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京都の暮らしも18日目・・・滞在予定の半分が経過しました。上洛した頃は桜の満開が間近の季節で、毎日桜の名所を訪れていましたが、今はもうみ〜んな葉桜となってしまいました(^^)代わりに、今ごろは初夏の瑞々しい若葉『青もみじ』が見頃になっています。ご存知の通り、京都には秋の紅葉🍁の名所が多いのですが、その紅葉の名所はちょうどこれから『青もみじ』の美しい季節になっていきます。北野天満宮の史跡御土居のもみじ苑でも正に今が見頃の『青もみじ』となっていました。☟この日、NH
4月6日に光悦寺や源光庵に行った後、光悦堂で御土居餅を買いました。全然知りませんでしたが、結構有名な餅だそうです。豆大福(?)です。とても美味しい!リピあり!!ちなみに御土居とは・・・京都市:御土居www.city.kyoto.lg.jp光悦堂の真ん前に史跡御土居があります。
上七軒の「ふた葉」でしっぽくうどんを食べてから…学問の神様、北野天満宮にお詣りしましたm(__)mそのあと梅苑「花の庭」へ…境内でもたくさんの梅が見れますが、さすがに「花の庭」はきれいでした(^.^)そして、ここで見たかったのが豊臣秀吉が築いたという「御土居」外敵に備える防塁と,鴨川の氾濫から京都を守る堤防として,多くの経費と労力を費やして築いた土塁で、その一部がこの北野天満宮に遺されています…御土居からは豊臣秀頼が造営した国宝の御本
北野天満宮もこれでファイナル!行ったのが3月7日なので、記事のアップに2週間かかってる(笑)見上げれば、青空♪やっぱり天気がいいと気持ちがいい遅咲きの梅は紅梅が多いようなので、赤い方へと行ってみよう紅梅白梅立派な枝垂れ梅♪えっ?これも飛梅?飛梅って何本ありますの?さて、ここからは・・・御土居へと進む
2月26日の北野天満宮の梅苑です。今年は梅が咲くのが早く、公開は本日3月17日までです。《令和9年菅公1125年半萬燈祭に向けた記念事業として進めてきた菅公ゆかりの梅苑を、令和4年「雪月花の三庭苑」のひとつ北野「花の庭」として再興した。「東風ふかば・・・」の御歌や御神紋(星梅鉢紋)にも代表されるように天神様と梅との御縁は深く、境内一円には約50種1500本もの梅の木があり、紅梅白梅・一重八重と咲き誇る風情は古来都随一の梅の名所としてその名を馳せている。江戸時代、俳諧の祖と仰がれた連歌師松
午後から雨予報だけど京都行こ午前中で帰る予定コレ前から見たかった光悦垣北区鷹峯光悦町本阿弥光悦が一帯を家康から拝領し芸術家たちと移り住んだ村京都の北西部鷹ヶ峰鷲ヶ峰天峰鷹峯三山を望む山懐(京都市内なので現代は住宅街です)今日も鶯がなくのを聞きました光悦以前は追い剥ぎやもの取りが出る様な所だったんですって広いのかなーって思ってたんですが散策出来る範囲はそんなに広くなく程よく集中して美しい庭や建物を見せてもらえます借景に三山が有りお庭の奥行きが有りま
京都市北区紫野の丘陵地にある招善寺にお参りです境内は大宮御土居遺構に南隣し「御土居の守り寺」と呼ばれているそうです山号は本念山浄土宗のお寺ご本尊は阿弥陀如来様安土・桃山時代1591年に豊臣秀吉により御土居は築造されましたその後江戸時代前期1702年頃に招善寺は現在地に開創されたそうです本堂前には白砂と石組および曲線に刈り込まれたサツキの枯山水の庭があり今はしだれ白梅がとても綺麗でした又境内は時代劇などのロケ地として必殺仕事人や暴れん坊将軍など撮影されたそう
