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1977年11月19日米国カルフォルニア州ロスアンゼルススポーツアリーナWBA世界バンタム級タイトルマッチアルフォンソ・サモラVSホルヘ・ルハン※メインはクエバスVSエスパダのWBA世界ウェルター級タイトルマッチサモラ:29勝(29KO)1敗23歳王座5度防衛中ルハン:16勝(9KO)2敗22歳1R、スタート。当然ルハンは足を使いスタートするが、サモラも同様のステップでは負けていない。お互い自身の的位置を変化させ、探り合う。先手を繰り出したのは、ルハン。右
拙ブログ「現地観戦ベスト」の中で17位にランクさせて頂いた一戦。1984年11月8日後楽園ホール日本バンタム級タイトルマッチ今里光男VS西村貴晴今里:18勝(9KO)7敗23歳※王座4度防衛中西村:9勝(4KO)3敗23歳奇しくも長崎県出身同士の対決。1R、今里左ガード下げ、のらりくらりとしたリズムから左を突く。西村も今一つ踏み込めていなかったが、ワンツー&右の打ち下ろしをヒット。気の強い今里はワンツーを返す。10-9今里2R、ファーストラウン
1980年6月11日日本武道館WBC世界バンタム級タイトルマッチルペ・ピントールVS村田英次郎ピントール:41勝(34KO)5敗25歳※王座1度防衛中村田:16勝(10KO)1分け23歳1R村田足使い左。一見村田の左が目立つが、やはりピントールの左は巧い。村田やや浅いが右ストレートヒット。その後、左フックも当てる。ピントールと同時に繰り出したパンチは、ピントールのみヒットも村田巧くごまかす。10-9村田2R、スピードで上回る村田。ピントールの打ち終わり
久々の更新ですね・・・。野球、相撲ボクシングとスポーツ興業の再開も徐々に進んでいきあとは井上尚弥の試合が早く決まってほしいと切に願う今日この頃です。これまた久しぶりに仮想対決という妄想遊びですが意外に聞いたことがない村田英次郎-辰吉丈一郎を考えてみました。村田英次郎といえばKOパンチも持ち合わせた討たれずに打つテクニシャンでファイティング原田以来のバンタム級王座に就くことは私も含め多くのファンが信じて疑っていませんでした。事実、東洋では無敵でOPBFは危なげなく12度の防衛を
自粛期間中自らの観戦歴を振り返る意味もあり、今までの「現地観戦」「リアルタイムTV観戦」「海外ビデオ観戦(試合後1年以内に視聴したもの)」「今まで見た映像、現地観戦全て」のベストと言うか想い出の試合を記して見る。※中には世間での評判が良いので、自分の評価を寄せているのかも知れないが、なるべく主観で??実質初観戦~ほぼ1999年までになっている点ご容赦。まず現地観戦ベスト他は?1位:1986年7月:浜田剛史VSレネ・アルレドンド初戦(WBC-JW)2位:198
ビデオを見る時に優先順位がある。①結果を知らない世界戦。②現役世界王者の試合。③未見の日本人クラシックファイト④未見のヘビー級ファイト以下、省略。ドキュメンタリーは下の方。私は試合が見たいから。で本題。異動のシーズンの為、引き継ぎ等で毎年4月は忙しい。飲食店には気の毒だが今年の歓送迎会は自粛。酔わずに帰れる上、土日が暇なので未見のビデオから何を見ようかな、と漁っていたら優先度の高い未見の日本人クラシックファイトが出てきた。海外とは違い、国内クラシックは入手と同時に見ているはずな
ボクシング・ビート誌で好評連載中の石井一太郎「会長の日々」今月号に気になることが書かれていた。9月13日に行われた伊藤雅雪再起戦は満員になったが、試合後に後楽園ホール事務室にて「お客を入れすぎ」とお咎めを受けたとの事。当日会場にいた。ボクシングマガジンにて当日の観客数をチェックすると2005名。正に収容観客数の上限だ(座席数は1403)。近年は消防法で通路に観客を座らせない為、この2005名以上入れてはいけないという事らしい。13日の興行はこのキャパを上回ったの
ボクシング専門誌購入。表紙は「ボクシングマガジン」:ロマチェンコとクロフォード「ボクシング・ビート」:村田諒太未だ斜め読み状態だが、「ボクシングマガジン」表紙の二人(ロマチェンコ、クロフォード)を国内トップ選手らが語る。「PFP」増田茂氏がPFPの評価法をわかり易く解説。「体重同一時」のキーワードが誤解され・・・。自分もしばらくの間誤解していた・・・。「各世界戦展望」:何故か続く挑戦失敗。この挑戦カードの中でも期待できるのは、木村翔位だな。早いところ嫌な流れ
こんにちは。今日は昭和の名ボクサーシリーズ(いつからシリーズになったんだ?うぷぷ)その名も村田英次郎引退後は井岡さんのトレーナーも努めました。ケサランも村田さんの試合は当時テレビで見ました。その頃、すでに後楽園ホールにも行ってたので、記憶にはないのだけど、村田さんの試合見てるかも!?なんせOPBF王座を12度も防衛してますからね打たれ強かった磯上秀一さん(当時、バンタムで活躍された武骨で超ストイックな選手)も村田さんには力の差を見せつけられました。ボ
