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木戸孝允(桂小五郎)旧宅も入館料は100円でした。木造瓦葺の2階建ての家は中に入ると誕生の間や、幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されおり、2階は立入禁止になっていました。
木戸孝允(桂小五郎)旧宅に到着しました。木戸孝允は、天保4年(1833年)、萩藩医和田昌景の長男として生まれ、藩士桂家の養子となり桂小五郎の名でも知られているそうです。藩校明倫館に通って吉田松陰の兵学門下となり、文久2年(1862)藩の要職に就き京へと出て国事に奔走、慶応元(1865)年、藩命により姓を木戸と改め、翌年、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと薩長同盟を結び明治維新に尽力、維新後は、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などの推進に功績を残し、明治10(187
昨日の兵庫県豊岡市は38℃と今年初の猛暑お墓の掃除をしてもう汗がダラダラ街歩きも暑くて暑くて観光協会の所にEV車があったのでお父ちゃんに乗ってみようよ30分1650円〜私は出石はまあまあ分かるのでお父ちゃんに案内しながら運転私達の右手にチラッと見えるのが出石城跡出石城は桜🌸が綺麗な所です宗鏡寺通称沢庵寺も何処を曲がったら良いのか分からなくておばさんに尋ねるとおばさん自転車で前を誘導してここ→と指差してくれたので坂を上って行ってきましたおばさんの自転車の
安芸高田市は若い市長と多数派である古くからの市議会議員たちとの対立が時々ニュースになりますニュースが映し出すのはエキセントリックな部分が多く外部の者には全体像がよくわかりませんが市長を応援する市民も多いようですこの川が可愛川(えのかわ)江の川の源流になり三次市で三川合流して大きく向きを変え日本海へ注ぎますさて・・安芸高田市は毛利元就の郡山城があったところで中世には毛利家を取り巻く家々の山城が点在した地域です国道54号線沿いに桂城跡と星ヶ城跡の看板があり
2023.6.23(金)19:00~21:00愛知県芸術劇場・小ホール幕末新撰組奇譚、新撰組が女に、幕末動乱とは何だったのかサブタイトルを見てなんとなく、この芝居の展開の面白さを感じた歌って踊る場面もあるのでミュージカル仕立てなんですがやはり一番の見せ場は殺陣の処新撰組に二人のリーダーはいらない結着を付ける時がやって来るいずれそうなると思っていたが、いざ真剣勝負となると非情な場面となるそれにしても見事な殺陣ですこれ
#幕末#長州藩の#史実#清水親知#難波覃庵の物語#桂小五郎#伊藤博文に慕われた22歳で#自刃する。仲間の為に#山口県#光市の史実です!#倒幕に深く深く関わっているのに縁の下の力持ちだったため無名に近いが、#清水親知#難波覃庵がいなければ倒幕には繋がらなかっただろう。長州藩に勝利をもたらした2人をどうぞごらんください。魂の約束第2話#幕末の#長州藩の史実長州藩#寄組#清水親知があたためて、期をうかがい#討幕を仕掛けるまでの影の道の
幕末の藩士の史実当時の資料も織り交ぜた物語魂の約束1#幕末#長州藩の史実長州藩#寄組#清水親知があたためて、期をうかがい#討幕を仕掛けるまでの影の道のりを#清水家#家老#難波伝兵衛(#覃庵)の記録を織り交ぜて動画を作成しています。#桂小五郎#高杉晋作の上司#清水親知の魂の叫びを子孫の私が作成します。#歴史で認められていない蔵にあっ...youtu.be#幕末#長州藩の#史実#清水親知#難波覃庵の物語#桂小五郎#伊藤博文に慕われた22歳
個人的趣味で奥羽越列藩同盟のことを調べているのですけど、メインとなる大藩以外はなかなかソースが少なくて調べづらい。(そして、知らない人物ばかり出現し、どマイナーになってゆくので自分の頭もついていけない)今まで会津、庄内、長岡、二本松、米沢、仙台(+三春とか新発田とか)を渡り歩いてきましたが、これは珍しい、盛岡藩の本。盛岡藩は、藩内の論戦で紆余曲折はありましたが結果的には最後まで列藩同盟に従い、戦後は賊軍となった藩ですね。主人公は楢山佐渡(幼名茂太)という、盛岡藩の重臣です。
山口県山口市に鎮座。『木戸神社』西郷隆盛・大久保利通と並び「維新の三傑」と称された木戸孝允(桂小五郎)を御祭神に持つ神社。1877年木戸孝允は臨終の際「糸米村にある木戸家の住宅と山林を糸米村に寄付し村民の学資に充てるように」と遺言を残した。孝允死後、長男正二郎は遺言に従い寄付。これを感謝してしのんだ村民たちが邸宅跡に祠を建立したのが始まり。御朱印いただきました~(今八幡宮で授与)