こんばんは!前回の続きで、北野天満宮の梅苑に入ります。ここから御土居に入ります。史跡御土居御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉公が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として、天正19(1591)年に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。台形の土塁と堀からなり、その延長は22.5㎞に及び、東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条あたりに沿って築かれました。土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所にはいわゆる七口を
令和6年3月3日(日)今日は朝から久々の晴天なり。北野天満宮の梅苑に行くことにした。本殿に参拝するだけなら拝観料は無料だが、梅苑・御土居を見る場合は拝観料が必要となる。¥1,200円(お茶•菓子付)。合わせて「御土居」も巡る。《北野天満宮》通称天神さん一の鳥居。楼門。梅苑。梅苑。梅苑。御土居。境内。船出の庭付近。紅梅殿。三光門。本殿・拝殿前の梅の木。西回廊外側の梅の木。東向観音寺。北野天満宮の参道沿い西側にある。特別朱印。菅原道真公が詠んた和歌。参道入口東
お天気がよかった2/28この日を逃すと、また☁/☂のオンパレードこの日しかない!と朝ごはんを食べたらすぐに北野天満宮へGO去年は駐車場に入るのに少しだけ並んだけど、早めの時間だったのでススッと駐車まだ人も少なめ外国人のおじさまプリティ♡と・・二人を撮影沢山の方にあら可愛い!お利口さんやなぁ!と声かけしてもらい、ジーッと見つめて話しかけられるとワンワンいう事がある龍兄が反応しないか細心の注意を
続いてカメラはCanonEOS1000QPフィルムはKODAKPORTRA160このあたりになると色味などフィルムによって楽しめました。2015年5月14日北野天満宮・御土居
続いてCanonEOS1000QP、フィルムはKODAK4002015年5月14日北野天満宮・御土居
たまたま北野天満宮を撮りたいと思って立ち寄った時、この場所があることを初めて知り撮りました。この写真は二回目に行った時の物。お土居とは安土桃山時代に豊臣秀吉が洛中洛外の境界として築き上げた水防のための土塁で、堤防ですね。その名残が見られる場所ですが、草木が多い茂り、堤防はこのあたりだったのかなと思いますが、今ではすっかり溶け込んで専門家か詳しい人しかわからないかも。それはともかく、有料で毎回公開されているわけではありませんが、HPチェックしてゆっくりと庭(?)を観覧するのもいいかと思います
秀吉の都市改造の一つとして建設された土塁を何と云うか?古代都市では、全体を囲い込む城壁を羅城と云うが、平安京に代表される日本の都では造られる事は無く、豊臣期に京都で初めて造られた。戦国期、最外郭の防御施設を「惣構(ソウガマエ)」と云ったので、これを豊臣政権は「洛中惣構(ソウガマエ)」、或いは土塁(土居)と堀によっていたので、単に「土居堀(ドイボリ)」とも呼んだ。その後、徳川公儀(幕府)も原則これを維持した。堀が機能を失った江戸期からは、「御
…近代の京都に繋がる都市改造を実施した人物と云えば?「豊臣秀吉」である。秀吉は天正15年頃から京都の都市景観を改造し始める。聚楽第の建造や新町割りの制定、御土居建設、寺町の設定である。短冊型の町割りは、平安京以来の正方形の町割りを縦半分にして、細長い町割りにした事で碁盤の目とは異なった景観を生み出した。御土居は洛中の周囲に築いた大きな土塁で、鴨川の水害から守るためのものと云う説、あるいは城郭構造の一部だとする説、その殆どは市街地に
