ブログ記事197件
幼少の頃の最初の記憶は、確か2,3歳だったと思います。母を庇うため両親の間に立ち、父親に向かって「止めて〰️😭」と泣き叫んでいる情景です。小さいので、二人の顔を見上げていました。今でも、はっきりと覚えています。それほど衝撃的で辛い体験だったのでしょう。父親は酒乱、今で言うDVでした。短気で瞬間湯沸し器みたいな性格です(笑)卓袱台を、3日に1回はリアルに引っくり返してましたから😅いきなり沸騰です💣何が原因で怒るのかは父親の機嫌次第だったので、2,3歳の私には理解出来るはずがありません。
わたしの一番最初の記憶は赤ちゃんの頃、父に入れてもらったお風呂です父がわたしの首の後ろに手を回して耳をすごく押さえつけるので首と耳の後ろがとっても痛くてだけど痛いからやめてという言葉が分からなくてわたしはその時、かなりもがきましたジタバタして泣きましたそれが一番最初の記憶ですそれから4、5歳の時でしょうかたぶんですがその時、1番今の人生にかかわっていた前世のわたしは小さな女の子で病気で外にずっと出られずいつも窓の外を見て外で遊んでいる子供たちを羨ましく思いながら
胎内記憶と、子宮への郷愁胎児を懐かしがっている?あなたの最初の記憶は何でしょうか?母親に叱られたでしょうか?迷子になったことでしょうか?人にもよりますでしょうが、最も古い記憶は3歳前後のものが多いようです。それより前となると覚えていないことがほとんどでしょう。ところが、一部の人たちには、胎児期や出産時のことを忘れずに記憶していると言う子よです。こうした「胎内記憶」を持つと言う人たちがテレビ番組で、その頃のことを「暗くて暖かかった」などと答えているのを目
暗い内容です!!読まずに飛ばして下さっても、大丈夫です!!不快な表現がありますので、気持ち悪いと感じるかもしれません。読みにくいけど・・・ちょっと⬆の2つを読んで欲しいです!この前会った高校の同級生から「なんで尽くすの?」「なんで変な人を引き寄せるの?」「りんと付き合ったことによって、おかしくなるの?」と・・・「なんで尽くすの?」→受け入れられたいから、褒めて欲しいから「なんで変な人・・・」→ちょっと病んでる人って甘えてくる人多くないですか?それがめんどくさくても、嬉し
うすうす自分はついてると思っていたけど、書き出してみたことはないし、所々書いたことはあるけどとてもぼんやり頭の中にある。これを一回書き出してみたいと思うこの頃。きっと将来が不安だから、こうやって良い方に意識を向けたいというのがあるのだと思う。他の褒め日記みたいな感じかな。まずは五体満足で生まれた。運動には適していなかったようだけど。でもジッと座って集中してやる子供だったそうだ。写真があるが猫が周りにうろついてダンプカーで遊んでいるのがある。後はジッとして
思い返してみると、私はこのブログで『私という人間』について、きちんと書いたことがないようです。あれれ。自己開示の練習として、少しずつ私自身のことを書いて行こうと思います。今日はその①。私が生まれたのは、愛知県名古屋市千種区です。父が転勤の多い仕事だったため、生まれは名古屋となりますが、生後3ヶ月で横浜に引っ越しました。だから、幼少の頃の最初の記憶は横浜からで、名古屋はまったく記憶にありません。しかも、股関節が亜脱臼という状態で生まれたそうで、生後6ヶ月は股関節を固定する
それから暫く経ったある日。何をしていたのかはっきりとは覚えていない。ただ、家の中で笑ったりしゃべったり普段と変わらない日常を過ごしていた、その特。父が突然笑うな!しゃべるな!!と怒り出した。突然の事態に僕は泣いた。更に父は泣くな!!笑うな!!しゃべるな!!と加えた。あの日から、僕は家の中で親の顔色を伺うようになった。できるだけ自分を押さえ込むようになった。お陰で今でもあまり気持ちを表すのは得意じゃない。未だに感情のベースが「怒り」になってい
こんにちはジャスミンです。共働きで現在妊娠9ヶ月✶2020年1月末産休取得✶2020年4月出産予定夫婦で育休を3年取ります。産休育休を利用してスキルアップ!✦ポーセラーツインストラクター資格取得予定☪︎西洋占星術の勉強中✦不動産投資・資産運用時間・お金・場所にとらわれない自由な生活を送るため、夫婦で日々奮闘中!よろしくお願いします。⚫︎⚫︎♥︎⚫︎⚫︎ついに!子どもが生まれるまで50daysとのこと明日は引
