脈で高リスク。どちらかが感染したらと思うと怖い。今は仕方ないよね。