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昨日は、久しぶりの1万歩超え!!!歩いたね~神田からテクテク歩いて、寄り道をして、更に歩いて上野まで山手線で3駅なんだけどそんな遠く感じない距離だよね~最短距離では3.2キロだけど、フラフラしながらだと4キロを超えるよね~結果、筋肉痛・・・たまーに、歩いてみるのもいいもんだね
前回ブログ(日本橋からまっすぐ歩くその1)から続きます。江戸期にあった筋違橋は今は無くなり、神田川をまたぐのは昌平橋です。橋を渡りながら、広重「名所江戸百景」にある「昌平橋聖堂神田川」の構図を思い出してみます。手前にちらりと描かれているのが昌平橋です。右奥に昌平坂学問所(現・湯島聖堂)の杜もりが見えるのは今も同じです。けれど、左手の土地は錦絵の構図と比べ、随分低くなったものだなあ・・・と思ったりします。広重は別の錦絵にも雪景色の昌平橋を描いています。江戸
今日は雑記でも。昨日の土曜日。東京も梅雨明けして、急に真夏のような暑さになりました💦この日私は、会うのがおよそ一年ぶり位となる、学生時代の友人(男)と、神田までランチに出かけました。(友人と会う目的は、この夏の旅行についての打合せです(^_^;))食事の場所は、いつものココ⬇️そうです❗️トレインビューで有名な、神田万世本店四階のレストラン万世~(笑)♪友人のために一応、電車が良く見える席を予約しておいたのですが、この日我々が食べたのは、一番お手頃なハンバーグランチでした😁(せ
今月のジュライの病院少しずつ、少しずつ薬を減らしてきましたが悪化することもなく元気に過ごしているジュライそんなジュライを診て、先生は「重症筋無力症の薬を完全に無くしてみましょう。これは大きな挑戦です。薬をやめて、悪化したらすぐに病院に来て下さい。」と言いました。なくなったのは、重症筋無力症の薬だけで免疫抑制剤やディアバスター、アンチノールなどの薬やサプリはまだまだ継続中ですが、フードの中に重症筋無力症の薬を入れなかった最初の時は、ドキドキでした。これで悪化し
ランチは味の萬楽さんで冷やし中華をいただきました!蒸し暑かったので迷わずチョイスしました。甘酸っぱさがたまりません♪美味しくいただきました。ごちそうさま
2006年5月14日に閉館した秋葉原の交通博物館しました。2010年2月7日に訪問した時の画像です。博物館は解体中でした。ここにはD51形蒸気機関車と0系新幹線が展示されていました。裏方に回ります。建物はまだ残っていました。横には境界石も車両出入口の看板も残っていました。ここから展示用の車両や部品を搬入していたのかな?そして横にはかつて存在した万世橋駅があります。万世橋駅は地下鉄にもありました。この辺りにあったらしいです。また国鉄の万世橋駅
浅草通り~孫三通り□「区立菊屋橋公園」(台東区元浅草3-20-6)カシワバアジサイガクアジサイベニバナシャリンバイヤマブキ/八重咲き蔵前橋通り□「鳥越神社」(台東区鳥越2-4-1)新緑のイチョウ巨木□鳥越2-6付近オダマキ/淡紅ホタルブクロ/白セイヨウアジサイ/早咲き(園芸種と思われる)□左衛門橋通りベニバナトチノキ並木日本橋横山町/大伝馬町本町通り□中央区日本橋大伝馬町付近終期のテイカカズラ□神田川==万世橋(千代田区神田須田町1
春日通り⇒中央通り/昌平橋通り■「国の史跡湯島聖堂」(文京区湯島1-4-25)江戸元禄期1690年に徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、この地に聖堂を創建、上野忍岡の林羅山家塾を移した。1797年に幕府直轄学校として「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設した。明治維新の1871年に我が国最初の博物館(現在の東京国立博物館)、72年に東京師範学校(現在の筑波大学)、我が国初の図書館、74年に東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が設置された。近代学校教育発祥の地として19
とあるアニメで有名(聖地)になったささやかな公園10日ほど前のソメイヨシノ昭和初期年季の入った、橋欄干灯夜になると、ぼんやりと点灯しますちょうど総武線通過、松住鉄道橋の下国道も都道もお互いに90度曲がります(役人が気分で決めたかなり強引な・・・曲げっぷり)なんと17号は次の信号交差点でこれまた90度曲がります
おつかれさまです。コマタです昨日と打って変わって、気温がめちゃくちゃ下がった日でしたね今日は簡単投稿…神田周辺で撮った画像ここから総部本線と昌平橋が見えました************************************************************コマタの日々映画は現在、アップしているので68記事公開中…ホラー系の映画が多くなってきました詳しくはこちらから👇コマタの日々映画映画を気ままに紹介して
