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こんにちは。先日、韓国の慶州で世界遺産巡りをしてきました。こちらhttps://ameblo.jp/momo-tane/entry-12459879347.html新羅時代のお寺などを見てきました。懐かしいような感覚。日本と近いなぁと感じました。2000年も昔から、日本と朝鮮半島の交流はつづいていて、その証として、仁徳天皇陵や古墳群が出来ています。高句麗が唐に責められ、南下して、新羅や百済を追いやり、その後滅亡し、沢山の人が亡命し、海を渡ってきました。716年には高句麗の
なんか、5年位ぶりに韓国ドラマ見ました。花郎(ファラン)DVD-BOX1+212枚組韓国語,日本語/日本語字幕5,980円Amazon花郎です。あらすじは、舞台は新羅時代。賤民の村で暮らすムミョンが、友達のマンムンの家族を探すため、村を出ます。しかし、トラブルに巻き込まれ、マンムンは亡くなってしまいます。マンムンの本名がソヌということが分かり、マンムンの実の父から、マンムンが何故トラブルに巻き込まれたのか調べてほしいと頼まれたムミョンは、ソヌを名乗って謎を解明し
日本の最古の歌集の万葉集は朝鮮半島の歌が影響したものだとの指摘がある。しかし、古代の朝鮮半島の百済、高句麗、新羅などでは古代の原日本語が喋られていた。だから、彼らが来日しても言葉には困らず、記紀や万葉集を書いたとしても不思議ではない。また、朝鮮半島に残る古代の新羅時代の郷歌も、実は万葉集と同じで原日本語で理解できると考えられる。実は、現代の朝鮮民族は朝鮮半島より北にあった挹婁・靺鞨がルーツであり、古代の朝鮮半島の百済、高句麗、新羅などが滅亡したあとに侵入して来たと考えられる(参考)。参考
夜中から明け方にかけて何度もいびきやスマホ目覚まし音で安眠を邪魔されました。安眠にはアイマスクと喉の乾き対策にマスクが必須です。水は無料サーバがいくつかあります。5時半に起きてお風呂に。薬湯もあるけど、基本はよくあるスーパー銭湯。乾き切った身体に染み渡るなァ。8時チェックアウトして東大邱駅に向かう。駅まで徒歩10分くらい。途中、また大きく再開発されている土地を横目に歩きます。東大邱駅はようやく工事が完了したようですっかり綺麗になりました。高架橋が出来上がってタクシー乗り場が併設さ
185回目の韓旅3月の韓旅(3/12~17)レポこちらの記事↓のつづきです3/143月の韓旅⑥横城編特産品のツルニンジンを使ったスンデクッパ@横城トドッスンデクッパ横城(フェンソン)から原州(ウォンジュ)へ移動しました。2014年11月、2018年9月に次いで3回目の訪問です。横城市外バスターミナル(횡성)→原州市外バスターミナル(원주)所用時間30分料金2,400ウォン(2019-3-26現在)時刻表→★コインロッカーは乗降場にありますバスを乗り継いで亀
慶州・仏国寺(プルグッサ)と石窟庵(ソックラム)慶州は新羅時代の都で日本の奈良に似ていると言われます。仏国寺はおよそ1500年前に作られた仏教遺跡です。中学・高校で習った歴史を思い出しながら見学すると良いでしょう。パンフレットでよく見かける風景がこれ。こちらは石窟寺院。ドーム型の石室の中に「釈迦如来坐像」が祭ってあります。(残念ながら写真撮影は不可です)
瞻星台🌟に行って来ましたここも前回レポしているので写真のみで簡単に綺麗なシルエットですね普通に入り口を下に造れば良かったのにぐるり一周してみましたきちんととした暦を知っていたのも凄いけれどブロックで円形のものを造った新羅の人は凄いですね世界遺産にもなっています毎日、綺麗に掃除している🧹なのになぁ〜ぜぇ〜え〜雑草が生えてるってかこれだけ成長しているのに抜いていないのかなぁ〜後ろ姿もいいね😊👍いい眺めです次の目的地まで歩いて行きます途中の道でも発掘
慶州旅行の続きです鷄林に行って来ましたドラマの中で慶州の都のことを鷄林と呼んでいたので気になっていました史跡第19号にもなっていたので誰か石を重ねています願いが叶うといいね😊ここですねえっこれだけ森の中にぽっ〜ん金氏の始祖神話の舞台です新羅4代王脱解王の時に、樹林の中から放たれた神秘な光をたどると大樹の枝に金の櫃が下がりその傍らで雄鶏🐓が高い声で鳴いていた。金の櫃の中には眉目秀麗な男の子がいたので金閼智と名付けここから金氏の系譜が始まったそうです。日本の梅🇯
瞻星台から歩いてすぐ、大陵苑대릉원にやって来ました😃入場料2000₩新羅時代の古墳23基があり、中でも有名なのが古墳の内部に入れる「天馬塚(チョンマチョン)」。天馬塚内部、リニューアルしていました。きれいになっていてびっくり😲出土品の説明などがあり、見学しやすくなりました。快晴ですが、とにかく寒くて寒くて😖😫池も凍ってました。。。
