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「第十講人生と国政」昭和元年には、金鶏学院を創立。軍・政・官・財・青年志士の仰望する泰斗となられた。先生に対して、偶々理論右翼の総師であるなどという浮説もありますが、これは一知半解の徒の曲解であります。(4343'23)
釈量子の志士奮迅[第91回]-コロナ発・石油危機が迫るhttps://the-liberty.com/article.php?item_id=17059-リバティwebより
おれはオレンジャー!かつて日本という国は藩という諸国に分かれそれぞれの土地を大名たちが統治していたある日黒船がやってきて藩という意識ではだめだと築いた若い志士が命を賭して藩の境界を越えて日本人という意識を産み出した今、地球は国という概念を超えられるかどうか試されている黒船ではないが人類の脅威となる様々な出来事に対してどう行動するかが問われているどこかの国が悪いとか誰々が悪いとか責任のなすり合いやけなし合いをしている場合ではない「地球人」とし
こんばんは実は昨日開業したばかりの界・長門行ってきましたライブラリーで素敵な本に出逢いました▪️齋藤孝著▪️声に出して読みたい志士の言葉□岡倉天心変化こそは唯一の永遠である。□変化を恐れず変化を楽しみ変化し続ける成長するとは変化することこんなことを思いましたライブラリーです今日も何かを恩送りではお元気さまでいきましょう
こんばんは▪️吉田松陰の言葉□それ志の在る所、気もまた従う。志気の在る所、遠くして至るべからざる。なく、難くして為すべからざるものなし。ー志があれば、気力もみなぎる。志と気力を兼ね備えれば、どんなに目標が遠くとも困難があろうとも達成できないものはない。□まさに「志士」今日も何かを恩送りではお元気さまでいきましょう
若宮ガイドは山道を少し上がって、こんもりした森のあたりを指さした。あの森が三島神社の境内の森で、その右に今月オープンする「雲の上の図書館」があり、その隣に複合福祉施設「YURURIゆすはら」がある。梼原町の中には建築家で東京大学教授の隈研吾(くまけんご)氏の設計した建物が、梼原町総合庁舎、まちの駅「ゆすはら」、雲の上のギャラリー、雲の上のホテルレストラン、複合福祉施設「YURURIゆすはら」と今まで五か所あったが、彼の設計による6番目の建物が「雲の上の図書館」で、他の施設と同様に、町面積の9
掛橋和泉邸を出て、これから脱藩の道を上がって茶堂と六志士の墓を見に行く。坂を上がっていくと、道の左側に側溝があり、綺麗な水が勢いよく流れていた。「この水飲めますか」と若宮ガイドに聞いたら、四万十川の源流の水と同じだという返事なので、流れている水を手にすくって飲んだ。ここ梼原町は、四万十川源流地といくらも離れていない本当の山間の町である。坂道が突き当りになった。真っすぐ細い道を行けば六志士の墓に出るが、道を左に曲がってまず茶堂を目指した。そして、茶堂に到着である。茶堂とは、かつて村の
私の「たばこ歴史」-禁煙談や「最高の一服の瞬間」などを紹介ニコニコニュースたばこにまつわるさまざまな歴史を紐解いてみたので、普段あまり見聞きすることがないであろう「他人のたばこヒストリー」を思う存分、のぞいてみてほしい。ゆきぽよ、上沼恵美子を仰天させたデビュー当時の黒歴史と地味過ぎた“芸名”徳間書店...ました」などと過去の黒歴史も仰天告白。隣に座っていた笑い飯・西田幸治が「安室ちゃんの歌を歌うんじゃなくて、名前を歌うの!?」と驚きの声を上げていた。数式がでてこない、異
回天神社鳥居看板説明文幕末の「元治甲子の変」「天狗党の変」を伝える神社です。水戸殉難志士の墓鳥居の向かい側にはたくさんの墓があります。回天神社の梅狛犬献木水戸と敦賀は姉妹都市となっています。看板淡墨桜、天狗党の西上と関係があります。看板周囲です。神社の隣には倉があります。看板説明文敦賀で天狗党が捕らえられた鰊倉です。悲劇の現場である鰊倉、水戸へ移築された経緯を伝えます。天狗党、352名が亡くなります。回天館、鰊倉の名です。中へ進みます。天狗党の資料があり
前回からの続きです(平成28年3月21日の蔵出しです)次に行ったのは霊山歴史館の近くの京都霊山護国神社住所・京都市東山区清閑寺霊山町HP→京都霊山護国神社こちらには以前にも行ってますその時御朱印も頂いてますので、記事リンクしておきます→京都霊山護国神社狛犬駒札こちらには幕末、維新に殉じた志士と、それ以降、大東亜戦に至る京都府出身の英霊七万三千十一柱を奉祀されているそうです明治元(1868)年5月に、太政官布告をもって我が国初の官祭招魂社とすべきことが定められました(京都大
『世の中に無神経ほど強いものはない。』(勝海舟、志士)今日も皆様にとって素晴らしい1日でありますように!
