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メディアと書物私は戦争のことは大事なことだとわかります、地球上のいかなる戦争も私とは無縁ではないから、戦争の悲惨を知るために、それを知る必要があるのです。真面目な君なら言うかもしれない。頼もしいね。でも、だとしたら、なぜ戦争というものが起こるのかということを、自分で考えなければならないということもわかるよね。目に見える映像を追うのではなくて、目に見えない観念の動きを捉えることだ。外界を疑って、内界を見据えることだ。でも、今の世のほとんどの人は、外界から与えられる大量の映像情報をただ受け取るばか
書物の夢、印刷の旅ルネサンス期出版文化の富と虚栄ラウラ・レプリ著柱本元彦訳青土社発行2014年12月10日第1刷発行16世紀、印刷術が発明されてから数十年しかたたない時代のヴェネティアを舞台にした歴史ノンフィクションです。ラファエロの肖像画でも有名なバルダッサール・カスティリオーネ、彼による出版史上最初のベストセラーの一冊『宮廷人』、その校正者(編集者)であるジョヴァンニ・フランチェスコ・ヴァリエールが主人公です。序快楽と罪悪第一章一五二七年秋、
メディアと書物衝撃的、刺激的、つまり見たいから見ているということだね。これは、テレビがなかった時代に、人がよその火事を見に走る心理と同じ、つまり野次馬根性だ。でも、他人の不幸を刺激にするのはあまりいい趣味じゃない。その証拠に、次に始まる下品なお笑い番組なんかを見て、平気で人は笑ってるだろ。戦争からお笑いまで、全部が一律に電波で流されるから、人は、大事なことと大事でないことの区別がつかなくなっちゃうんだ。引用:池田晶子「14歳からの哲学」野次馬根性とは、痛いところを突かれた。そうと明確な意
日々に星の癒しと幸福を私が地球に降りた瞬間、天王星は東の地平線近くにあった。それは、人生において星々と癒しがテーマということ。潜在意識を映し出すカードリーディングによって、風の時代(水瓶座冥王星)的な視点でお送りするデイリーメッセージ。本日のウラヌス的メッセージ本日のメッセージはこちら。メインカード(左):書物サポートカード(右):犬26.書物と、18.犬のカード。親友や兄弟、恋人や息子さん、年下の男性など、親しい関係性
メディアと書物よくも悪くも現代は情報の時代だ。君は当たり前に思っているだろうけれども、地球の裏側で戦争をやっている映像を生放送で見るなんてことは、とんでもないことなんだ。百年前を思ってごらん。電話もテレビもなかった時代には、国内どころか隣り村で起こっていることすら、そうすぐには知られなかったんだから。たったの百年でこの変化だ。この変化のことを「進歩」だと、君は思うだろうか。もしも進歩だと思うのなら、地球の裏側の戦争のことを知ることが、君にとって意味のあることでなければならないね。地球の裏側の
メディアと書物新聞を毎日読みますか、テレビでニュースを見てますか。社会的な出来事に関心があるかないかが分かれ目だ。まあ、新聞やニュースは見ないけれども、ファッション誌やマンガ雑誌なら欠かさず買って読むってところが、大方だろうな。いずれにせよ、これらはすべて、人々に何がしかの情報を提供するメディアだ。「メディア」とは、「媒体・手段」の意味で、情報の媒体、情報提供の手段ということだ。だから、新聞から雑誌、テレビ、インターネットまでの全部がメディア、だとすると、現代生活のすべてがメディアによって
キッサコYukikoにようこそ!スタッフSです。いよいよ7月となりました。7月は和風月名で「文月(ふみづき・ふづき)」。和風月名のそれぞれの由来まで意識したことがなく、気になったので調べてみました。文月は、稲穂が実る月を意味する「穂含月(ほふみづき)」が転じて文月になったという説があるそうです。又、七夕に書物を干す行事が昔あったそうで、書物(文)をひらく(披く)という意味から「文披月(ふみひろげづき)」と呼ばれるようになり、文月に転じたという説も
7月の和風月名は「文月(ふみづき)」です。文という文字が入っているのでどこか文化的なイメージがあります。短冊を書く七夕とも何か関係しているのでしょうか?調べてみると稲の穂が実る頃という意味の「穂含月(ほふみづき)」が転じて文月になったという説が有力です。むかし七夕に書物を干す行事があったため書物(文)をひらく(披く)という意味から「文披月(ふみひろげづき)」と呼ばれるようになりそれが文月になったという説もあるそうです。#印鑑#ハンコ#実
偉大な読者であるボルヘスは、書物についてしばしばコメントしているが、物にすぎない本を読者が手に取るとそれは甦ると彼は言う。本書を手にして開いたとき、いつにも増して、本とそこに書かれている人物たちが甦り、彼らと一緒にいるという感覚を味わったのだった。(野谷文昭「エッセイ」「読書4月号」岩波書店)
