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が画家になれるとは時代が徐々に変化していくのがわかるわね…ところで、若いってムチムチ張りがあっていいわね…w#Marie#Gabrielle#Capet#似顔絵#30秒#フランス#画家#マリーガブリエル・カペ#新古典主義#肖像画#自画像#フランス革命#油絵#Paris#パステル画#デッサン
旧東海道歩きは、JR由比駅を過ぎ「由比宿」に向かいます。「由比」といえば「桜えび」ですね。「桜えび」は体長40㎜前後の小型えび。甲に赤い色素を有し「桜えび」の名はこれに由来します。水深200~300mあたりを生息域としているようです。日本では「駿河湾」や「相模灘」などに分布しますが、国内の水揚げ量のすべてが駿河湾産です。残念ながら近年不漁が続いているようです。当地における「桜えび」漁の歴史は思った以上に浅く、明治に入ってからのこと
昨夜はTOCで、高関シティのオール・ストラ・プロを聴きました。前半は組曲2(1921)と《アポロ》(1928)、後半は《カルタ》(1936)と3楽章交(1945)。作曲年を見れば一目瞭然、パリ~ハリウッド時代のストラの変遷を聴くプロ。大きく括れば、新古典主義の作品群。楽しかった!特に、後半の2曲は最高。聴く分には楽しいですが、演奏するほうは4曲とも気が抜けず大変だった筈。最初の組曲2は、マーチ~ワルツ~ポルカ~ギャロップの4曲構成。約6分の短い曲
高関マエストロの指揮で、ストラヴィンスキーの4曲。東京シティ・フィル定期演奏会東京オペラシティコンサートホールでした。今年はストラヴィンスキーの没後50周年だそうです。piyo主催のシェアライブでも、ストラヴィンスキーの兵士の物語を、日本語に訳して、小編成オケをピアノとフルートに編曲して聴かせてくださるお仲間がいます。今日のチラシによれば、有名曲集でなく、新古典主義の重要作で構成された、心ニクいプログラム。今日は、早く着いたので、高関先生のプレトークも聞けました。でも、なんと
近況:明日Covid-19ワクチン1回目明日、くま吉とパニックマはそろって1回目のCovid-19のワクチンを接種しに行きます。副反応の心配から2人の摂取時期をずらそうかとも思いましたが、2人一緒に済ますことにしました。とりあえず、2人とも買い物に行けなくなった時のために、日用品と食料をまとめ買いしておきました。日本国内ではもう4人に3人が1回目の摂取を終えており、摂取しないという人も一定数いらっしゃるでしょうから、くま吉達は遅い方ですね。藤沢市の集団接種は、7月まで高齢者優先で、8月は
昨日、ストラの《ミューズを率いるアポロ》について書きました。新古典主義の作品では、《アポロ》も好きですが、《オルフェウス》も好き。オルフェウス(オルフェオ)が毒蛇に咬まれて死んだ妻エウリディーチェを連れ戻すため、冥界に行くという有名なエピソードを音化した作品。冥界の王は連れ帰ることを許しますが、地上に出るまで、エウリディーチェの姿を振り返ってはならぬと命じます。しかし、オルフェウスはこの禁則を破ってしまいます。するとエウリディーチェは地獄に消え、失意のオルフェウスは
近況:地震の被害は受けませんでした昨日の22時41分の地震、藤沢市では震度4でした。昨日の夜は、くま吉とパニックマは21時頃に布団に入り、くま吉はともかくパニックマも珍しく眠りについておりました。2人とも揺れで目を覚まし、揺れの最中にスマートフォンの地震警報が鳴り出し、揺れが収まってしばらくすると防災無線が「震度4でした。火の元を確認してください。テレビやラジオで情報収集してください」としゃべりました。2人とも、そのまま寝ました。パニックマは、朝まで眠れたので睡眠不足にならず、よかったです。