兄弟の志士「塾生」杉蔵の死後、和作は萩へ・・・さて、長州藩は、蛤御門の変の責任を迫られる一方攘夷戦争の報復として、四国連合艦隊の攻撃を心配していた。元治元年「一八六四」七月末、四国連合艦隊が下関に向かっているという報せが藩に入る。その頃、俗論派「長州藩内の、幕府に従う一派」が藩の要職に就き、長州藩は蛤御門の変について幕府に謝るべきだという考えを示した。和作は、兄杉蔵が戦死したことを知らせるため、萩に戻って来た。本来なら、兄が萩にいて藩主のために仕えて欲しいと思ってい
「日商簿記1級商簿テキスト」テキストスッキリわかる日商簿記1級商工全8冊を図書館で借り、教材0円でタダ勉強するつもりでした。借り出し期間2週間。一旦返し、再度借りれたら良いのですが、商簿テキストⅠは予約者がいたので借りれませんでした。次のテキストⅡを借りたのですが、どうしてもテキストⅠをマスターしないと解けない問題が有り、泣く泣くメルカリで最安値商品を購入しました。最新版8版より古い6版。綺麗な商品です。お値段、定価2,000円の1/5。400円(送料込み)安いし良いでしょ
古高俊太郎邸跡京都府京都市下京区西木屋町四条上る江戸時代、攘夷派の志士として活躍した。1829年、近江国栗太郡古高村(滋賀県守山市)生まれ。別名、枡屋喜右衛門、湯浅喜右衛門。父は大津代官所の手代・古高周蔵、母は公家の広橋家家来の娘・松本すみ。山科毘沙門堂門跡に仕え、尊皇攘夷を唱える梅田雲浜に弟子入り。筑前福岡藩黒田家御用達・枡屋を継ぎ、古道具、馬具を扱いながら宮部鼎蔵らと交流し、有栖川宮との間をつなぐ。1864年、新選組に踏み込まれて捕縛される。武器弾薬を押収され、諸藩浪士との
るしおがタメ口きいてました鬼ごっこ嫌いなりゅうちゃん今回は特例で参加してくれました私の紹介で入っても初めは年功序列底知らずで練習して強くなり年上を追い越すのは構わないダッシュでいくら追い越しても構わないただ優しいパイセンに舐めた口の聞き方態度は許しませんよ学校や今の世の中の風潮は鹿浜ボクシングジムじゃ通じませんよいつ何時尊皇攘夷が来てもいいように志士を目指してください私は保守派だがな右よりのスタッフ募集中
第1節日本独自の経済精神を打ち立て世界に打ち出してゆけ新生日本の経済精神というものが、本当の意味において世界をリードしてゆくものとなった時に、私達は、本当の意味において、日本の第三の開国を遂行したといえるのであります。何も開国というのは、外なるものを内なるものへと招き入れるだけが開国ではなくて、外なるものを学びながら、同時に、内なる良いものを外に向けて出してゆくということ、それによって初めて、国家間の交流というものが出てくるのであります。従って、日本は、そのような弱
【京都綜學院第1回】20200112本日から第1期の京都綜學院が開院しました。講師の林英臣先生は「綜學」の創始者であります。また松下政経塾の1期生であり(野田前首相と同期)、現在は林英臣政経塾を開いて、多くの政治家を指導するなどして貢献しています。林英臣政経塾は基本的に将来政治家を目指す人のための塾です。京都綜學院は、政治家志望ではなく、林先生の綜學を生活に取り入れ、日本や世界に貢献していきたいという意識高い人たちが集っています。月1回全12回のスケジュールです。私スピリット
