ブログ記事75件
萩原朔太郎は大正の詩人です。大正時代と書かなければわからないくらい遠くなりました。高校生の時、図書室でよく詩を読みました。ぜんぜん理解できないのに、何となく孤独をいやしてくれるように思いました。友達のいない、ほんとに孤独な高校時代でした。朔太郎の詩は難しいのですが、散文は好きでした。リズミカルな文章ですっと読めました。でも、人生を否定するような文章、孤独と絶望と倦怠を感じさせる文章でした。だからこそ、若いころは惹かれたのでしょう。萩原朔太郎が奇術愛好家であったことは知っていまし
スクールサポート、夏休みわくわく教室最終日でした〜夏休み中に85講座地元の皆様あっての講座ですありがとうございましたところで今日の講座はまごめふるさとめぐり私自身、4歳からこの地に住み続けてますここは、貝塚もあるほどかなり昔…ザックリ…から人が住んでおり、尾崎士郎が最初に馬込に住み始めたのがきっかけになり、多くの文士が集まり、馬込文士村と呼ばれるようになりました。私が小さい頃はあの三島由紀夫さんが散歩をしていて、母が挨拶すると、気さくに挨拶してくださった
昨日発表させていただきました新アルバム「田端文士と私」のCMを公開しました芥川龍之介さん、室生犀星さん、萩原朔太郎さんの、小説や詩を私なりの解釈で音楽にしたCDです。このCDの中の彼らの作品ひとつひとつと触れ合いながら思いました。彼らが自分の人生の一瞬、一瞬を生き抜いて、言葉を紡ぎ、時代を紡いだその先に、私たちが今、生きている…と思うと、彼らの言葉に新しく学ぶ事や、改めて感じる事がたくさんあって、「当時の彼らは、なんて研ぎ澄まされた感性で言葉を操っていたのだろう…」そう
夏灯(なつともし)「ルパン」のマッチ擦(す)りながら明弘銀座「ルパン」の句第二弾。太宰治を始めとして多くの文士らに愛され、昭和の薫りが色濃く残る老舗で、モスコミュールやウイスキーを飲みながら、太宰の話ながをする。夏の涼しげな灯りの下、お店のマッチでタバコを吸う。至福の時間。
Amazonギフト券Eメールタイプ-AmazonベーシックAmazon(アマゾン)5,000円Amazonギフト券封筒タイプ-バリアブル(スタンダード・蝶結び熨斗)Amazon(アマゾン)3,000円はじめまして。平中なごんです。文士――武士が〝武〟に生きる士(さむらい)ならば、文士は〝文〟に生きる士だな……と、この単語の魅力を改めて認識した今日この頃。それでは飯食えてない、いわば〝0文文士〟なので、「文士堂」という名前でWeb文筆活動
いのちの初夜(角川文庫)北条民雄の本を思い出した。ハンセン氏病の夭折の文士の文章に溺れた。韓国への半導体材料の輸出管理である。規制ではない。
友達が死んで淋しくなるのは、吉行の場合に限らず、三月、半年とたって、その死を全く忘れた頃、青空の下で川べりのすすきの原でも眺めながら歩いているようなとき、突如として思い浮かんでくるのではあるまいか。(安岡章太郎「文士の友情」新潮文庫)
『文人悪食』ー嵐山光三郎●泉鏡花ー⑩✪食事の席で、鏡花はしばしば傲慢であった。内務大臣後藤新平が西園寺公の故智(こち)にならって、有名文士を自邸に招待したとき、鏡花も招かれた。豪華な西洋間で、フカフカの椅子で他の文士がかしこまっていると、鏡花は「私は腰掛けといふのが不得手で・・・・・・・」と、着物のまま椅子の上に坐ってアグラをかいた。ワインが出ると「日本酒のごく熱いところを一本」と注文し、里見弴にむかって、「弴さん、弴さん」と大声で話した。鏡花はいつもは控えめでおとなしい性格なの