昨日、パリ、コンコルド広場にオープンした邸宅美術館「オテル・ド・ラ・マリーヌ」の講座を終えました。話題の美術館ということで、多くの生徒さんが受講してくれました。嬉しい限りです。ありがとうございました。歴史の生き証人とも言える美術館だけあって、深掘りしていけばお話しすることはいっぱい。そのなかから皆さんがご興味ありそうなことを抜粋してお話ししたつもりですが、いかがでしたでしょうか?授業に入る前に、啓蒙時代(フランス語ではEpoquelumiere)についてちょっと触れましたが、
近況:猫も自分で毛繕いをするが猫のブラッシングは飼い主の仕事パニックマの髪は長いです。お風呂の後は、バスタオルを頭に巻きます。その後ブラッシングをしないので、髪が絡まったりします。今日こそ、くま吉はパニックマにブラッシングをするように言いました。すると「猫ちゃんのブラッシングは飼い主の仕事だよ」と言われました。ロンドン:バンク交差点別ブログAmazingTravelの新作が一段落したので、しばらく、ロンドンの思い出を書いていきます。ロンドン第15回目は、シティ・オブ・ロンドンの主要な
近況:近いんじゃ!昨夜、パニックマは4時頃まで寝付けなかったようです。寝付けない夜は、別の部屋に行って寝ようとしたり、試行錯誤しています。そして、顔をくま吉の顔に近づけたりします。ふと目を覚ますと、目と目の距離5センチメートルのパニックマと目が合ったりします。眠れないとドンドン不安になるので甘えているそうです。しかし、寝ぼけていると、反射的に邪険にしてしまいます。せめて、「近いんじゃ!」という愛のあるツッコミを入れるようにしたいです。ロンドン:ロンドン大火記念碑別ブログAmazingT
8月15日はナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)のバースデー1769年コルシカ島で生まれましたNapoléonBonaparte252回目のバースデーです。「アルコレ橋のナポレオン」(習作)ジャン・グロ1796フランス好き(フランス絵画好き)の人にとってはとても、馴染み深い人物です。ナポレオンと聞いて、私が思い浮かべる作品は、
パブロ・ピカソ「アルルカン1917」こちらは、1966年にバルセロナのピカソ美術館収蔵作品を同美術館が監修し制作したオフセット・リトグラフです原画はピカソが1917年に描いた油彩画です。サーカスの幕間でしょうか、若いアルルカンが帽子を取ってフ~ッと一息ついているようですこちらが描かれた1917年~1925年頃まではピカソの新古典主義と言われる時代で、これより前のキュビズムの時代とは打って変わって古典的で写実的な肖像画が中心となっていますお付き合いや結婚する
wikiによると…画家の生活を脅かすとして写真を禁止して欲しかったようだけどちゃっかり自分の制作に用いてたらしいわね…似たような人現代にも沢山いるわ…#Jean-Auguste-Dominique#Ingres#似顔絵#20秒#フランス#画家#ドミニク・アングル#新古典主義#デッサン#ヴァイオリン#グランド・オダリスク#玉座のナポレオン#亡命#美術アカデミー#浴女
19世紀の二大潮流「ロマン主義」と「新古典主義」。前者は後者が好んで取上げた「英雄的なもの」と対極的なものに目を向ける。後者の代表ダヴィッドは同時代・古代の英雄を極めて英雄らしく描く。ドラクロワは同じく同時代の出来事を取上げながら悲惨な現実を強調する。(ウジェーヌ・ドラクロワ作「キオス島の虐殺」、1824年、Iパリ、ルーヴル美術館、NV3823、4.19×3.54m)(ジャック・ルイ・ダヴィッド作「ナポレオンの戴冠式」、1806-1807、パリ、ルーヴル美術館、INV3699、6.21×9.