コペンハーゲンの港から、わたしたち六人:Hiruko、クヌート、アカッシュ、ナヌーク、ノラ、Susanooは、バルト海を巡る船:「バルトの光」に乗り込み、わたしの母国目指し東へと向かった。しかし、「バルトの光」は、普通の客船ではなく、民営の運送会社が、荷物の積み下ろしをしながら、少数の観光客を乗せて小さな港を巡る船だった。みんなが私の船旅につき合ってくれるのは心強いが、本当に東へ行けるのか不安。『地球に散りばめられて』、『星に仄めかされて』に続く三部作のラストは、『
Fから始まるBookのアプリここのところあまり見に行っていませんでしたなぜならあまり見たい投稿がないからでしたある意味、今は変わってきている私でそこに投稿されている仲間は過去に仲間であった方たちで今の私とは違っている、ズレている…もちろん、私がズレているのです…なんか違うんだな〜な気持ちが、見ていると湧いてくるものだからそれで、見なくなって…でも、たまーにたまーに見た時にあ、!っていう馴染みの人の投稿の発掘があってなのでたまーに見るんですが今日久しぶりに見たら
町田市立国際版画美術館で開催中の「自然という書物15~19世紀のナチュラルヒストリー&アート」に行ってきました。こちらの企画展は15世紀~19世紀までの西洋の自然誌(博物学)と美術(技芸)の繋がりに着目し、人間が表現してきた自然のすがた、かたちを紹介しています。展示品の一部は写真撮影が可能でした。第1章は15世紀から16世紀にかけて刊行された草本誌、動物誌、動植物に寓意や象徴性を加えた書物。『年代記』(ラテン語)ハルトマン・シューデル(著)ミヒャエル・ヴォル
世の中には様々な歴史がある。書物にも歴史はある。西洋書物史という珍しい学問を研究しているのが今回取り上げる本の著者だ。挿絵を多く取り上げているが、ここから昔の人がどのように本を読んでいたのか、どのような文具を使って筆写していたのかなどが分かる。いつの時代も悪はいるものだ。中世の本が高く売れると知ると偽物を作って売り、儲けようとする連中も出てきた。パッと見たところ、違いが分からない。たとえ違い
テレビと漫画が普及して、今後本は売れまいといわれる。私はひそかに喜んでいる。本は忽ち百版売れない方がいい。売れなくなれば文字と書物は、本来の面目をとりもどすだろう。(山本夏彦「日常茶飯事」文春文庫)
良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものであるルネ・デカルトルネ・デカルト-Wikipediaja.wikipedia.org書物を読む事で、どんな時代のどんな人とも会話ができる。書物を書き、探し、読む事は、タイムマシンを操る行為にも準じる。我々は、文字を手に入れ、音声を手に入れ、静止画を手に入れ、動画を手に入れた。次の時代の人達は、何を手に入れるのだろう。【本日の予告コンテンツ】10:14:00アコギのレリ
【中国古典を詠み解く引き寄せ短歌シリーズ】第155回です。《菜根譚》からご紹介します。【書き下し文】『山林泉石(さんりんせんせき)の間(かん)に徜徉(しょうよう)して、塵心(じんしん)漸(ようや)く息(や)み、詩書図画(ししょずが)の内(うち)に夷猶(いゆう)して、俗気(ぞくき)潜(ひそか)に消(き)ゆ。故(ゆえ)に君子は物を玩(もてあそ)びて志(こころざし)を喪(うしな)わずと雖(いえど)も、また常(つね)に境(きょう)を借りて心(しん)を調(ととの)う。』《菜根譚後集45》
【中国古典を詠み解く引き寄せ短歌シリーズ】第154回です。《菜根譚》からご紹介します。【書き下し文】『高きに登れば人の心(しん)をして曠(ひろ)からしめ、流れに臨めば人の意(い)をして遠(とお)からしむ。書(しょ)を雨雪(うせつ)の夜に読めば、人の神(しん)をして清(きよ)からしめ、嘯(しゅう)を丘阜(きゅうふ)の巓(いただき)に舒(の)ぶれば、人の興(きょう)をして邁(まい)ならしむ。』《菜根譚後集114》【語義】『嘯(しゅう)を~舒(の)ぶ』…ゆっくりと詩句を口ずさむ
この度かがやく夜明けを抜け、ノン・センスな表題を掲げ、数奇な冒険の旅へと出ることにした。とは言っても、内容はほとんど変わり映えしない。ひとまず、今しがた届いたばかりの一冊10円本を記念の像に。かなり年季の入った本であるが、前持主様からのめぐり合わせに感謝しつつ、これから字引きのように読むだろう。現代詩の鑑賞上(新潮文庫い8-1)Amazon(アマゾン)76〜1,000円現代詩の鑑賞(下)(新潮文庫)Amazon(アマゾン)20〜1,000円