もういい!!父はそう言い残し外へ出て行った。どうしていいか判らないボクは、そのまま泣き続けていた。その時、母は言った。あなたがいるから、私はパパと別れないの。どう理解していいか、その時の僕には解らなかった。ただ、何とも言えない罪悪感のようなものが、その時のボクの中にいたような気がする。ボクはいちゃいけないんだ。ボクのせいなんだ。そんな気持ち。この記憶を思い出す度にそういえば両親に抱きしめられた記憶がないなただただ
書きたいことがたくさんあって何から書くか迷うけど、やっぱり私の人生最初の記憶からはじめてみます。最初の記憶は私が年長、姉は小5の頃のもの。私は姉から「○○(私)なんてブスじゃん」と言われたことに気付きます。そして「あれ、この人前にも私にブスっていってた」「あ、私はブスなんだ」「あーブスだからみんなに嫌われるんだ」「え私みんな嫌われてるの?」と思いました。自分で自分が「みんなから嫌われている」と思ったこ
それはまだ二歳の時。あなた、私のことわかってない!家事をしてあの子の世話をして私は疲れてるの!!オレにどうしろっていうんだ!!両親の言い争いで昼寝から目覚めた。どうしていいか判らず、暫く起き上がれなかった。そのまま両親がいなくなってしまう気がして、ボクは胸の奥を力一杯握りつぶされる感じがした。…どうしていいか判んない。でも、とりあえず泣いて起きればその場はなんとかなるのかな…そう思い、ボクは泣きながら起き上がった。するともういい!!
記憶とは不思議なものである。古くなればなるほど、私の記憶は静止画になる。幼い頃の記憶は、全て止まっている。動画から切り取った、1枚の写真として残っているのだ。でも、音がある。成長するにつれて、少しずつ動き出す。四コマ漫画のように、パラパラ漫画のように。大きくなるにつれて、動きが出てきて、いつのまにか映像となった。今考えると1番最初の記憶は3歳になる前のような気がする。曾祖母のお葬式だった。私は祖父の家の座敷で寝かされた動かない曾祖母の前で、キョトンとしていた。隣には
四季彩睦月1★冬銀河ふゆぎんが年は明けたけど段々寒さも厳しくなってきたね:;(∩´﹏`∩);:その分空が澄んで夜空の星々も天の川も見やすく成ったろ(^。^)y-.。o○枕草子にも星はすばるって出てくるもんね(*'▽')昴は豊作の季節を告げる星その南東に並ぶオリオンの三ツ星は田んぼを鋤くからすきに似ているからからすき星って昔から親しまれてるんだよだからこの時季の季語で冬銀河って言うんだ(*'▽')ちょっと違うと思う(^。^;)y-.。o○☆雪あかりゆ
こんにちわandあらためまして明けましておめでとうございます_(._.)_今年もよろしくお願いいたしますさて久しぶりに家族が揃った3が日のある日の会話で今年の目標が決まりました(;^_^Aアセアセ・・・Olympicyearと言う事で。。。(=゚ω゚)ノ-----------------------------------------------------------ママは前のオリンピックしらないけどパパは覚えているんでしょ?(*'▽')覚えてるよ(^。^)y-.。
また一人私の大切な人があちらへ逝きました。私の昔話にそうそうってうなづいて相槌打ってくれる人が笑顔の写真を残して逝きました。私の一番最初の記憶に残っている従兄弟のまこちゃん。私は弟経由で彼の近況を聞きいつも側にいてくれるそんな気持ちでいました。8月に発覚して僅か4カ月彼は家族に囲まれて幸せな時間を過ごして逝きました。私は過去の彼しか知らないでも家族の顔を見たらみんなで頑張って乗り切ったって凄くわかったんだ。今までありがとうございました。向こうで待ってて
では、さっそく。僕は、山形県の真室川町というところに産まれた。多分全国的にみてもかなり田舎で、家は田んぼに囲まれた昭和の民家。両親は小学校の先生で、父方の祖父祖母と同居、妹と弟が産まれてからは7人家族でした。覚えている最初の記憶は3歳で、小学校の国旗掲揚台(旗を掲げる高いポールの土台)からジャンプしてねん挫した記憶です。旗を掲げるポールが立っている最上段まで、3段の階段がある、コンクリートでできた台。1段は多分30cmぐらいだったから、最上段は90cmぐらい。
心に光と彩りを。光を届けるアーティスト、accoです。改めまして、プロフィールブログを書いていきたいと思います。長くなりますので数回に分けてご紹介していきます。どうぞお付き合いくださいね^^今回は《誕生〜幼少期》。1982年12月22日、冬至生まれ。本名は暁子と書きます。あかつき、という字だから明け方に生まれたんだと長らく思っていたのですが、実は11時生まれだったと知ったのは、つい最近。笑『あっこ』と呼び