3年生演奏研究、3回目。現代音楽をテーマに進めているが、2回目の前回は現代美術史に終始した。今日は第一次世界大戦と音楽、現代音楽の誕生日と私的演奏協会、20世紀前半の調性音楽の巨匠たち、新古典主義とストラヴィンスキー。盛りだくさんとなった。次回最終回となり、次々回は別のグループが受講することになる。実技系レッスンももちろんやり甲斐があって生き甲斐でもあり大好きなのだが、講義系授業も好きなのだ。楽典の授業から離れて久しいが、いつか戻りたい。
同時代の二大潮流「新古典主義」と「ロマン主義」。前者は古代ギリシア・ローマの話を好んで描く。英雄路線と甘美路線があり、こちらは甘美路線。アムールとプシケ。ケファロス。エンデュミオン。ロマン主義のドラクロワは狂気の魔女を描きます。(フランソワ・ジェラール作「プシケとアムール」、1798年、パリ、ルーヴル美術館、INV4739、1.86×1.32mアンヌ・ルイ・ジロデ・ド・ルシー・トリオゾン作「エンデュミオンの眠り」、1793年、INV4935、パリ、ルーヴル美術館、1.98×2.61m)(ピ
皆様、ご機嫌麗しゅうございますか?奈織のお着物世界へようこそおいで下さいました。ありがとうございます。さて、わたくしの着物の傾向はどうやら新古典主義・ネオクラシックじゃないかなと感じた次第です。音楽で言いますと新古典主義プーランクや春の祭典のストラビンスキーですねFrancisPoulenc:"Lescheminsdel'amour"parPatriciaPetibon愛の小径観世水こちらは
ウィーン窯のデュ・パキエ時代が終わりを迎えると、次の時代が始まります。1744年、当時のオーストリア大公マリア・テレジアが、オーストリア大公国の財政復興を試みるため、売りに出されていた磁器工房を買い上げて、窯を国営化します。アウガルテンで今なお根強い人気を集める作品「マリア・テレジア」は、窯の再興を後押しした彼女に捧げられたパターンです。この時代では、宮廷趣味たるロココ様式が台頭し、ウィーン窯では新たに選任された型職人をはじめとする磁器製の像が次々に生み出され
こんにちは。フランスの作曲家、エリック・サティの話です。エリック・サティのCDを借りてきました。フランスって感じのジャケ写ですね。収録曲は、「ジムノペティ」、「おまえが欲しい」、「うつろな空想」、「不愉快な概要」、「ぶよぶよした前奏曲(犬のための)」、「乾からびた胎児」などなど。今まで、サブスクリプションでフランス語表記で聴いていたので、邦題がこんなへんてこりんだと思いませんでした。変なタイトルってそれだけで惹かれますよね。ずっと近代音楽なのかと思っていましたが、Wi
イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(IgorFyodorovichStoravinsky1882-1971)没後50年です。サンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウム生まれで、サンクトペテルブルクで育つ。父フョードルは、舞りんスキー劇場付きの、当時ロシアを代表するバス歌手であった。1901年、サンクトペテルブルク大学法学部に入学するとともに、週に一度、音楽理論を学んだ。法学部で知り合ったリムスキー=コルサコフの息子ウラディーミルと知り合ったことで、リムスキー=コル
[ModernMonetaryTheory]若しくは[ModernMoneyTheoy]と呼ばれる「新古典派経済論」に対する最先端経済論が発生してきているが、一般的には頭文字を取って「MMT」と表記される現代貨幣論を指す。これに拠ると、国家が発行する紙幣は、政府が発行している為、国債をどれだけ発行しても紙幣さへ発行し続ければ、自国通貨で有れば破綻は起きない。尚且つ、政府は紙幣の所有者では無いから、基本的に赤字にならず、市場は借金が増えれば増えるほど、個人資産を増大させるこ
