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第一巻の圧巻は、安政諸流派試合で、竜馬と桂小五郎との試合であろう。3本勝負で2対1で竜馬が勝つ。喜んだのは、同郷の武市半平太であった。
今日から新しい大河ドラマ[どうする家康]が始まりますね[徳川家康]さんは日本の歴史上最もカリスマ性がある方だから正直歴史上の人物としてはかなりの好感度が高いしかも家康さん大河出演率が高いそれについて言えば豊臣秀吉。織田信長もいい勝負松潤には悪いけどその点は誰がやっても家康さんに助けられる家康さん、これで3回目の主役だから今回の大河一番楽しみなのは岡田准一さんがあの織田信長をどう演じるか?だって「軍師官兵衛」で散々信長にいじめられてた(ちなみに軍師官兵衛ここ最近の中で主演俳優の
『2022年末旅行②大阪の夜から城崎へ』『2022年末旅行①新幹線でユニバへ』年末年始は8連休!!!で、すでにもう4日目です…半分が終わってしまう…休みはなんでこんなに早いのだーーっっ8連休前半戦は…ameblo.jp城崎温泉に到着〜!!!駅前に蟹さん出現素敵な街並みですうふ…蟹さん…城崎温泉駅から宿まで10分ほどでしたかね本当に素敵な街並みでテンション駄々上がりでした!!この日はこちらに泊まりました城崎温泉桂小五郎ゆかりの宿つたや-宿泊予約は【じゃらんnet】館内に散り
川西政明(75)/鞍馬天狗「『天皇の世紀』」(初版・2003/8/20)(岩波新書851)735円-岩波書店220p『すばる2003年2月号』伊勢崎/
先日、中村武生先生のオンライン講座池田屋事件関係史料を読む第4回『事件前後の桂小五郎書翰など』を受講しましたオンラインでのご講義を拝聴するのはこれが三度目ですが色んな史料をみせていただく中でやっぱり人物によって、手蹟だけでなく文章の癖もあるんだなぁ…と感じるようになりました。そんな当たり前のことなんだけど大切なことにいつも気づかせてくれるのが中村武生先生のご講義の素晴らしさだと思います(*˘︶˘*).。.:*♡講義の後にアップしてくれるアーカイブ動画を見て復習するの
正観さんによると…。(そ・わ・か~掃除・笑い・感謝で幸せになる~)●上級者の笑いとりあえずハハハと笑っておいて、笑い終わってから一緒に笑っていた隣の人に、「今のは何がおかしいんですか?」笑っていた隣の人が、「私もよくわからないんです」これが上級者の笑いです。そういうふうに、なんでもいいから笑っていると、「喜ばれるとうれしい神様」を味方につけることができます。(イラストはネット画像です)📚マンガ世界の偉人「坂本竜馬」~伊藤伸平朝日新聞出版📚
池田屋事件で新選組を描いた物語は数多ありますが、当然、新選組に斬られた方がいるわけで。そっちはフォーカスされる頻度が少ないかもしれない。この本は、池田屋で新選組に襲われた方を一人ずつクローズアップした小説です。伊東潤さんか・・・期待は高まるわ。各話で主人公が入れ替わる連作短編になっているので読みやすいのはもちろん、それぞれパズルのピースを嵌めるような感覚で、全て読み切ると一つの出来事が完成する構造でして、大変楽しめました。ここでは新選組はガラの悪い殺人集団なので()それとわ
2022年12月7日『合格率80%以上京都検定3級直前大人のためのワンコイン勉強会』この日、ココロはこの勉強会に事前に申し込み、参加することとした。せっかく京都まで出てくるんだから………と、ココロは少〜し早く奈良を出発し、京都の幕末の史蹟巡りをするために、地下鉄『市役所前駅』を下車した………まず最初に到着したのは…………【京都ホテルオークラ】西側にある………【桂小五郎(かつらこごろう)像】桂小五郎は、吉田松陰の門下生で長州藩における倒幕派の中心人物。【京都ホテルオークラ
木戸孝允旧跡。京都市中京区末丸町284−3木戸孝允旧邸。京都市中京区末丸町284−7維新の指導的政治家であった木戸孝允(1833~77)は明治政府高官となり,鴨川畔の近衛家邸を買い取り京都別邸とした。明治10(1877年)5月19日,京都別邸で危篤に陥った木戸を京都滞在中の明治天皇が見舞いに訪れたが,木戸は同月26日に死去。この邸には孝允没後その子忠太郎が住み,昭和18(1943)年京都市に寄贈され,現在は市職員厚生施設となっていて,敷地南端部分に孝允が没した木造二階建て家屋が残る。この
吉田松陰先生降臨つづく
シーボルト父子伝の長崎公演に向かう道中でもお詣りさせて頂いた松陰神社へ多数の才能を輩出した、明治維新胎動の場所松下村塾熱気渦巻くと思いきや、松陰先生の教育方針を表すが如く非常に爽やかで心地良い風を感じる場所です