北野天満宮•楼門に向かいます。まあ、悪天候の割にはそこそこの人出です。むむ?もみじ苑?もみじ苑🍁って?やーんN子さーん待ってえー🤳ちょうど訪問した時はもみじ苑の公開が始まって間もない頃でした。もう少しすると、夜のライトアップも始まるといった時期でしたが、どちみち午前中の訪問ですし、そこはまぁ、気にならず。あ、また牛さんがいました🐂雨も一時的に上がってきたかな、という感じでした。せっかくだから、もみじ苑🍁に入ることにしました。入園料は¥1,200でした。(公開期間2023
こんにちは。Alchemylab.sunokiマエタヒロコです。京都はようやく紅葉がきれいなタイミングに。例年よりだいぶ遅めな気がします。北野天満宮の御土居に行ってきました。赤い絨毯。観光の方もたくさん。北野天満宮は、梅の時期も美しいですが紅葉の時期もきれいです。わたしは常づね、気持ちのいい場所でワークショップをしたいと願っています。それは、空間と身体、心、思考は影響し合うと思って
先日行った京都旅行。。。方角がヨカッたのか。。。1泊2日の内に。。。マイ主人の。。。仕事の契約が2件も入り。。。まだまだ紅葉が残り。。。観光客で混み合っていた京都だけど。。。巻き込まれるコトもナク。。。まっ。。。35年以上通う場所での経験上で。。。混み合う場所は避けたけどね。。。ナンと。。。帰りの新幹線も。。。もう少し遅い便の新幹線に乗ってたら。。。クマ撃退スプレー漏れ騒動で。。。数時間待たされていたかもしれなかった。。。やはり京都はミンリーにとっても吉方だコチラは昨年の京都の続き
「金閣寺(鹿苑寺)」にも行ってみました。やはり人は多いですが、予想よりはやや少ないかも。でも中に入ってみると、途中の道が人で詰まったりしていたので、やはり多いのかも。途中から青空になりました。出口近くの茶室も席は空いているのに、なぜか行列。金閣寺の後は「北野天満宮」にも参拝。ちょうど月一の「天神市」を開催していて、一の鳥居からお店がたくさん、人もたくさん。色々とコラボ企画がありました。御土居のもみじ苑への入場料は1200円(お茶菓子・お茶付き)。最後は「老松
御土居の事を調べていたら西大路御池の近くに市五郎大明神があり訪れました市五郎とは御土居に住んでいた「狸」のことだそうで祠の中には狸が祀られているそうです市五郎大明神」は明治23年に岡崎に住んでいた北村利幾子がご神託を受けて御土居の上に祠を創建し「市五郎大明神」を祀ったのが始まりだそうです御土居の上につながる石段があり登ると「御土居」の東側にも祠や鳥居石碑が沢山あって街中の賑やかな住宅街だけど1人で行くには私は少し怖い…と思いました😰この前京都の街中にお猿さんが出
京都生まれの友が子供の頃御土居でよく遊んだと話していました私は御土居の事をよく知らなかったので御土居散策です😅昨日は北野天満宮マルシェが行われていたので近くの平野御土居を訪ねました御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と鴨川の氾濫から市街を守る堤防として天正19年多くの経費と労力を費やして築いた土手だそうですその御土居から石仏が出土されたとかで石仏が沢山並んでいました住宅街の中にこんな場所があるのに
京都市の市街地から見れば北の端ともいえる「鷹峯」。かつて、「本阿弥光悦」が徳川家康から土地を拝領し、ここに工芸村を開いたことでも知られている。その光悦の住居跡は、現在、紅葉の名所の「光悦寺」として知られている。また鷹峯一帯は、光悦寺だけでなく、島原の花魁・吉野太夫が寄進した山門で有名な「常照寺」もある。(光悦寺の紅葉)さらに、光悦寺の斜め向かいになる「源光庵」という曹洞宗の禅寺も、本堂にある「円窓」と「角窓」が、禅で言う〝悟りと迷い〟を示している、として知られている。