★J2★児島善三郎「鏡を持てる女」」ポスター作品サイズ:40cm×28cm台紙サイズ:45cm×35cm作品の状態は、良好。台紙は、経年性の焼け有り。シミ有り。画像をご参照下さい。児島善三郎(こじまぜんざぶろう、1893年2月13日-1962年3月22日)は、日本の洋画家である。紙問屋児島本家の第9代当主・児島善一郎、トヨの長男として、福岡市中島(現・博多区中洲中島町)に生まれる。幼名は義太郎。1907年、福岡県立中学修猷館に入学。3年のとき、中村研一らと絵画同好その他
物質世界を精神の内的構造に合致させるこれはデカルト的合理主義ではなく、均衡、等価、左右対称の心理学、調和、統一、一貫性の内在原理によって、バロックの素材を規制することである。同様に、この時代の演劇においても、アカデミックな「三一致の法則」ルネサンスの批評家によって定められ、盛期バロック芸術に用いられて久しいが新たな心理的意味を与えられ、芸術に新しい焦点を投げ与え、バロックの巨大な解放感にかかわる統制を、後期バロックに与えた。ボワローは三一致に心理学的法則の効力を与えた一人である。
旅アルバム「世界遺産」60マカオCathedral大堂(マカオ)〈マカオ歴史市街地区〉2005年文化遺産1576年、イエスの友・聖ラザロを祀る教会として木造で創建されたのが始まり。1622年にアジア地域の司教座聖堂になりレンガの大聖堂が築かれました。その後再建を重ね、1937年に現在の姿になったということです。新古典様式のシンプルな内外装にステンドグラスが彩りを添えています。教会前の石畳の広場も世界遺産。☆旅行記はこちら→マカオ夫婦
《トルコ風呂》1862年108x108㎝油彩・キャンバスルーブル美術館蔵PD描いたのはドミニク・アングル(1780-1867)PDダヴィッドから新古典主義を引き継いだフランスの画家あの《グランド・オダリスク》を描いた作家ですね《トルコ風呂》はアングル82歳の時の作品豊満な女性たち注文主はナポレオンの甥ジェローム侯爵しかし侯爵の妻が作品を見るなり激怒数日後に返却された作品です当社は長方形だった
旧第四銀行住吉町支店のレトロな建物がそのまま使われているカフェ「ぽるとカーブドッチ」で一休みしていきました。この建物は、鉄筋コンクリート造二階建てで、新古典主義様式の建物です。中央正面のイオニア式列柱やアーチ型窓、吹き抜けの二階部分に巡らされているギャラリー、漆喰天井飾り、大理石のカウンターなど惚れぼれするような佇まいです。この建物は、国の登録有形文化財に指定されています。すばらしいインテリアを眺めながら、ハーブティーをいただきました。ひじょうにリラ
岡本信治郎ヴィンケルマンの「古代美術模倣論」(1755)は、新古典主義の典拠です。この本が書かれた背景には、18世紀半ばからポンペイの発掘などにより考古学的な知識が増えたこと、グランド・ツアー(17世紀後半から18世紀・ロココ時代)で古代遺物の収集が行われたことがあります。ヴィンケルマンは古代ギリシャ美術を「高貴なる単純と静寂なる偉大」と表現し、古代ギリシャで普遍的な理想美が実現したと考えました。一方、グランド・ツアーでローマの廃墟やアルプスの風景から崇高な
新古典主義・ロマン主義18世紀末~19世紀新古典主義フランス革命前夜の頃から~市民社会の到来ロココが否定され古代ギリシア・ローマの芸術を規範理性を重視イタリアのポンペイ遺跡から古代ローマの都市がまるごと見つかり研究が盛んになったこともきっかけジャック=ルイ・ダヴィッド『ソクラテスの死』1787彫刻カノーヴァギリシア彫刻の完璧な肉体と神話を主題工芸ウェッジウッドフラックスマンのデザインロマン
1618年からの、三十年戦争が、1648年のウエストファリア条約で終結し、その1648年に、フランス王立絵画彫刻アカデミーが設立された。(疲労弱っていくさ止め1648年)そして17世紀バロック(江戸前期)、ロココ(江戸中期)、新古典主義(江戸後期)に繋がる。
「皇后ジョセフィーヌ」ピエール=ポール・プリュードンは、ナポレオンの皇后ジョゼフィーヌから肖像画制作の依頼を受けるほどの信頼を得たいた新古典主義のフランスの画家です。プリュードンは、皇后ジョゼフィーヌの絵画教師でもあったんですね。また、ナポレオンが前妻ジョゼフィーヌと離婚した後、新皇后となったマリー=ルイーズからも重宝され、皇帝とマリー=ルイーズの間に生まれた待望の男児(後のナポレオン2世)の肖像画も手がけています。晩年期には宗教画に傾倒を示すものの1823年にパリで死