空港からは一路萩へ早速偉人たちが出迎えて下さいましたシーボルト父子伝に登場する伊藤博文公も松下村塾には綺羅星の如く英傑が集います人は人と出会い、関係し、影響し合うからこそ飛躍的に成長を遂げるのだ。才能は各時代様々な場所に点在するのではなくて、ある時代、特定の場所に多数現れるのが歴史の常地サイダー飲んで、その才能が大挙して現れた地、萩に入ります。
小宴会つづく
12月6日午後清水寺からは徒歩づくし^^参道から二年坂を歩く、趣がある。雅パワーをいただき、歩き方も幾分、摺り足となる(笑)ここから、ねねの小径へ(ねねは豊臣秀吉の嫁さん^^)そして、晩年、ねねが過ごした高台寺へ美しい~ねねはここに住んでたわけではなく、毎日、ここに通っていたそうだ~古参兵にも寺を建ててくれんかのう(笑)また、摺り足で歩く霊山護国神社かなり登る~足にくる😢坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓さすが、桂小五郎~長生きした分だけ、お墓も大きい!そこでふと思う~京
■桂小五郎:かつら・こごろう(1833~1877)□前編・後編・完結編西郷、大久保、と並ぶ維新三傑の一人。長州藩のリーダー的存在で、倒幕に全力を注ぐ後輩達をひたすら(物陰から)支える・・・。吉田松陰からは「う~ん、才はあるんだけど度胸がないねぇ」との厳しい評価をくだされ、また実際刀を抜いて闘った事が無かったため(剣の腕は超一流だったにも関わらず)世間から「逃げの小五郎」という称号を賜ってしまった。坂本竜馬の仲介で、大っっ嫌いな西郷隆盛と薩長同盟を結び、ついに徳川幕府を倒
【食育クイズ:Vol.1120】「京都府」の「長州藩邸跡地」おさらいクイズ!禁門の変で焼失した長州藩邸跡地に立っている長州藩士の銅像とは誰?∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽【食育クイズ:Vol.1119】(「京都府」の「竜馬暗殺」おさらいクイズ!竜馬暗殺の舞台となった京都の場所とは?)の↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】この「龍馬暗殺」事件だけでは無く、「幕末」から「明治維新」に到る
先日(11/6-9)、妻と京都旅行に行きました。巨大な輝き像都津川屋敷跡京都市歴史資料館京都御所鴨川旧京都中央電話局上分局銅駝会館の地下水京都市立銅駝美術工芸高等学校草間彌生の母校で、もうすぐ移転するそうです。だるま堂日本銀行京都支店桂小五郎の像前田又吉翁と伊藤博文公の像一之舩入島津製作所創業記念資料館がんこ寿司本店善導寺11月9日に京都からグリーン車で帰京しました!京都応援クーポンでいろいろ買物しました!(=^x^=)
さてさて…………いよいよ『時代祭』の行列巡行がやってきた【時代祭(じだいまつり)】10月22日に執り行われる【平安神宮】の例大祭に付属する年中行事。神宮創建と平安遷都を祝して明治時代より始められた『京都三大祭り』のひとつである例大祭は桓武天皇の平安遷都を記念するもので、神宮から二基の神輿を京都御所まで神幸させ、建礼門前に仮設した行在所において祭典を執り行う。同日(10月22日)の午後、ふたたび【平安神宮】へ還御する際、これら神輿の帰り道を先導する形で行われる風俗行列を『時代祭』と呼ぶの
佐藤健主演最終章2部作の第2弾第1弾の不満点が解消されたと共に幕末時代の緋村剣心の原点である人斬り抜刀斎をよく知ることができた原作を読んでいる人にはファイナル→ビギニングでも良いのかもしれないが映画を観る人は必ずしも原作を読んでいるとは限らないので(わたしも未読)ビギニング→ファイナルの順の方が万人に対して親切な気がするし最後の最後は武井咲をはじめとするレギュラー陣で締め括って欲しかったなぁ
おはようございます(*--)(*__)ペコリ本日も正八幡宮の裏参道の事を書いていきますね~.+:。ヾ(◎´∀`◎)ノ。:+.最初の裏参道から延びる道を歩いて行くともう1本参道があるのに気が付きました(*゜д゜*)ヘェーその道から参拝すべく裏参道の入口を探しますキョロo(・ω・=・ω・)oキョロ歩く事10分弱裏参道の入口に辿り着きました(*゚∀゚*)この参道は現在も使われているのだろうか?σ(´・ε・`*)まずあったのは自然石を使ったと思われる石燈籠です(≧∇≦)b建立時