『三島由紀夫語録』ー秋津建●「重症者の凶器」について✪われわれの年代の者はいたるところで珍奇な獣でも見るような目つきで眺められている。私の同年代から強盗諸君の大多数が出ていることを私は誇りとするが、こういう一種意地の悪いそれでいてつつましやかな誇りの感情というものは他の世代の人には通ぜぬらしい。みだりに通じてくれては困るのである。✪『小説とは何か』(新潮社昭和47年3月20日)は、「波」に連載されていて、途中で中断された形で終わってしまい、多くの愛読者を嘆かせたが、単行本に収められて
桜桃忌無頼派文士太宰読む篤人
戦後5年目の1950年に没した相馬御風は、晩年には病に臥すことが多くなり、以前に比べ著作点数が激減する。太平洋戦争中には、純粋な使命感から意欲的に戦意高揚の為の創作活動を繰り広げた文士の一人だったが、戦後はその事で深く傷つき、以前の自らの行いを悔いて外出や人との交流も控えるようになったと言われる。また、故郷糸魚川で文筆のみを生業としていた御風の暮し向きは決して楽なものではなかったらしい。地元で現在も手厚く保存されている御風宅を訪ねると、奥行きがあり手狭ではないのだが、無駄に贅を凝らした造りの住居
中学生くらいから、作家になりたいと思っていた。日本史と並び、現代国語だけはまともな成績を取れていた。でも当時、書いて食う道は純文学か詩か。それくらいしかないと思っていた。けれど、植木等のリバイバルブームの中で、青島幸男の「わかっちゃいるけど…。シャボン玉のころ」(文春文庫)を読み、放送作家やエッセイストという道もあることを知った。高校の時、小田嶋隆を読み、コラムニストという道もあると知った。書き続けていればいいのか。漠然とそう思った。インプットが全然足りないので1日一冊を目
きょーも1日お疲れ様でした(*^^*)この方ちょーかっちょいーのだ( ̄▽ ̄)顔❓(会った特典)学会で岡山行った時に会ってきた♪ピンクのTシャツ着て、江戸時代みたいなポンポンって葉っぱ捨てるタバコ吸ってた‼️(違法薬物ではないと、がべが断言)ブログ難しくてわかんないんだけど、鑑定はその人に合った分かりやすい言葉でくる(^-^)/何せ文士だから。なんだって。そろそろ来年の学会用の準備始めねば…今日は、そんなお話(*^^*)追伸…今は前よりかっちょいーらしー(サンタさんね)
∂野辺地尚義(のべちたかよし/なおよし、1825年-1910年3月3日)は、蘭学者、英学者。日本の「英学教育の始祖」である。日本で最初の女学校である「新栄学院女紅場」を京都に創設した。芝紅葉館・館主を29年間務め、明治の民間外交の陰の立役者となった。文政8年(1825年)、陸奥国稗貫郡亀ヶ森村(現在の岩手県花巻市)に生まれる。安政3年(1856年)南部藩・江戸詰めとなり長州藩士大村益次郎のもと江戸の蘭学塾・鳩居堂で蘭学を学ぶ。勝安芳(勝海舟)、杉田玄瑞、大鳥圭介らと交友し、江戸・
あーあー。気づいたら、もうpart4だって…。自分でちょっと笑ってしまいます。このまま、妄想ブログになるか、ネタ切れするんじゃないか(笑)⑥大正・昭和初期の文士見習い・書生のシゲちゃんちょっと意外な路線だったでしょうか(笑)シゲちゃんに、石川啄木みたいな恰好をしてもらいたい。(石川啄木、っていうのは、物の例えです。ああいう感じの和装、って意味だよ)→書いてから、石川啄木で検索したら、これって結婚式の衣装?って恰好しか出てこなくて、「しまった!」と。「書生」で検索
先日、日本近代文学館へ行きました。今冬の企画展は「こんな写真があるなんて!―いま見つめ直す文学の新風景」、川端康成記念室は、特別展示「生誕100年記念林忠彦写真文学展文士の時代-貌とことば」です。企画展の中で興味深かったのは、ニコニコ倶樂部『ニコニコ』48号(大正4年1月)に口絵として掲載されたという「夏目漱石」*。夏目漱石『硝子戸の中』(岩波書店、1915年)に、次のような文章があります。人の笑つてゐる顔ばかりを澤山載せるの