昨日の智くんのとうもろこしの話、私大好きなんですとうもろこしと熊の置物のことはラジオでもよくお話してくれてたから、「またお話してくれたー!」ってとても嬉しくなりました。智くんにとっては、ほんとうに衝撃的な事件だったんでしょうね。こんなに忙しくしてても、最初の記憶として残っているのだものね(*˘︶˘*)お話する顔が真剣そのもの!怒ってる?この件については、幼心に、智くん納得がいってないんですものね。でもね、このお話何度聞いてもかわいくて笑ってしまう。智くんにとっては嫌なことに分類さ
私の一番最初の魂は宇宙の一番最初の星にいたみたいでもその星(マザー)は命を終え消滅してしまった救えなかった。エネルギーを爆発させ消えていくマザー哀しくてかなしくて。。いやだいやだって哀しむ私を仲間が未来へ送り出してくれた私の魂はここまでしか知らず、マザーから離れて転生してきたでもマザーが消滅した時の爆発的なエネルギーによって新たな星・生命が生まれ地球もそのひとつだって知ったら過去世の最初の記憶が蘇ってよかった、って心からあの哀しみが癒されたひとつの命が終わりを迎え
救急車呼んだことある?いちばん最初の記憶は、2〜3歳くらい両親が私をどこかに連れて行ってくれる話をしていた時階段の所に隠れてこっそり聞いて喜んでいた時に、嬉しくて喜んでいたら階段から落ちたw自分が落ちてるのがハッキリわかるしスローモーションで転がっていちばん下まで落ちて頭をぶつけてたそして記憶が途切れて次はもう救急隊の人に抱っこされてるところ母が大騒ぎで私が死んじゃうって泣いていて、父が母を支えていて、近所の人もわんさかいてそれを冷静に見ていた私次は救急車の中ぼんやりしてねか
最初の記憶。保育園の年長、つき組さんにいた。私は下着を脱がされ、お友達みんなの前で押し入れに無理やり閉じ込められた。怖くて怖くて必死に出ようと騒いだが無理だった。給食の時間には「食べるのが遅い」という理由で、机ごと外に出され食べ終わるまで教室の中には入れてもらえなかった。日常の出来事になりお友達は笑っていた。ある日、町長が保育園にきた時、その状況を見て先生は即刻クビになったらしい。町長の運転手をしていた父はその状況を自身の目で見てしまうことになった。まさか自分の娘がそんなことをされてい
秋の1dayリトリートをシシングハースト印旛でこころ✿からだ快適ナビゲーター澄子さん☆と植物と星の案内役☆わたくしでさせていただきました本来の日程が台風で延期となって、この日にやっとできました残念ながらご都合が合わなくなった方もいらっしゃいました楽しみにしていますとメッセージをいただいていた占星術師シロネコリリーさん☆また機会がありましたらぜひお会いしたいです!!前日の大雨、近隣の町に被害があり、私にも心配していただく温かいメッセ
これは「えみちゃんの黄色い花」本当の名前は知らない。物心ついたころから下の階に住んでいるふたりの女の子に毎日いじめられていた。保育園の頃も小学校に入っても学童保育の児童館でも意地悪されていた。でも憂鬱なだけで興味はなかった。めんどくさいな、と思うだけだった。かくれんぼで鬼にされたら探してるフリして家に帰って昼寝した。鬼ごっこで逃げる役になったら走って駄菓子屋に逃げこんでめんどくさいと思いながらあんず食べてた。この人生の最初の記憶は憂鬱な気持ち。保育園でもマンションで
もし転職をしなくて引越しもしていなかったらまた今の状況は違ったのだろう。家族の始まりの場所は久しぶりに行くと切なかった。なぜか最初の記憶の方がある。実際なんでこんな簡単に結婚や家族が壊れたのはわからない。実際は確実に時間をかけてゆっくり壊れてきたんだろう。ガン細胞のように静かにゆっくりと。娘を幼稚園連れての想像していたんだけどな。懐かしいな。思い描いた頃が。未来に何があるのかわからない。だがまだ生きている。終わりじゃない。今目の前のことに集中する。家族として残された時間
父が亡くなりました。まだ50代でした。最初の記憶は、2歳の時父と二人で、弟が生まれてくるのを産婦人科の外で待っていました。父は塗装工をしていたせいか歯が抜け、40代で歯はありませんでした。怒ると怖かった父。2007年、病に倒れました。脳梗塞で言語障害と右半身麻痺。それでもリハビリして、自宅に帰った父。しかし、また脳梗塞になりふたたび入院。忘れもしません。母の実家に寝ていた僕は母の声で目が覚めました。父は、吐いた物が肺に入り肺炎を起こしていました。病院に到着する