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11月になり時短勤務なった私は…16:00まで仕事をし、それから娘を迎えに行く生活が始まっていた。その頃…中々会社の中では会う事がない彼に、頻繁に会社の中で会うように…何故か私の顔を見ると何かを言いたそうな、ハニカムような笑顔を見せる彼に私は戸惑っていた。彼の変化に…もしかしたら、6月の事で私が彼の事を好きな事に気づいたのかな?と思いながらいた。彼の変化を確かめる為、毎年我が家恒例のリンゴ狩りと紅葉に行った時にお土産を買ってきて、彼に渡す事にした。この事に関して、後で占い師の先生
10月いっぱいで今の職場を辞める為、私は工場長に社内メールで退職の旨を伝えた。社内メールで退職の旨を伝えた3日後、私は工事長に呼ばれた…工場長から「急に退職ってどういう事なの?」と聞かれ…娘の病気の事を話し、登下校に車での送迎が必要な事を伝えた。工場長からは「辞めるのは勿体無いし、時短勤務も出来るのだから辞めなくてもいいんじゃないの」と言われた。私は辞めずに時短勤務をする事にした。まずは時短勤務が出来るか、会社からの許可を取らなければいけない為、許可が出るまで待つ事に…私は同じ部署
食中毒でコルセットの受け取りを延期にしていたので、夏休みが終わる2日前にコルセットを受け取りに…実際にコルセットをすると、身体のあちこちに痛みが…今思えば、それだけ娘の姿勢が悪かったのが、身体のあちこちに痛みが出た原因かもしれませんが。9月になりコルセットに慣れない状態で学校に行く事に…娘は学校まで自転車での登校だった為コルセットに慣れるまで車で送っていく事に…朝は私が娘を学校まで送ってから会社へ、帰りは私の父に迎えに行ってもらう事した。車での送迎を1週間続け…娘と相談して
コルセットを受け取りに行く前日…急に娘が熱を出し、コロナの第7波の真っ只中だった為、コルセットの受け取りは別の日に変更を…熱が下がらない為、自宅近くの総合病院で念の為PCRを受ける事に…娘は風邪の症状が無い状態で3日間熱が下がらず、発熱の他に下痢と食欲不振の症状も出ていた。PCRを受けた次の日の夕方に検査結果の連絡が、検査の結果は陰性…検査の結果が出る頃には、熱は下がり下痢と食欲不振は続いた。下痢が続いていたので、また自宅近くの総合病院を受診する事に。下痢が続いている事を先生に伝え
私は上司に言われた事で、このまま仕事を続けるか、辞めるか悩み始めていた。そして8月に入り、娘の仮のコルセット合わせの日になり、娘を連れて病院に…まず病院に着くと、仮に作られたコルセットを付けレントゲンを撮る事に。始めて付けるコルセットに娘は戸惑った表情をしていた。レントゲンを撮り終え、診察を待っていると…娘が「コルセットが苦しくて気持ち悪い」と言い出し、私自身もコルセットを緩めていいのか分からず、確認の為受付の方に「気持ち悪くなってしまったので、コルセットを緩めてもいいですか?」と聞き
7月末…私は上司からいきなり会議室に呼ばれた。上司から告げられた事は…以前、私が派遣さんに対してパワハラがあったという苦情が2件あったという事だった。私自身、その事は以前一緒に仕事をしていた男性社員から聞いていて知っていていたので、今更なぜそんな事を言うのかわからなかったので、上司に「何故今になって、その話しをするんですか」と聞いてみた。上司は「話してなかったから」と答えた。それに加えて上司は私に…「もっと前向きになった方がいいんじゃないかな」と言ってきた。私はその言葉に…涙が止
紹介状を書いてもらった病院に予約の電話をし、学校が夏休みに入ってから病院を受診をする事にした。夏休みに入ってすぐ、娘を連れて紹介状を書いてもらった病院へ…初診の診察だった事もあり、色々手続きを行ってからの診察に。診察前にレントゲンや娘の身長、体重なども測り、その後診察に…やはりレントゲンを撮ると、娘の脊椎は右に曲がっていて、最初に受診した病院で測った骨の傾きが27度、脊椎専門の先生が測ると、骨の傾きは22度とだいぶ差があった。先生からはやはり、歴とした側弯症だと言われ、治療にはコルセッ