この本、開放感いっぱいでしたー(〇o〇;)文豪、文士たちも若い頃は性欲に振り回されてむちゃくちゃなんやーー!って特にテレビ・ラジオがなかった時代は文豪・文士がアイドルスター(^▽^笑)さしずめ藝者は、いまで言うとグラビアアイドルくらいのノリかぁ~?芸者と不倫、結婚、再婚とかいっぱい。また全国から弟子志望とかで女の子がやって来てたりするんですねー田山花袋「蒲団」とかねーしかし著者:コヤトンの冷たさ、上から目線がサイコーたとえば~しかし徳田秋聲の場合、水商売の
現在、大田区立郷土博物館の特別展ー文士・画家の描いた風景ーとリンクしたまち歩き大森駅から出発して山王から馬込へ。大森のビルには2回勤務し、それは東口側だけど西口の山王側のフラワーアレンジメントスクールに通ってた。でも、周りを散策したことはない。ガイドさんが、「大田区のお金持ちエリアでは田園調布が有名だけど、山王も凄いんですよ。」なるほど、豪邸が立ち並ぶ高級住宅街。会社のクラブも山王クラブは別格だったのが頷ける。坂が多いというのは共通だけれど、田園調布は区画整理されてモダンな
今日は中原中也さんの命日で、【中原中也記念館】では没後81年の『中也忌』が開催されていると言うので行って来ました。トコトコ(((((*´・ω・)今日は入館料は無料です。(๑´∨`๑)昨日は色々なイベントが開催されていたようですが、ゆっくり見たかったので、今日にしました。欲しかった『豆本』1,500円を購入~。|*´ー`*)ノ|Юガチャでも売っていましたよ。撮影は禁止なので、写真はありませんが、ゆっくり見て、2時間半くらい経っていました。中原中也さんの展示は
きょうのお天気は曇時々晴。最高気温は26℃、最低気温は18℃。きょうは、警報・注意報は特になし。環境省の「熱中症指数」の発表は、10月8日で終了。「東覚寺」の「赤紙仁王」の横にいたお地蔵さん。ちょっとユーモラスで可愛い。結構古そう・・・でも、こんな所にいたなんて知りませんでした・・・初遭遇・・・可愛いお地蔵さんの左横にTHEお地蔵様。こちらは新しそう。「東覚寺」かさらに西へ行ったところに、「水神稲荷」が有ります。
銀魂…ミクニさんから速報LINEが入りました。ミクニさんっ…!!銀ちゃんが好きだからって!そんな…では、ワタクシの漫画です。これは、まあ、ダメだった漫画で…こうしてブログに載せるのは再利用みたいなので、あらゆる意味でエコではなかろうか?最近読んだ本。木村伊兵衛昭和を写す〈1〉戦前と戦後(ちくま文庫)Amazon昭和好きにはたまらん。これは欲しい本。東京下町1930Amazon好きな風景。あいらぶ文士♡これは持っています。文士の時代(中公文庫)1,404円A
先日「原節子の真実」を読み、同じ作者のこの本も気になって借りてきました。出版はこの本が先です。すごい…。分厚い本でしたが、一気に読み進めてしまいました。“おそめ”こと、上羽秀さん。伝説の銀座マダム。私の年代ではあまりなじみのない方でしたが、小説「夜の蝶」(川口松太郎)のモデルになり、一時期はとても有名だったということです。この表紙からもなんとなく伝わりますが、天女様のような雰囲気。京都に生まれますが、芸妓の修行は新橋で。その後のことを列記していったら…凄く長く