初日は1日バス券で移動バスマップを見てGoogle検索もしつつ時間を確認しながら動くので、ちょっぴり太川陽介&蛭子能収さん出演の路線バスの旅気分?!^^;京都にはこれまでお花見や紅葉シーズンにくることが多かったので、いつも混雑ぶりが凄かったけど今回は花見でも紅葉でもないので凄く混雑ということはなかったけど、かわりに修学旅行生達に多く遭遇しました(・・;)それはそれでちょっとなんだかですが、コロナで中止にならずに思い出が作れてよかったですね金閣寺観光のあと清水寺への中継で、京都市役所前で下
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【慶喜と対峙した勝】前回の続きです。大阪にいた勝が京の一橋慶喜から上京を命じられた書状を受け取ったのは、慶応二年(1866年)8月14日夜のことでした。通知する書面には「至急の御用の向きこれあり候間、不快に候とも押して上京致すべき」との一見強引にも思える文言が見えます。慶喜は自らの見込違いにより窮する立
2021/6/16投稿『木戸孝允誕生地』に来ました。\(^o^)/木戸孝允(きどたかよし、天保4年6月26日(1833年8月11日)-明治10年(1877年)5月26日)は、日本の幕末から明治時代にかけての政治家[1]。号は松菊、竿鈴[2]。明治維新の指導者として大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる[3][4]。少年時代は病弱でありながら、他方で悪戯好きの悪童でもあり、萩城下の松本川を行き来する船を船頭ごと転覆させて快哉を叫ぶという悪戯に熱中していた。ある時、
直の上司が隣で不機嫌だったらたまらないうちの上司はちょっと痛い系🤏やたらと激昂なさるし、気分の振り幅が大きく、本人は冷静に判断してるつもりだけど、まー言ってることがいつも違ういちいち相談しないと後で「聞いてない!」みたいな話になるので、こっちは対応が面倒昨日も無理難題を振ってきやがった。最近は自分も深呼吸するようにして、なるべく対抗する気持ちを持たないようcalmdownしていたが、ちょっと昼前でお腹も空いていたこともあり、限界を感じ席を外した36計逃げるにしかず💨って諺があるけど、ま
生死は度外に措きて、唯だ言ふべきことを言うのみ吉田松陰幕末の思想家で教育者の彼は、私塾の松下村塾を主催し、高杉晋作・桂小五郎・伊藤博文などを輩出し、明治維新の原動力を作りました。彼は、日米修好通商条約を結んだ幕府を批判し、老中暗殺計画をし、危険分子とされ、井伊直弼の安政の大獄で死刑を命じられました。死刑の年、牢獄から弟子の高杉晋作に当てた手紙の中で書いたのがこの言葉です。高杉はこの
吉田松陰の下宿先へ来た、桂小五郎に吉田松陰はロシア船に乗り込むため、長崎へ行くと打ち明けたが、その秘密話を天井裏で聞いている者がいた。翳り(かげり)が、桂小五郎に付けた、翳りの分身だった。翳りは、元女忍者で、この当時、分身の術で、自分の分身を、いろんな場所や人物に付けていた。【翳りが誰か、解らない方は、幕末篇以前の時空の彼方へ。をお読み下さい、もしくは、時空の彼方へ。1話をお読み下さると、翳りのことが解りやすいと思います】天井裏で2人の話を聞いていた翳りの分身は、『あの吉田寅次郎と
お笑い歴史小説1分で読める人妻小説2話・7人の人妻が妊娠~桂小五郎・7人の人妻に恋をして石川五右衛門の真実7人の人妻に恋をして...11...7日7晩で7人の人妻が妊娠~桂小五郎勤皇の志士の桂小五郎というのは「逃げの小五郎」とか「人妻殺しの小五郎」と京雀の間では有名な噂になっていました。桂といえば芸妓の「幾松」との愛が歴史的には有名だが、その小五郎が幕府や新撰組から追われて丹波の出石まで逃げたときのことです。京から山陰街道(国道9号線)を北へ、最初に匿ってもらったのが亀岡の
A級戦犯になるはずだった岸信介は本当なら銃殺刑のはずだったでも、彼は助けられた一人の虚偽証言により命を救われたたぶん虚偽証言をしたのは木戸という大臣木戸って、もしかしたら桂小五郎の子孫かなだとしたら、岸信介と同じ山口県長州藩士たちは仲間だもんなぁ明治維新後、日本の舵取りをしてきたのは山口県出身者なんだと思う昔、佐藤栄作も国会答弁で嘘をついたことがあったアメリカ船が寄港したときに核は積んでいないとか言って答弁してたけど、確か積んでいた日本のためになると思
タイトルの前に^^)今週の虎太郎^^)↓ようやく涼しくなった山口県ですけど、虎太郎は暑いのが好きなようです^^)そして我が家の庭の「ピンクのノウゼンカズラ」^^)↓我が家には三種類ノウゼンカズラがあります^^)それから畑の「カボチャ」^^)↓そして「オクラ」^^)↓巨大ですけど柔らかいです^^)話は変わりますけど、2022年の最低賃金を厚生労働省の中央最低賃金審議会小委員会が全国加重平均で31円(3.3%)引き上げて961円にする目安を