★人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ。坂本龍馬、志士★発行元ライツ社様の許可を得て転載しております。大切なことに気づく365日名言の旅より
「12/14は、討ち入りの日でした」「忠臣蔵・赤穂浪士伝説」「主君の仇を討つ47人の忠義の志士」「英雄はずっと輝き続けます」「百花繚乱・元禄太平記」「そして、峠の群像」「赤穂浪士よ永遠に!!」<1/47>
『時勢に応じて自分を変革しろ』これは坂本龍馬の残した言葉です幕末の時代、大きく時代が変わろうとしているとき藩だの武士だの、上士だの郷士だのそんなとこに拘っていては何も変わらない人の階級を無くして皆、平等な日本人だという考え方をしていたのが龍馬です世の中が動くときそれに合わせて、もしくはそれ以上のスピードで自分自身が変わらなければ時代においていかれることになり事を成すことはできなくなる時勢に逆らって今までの考え方に
事をなさんとすれば智、勇、仁を蓄えねばならない坂本龍馬志士(2019年12月2日)智:智恵、知識、賢さ勇:勇気仁:優しさ、思いやり
第4節新しき志士道精神を樹立し新生日本を建設してゆけ(2)~天下国家のために生命を賭けよ~「青年よ、大志を抱け」という世情でありながら、それが望まれている世情でありながら、その大志を抱くというささやかな原点を見失って、青年期を漂流している多くの根無し草のような青年の魂に真に火をつけ、本当の意味で、火の玉のように時代を駆け抜けて、そして、時代を根底から変えてゆくような、そうした新しき時代の志士を、そして特に、志士的ビジネスマインドをもった起業家の出現を、大いに期待
第4節新しき志士道精神を樹立し新生日本を建設してゆけ(1)~天下国家のために生命を賭けよ~昔の武士は、多くの場合、国家に仕え、国家からその経済的基盤を得ていた方が多かったでありましょうけれども、現代における志士は、出来るならば、自前でそのような経済的基盤を調え、様々な志士にそのような経済的な支援をし、様々な志士を育ててゆくような、そのような力強い起業家がいてもよいのであろうと思います。また、新生日本に向けて、様々な施設を民間の立場から寄附出来るほどの大い
みんなの回答を見る八年前の無知な俺、の状況でここまで辿り着いてたのか(*´∀`*)y-゚゚俺に、感心しちゃった(*´艸`*)日教組、労組、朝鮮スパイ、米国の画策ここら辺の知識がなかった頃だから、その部分に触れずに、為すべきことを書いてる。ま、日本人を骨抜きにしときたかったんだろうし、現状ふにゃふにゃヘロヘロですけど、、外国勢力の思惑に、反骨できる気骨ある志士達が、増えてきてるのも事実(´ω`)外国人とされる人達の中に、大和の魂を持っている人が、増えてるというのも事実。国力が衰退
第3節真に至誠を貫き理想を掲げて無限の可能性へと挑戦せよ(2)~「永遠の青年」達の時代~青年が青年である理由は、無限の可能性へと挑戦してゆく所にあるのだということを、その若き生命の躍動こそが新時代を創ってゆく源であるということを、よくよく銘記していただきたいと思います。その意味で、数多くのベンチャーな方が出てこられることを時代は望んでいます。それがベンチャー企業であってもよいと思います。またさらに、学問においてもベンチャー精神は求められるものであります