買い物とか旅行で秋葉原に行く人は多いと思うのですが、秋葉原から神田、日本橋方面に向かう、中央通りに万世橋という橋があります。石橋づくりで、堅固な橋です。今日は、少し、この万世橋をご紹介致します。万世橋-神田川のページwww.mport.info詳しく紹介しているページがありました。もともと、今の神田川の南側(神田駅側)に万世橋駅という中央線の駅舎がありました。現在は、ビルが立っていますが、その前は交通博物館がありました。子供の頃は、ここに行くのが楽しみでしたが、
神田川に架かる都道405号線の橋2007年千代田区景観まちづくり重要物件に選出形式:RC固定重複式アーチ橋長さ:23,770m
朝、昌平橋を渡る神田川にかけられたJR総武線「神田川橋梁」八の字が目印聖橋&メトロ丸の内線の橋も見えます昌平橋で頭上振り向けば「松住町架道橋」昭和7年に総武本線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸された際に、松住町交差点(現、昌平橋交差点)に架けられた橋梁なんだそうです。二重アーチ構造が印象的な、秋葉原のランドマークの一つかな神田川を渡ったところに1908-1912の約4年間だけ、幻のように存在した昌平橋駅(仮駅)があった場所だそうです。昌平橋駅跡|東京とりっ
2014年5月14日、関東出張の際に通りかかった逸品をご紹介。インパクト大!なファーストコンタクト。総武本線が昌平橋交差点を大きく跨ぐ、雄大な架道橋。カッコいいな~。場所はコチラ。帰ってから調べたところ、名称は松住町架道橋。意外とちんまりした名前に拍子抜け(失礼)。昌平橋交差点が、かつては松住町交差点という名前だったからだそうで。1932年に、日本初のブレースドリブタイドアーチの鉄道橋梁として架けられたもので、土木学会選近代土木遺産Aランク。大きな交差点跨ぎという橋脚
4月一杯で閉店してしまった六文そばの昌平橋店。その前の週に柳橋が最後に訪問した時の話だ。こちらビルの契約?建て替え?の関係で閉店になってしまうらしい。最後の一杯を心していただく事にしよう。何はともかくイカゲソがあるのを確認する。そしてもちろんげそ天そばをいただく。粗切り唐辛子をかけていただきます。ここのビジュアルもまた見事だなあ。ザ・ラスト昌平橋リフト!こちらのゲソは須田町や中延という六文の基幹店?かそれ以上に素晴らしい。大変美味しくいただきま
昨日の路加先生に続き今度は能見須先輩のを勝手にリブログさせていただく。お二人とは何かと価値観を共有するので。でも飲み食いする量の価値観はあっちとこっちでだいぶ違うけど…以下は昨日と同じです。スルーして先輩ブログを読んで下さい。-----昌平橋の六文そばがこの4月で閉店した。その最終日に柳橋のリアルなお知り合いが少なくとも4人ほど出かけている事が分かった。そのうちの3名はアメブロガーさんで、お二方はすぐにブログにアップされているので勝手にリブログしてしまおう。こういうのがすぐに分
昌平橋の六文そばがこの4月で閉店した。その最終日に柳橋のリアルなお知り合いが少なくとも4人ほど出かけている事が分かった。そのうちの3名はアメブロガーさんで、お二方はすぐにブログにアップされているので勝手にリブログしてしまおう。こういうのがすぐに分かるSNS系の世界もすごいですなあ。この写真は昨年末に柳橋が昌平橋で食べたゲソ天そばだ。その時の若目の店員さんのネギの盛りがよくて、二郎ぽい外観になったお気に入りの1枚だ。柳橋は最終日より少し前にいただいてきたが、一体いつになったらブログにな
何度か英語で書いているのですが、今回のゴールデンウィークは単身赴任先から家族のもとに帰ることを諦めました。そんなの当たり前だ!って人の気持ちを考えずに言う人もいるんでしょうね。本当に当たり前ですか?家族に会えないことが本当に当たり前ですか?目的と手段が逆転してませんか?いたずらに不安をあおるような情報に振り回されないで下さいね。そしてきちんと政府や地方自治体の要請に従いましょう。間違っても人の行動に文句を付けないようにね。自分が守ればいいんですよ。相手は感染症なんだから。それにそもそも自粛生活
JR総武線鉄橋の下から見た昌平橋ここで、国道17号(中仙道)は直角に曲がります橋たもとから、神田川沿いにレンガ造り高架旧交通博物館や旧万世橋駅の遺構が見えます。今はマーチというショップ街になってます。公園には前回の「旅籠町」案内板のほかに・・・「昌平橋」の案内板もあります。江戸初期に江戸城外堀(現神田川)に架けられた一口橋相生橋(湯島から移転してきた孔子廟にちなんで)昌平橋なかなか立派な橋灯よく見ると戦前の昭和三年完成令和、平成、昭和と時代を越えた橋