「池田田事件」戦う時の判断みなさん、おはようございます昨夜の満月はご覧になられましたか新しい週の始まりですいいスタートを切ってくださいさあ、今日「6月5日」の國史を学びましょう「池田屋事件」元治元年(1864年)新選組による尊王攘夷派の弾圧です八月十八日の変により主流となった公武合体派(天皇と幕府を一体化する)は長州藩など尊王攘夷派を京都から追放します復活を企てる尊王攘夷派は旅籠「池田屋」で同志による集会をしていたところを新選組は襲撃
「木戸孝允」西郷、いいかげんにせんかいみなさん、おはようございます週末です今日は笑って過ごしたいですさあ、今日「5月26日」の國史を学びましょう「木戸孝允、没」明治10年(1877年)西郷隆盛、大久保利通とともに維新三傑と言われます西南戦争の途中「西郷、いいかげんにせんかい」と、西郷と政府の両方を案じなが息を引き取りました長州藩出身の剣豪、木戸孝允こと桂小五郎は藩校、明倫館で吉田松陰の教えを享受します松下村塾の塾生ではありません
おはようございます。今日から七十二候が変わります。【紅花栄】(べにばなさかう)紅花の花が咲きほこる頃。紅花は染料や口紅になり、珍重されました。紅花とは出典Wikipediaベニバナは、キク科ベニバナ属の一年草または越年草です。紅色染料や食用油の原料として栽培されています。原産はアフリカのエチオピアといわれ地中海やエジプトを通り世界へ広まりました。紀元前2世紀頃には北方の遊牧民族の匈奴へ伝わり甘粛省付近で栽培されていましたが、漢の武帝がこの地を占領した後漢の時代(2-3世紀頃)に
3つ前の当ブログで書いたように、映画『男はつらいよ』シリーズ(1969~2019山田洋次監督ほか)では帝釈天の寺男「源公」を演じた佐藤蛾次郎さんは、それに先立つテレビ版『男はつらいよ』では寅さん(渥美清さん)の義弟・裕次郎の役でした。この「裕次郎」というのは当然「石原裕次郎」さんを連想させますが、では渥美清さんが演じた「車寅次郎」の名前にはどういう由来があるのでしょうか。江戸時代の非人頭「車善七」さんと、松竹の大先輩で喜劇映画の名手「斎藤寅次郎」監督からとったというのが通説ですが、別の説も
おてもやんです。神社で「生命の言葉」をゲットしました!木戸孝允と書いてますが私には桂小五郎の方が馴染みが深いです。新選組のライバルなんで作品に必ず出てきます。人の良いところは真似したいですね。会社員時代、「ありがとうございます」が口癖の社員がいました。とにかくなんでもかんでも「ありがとうございます」「ありがとう」と毎日何度も何度も言うんです!さらには、笑顔。いつも笑顔。とにかく笑顔。常に口角が上がってます。そういう人ってやっぱり愚痴や悪口言わないし挨拶も毎日
福徳稲荷神社など山口県の神社を何社か参拝して回った令和3年の話ですが。目の前を山陰本線,山陽本線が通る小高い場所に鎮座する櫻山神社へ参拝へ行きました。社号標には「櫻山招魂社」とあります。一の鳥居から階段を登ります。階段を上ると二の鳥居があります。拝殿です。一の鳥居から拝殿までの参道には、「錦小路頼徳」「奇兵隊」「吉田松陰」「高杉晋作」「八幡隊」などののぼり旗が立っています。拝殿前左には、明治維新百年を記念して1968年に建立された明治天皇勅宣碑(長門國櫻山招魂
4月もはや半ば。桜もとっくに終わってしまあましたが、今月の言葉です🌸今月は吉田松陰の教え子でもある木戸孝允(桂小五郎)の言葉。人の良いところを取り入れ、自分の悪いところをやめる。人の長所を取り入れ、自分の短所を補う。そんな言葉です。言うのは簡単ですが、なかなか自分の欠点に気づくのは難しいもの。他人の長所を見つけて真似る事で、自分の短所に気づくかも知れないですねコミック版日本の歴史幕末・維新人物伝木戸孝允Amazon(アマゾン)1,
今回朝ドラ、大河ドラマより面白い松潤には悪いがなんかツッコミたくなるお市の方と家康?(前回赤ちゃんの茶々を連れ合いに来る無理がありすぎて、お粗末)明智光秀と家康の関係?(前の女城主直虎で光秀の子を家康が知っててわざと信長の子として預かる、きっとこれはなかっことに)脚本もさることながらもう少し家康さんを研究欲しいちゃっちい内容せっかく良い俳優さんたちを使っておきながら、主役の松潤も瀬名姫の有村架純もそのイメージではない(悪いと思うが私は個人的にそう思う)大河ドラマ次は平安時代(珍しい
『司馬遼太郎が語る日本』ー司馬遼太郎●長州人は友情が深かったー①桂小五郎はたいへん身分の高い侍で、伊藤俊輔はとびきり身分の低い家の出でした。長州藩士とは言えないような身分なのですが、京都でよその藩士とつきあうためには、藩士の身分が必要です。そこで桂は藩に届けを出します。伊藤は自分の「養い」であると申し出た。「養子」とまではいかないが、自分の係累として扱い、ともかく侍身分にしたのです。そのとき桂小五郎が言っています。「これで、私と君では上下がなくなる。同格の友人である」桂が伊藤に
