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僕のトレーニングに対する態度向き合い方また、若い選手への声かけやコーチとの接し方を見ての総合的な判断との事でした。真面目な場面でしたが私は思わず吹き出しそうになりました(笑)嬉しいは嬉しいのですが、、、複雑な気持ちだったのも事実です(笑つづく
「選手としてではなくスタッフとしてチームに来てもらえない?」「えっ!(笑)」つまり、私は選手としてのオファーではなくまさかのチームスタッフとしてのオファーだったのです(笑)GMからの説明としては...つづく
「内田くん、クラブと契約してもらえないか?」「・・・」「契約ですか??」「そうです。チームと3年契約をしてもらえないだろうか?」「えっ!!3年契約ですか??」ただただ、急な申し出に驚きました。「3年契約でクラブと契約をして欲しい。」「ただ!!」ただ??つづく・・・
GMの方は、私のテスト期間中に何度も足を運んで頂き私のプレーを見てくれていました。もちろん、足をつったところも、嘔吐した失態の姿も全部見ていたと思います。食事に行こうと言われ焼肉に行きました。まずは、食べよう!という事で過去の話、海外の話、サッカーの話・・・雑談を含め、約1時間ぐらいお話をしました。すると突然、GMから・・・つづく・・・
電話を切り・・・ん?どういう事だ??会って話したい???まさか、契約????俺、合格したのか???いやいや、トレーニングはボロボロだったし契約は無いわな。いや、でもクラブはこんな俺でも必要としてくれているのか?直接話したい事って・・・何だ・・・淡い期待を感じながら就寝しました。翌日、新幹線に乗り込み、岡山へ!つづく・・・
「合否については、また連絡します。」との事で、私は一旦名古屋に戻りました。岡山から名古屋に戻った次の日にクラブから一本の電話が入りました。チームのGMからでした。「内田くん、直接会って話したい事があるから明日岡山に来てもらえないだろうか?」「あ、、、はい。明日行きます。」ただ、それだけの言葉を交わしただけでした。つづく・・・
トレーニングについていくのが限界だった自分に悔しいという気持ちよりもやりきった達成感や充実感の方が強かったです。チームとの契約がもらえるか、もらえないか・・・チームに言われなくても結果は自分がわかっていました。そして、心の中で俺のサッカー人生は・・・俺の最後のチャレンジは・・・もう終わったなと・・・つづく・・・
迎えた最後のトレーニングマッチでは疲れきった体ではあったけどその時の自分なりの全てを出し切りました。与えられたれテスト期間はあっという間に終わりました。全てのトレーニング終え、私はピッチの上に寝転がりました。空は曇っていましたが私にはその曇り空がキレイに見えました(笑)空を見ながら、心で呟くんです。「全然通用しなかったな(笑)」つづく・・・
周りは19歳や20歳の若い選手大学出の選手もいました。きっと笑われているんだろうな・・・バカにされてるんだろうな・・・自分のことを客観的に見ながらも周りの目や評価を気にするな!最後のチャレンジに来てるんだぞ!!自分を鼓舞し続け、走り続けました。つづく・・・
張り切って望んだ初日は一瞬にして悪夢の初日となりました。それでも!残された時間、私に与えられた時間をとにかく、全力でやりきろう!悔いの残らないように走りきろう!!そんな新たな覚悟を決めて就寝しました。次の日も、またその次の日も私は自分の全てを出し切りました。つづく・・・
初日のトレーニングが終了した時には私の体はすでにボロボロでした。いかに自分が甘い環境でサッカーをしてきたかいかにトレーニング強度の低いものをこなしてきたか完全にメンタルはやられました。ホテルに戻りストレッチをし次の日のトレーニングに備えました。反省をするというよりもただただ凹んでいました。つづく・・・
それだけではありません!更にトレーニングの強度が上がったときに仮にもトレーニングの初日に私はピッチ内で嘔吐をしてしまいました。恥ずかしかった。悔しかった。情けなかった。でも・・・私は走るしかありませんでした。足を攣ろうが、嘔吐をしようが「やるしかない」という気持ちだけで走り続けました。つづく・・・
初日のトレーニングがスタートしました!いつも通りのウォーミングアップから徐々にペースは上がっていきました。対人トレーニングという実践に近い形のトレーニングになってきたとき・・・まさかの足をつってしまい動けなくなりました。体調は万全、張り込みも万全気持ちも最高の状態で望んだはずなのに・・・まさかの初日で筋肉が悲鳴をあげてしまいました・・・つづく・・・
神様に手を合わせ仏様に手を合わせサッカーの神様に手を合わせ最後のチャレンジをする為に私は新幹線に乗り込みました。この時の私は、不安と期待が交錯する緊張の絶頂でした。そして・・・最後のチャンス最後のチャレンジが始まりました。つづく・・・
本当に全てを賭けてプロテストの為に全てを犠牲にしました。友人とは一切連絡は取らず集中できるトレーニング環境を自分で作りました。食事、睡眠、終息シンガポール、インドネシアでのプロ生活とは比べものにならないぐらい自分をストイックにした時期でもありました。そして・・・あっという間に時はきました。つづく・・・
私に与えられたテストは3日のトレーニング参加とテストゲーム1試合でした。期間にして、5日間だったと思います。私は、自分の全てを出し切ろうとテストまでの1ヶ月を本当にサッカーの事だけ・・・合格する事だけを考えて過ごしました。つづく・・・