この日は上野方面外回りだったが、六文系のゲソ天そばの気分だった。少し遠回りして昌平橋の六文そばまで出かけた。こちら実家からは1番近く、拙宅からは2番目に近い六文そばだ。ちなみに家から1番近いのは人形町店だ。ケースにはゲソ天や紅生姜天が山積みになっているのを見ると心が落ち着く。お願いしたのはもちろんゲソ天そばだ。例によって粗切り唐辛子をかけてと。白と赤と緑とキツネ色。なんて美しいのだろう。リフトもまずまず決まった。ここのゲソ天そばは安定して美味しいなあ。もしかすると六文系フラ
「蒲焼神田川」さんの裏通りを南進国道17号の向かいに、台所町の南、外神田二丁目を構成する3つ目の町「松住町」の案内板です。松住町は、もともと寺社地で明暦大火の後、町人など町屋へ。材木商や薪商人が集まり、神田明神の市も立つほどにぎわっていたそうだ。町名も、湯島横丁湯島横町(明治になり)神田松住町へ変遷。活気あふれる商業地から町の繁栄を願い。縁起物の「松」にちなんだ名前を付けたそうだ。外堀通りへ出る。西に進むと、ビリヤードファンならご存じ「淡路亭」転勤になった
20世紀の終わりごろに、TVで映画「神田川」を観た。主演は草刈正雄さんと関根恵子さん。話の筋はともかく(汗)、神田川の情景が印象的に描かれているのが魅力的な映画。この映画の中で、主人公の二人が神田川をずっと歩いてたどる、というエピソードがあって、影響を受けやすい私は(苦笑)マネをして河口からみなもとまで歩いてみた。神田川のいろんな表情に触れることができてとても楽しかった。その後、春の桜の時期だったり、秋の落葉の時期だったり、不定期に神田川沿いを歩いていたのだけど、次
昨日、御茶ノ水の大学病院へ行った。検査の予約時間は2時半、その前に病院隣の湯島聖堂へブログネタを拾いに行くことにした。地下鉄御茶ノ水駅を出ると、病院は目の前。この横断歩道を渡り病院へは入らず、右に曲がり湯島聖堂を目指す。聖橋手前、病院脇の階段を通り過ぎ、聖橋を潜ると左手は湯島聖堂の筑地塀。この筑地塀沿いの坂を下った左角が、湯島聖堂の入り口。正面に見える橋は昌平橋、そのあたりが秋葉原の電気街。右手に連なる建物の店舗も、昔とは大分様変わ
この日は新宿方面へと出かける予定があった。天気も良かったのでチャリで出かけることにした。竹橋から皇居周回の代官町通りを上がっていく。この道は来年のイベントに向けて随分と整備されてきたなあ。いつものところから半蔵濠越しに国会方面を眺める。桜も紅葉も菜の花もなくてちょっと寂しいかもしれない。これは用事帰りの下り坂。丸の内方面を眺める。そしてお昼に立ち寄ったのは昌平橋の六文そばだ。この中央にR付きの看板がいいなあ。
■2019/11/09(土)漉餡パンと東雲の鳥第45話「遠すぎた昌平橋」☆*゚゜゚*☆*゚゜゚*゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆庚戌五黄仏滅晴/曇ウワサ雀の京童に聞く。この日、秋葉原のメイドカフェ氷の国の雪の妖精の世界で、右中将、ミスアキバ2020ファイナリスト・ましろフローライト=リリアンプリアンさんの生誕祭が行われると云々ましろ☃フローライト=リリアンプリアン@ミスアキバ2020@mashiro_
私は自宅で寛(くつろ)いでいる時は、朝昼晩構わずベッドに横になりながら、携帯ラジオをイヤホンで聴いている。昨日10/9(水)昼下がりの番組は良かった。■TBSラジオ「赤江珠緒のたまむすび」水曜日は博多大吉さんとのコンビ。二人は実に息が合う。軽快で洒脱な進行。「大吉ポスト~いったん預かります!」コーナーは、モヤモヤしたメールを紹介してガッツリお焚(た)き上げ(ゴミ箱にポイ)する。福島県からのメールで、私のオジサンの下ネタ・オヤジギャグは全く毎年変わらない。金木犀が咲く頃に
かつてまだ日暮里に舎人ライナーが走っていない時、複数店舗あったそば店。今は都内で展開するチェーン店。特に旨いのはここと神田。鰹鯖鰯で取る出汁つゆそば。名物のイカゲソを乗せたそばにミニ天丼のセット560円。天ぷらは、全て植物油を使用!タウリンが含まれるイカゲソで飲んだ次の日の肝臓にカツを入れるw【店舗データ】店名:六文そば昌平橋店住所:東京都千代田区外神田3-5-1電話番号:03-3255-4379営業時間:6:00~20:00定休日:日曜祝日駐
大暇神です。〈その4〉です!よろしくお願い致します!(`・ω・´)ゞ・各画像はクリックして頂ければもう少し大きな画像で見る事が出来ます。・記事内の青い文字にはリンクが貼ってあります。アニメ「ラブライブ!」の舞台となった聖地を比較も交えブログにアップします!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一部の画像を聖地巡礼地との比較の目的で引用させて頂いています。引用さ
『電車唱歌』作詞~石原和三郎(1865~1922)一、玉の宮居(みやい)は丸の内近き日比谷に集まれる電車の道は十文字まず上野へと遊ばんかニ、左に宮城(きゅうじょう)おがみつつ東京府庁を右に見て馬場先門や和田倉門大手町には内務省三、渡るも早し神田橋錦町より小川町乗りかえしげき須田町や昌平橋をわたりゆく◇石原和三郎さんの引率で東京巡りの始まり始まり~