娘の中学校から内科検診の結果のお手紙が…そのお手紙には「側弯症の疑いあり、整形外科を受診して下さい」と書かれていました。全く聞いたことのない病気の名前…私はネットで側弯症がどういう病気なのか調べました。実際に調べてみると…思春期の女の子がなりやすく、思春期の女の子が側弯症になると、病気の進行が早いと書かれいました。私は慌てて、自宅近くの整形外科に娘を連れて行きました。病院に行き診察を受けると…病院の先生から「一度レントゲンを撮ってみましょう」と言われました。レントゲンを撮ると
このメッセージの後、私は彼と5ヶ月もの間連絡をとる事も、社内で顔を合わせても目を合わせる事もしませんでした。もちろん話す事も…今の私ならあの時の彼からのメッセージが、私を揶揄う為に送ったメッセージだったっていう事がわかりますが…あの時、心の余裕を無くしてしまっていた私には、理解が出来ないメッセージでした。以前、精神疾患で治療をしていた仲の良いママ友にも言われましたが…男性と女性では脳の作りが違うから、いくら女性が「何でわかってくれないの?私はこんなに辛いのに」と言っても、男性には理解でき
いつも忘れられない恋を読んでいただきありがとうございます。昨日、長女が自転車で下校中に車と接触事故にあい色々とバタバタしている状態なので落ち着くまで、お話の更新をストップさせて頂きます。落ち着きましたら、また更新を再開しますので、しばらくお待ちください。
「お疲れ様です。あら、ありがとうございます。まぁ、もう元事業所に戻らないって啖呵きってたら緊張もするよねー」私はこの彼のメッセージに傷つき、彼に怒りの返信のメッセージを送った「最低。私は適応障害にならなければ、元事業所に戻ってくる気は全くなかったし、好きでこんな面倒くさい病気になんかになったわけじゃない。友達が言った通りだわ。適応障害の類を理解できない人には理解できない。理解できない人に期待はしない。自分が傷つくなら、あなたにはもう何も話さない。お土産は帰りに下駄箱に入れておきま
月曜日に彼にお土産を渡そうとしてた、私は渡す事が出来ず…彼に会社のチャットでメッセージを送った。「お疲れ様です。お土産を渡そうと思ったんだけど、渡しそびれちゃったので明日渡します。あと1日の日、声をかけてくれたのにごめんね。あの日、緊張とドキドキで口から心臓が出そうだった。あれが今の私の精一杯の頷き?です」彼から返信のメッセージがきたのは、次の日の午後だった。「お疲れ様です。あら、ありがとうございます。まぁ、もう元事業所に戻らないって啖呵きってたら緊張もするよねー」彼からの
私は元事業所に戻った週末、気分転換に子供達を連れて、神社に参拝しに出かけた。新事業所に移動した時にも、同じ神社に参拝したので、元事業所に戻った機会にまた行ってみようと思い、神社に参拝した。神社に参拝した帰りに、かりんとう饅頭で有名なお店に立ち寄り、仲の良い友達と彼へのお土産を買う事にした。まさかこのお土産が原因で、この後彼と5ヶ月間も口も聞かず、目を合わせる事もなくなるくらい、自分が傷つく事になるとは知らずに…今日はお話しが短くて申し訳ないです。体調があまりよくなくて…この続きはまた
6月1日、私は元事業所に戻った。朝9時に会議室と言われ、それまでは食堂で待機していてくれと言われ、時間まで食堂で待機する事に…元事業所に戻っても歓迎されているわけではなく、なぜ戻ってきたのか陰で何かを言われてるのは分かっていた。その時の私には針のむしろ状態で辛かった事を、今でも鮮明に覚えている。9時になり工場長と部署のリーダーと話しをし、6月からの1ヶ月の仕事内容と、7月からはまた別の仕事を覚える欲しいという話しだった。7月からの別な仕事は…新事業所との関わりを持つ仕事だった。私は
元事業所の工場長から正式に話しがあった同じ週に、新事業所でも私の6月の移動の話しが正式に話された。話しの内容は…・私が6月に元事業所に戻る事・どこの部署に戻る事になるかは不明な事(私は工場長から聞いていて知っていましたが…)・派遣さんには来週の朝礼で話す事・新事業所から社員の私が抜けるので、元事業所から誰か来るかは、分からないし来ないかもしれない事でもこの時には、誰が新事業所に来るかは決まっていて、それが4月に彼が連れてきた男の人だった。4月に彼が男の人を連れてきたのは、新事業所