読むということは、ただ書物に記された言葉を鵜呑みにすることではなくて、その言葉を疑い、その言葉の先を考え、その言葉をふくらませ、ときには傷つけられたり(中略)しながら、ともに生きていくことだとあらためて思いました。(角田光代「読むという創造」「波1月号」新潮社)
また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出した。死と※よみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。それか
結局子供は親の背中を見て育つ。どんなに親のことをウザいと思ったりしても、物心ついた時から一番身近で多く関わった大人の影響を多く受け、良い悪いを自分なりに選別しながら成長していく。昨年11月母も亡くなり、まあこの歳だと珍しくも何ともないが、とうとうこの世に”両親”というものは存在しなくなった。どちらともその息を引き取る瞬間には立ち会えず、対面したのは既に冷たく硬直したキレイな姿だったけれども、今も特別喪失感を呼び起こすワケでも無く、声や姿はあらずとも、子供の頃から私と関わってくれたとい
ソフィア・サマターの長編幻想小説『図書館島』を読了しました。著者のサマターは、1971年生まれのアメリカの作家・詩人です。世界各地を転々としながら成長し、大学でアフリカ言語と文学の博士号を取得し、大学の准教授を務めています。作家デビューしたのは2012年で、初長編の本作品『図書館島』で、世界幻想文学大賞をはじめ、各種の新人賞など様々な賞を受賞しました。まだ刊行物は少なく、これからの活躍が期待される作家です。おそらく中世後期ぐらいの年代に、架空の地で繰り広げられる、幻想と冒険の物
哲学者は、没我の境地において、理念を思索しながら、その理念と一体化してゆく。そして、あたかも列車がレールの上を走るが如く、理念の集積である宇宙の法則の上を、いや、未だ人間の内に秘められている所の自然法の上を進んでゆく。このようにして、理念を発見しながらその上を進み、その過程において発現されてゆく理念としての法は、三次元にある書物となって、あたかも創造行為であるが如く示されてゆくのである。by天川貴之(JDR総合研究所・代表)
名付け親は父です。名前に「文」が入っているのですが「美しい文(文章・書物)を書ける人になるように」という願いが込められています。
<塔の地・始まりの町>で私:トゥーレは、この町の人間である父さんと羽虫と呼ばれる流民の母さんの間に生まれた。変わり果てた町に帰郷した私は、広場の敷石の下に隠した思い出の品々を取り出した。薄緑色の硝子石。映画館のスタンプカード。封の切られていない煙草。そして、一枚の写真。それは、広場で催されたお祭りの日の一枚。当時、私は十三歳で、両親と共にテーブルについていた。町の有力者<伯爵>と旅から連れ帰った美貌の養女<コンテッサ>、詰めが甘く、いつもネタバレのへっぽこ<魔術師>、褐色の肌をも
昨夜放映された、私の師事する文学解説者のYouTubeライブ配信にて「書物」を中心にした興味深い話があった。それによると「書物」とは、何度でも読み返したくなるもの、積んでいてもそこから精神性を感じるもの、それが漫画でも小説でも自分がそう思えば「書物」であるということということで、「書物」という響きを得ることによって、私の棚に今も燦然と並んでいる古本、これから並ぶであろう古本の数々が、一層神々しく感じてくるのである。ところで私は、以前綴ったことのある本の家計簿的な、本の購入ノートの三代目
真理は書物にも言葉にもすることはできないだから書物や言い伝えだけを大切にしてはいけない常に探求することが大切
本を読む暇があったら本を書け
なんだって、嬉しい事言って来れるわにさん︎💕︎いらっしゃいませ〜♪月夜ですあたしに、さ?定期的に読んでいる書物を教えて!とな漫画本に決まってるがな(ー̀ωー́)と、思ったキミ〜違うのだよ〜これだっ⬇⬇⬇一つの恋愛を男性目線と女性目線で書いてある小説(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)大好きなんだぁ〜︎💕︎病院行く時は、必ず持つ♪待ち時間にちょうど良い好きな所から読んで…キュンキュンしてる〜その日に寄って、『青』だったり、『赤』だったり…冷静と情熱のあいだを
娘の参考書を買いに書店に来たらこの本が、私の眼球に入って来た。そして、私の脳がこの本を買って読めと指示を発信し手が本を掴んだ。まだ、読みかけの本が2冊あるので未だ読み出してはないが、ワクワクしかない。本って、人との出逢いと同じ位大切ですよね。特に、ノンフィクション系は大好きです。テンションも上がるし、知識や気づきも得れます。