ウォルソン洞住民センターバス停から、路地みたいなところを5分ほど歩くと見えてきました~(*´∇`*)瞻星台첨성대チョムソンデ世界遺産、慶州歴史地域の構成資産。新羅時代に建造された東洋最古の天文台遺跡と言われています。瞻星台1周動画を撮りましたが、1分までしかアップできないので、途中で終わってます。いろいろな角度から撮ってみる。珍しく自撮り。風があって目が痛くなるから、サングラスがはずせません😭雲ひとつない、いい天気でした🌞☀️
芬皇寺の続きです前回は、修復中で見ることが出来なかった本堂ですが今回は見ることが出来ました本尊は、薬師如来様高さは、3.45mあるそうです。何かちょっと恐い金ピカよりも日本の木で作られた木像の方が好きです梁にも絵が描かれています壁に描かれている絵をズームで撮影しましたこの絵だけ新しい塗り直しされているのかなぁ〜なぜここだけ芬皇寺は新羅時代に創建されていますが本尊は当時の仏様ではありません1774年の英祖50年に作られています薬師如来様の左手に持っている薬壷
2018.10.16ご訪問ありがとうございます慶州の街中から少し遠く仏国寺の山の反対側あたり海の方にあるお寺☠️骨窟庵☠️2日前の馬耳山に登った時の筋肉痛がまだ痛い歩き出す時痛いけどこんな歩き方想像してみてください歩き出したらなんとか大丈夫ですが坂道見たら気が遠くなった道は舗装されてるけどこんな道を登って行きますこれは登ってから下を向いてパチリ逆になりましたがここが入り口ですあれまぁ〜〜言葉を無くす‥‥‥‥それでも来たかったところだから折角来たんだからと
慶州(경주/キョンジュ)は2度目。1度目は今から2年前の暑い暑い夏のこと(★)。あまりの暑さに初日はホテルで寝てたというお粗末な思い出だから今回クリスマス旅行に連れて行ってもらいました東洋一古い新羅時代、善徳女王の頃に建てられた「瞻星台(チョムソンデ/첨성대)」。敷地の中にポツンとたたずむ天文台です。石が361個半積み上げられた塔、これは陰暦の1年を表しているそうです。また中間の四角形の窓の上段を基準に最上段までが12段、下段から最下段までも12段。これは1年12ヶ月。そして24
慶州国立博物館の続きです新羅時代の車輪跡です凄いですよね………よく残っていたなぁ〜これが車輪跡だとわかるのも凄い今回は、芬皇寺と皇龍寺跡を見て回ったのでそれらに関する展示物を見て来ました芬皇寺関係を先に見てまわりました九層の石塔からの発掘品です色々な玉当時の宝物だったのかな奉納されていた針やハサミかな✂️ハサミハングルが分からないけれど二層目から発見されたのかなまた芬皇寺にも行ってみたいです先に見てからお寺に行ったほうがいいかなぁ〜この仏像………同じものでは無い
慶州国立博物館に行って来ました新羅の微笑み特別展示たったのコレだけ本物は、いいなぁ〜東洋最古の天文台チョムソンデハシゴの掛け方が、想像していたのと違うこんなんで登れるのかなぁ〜不安定すぎるやん新羅の町の模型がありました皇龍寺🐉です。九層の木塔もあります金堂も…芬皇寺もあります九層の石塔も建っています新羅時代の都天馬塚の特別展示もしていましたなんかラッキー🤞展示されている場所が違うだけで展示物は、同じです。黄金っていうのは凄いですね1000年以上経っていて
【南原市FAMツアー】2018.11/9〜11/11《2日目》智異山(チリサン:지리산)麓の実相寺(シルサンサ:실상사)お寺へたどり着くまでにはこのようなのどかな風景が広がっていますお花は咲いてませんが蓮の花が見れるシーズンは綺麗でしょうね蓮畑のすぐ横が山門。実相寺は、新羅時代の828年に禅宗のお寺として、唐で学び帰国した證覺大師により、「座禅を通じて誰にでも悟りを得られるようになる」という想いで創建。しかし、豊臣秀吉との「文禄慶長の役」で、ほとんどが灰となり、朝鮮王朝時代の18
先週土曜日は、ソウルから遊びに来られたシオモニのお兄さんと、皆で海を見てきました。ウルサン12景のひとつ대왕암공원(デワンアムコンウォン:大王岩公園)海風に晒された岩が織りなす…圧巻の景色。写真だと、迫力が伝わらないのが残念。観光客のアイドル、猫ちゃんが住み着いてますまだ京畿道にいた頃一度遊びに来た時よりも橋や階段を作り替えたりと観光しやすくなってました。海沿いは散歩コースになっていていろんな景色を楽しめます。新羅時代に王たちがよく遊んだという浜。韓国
178回目の韓旅、なう。2日目は、韓国162の自治体中最後の訪問地である江原道(カンウォンド)横城(フェンソン)郡へ。まずは歴史ある聖堂を訪問。昼食は贅沢にも横城の名産である韓牛(ハヌ)を。午後は新羅時代の石仏と石塔、そしてタクシーキサニム(運転手さん)が取って置きのスポットにも連れていってくれました。光栄なことに、横城(フェンソン)郡のトップである郡守様と面談の機会を設けていただき、郡庁の方々とお食事までさせていただきました。10/19付の聯合ニュースに掲載していただきました!