当然、岡山さんに多大なる感謝は当然ですし今でも、あの時の恩を忘れた事はありません。更に、感謝しなければいけないのはこんな実績もない、年齢も既に30歳という選手にチャンスを与えてくれたクラブにも感謝をしています。テストが受けれるという連絡がきた一ヶ月後に私のサッカー人生最後のビックチャレンジの日程が決まりました。つづく・・・
諦め掛けたその時に、一本の電話が。私の大先輩でもあり私のシンガポールの時のチームメイトであったミスターグランパスと呼ばれている岡山さんからでした。オカさん)タカ、岡山ファジアーノがテストを受けさせてくれるという連絡があったぞ。チームは若いし契約してもらうには厳しいと思うけど頑張ってこいよ!私にとっては、この電話が神様から与えられた最後のチャンスでした。つづく・・・
進みたくても、進めない。チャレンジしたくても、チャレンジできない。折り返しの連絡も返信も何の反応もありませんでした。張り切って帰国したのにチャレンジすらできない現実に直面しました。その間にコンディションも崩れていく焦りもでてくる不安もでてくる将来への恐怖も襲ってきました・・・そんな諦め掛けていた時に一本の電話がありました。つづく・・・
とにかく、テストを受けたい。そんな気持ちで、がむしゃらに動きました。それでも、現実は冷酷でした。この時に、自分のチャレンジの重さを一気に感じたのを覚えています。それでも、私は止まるわけにはいきませんでした。なぜなら・・・私の前には一本の自分の決めた道しかなかったからです。
もしかして、こんな自分でもクラブが必要としてくれるんじゃないか?アジアという異国の地で戦ってきたという「自信」と「誇り」だけが私のチャレンジ魂に火を煽り続けてくれていました。とはいうものの・・・私にはテストを受けるチャンスさえありませんでした。メール、レターを送っても、返事一つありませんでした。電話をしても後日連絡しますで返事はありませんでした。知り合いという知り合いに電話をしメールをしました。とにかく、自分のやれる事は自分でやってみまし
国内での実績も経験もない、たいした肩書きもない・・・もはや、私がプロサッカー選手として契約を勝ち取るには・・・どう考えても、どう計算してもクラブが必要とする要素は私にはありませんでした。それでも・・・あの時の私は・・・ワンチャンスに人生を賭けたかったんです(笑
日本に帰国した時・・・その時の周囲の反応は(笑)冷ややかなものでした!ついに、頭おかしくなったか?なんで、日本戻ってきたんだよ?日本でプレーする場所ないでしょ?時は、、、30歳になる手前でした。つづく・・・
翌日、私は日本から購入してきたスパイクをバックに詰めて日本でプロサッカー選手として契約をする事だけを考えて張り切って飛行機に乗りました(笑)どのチームからのオファーはない。テストすら受けれるかどうかもわからない。それなのに、私には、不安や恐怖は何一つありませんでした!!いざ、帰国してみると!つづく・・・
オーナー)君はクレイジーな日本人だ!でも、最高だ!!日本でのチャレンジを頑張れ!契約できなかったらインドネシアに戻ってこい!笑顔で私にそんな言葉をくれました。すごくすごく、胸が熱くなったのを鮮明に覚えています。たかが、一選手の契約交渉の席が何か異様な空気感と、最高の笑顔に包まれ何かドマラのワンシーンのような思い返すだけで笑ってしまうようなそんな光景でした。つづく・・・
私は、小さい頃からの夢だった日本でプロサッカー選手になれていない。このままでは、納得してサッカー人生を終えれない。2人に熱く訴えていました。その時の私は、涙を流しながら説明をしました。するとオーナーは、私に握手をしてくれそして、ハグをしてくれました。オーナーは、最高の笑顔で私を受け入れてくれました。つづく・・・
私はimsoryと伝えた理由を説明しました。私は、サッカーが大好きです。インドネシアでプレーできる喜びを感じています。チームに必要とされる事を大変嬉しく思います。ただ・・・僕は、日本でチャレンジをしたい。日本でプロサッカー選手になる夢に最後のチャレンジをしたい。そんな、心の奥底から湧き上がる言葉をかたことの英語で必死に伝えました。つづく・・・
いよいよ契約となった時。私から出た言葉は・・・imsorry・・・私は日本から契約をしにきたのにチームも私を最高の条件で獲得してくれる体制を整えてくれたのに、、、私は、お断りをした。なぜだ?なぜだ??何が不満だ?金額か?どうしてだ?今でもクラブ側のあの反応、空気感は鮮明に覚えています。つづく・・・
チームのオーナーと、私の代理人2人が待ち構えていた。片言の英語とインドネシア語で契約交渉は始まった。私のサッカー人生として最後に締めくくるには申し分のない金額提示に加えマンション、運転手エアーチケットの往復つきと外国人枠としては、本当に有難い提示をして頂いた。終始、笑顔で穏やかな雰囲気だった。私は、一通りお話を聞かせて頂きいよいよ、契約書にサインという空気になった時に、、、つづく・・・
父との電話切った瞬間に私は・・・重い重い何かから解放されたのを今でもしっかり覚えています。そうだよな!今の私の置かれている状況は失敗でない。インドネシという異国の地でプロサッカー選手になれた事これは、自分の人生の誇りなんだ。自分がこれまでしてきた決断と覚悟が今の自分なんだ!私はロビーに向かった。つづく・・・