『泣きどころ人物誌-Ⅱ』-④-戸板康二●斎藤緑雨の女友達✪緑雨は、一葉の作品をずっと読んでいた。明治27年に「暗夜」「大つごもり」、28年に「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」、29年に「わかれ道」を発表するという驚異的な足跡は、短い年月にその才能のすべてを傾け、花を満開にして散ったとでもいいたい感じであるが、一般の読者と別に、同業の文士たちは、平凡な表現だが、あれよあれよという思いだったであろう。緑雨は、27年という年、秋山定輔に招かれ、二六新報に入社、編集主任となった。この新聞の劇評を
近所をウォーキング中に見つけたカフェ。阿佐ヶ谷ペンギンカフェサイフォンで淹れたコーヒー。隆さんは阿佐ヶ谷ブレンド、私は文士ブレンド。うふふ、ちょっとエッセイ書かせて頂いて、もうその気になって文士というネーミングに反応してしまった(笑)本でも読みながらゆったりな時間。大切ですね。自家製デザートのパンプキンパイと黒胡麻豆乳プリンも美味しかったー(*≧∀≦*)
大佛先生の若かりし頃だねエレカシの宮本浩次さんみたい1925年大正14年28才作家デビューした頃の大佛次郎先生大佛次郎のペンネームで書いた《鞍馬天狗》が大好評で作家としての道を歩み始めた1932年昭和7年35才ホテルニューグランドの屋上でくつろぐ大佛次郎先生先生は1931年から10年間ホテルニューグランドの仕事場で執筆活動を続けたホテルのバーではピコンリキュールソーダを飲んでいた昭和29年57才エッセイで生涯500匹以上の猫と暮らしたと綴る写真の
外人墓地でお祈りした後はみなとの見える丘公園に戻って公園内の《大佛次郎記念館》に入館だいぶつって読むんじゃなくておさらぎって読むんだねあっステキな階段先ずは2階に上がってみようトントンわぁ~ステキなステンドグラスお嬢ちゃんいらっしゃいわたしの書斎にようこそゆっくりしていきなさいね大佛先生こんにちわじっくり見させていただきますねわぁ本がいっぱいあるねそうここは書斎で私は作家だからねお嬢ちゃんに本が何たるかを教えてあげよう本を読むと云うことは
今年は忘年会にお呼ばれすることもなく。一緒にお仕事している人たちも忘年会どころではなさそうな中、こっそり帰って来ました。帰ったもん勝ちだもんね。やはり呑むのは近所の馴染みの店で。満員御礼の賑わいより、ちょっと暇そうな雰囲気の方が好きだったりします。静かに話せるので。やっぱり寂しい人なのかもね、わたくし。3軒目は近所のバーでした。別なバーでちょいちょい顔を合わせる文士な常連さんと初めて顔を合わせて。やっぱりこの街は狭いんだなと思いつつもその狭さが心地よかったりもするのです。
俺はカラダに悪いものが好きである。先日も大学の講義で「環境マーケティングなんて俺は大嫌いだね!」と学生相手に叫んできたところである。資源の削減とかCO2がウンタラ大嫌い!と。俺はカラダに悪いものが好き。その代表格がタバコである。15歳の頃から約20年間の付き合いである。当時はセブンスターが220円であったと記憶している。凝り性の俺は文学とタバコの抱き合わせで、世界のタバコの9割は吸った。文庫本とタバコから漂う紫煙がなんとも言えない「堕落した文士感」を喚起させ、悦に浸る。当然、中島らもが好
<たびねす>に東京大田区「馬込文士村」の記事が掲載されました。東京大田区の馬込と山王地区にかつて「馬込文士村」と呼ばれた文士たちの村(共同体)がありました。「馬込文士村」は、JR大森駅すぐにある文士たちのレリーフで始まります。この「馬込文士村」の中心であったのは、作家の尾崎士郎と宇野千代夫妻でした。それ以外にも、川端康成、石坂洋次郎、室生犀星などがおり、それぞれの居住跡には解説板が設置されています。「高台に文士たちの面影を訪ねて東京大田区『馬込文士村』で文学