3月16日、岐阜で田中恒成VS田口良一のWBO世界フライ級タイトルマッチが行われる。この対戦、2年前なら田口が押し切っていた可能性も有るが、現在の力量は田中が一枚上手。「地元開催」の利も有り、田口にポイントが流れることはないだろう。ただこの試合は間違いなく、白熱した好試合になる。それも田中VS木村の様に歴史に残る激闘となる可能性も有る。挑戦者田口はフィジカルを前面に出し、肉薄していくだろうが、サイドに動け、スピードのある田中のパンチを中から浴びてしまうだろう。
先日TBSで放映された「香川照之が見たボクシング5万試合で一番魂が震えた試合」映画「七つの会議」の番宣だったけど、内容は非常に面白いものだった。超絶マニアの香川が選んだ一戦は、1976年10月10日に行われたWBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ具志堅用高VSファン・グスマン。言わずと知れた具志堅の戴冠戦。VTRを見ながら香川ワールド炸裂。当時、新設クラス云々と揶揄されたが、現在に比べればかわいいもの。やはりこの一戦のクオリティは高い。当時は6オン
私の学生のころのボクシング雑誌が出てきた「ワールドボクシング」昭和59年2月号懐かしい選手が沢山載っているその中には、村田英次郎選手の記事が全盛期のころ間違いなく、世界チャンピオンになれると思った選手だが1980年6月11日WBC世界バンタム級王座に挑戦。王者、ルペ・ピントール(メキシコ)と15回引き分け1981年4月5日WBA世界バンタム級王座に挑戦。王者、ジェフ・チャンドラー(アメリカ)と15回引き分けhttps://www.youtube.com/watch?v=xKV
帰宅途中に立ち寄った本屋で「ボクシングファンの教科書2018~2019」を購入。中に興味深い記事が団体乱立時代の現代において死語と成りつつあるいわゆる「無冠の帝王」誌面では記憶に残る「無冠の拳士19選(国内)」が紹介されている。実力だけではなく人気も加味した選考なので、赤井英和のような時代の寵児も選ばれている。自分が思い浮かべる「無冠の帝王」は、1位矢尾板貞雄2位関光徳3位村田英次郎次点田辺清、桜井孝雄海外では難しいが、1位ホセ・メデル
再びの地下鉄路線図を眺めると次の目的地の手前に国立競技場ほな今、日本を動かしている建設現場を見に行こうすげーーーでかい一周しようと思ったけどデカいし暑いしやめて三度の地下鉄そして52歳と7ヶ月にしてようやくこの地へ来たぜ日本の聖地澄みわたる空に鳥居が映える靖国神社ほんますごい靖国神社参拝を終えるころに頭の中でサンプラザ中野が歌うのだ~九段下の駅に向かう人の波僕は一人涙を浮かべて千鳥ヶ淵月の水面振り向けば澄んだ空に光る玉ねぎ~じゃ~こ
先日山縣孝行さんの事を記した時、後楽園ホールリングサイドクラブの重鎮達を思い出した。理髪一番の藤田さん。レストランポニーの平山さん。会長の小原工務店の小原亀吉さん。また角海老の鈴木オーナーや元日本王者中野吉郎の父親も同クラブ員だったと聞いている。80年代~90年代前半まで何かにとりつかれたように後楽園ホールに通った。ほぼすべての興行に足を運んだと思うが、常にリングサイドには藤田さん、平山さんのツートップが鎮座ましましていた。非常に有名なフレーズ「何にもしていな
以前に村田英次郎-渡辺二郎が見たかったと言ったことがありましたが、井上尚弥のバンタム級進出にあたり過去のその周辺の階級の名ボクサーたちのことを思い出してしまいました、井上尚弥と長谷川穂積らとの仮想対決は今度やるとしてもし村田英次郎が当時の1階級下の渡辺二郎と対戦したらどうであったか・・・・。渡辺二郎は14度の世界戦で12勝2敗でしたが2敗もそう明白に負けたわけではなく(だからと言って不当判定でもなく、とくにローマン戦は負けが妥当であろうとは思います。)衰えを感じさせることもなく最後ま
ボクシング、観戦したことある?▼本日限定!ブログスタンプ(笑)後楽園ホール行くと、チャンピオンやランカー選手によく遭遇しましたね〜!懐かしいです。ある時前の席に当時お気に入りのボクサーで、東洋太平洋バンタム級チャンプの村田英次郎選手が居て、思わずサインをしてもらいました。因みに村田さんの戦績は29戦24勝(15KO)2敗3分となっておりますが、世界挑戦4試合中2試合が引分けで、悲運のボクサーと言われていました。現在は、エディタウンゼントジムの会長をしてらっしゃいます。👊あなたもスタン
最近、村田英次郎さんの世界挑戦の4試合を見る機会がありました・・・。ほんとうに時代が少しずれてたら間違いなく世界チャンピオンしかも強いチャンピオンとして君臨できただろうと思います・・。ただ上記の4試合の中で最後の試合(1983/9/11)だけは極端に出来が悪い村田でした・・・。この試合だけをみた友人は「なんじゃあの弱い根性なしは」などと言われカチンときたことが思い出されます。しかし今振り返るとあの試合だけに関しては村田というボクサーは強いボクサーのイメージはないですね・・・・。