6月に正式に元事業所に戻る事になった私は…元事業所の工場長から話しがあった次の日に彼に会社のチャットでメッセージを送った。「お疲れ様です。6月から元事業所に戻る事になりました。でも…適応障害は理解してもらえないんだなと思い知らされました。なんか疲れちゃった。」彼からの返信は…「お疲れ様です。戻る事になったんですね。あれだけもう、元事業所には戻る事はないって言ってたのにねー良く知らないけど、適応障害ってどんな症状なの?」私は彼の意地悪な返信にイラッとしつつも、適応障害の症状の説明の
元事業所の工場長が、新事業所に来た日…私は適応障害に理解をしてもらえない辛さを、元事業所にいる友達にLINEで話しをした。友達からは…「適応障害の類ってさ、理解できない人はいくら説明しても理解できないのよ。だから私は分かってくれなさそうな人には、話しをしたとしても期待しないんだ。でも今こんなに辛いんだよ、不安なんだよって気持ちを少しでも分かって欲しいよね」友達からのLINEのメッセージで、私は涙が止まらなくなり、その日の夜はずっと泣いていたのを覚えている。私は友達からのアドバイスもあり
5月に入りGWも終わり、元事業所の工場長から連絡があった。「話しがあるので、今からそっちに向かいます」という連絡でした。一時間後に元事業所の工場長が…食堂がある建物に移動し話しをすると…「6月から元事業所に戻る話しだけど、事業が縮小してるから、元の仕事には戻せないから、以前やっていた仕事をして欲しい。本当は2月に話しをした時にすれば良かったんだけど、出来なかったから」という内容でした。以前やった仕事とは…私が今の部署の所属になってからずっと携わっていた仕事で、作業を離れて5年が経って
4月になり、元事業所に戻るまで2ヶ月となった。この頃、拡大するはずの事業が拡大するのではなく縮小する事に…完全に縮小してしまった事業は…私が新人研修を行なっていた派遣さん2名以外の派遣さんを休業補償をする形で休業のお願いを…私は、あと2ヶ月で2人の派遣さんを独り立ちさせるという任務遂行の為、必死になっていました。そんな中…久しぶりに彼の方から会社のチャットでメッセージを送ってきました。「お疲れ様です。明日の午後にそっちへ遊びにいきます」私はなぜ彼が新事業所に来るのか検討も付かず…
次の日…私は夕方、彼に会社のチャットを使ってメッセージを送った。「お疲れ様。昨日、帰りに探したけど見つからなかったので…実は適応障害って病気になってしまって、その話しをする為に、昨日事業所に行きました。多分、元事業所に戻るかも…もう顔を引き攣らせながら笑なくない、心の底笑いたいよ」彼からのメッセージは次の週の月曜日に返信があった。「色々あったんだね。無理せずゆっくり治療していってください。環境が変われば良くなってくかもしれないしね。」この時私は、彼が適応障害という病気に理解を示し
仲の良い友達の居る部屋に向かった私は、その部屋の扉をノックしてからドアを開けた。「久しぶり」と言って入って行ったら、2人から「どうしたの」って聞かれ…私は泣きながら2人に産業医に提出する診断書を見せた。診断書を見た2人は、「明日からでいいから、こっちに戻ってきちゃいな」と言われ、私は泣きながら「それはさすがに無理かな〜」っと言った。2人に「とりあえず座って話そう」と言われ、今までの事を2人に話した。そして今から産業医との面談があり、面談まで1時間ある事も話した。久々に仲良しの2人と話
1週間後、元事業所に行った私は…事業所内の階段を上がり、事務所までの廊下を歩きながら、「事務所にある彼のデスクに彼がいなければいいなぁ〜」と思いながら事務所まで歩いた。事務所のドアを開ける前に深呼吸をし、事務所のドアを開けると…3ヶ月ぶりに会う彼が、自分のデスクに座って本を読んでいた。私が事務所に入ってきたのを見つけた彼は、驚いたような、はにかんだ笑顔を見せました。その表情を見た私は嬉しい様な、複雑な気持ちになったのを今でも覚えています、新事業所の上司の所に行き、話しをすると、「まだ