紫式部の邸宅跡、廬山寺金澤成保御所東の梨木神社と寺町通をはさんで、廬山寺(ろざんじ)がある。天台宗派の単立寺院で、詳しくは廬山天台講寺と称する。皇室の帰依も厚く、その陵墓が多く安置されている。境内地は、紫式部の邸宅跡とされ、『源氏物語』を執筆したところと知られる(拝観料は500円)。廬山寺の沿革比叡山延暦寺の中興の祖である良源(元三大師)により、天慶元年(938)、平安京の北にある船岡山の南麓に與願金剛院が創建される。寛元3年(1245)に、法然の弟子である覚瑜が中国
今日は河原町今出川から散歩します。MYMAPの知らない道潰し?にきました。大きな通りは両側歩きたいのとなぜ歩いていないのか謎な所もあったりしてソレを確認するために行きます!!府立医大の向かいにある御土居。裏側が少し減りましたがまだまだモフモフしています。この地図を書き始める前には通っていた道。「かもがわカフェ」さん。2階もあってにぎにぎしていました。隠れ家的なお店でおすすめ。左は誠光社さん。右はアイタルガボンさん。どちらも人気のお店。河原町通りがすぐ隣にあるなん
おひとりからのひみつの京都カリスマ案内人が教える48の歩き方(SB新書)[柏井壽]楽天市場「カリスマ案内人が教える48の歩き方」だそうです。京町家の灯りの先にはなにがあるのか…。伝統と最新と。老舗の京料理や上生菓子の、お店と同じくらい洋食、パン、スウィーツのお店が京都にはたくさんあります。令和2年からのコロナ禍によってそれまでのインバウンドによる賑わいが嘘のようにひっそりとした京都。いくつかの飲食店が閉店を余儀なくされましたが、生き残ったお店も、独立して新しく
ふるさとガイドの会のお勉強イベントあちこち学習山歩67「御土居巡り」に参加。「御土居」とは、豊臣秀吉が作った、京を洛中と洛外に分ける土塁。京都市:御土居www.city.kyoto.lg.jp現存する部分を歩いて巡った。阪急西院駅に集合し、直ぐに市バスで北野白梅町に移動。ここから歩き🚶♀️のスタート。まずは、北野天満宮へ。今日は、「25日」。天神さん。屋台がいっぱい。激安‼️どれでも3袋500円。帰り道なら買っている‼️撫で牛奥では修学旅行の中学生たちがおやつを
…9カ所の内、最も東に所在するのは何処か?天正19年聚楽第を本拠とする豊臣政権は、京都全域を城壁(土居、土塁、土居堀〈ドイボリ〉)で取り囲んだ。周囲は凡そ北が鷹峯・大宮・紫竹、東は鴨川、西は紙屋川、南は九条通で、江戸期の記録では総延長約22.5キロに及ぶ。構築当時は「洛中惣構(ソウガマエ)」「土居堀」などと呼ばれた。「御土居」と云う呼称は、これを引き継いだ徳川家が堀を軽視し、土居のみを敷地として重要視した為に生まれた。それが一般化した
おはようございます。今日から七十二侯が移ります。【蒙霧升降(ふかききりまとう)】深い霧がまとわりつくように立ち込める頃。まだ残暑は厳しいものの、早朝は空気が冷え、山間部や水辺では、あたり一面が白い霧に包まれて幻想的な風景を作り出すことがあります。霧(きり)と靄(もや)は、大気中の水蒸気が微小な水滴がとなって浮遊し、視界が悪くなる現象をいい、霞(かすみ)は、空気中の水滴やその他の粒子によって視界が悪い状態をいいます。霧と靄は現象としてはも同じです。気象用語では、視程1km未満の状態を「
鷹峯から降りてくる途中御土居の碑に出くわしました後ろの小山が御土居の跡です前に、ブラタモリでこの近くにタモリが来たとか近くのお店で紹介してました
照りつける熱い太陽光とこもった空気、逃げ場がなくて息苦しいです。昼間の用事はなるべく短時間で済ませ、朝夕に出かけるようにしています。今日は北白川へ行く途中、京都の町をブラッとドライブしました。こちらはあの有名な二条城!!!の裏門です。こちらは御土居です。(西大路御池駅近く)御土居とは豊臣秀吉が京都の町に、防塁と堤防として築いた土塁です。かつて京都の町をぐるりと取り囲んでいた土塁が、所々に史跡として残っています。こちらは下御霊神社です。車からの参拝で失