こんばんは今日から4月🌸新年度が始まりました✨春のセンバツは山梨学院が優勝しました🏆山梨県の優勝も初だそうで、おめでとうございます㊗️さてさて、今日から「つつじまつり」が始まった氏神様の根津神社さんに御朔日詣りへ🙏✨東京都神社庁の生命の言葉、シェアさせて頂きます🙇♀️木戸孝允人の巧(こう)を取って我が拙(せつ)を捨て人の長を取って我が短(たん)を補うほかの人の良いところを取り入れ自分の欠点を補うことが大切である『吉田松陰宛書翰』木戸孝允(きどたかよし)天保四年長州で藩
『歴史の中の邂逅(かいこう)3』-司馬遼太郎●吉田松陰について-①✪明治維新というのは、藩というものが情勢推進のエネルギー源になったのが、フランス革命と違っている。ところで、その初動期ともいうべき安政年間のある時期までは、長州藩は動いていない。「時務」のために動いていたのは、水戸、薩摩、越前、土佐などであり、長州藩はただの大名であったにすぎない。吉田松陰という、29歳で死んだこの人のことを考える場合、このことをまず頭に入れておかねばならない。長州の暴走がはじまったのは、この松陰が松
…江戸期、何藩の藩邸が在ったか?河原町御池の北東に藩邸を設置していたのは、長州藩である。元治元年7/19の禁門の変(蛤御門の変)の戦火は長州藩邸には及ばなかったが、京都留守居役の乃美織江(ノミオリエ)は、藩邸に火をかけて焼き、西本願寺に逃げ込み、その後、帰国した。
ニットの服、洗濯後はどう干してる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう家であまりニットを洗濯しませーん\(゚∀゚)/たまに洗濯した時は魚を干す時使うような?網の上に広げて干してますよ(๑´ლ`๑)そー言えば先日、ローソンで鬼滅の刃のクリアファイル1枚だけもらってきました♡一番くじはお皿でした(♡・꒳・)人(・꒳・♡)先日買ってきたのは昨日記事でご紹介した好きな漫画の『夜は猫といっしょ』のキュルガ靴下ですまたアニメ観たいな(*´◡`*)そして今
(その1から続く)三条大橋から三条通りを70m西へ行った信号機のある交差点で交差するのが有名な木屋町通りです。通りの西側には森鴎外の小説「高瀬舟」で有名な高瀬川が通りに沿って北から南へと流れています。この木屋町通りを左折して南下すると材木町を経て300m先が土佐藩邸跡です。逆に右折して北上すると、土佐勤皇党の吉村寅太郎や武市瑞山(通称半平太。司馬遼太郎著『竜馬がゆく』を読んだ人ならお判りでしょう。)の寓居跡、高瀬川を挟んで姉小路橋の向こうに池田屋事件の頃に桂小五郎(のちの木戸孝允)が潜伏
帝都争乱サーベル警視庁(2)[今野敏]楽天市場1,760円まだまだ不穏な明治38年。長州閥の中でも派閥争いがあるようで…。手駒にするつもりでいた桂小五郎に、裏切られた山縣有朋。このまま大人しく引退するようなタマではありません。そんな中、冒頭が起こり、桂の妾宅で殺人事件が起こります。殺人犯は誰なのか?おぼっちゃま探偵と子爵令嬢、斎藤一改めて藤田五郎が活躍します。最後に関係者が大陸へ飛び出していく様は、現代のように政治が低迷していても、まだ外に希望を見出せた時
喉風邪引きました。ちょっとでも咳をすると警戒されそうで怖いですね。木戸孝允(桂小五郎)生年月日1833年8月11日(日)日干支乙丑同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)・ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)1503年12月14日・足利義輝1536年3月31日・前田利家1539年1月15日・小笠原忠真1596年3月26日・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト1756年1月27日・渡辺三郎1880年12月2日
1日の終わりに哲学でアモールファティ(運命愛)を深めるひと時。令和哲学者Noh先生とチームで開催している令和哲学カフェ。人といるより、PCやスマフォと戯れている方がおもしろい。AIが進化するほど、そうなる割合が大きくなる可能性が高い。AIに学び、癒される。人間の再規定が必要な時。「SAMURAIを哲学する」月曜日:宮本武蔵の冨沢亮太さん火曜日:新渡戸稲造の塩見典子さん水曜日:坂本龍馬の荒牧明楽さん木曜日:吉田松陰の原田卓さん金曜日:葉隠の長岡美妃さん
今夜も令和哲学カフェを視聴しました。令和哲学カフェ#632☕️令和哲学カフェのご案内☕️令和哲学カフェ今ここスッキリBeyondEverything時代のパラダイムが大きく変化しています。新型コロナウィルス感染拡大、そしてAIの台頭。今までの当たり前や常識が大きく揺さぶられ、「哲学」や「軸」がなければ、環境に左右され、変化に対応するだけで精一杯になってしまいます...youtu.be水曜日は、坂本龍馬の回。SAMURAI哲学は今週が最後なので、坂本龍馬も今回が最後です。今回は西郷隆