心療内科を受診した4日後…私は新事業所の上司に時間を作ってもらい、自分が適応障害である事、病院の先生から元の事業所に戻してもらった方がいいではないかと言われた事を話した。上司からは「元事業所の工場長と常務に話しをするので、少し時間を下さい。あと診断書が必要になると思うので、診断書の準備もしてください」という回答だった。私は病院に電話をし、診断書を書いてもらえるようにお願いをした。新事業所の上司に話してから4日後…1週間後に元事業所に行く事が決まった。元事業所に行く理由は…・元事業所
2月某日、心療内科を受診した私は、泣きながら今までの事を病院の先生に話しをしました。・事業拡大で移動になった事・憂鬱な気分になっている事・仕事中でも家でも涙が止まらなく、過呼吸になってしまっている事・一緒に新事業所に移動した女性社員からの、否定的な言葉を言われた事・会社を辞めようと考えている事・辞めてしまうと、子供が2人いる為経済的にキツくなってしまう事今までの事を話しを終えた後、先生から適応障害であると診断され、病院の先生の勧めで「一度、会社に病気の事を話して、元の事業所に
2月になり新しい仕事を探しながら、心療内科の受診を待つ生活をしていた。相変わらず、涙が止まらない状態と過呼吸は続いていて、1人で抱えているのも限界に近づいているのを感じた私は、一緒に住んでいる両親に今の自分の状態と心療内科の受診と会社を辞める事を考えている事を両親に伝えた。両親からの反応は、「そんな状態なら会社を辞めてもいいんじゃないか」と言われ…ちょうど父が仕事をもらっている会社で人員の募集をしているので、今の会社を辞めるならその会社に話しをしてくれると言ってくれました。私は「とりあえ
心療内科を探し始めた私は、5件の病院に予約の電話をしました。1件目の病院に電話をかけたところ…「現在、新規の患者さんの予約を受け付けていません」と言われ断られてしまいました。2件目の病院に電話をかけても、1件目の病院と同じ理由で断られ…「こんなに予約が取れないのはなんでなんだろう?」と思いながら、3件目の病院に電話をかける事に。3件目の病院に電話をかけたところ、新規の患者さんの予約は、今から予約を取ると6月になりますと言われ、さすがに6月まで待てなかった私は「別な病院を探します」と伝え
新しい年が明け、2022年が始まり…私は憂鬱状態で仕事始めを迎える事になった。会社からの通達で元の事業所で行われる年頭の挨拶の昼礼に参加する事に…久々に彼に会える喜びで、憂鬱状態だった私の心は少しずつ晴れていくのがわかった。彼に会ったら彼と何を話そうとか、きっと「もう元の事業所には来る気はないって言ってたくせに来たね」とからかわれるかなとか色んな事を考えていました。でも年頭の挨拶の昼礼が行われる前日、関東地方は大雪にみまわれ、参加するはずだった年頭の挨拶の昼礼には参加する事は出来ません
忘れられない恋⑷を投稿する前に…忘れられない恋⑷から私の娘(長女)がちょこちょこ出てきます。実は私は2年前に離婚をし、一人で2人の子供を育てる母です。これから先の日記にも長女の話しが出てきたりするので…前置きという形で書かせていただきました。
会社の事業拡大で移動になった私は…会社の利益の為、この事業拡大を成功させようと心に決め新しい事業所へ…仕事内容は元の事業所で携わっていた仕事の前工程。携わっていたといっても、元々私がやっていた仕事とは全く違い、一から仕事を覚える事に…慣れない環境での新しい人との関わり…自分も仕事を覚えなければいけないプレッシャー…新事業所に移動した頃は、毎日がバタバタで…でもその中でも彼と連絡を取る事が、私の安心感と癒しになり、仕事に邁進する事が出来ました。でもこの時の私はまだこの後、自分の心の
ちょうど2か月前、私は1人の男性に恋をしていました。彼とは今の会社で出会いました。いつも彼は私の仕事の愚痴やプライベートな相談にのってくれました。私も彼の話しを聞いたり、好きなアニメの話しをしたり…この関係がいつまでも続くと思っていたのに…一昨年、会社の事業拡大で、私は他の事業所に移動になる事になり、彼と離れ離れに…この時に自分の気持ちを伝えるか、彼の連絡先を聞くか悩みましたが…どちらも伝える事はせず、連絡は会社のチャットを使って取る事にしました。まさかこの選択がその一年後、自分