慶州国立博物館の続きですこの人面瓦有名ですよね❤とっても楽しみだったので…見れて嬉しいですもっとデェ〜ンと展示されているのかなぁ〜と思っていたけど………霊廟寺址からの出土品です日本統治の時に発見され、日本人が保管していましたが、1972年に慶州国立博物館に寄贈されたそうです。紙が貼られ、彫ってある文字が読みやすいようになっています。読めんけど………新羅時代から、仏教を取り入れて王と王族を神格化していったそうです。それまでは、山川信仰だったそうです。博多の博物館でも、こんな指
国立慶州博物館に行って来ましたとても広い敷地です❤入場料は、無料です学生さんや外国人のアジア系では無い人達が多かったです。屋外展示も多いです全部は、時間の関係で見れませんでしたハスの花みっけ1945年に開館1975年に現在の場所に移転手すりも、かわいい新羅歴史館新羅美術館月池館の3つの展示館があります。特別展示館もありますが………今回は、閉まっていました。新羅歴史館から、見学しました4室に分かれています。1室は、先史時代の国家建国などに関する展示です鉄の錆が好
石氷庫に行って来ましたここも来たかった所なんです昔から食料品も保存していたんですね新羅時代の人達は、どんな物を食べていたのでしょうね間違いなく……私よりもグルメですけど出入り口にある要石には「崇禎紀元後再辛酉秋八月移基改築」…………という文字が彫られています。それにより1741年英祖17年に移築されたことが分かるそうです。505年に新羅の22代王智証王の命で建造された世界最古の冷蔵庫だったみたい……石氷庫は、月城にある北城楼の上に南北へ長くした氷の保管庫
月城に行って来ました新羅時代の宮殿があった所です地形が三日月に似ていることから新月城または、月城と呼ばれています。王様が住んでいるお城…ということで在城とも呼ばれていたそうです。朝鮮時代には、半月城と呼ばれたそうです。新羅時代の第5代王婆娑王が、即位22年目になる101年に、ここに城を建てて首都を移して以来、新羅時代の王の居所になりました。城ができるまでは、ホゴン…という人が住んでいましたが第4代王の脱解王が、小さい頃に知恵を働かせて、ここを自分のものにしたそうです…………どんな
瞻星台に行って来ました瞻星台は新羅時代の27代王である善徳女王の在位中に造営されました。在位は、632年〜647年です。東洋最古の天文観測台ですもぅ〜ここは、とっても楽しみだったんです花崗岩を加工した基壇の上に27段の石段を圓筒形の曲線で積み上げ、その上に丸く長い長大石を「井」の字形に重ね天文観測できるようになっています正南側の下から13段と15段の間に四角形の出入り口があります。ここから内部に入って観測していたそうです。出入り口の下の両側には、梯子を使って登ることができるよう
東部史磧地帯ですこの一帯には、数多くの古墳が密集しています。地下には、盛り土が消失した古墳も数多く残っているそうです新羅時代の足跡が残されているところでもあるそうです古墳の側に何かある近寄ってみましたが、日本語で書いていなかったから中を覗いてみたら、オバサンが座っている…おばあさんかなその人の家っぽくて民家だったらいけないので……パスしました。とうとう楽しみにしていたものがあれっ想像していたよりも………小さいやんほんまは、最後にとっておきたかったけど…1日早いご
大陵苑の続きですサルスベリの木が多く植えられています。満開で綺麗香りはしませんかねぇ〜桜の木も多く植えられていたから春に来たら、お花見が出来そうです二つが、くっついている陵は夫婦のらしいです約15㎡の敷地には、23基の古墳が散在しています。その中で被葬者がわかっているのは13代王の味鄒王だけらしいですこちらは、日本語で書いていなかったから何か分かりません古墳は、どれも大きくて新羅時代の王か王族の墳基らしいです。誰のお墓なのか分からないのが王か王族なのに…………天馬
天馬塚に行って来ましたここは、とっても楽しみにしていたんです新羅時代の代表的な積石木槨墳です。円周157m.高さ12.7mの比較的大きな塚で、5〜6世紀に造られた王陵です。発掘調査の時、金冠をはじめ純金製やガラス製などの遺物が11.500点余りが出土されました。天を飛ぶ馬の図が描かれた白樺の皮で作られた乗馬用の泥除けが出土されたことから天馬塚と名付けられたそうです。これは、ゴールドバージョンパッチワークバージョン出土した副葬品のうち一部はレプリカと共に展示されています