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桔梗を見に京都御所東側にある「蘆山寺」へ参拝。久々の4度目です。紫式部ゆかりのお寺です。「蘆」という漢字は読めるけど、なかなか書けないという方がいますが、よ~く見ると、そんなに難しい字ではありません。この黒扉の向こうは墓所で、御土居があります。入口にある紫式部像と中庭のみが撮影OKです。座ってこの景色を見ることができます。今年は帰郷の開花が早く、もうすでに終わっているかもと思いながら行って見ましたが、充分に咲いていました。桔梗の花は紫と青の中間
日曜日、さすがに十時を回るとシャツも布団も汗だらけで寝てはいられない。のそのそと起き出して、ぼんやりコーヒーを飲んでいるところに早瀬が押しかけて来た。「おお、お前由美子と別れたんやてなぁ」彼はそう言うなり、どっかと腰を下ろして勝手にインスタントのコーヒーを入れはじめた。「えらい落ち込んでるやないか」「落ち込んでなんていねぇよ」が、そう言った私の声は、自分でもびっくりするほど弱々しかった。「なーにが。まったく落ち込んどろうが」「そんなことより何だ、その話がもう広まっているのか、ニ
5月に行った京都二日目です。タクシーを予約した時清水寺から観光しながら三十三間堂をお願いしてましたが、清水寺は混んでいて、足の不自由な私は上の駐車場まで予定していたけど、時間的に混んで無理かも、上に停めれたしても帰りは徒歩になるかもということで、運転手さんにおまかせとなりました。復元されたばかりの唐門別名日暮門一日見ていても飽きない首が疲れたけど、美しい写真は撮れなかったけど島原へ狭い路地で、古い街並みで個人では行けない所へ連れて行ってくれます。北野天満宮学生さん
ホタルを鴨川で見ることができました少し見にくいですが、動画のせます五条橋川床が準備されていますハーヴェストの近くにあった御土居最後にお好み焼きこれは京都駅にある錦わらいさんお好み焼き食べて、帰宅です^-^
今朝の街ランは6kmでした。梅小路公園のアオサギ、今日も出会えましたよ!ウメさんおはよう正面から見ると珍妙な出で立ち。エイリアンみたいに見えてきます。公園内をぐるぐる走っているのも飽きたので、そのまま東寺へ向かいました。東寺と西寺の間にあった羅城門は、歴史の中で倒壊し、再建されずに消えたのですが、その後人々の間では、この東寺の門を羅生門とする風潮もあったそうです。ブラタモリで詳しく放送されていました。タモリさんがここへ来たなんて感激〜!
こんにちは´ー`)ノご来店ありがとうございます<(__)>癒し喫茶エコーのオーナー、ヴェルニー綾瀬です当店は、カフェ巡りやグルメおよび個人的なつぶやきを癒しをモットーに、気まぐれに更新していく架空のお店ですたわらやさんで昼食を済ませた私たち歴史探検隊は、ついでにすぐ近くの北野天満宮に向かいました歴史探検隊?(笑)『たわらや』こんにちは´ー`)ノご来店ありがとうございます癒し喫茶エコ
前回からの続き(2月23日のこと)です梅苑から御土居へも行くことが出来ました過去にも行ったことがあります→御土居『春期京都非公開文化財特別公開その5‐1御土居と宝刀展と‐前編‐(北野天満宮)』前回からの続きです次に行ったのは右京区から上京区へ京都非公開文化財特別公開ではありますが、他とちょっと違う色合い!?ぜひ見たかった北野天満宮の「宝刀展」ですそ…ameblo.jpその時は梅とかの時期じゃなかったので、花のイメージが無かったのですが、こちらも梅が咲いているようだったので行ってみま
来ていただいて、ありがとうございます。今日の文字は13日の「ブラタモリ」は「京都・東寺」お題は「東寺は京都のシンボル!?」JR京都駅から南西に1kmほどのところにある「東寺」街中にひときわ高くそびえ立つ五重塔で有名です。弘法大師空海の創建で世界遺産にも登録され国宝25件81点を有しています。平安京ができたのが794年、東寺の創建は796年。都の入り口「羅生門」をはさんで「東寺」と「西寺」がありました。しかし、現在は「東寺」のみ。「西寺」はど
昨晩のブラタモリを見ていてやはり1,200年余の歴史のある京都は奥深いモノがあると実感した特に御土居という壁で囲まれた時代があったとは鴨川の氾濫から守っていたらしい洛中・洛外とはこの概念だったんだやはり秀吉は偉大な人だったんだなと関西では太閤人気が圧倒的だというがむべなるかなと実感した吾輩は念願の修学院離宮桂離宮の見学許可を得たばかりだ京都に行くのが楽しみださて今日は母の日だ母はあの世だが妻は息子の母だ少しは感謝の気持ちを伝えよう
みなさま、こんばんは。ゴールデンウィーク、楽しんでいらっしゃいますか?観光地は多くの人出で賑わっているようですね。京都市内も例外なく、東も西も人だらけ。ならば北へ行ってみようか、という訳で北野天満宮の「御土居のもみじ苑」に行ってきました。エネルギッシュな緑。川のせせらぎに小鳥のさえずり。まぁ、なんて静かなこと!お着物での撮影には最高のロケーション。なんだけれども、私はやっぱりTシャツとスニーカーという軽装で。見えるか
こんばんはMANAです。今日はみどりの日なので先日観に行った新緑を。北野天満宮▽史跡御土居青もみじ苑4/8~6/25青もみじと、さらさら流れる紙屋川。とても癒されました。またどこかの新緑。観に行きたいです。ではでは☆MANA☆
こんばんはMANAです。5月になったら観に行こうと決めていたこちらへ今年も。北野天満宮▽史跡御土居青もみじ苑①4/8~6/25あ。拝観料は500円です。新緑の木々に光が差して、とても綺麗な景色でした。美しい緑と、朱い鶯橋のこの眺めとこの季節、癒されます。動画もちょこっと。ではでは☆MANA☆
前回は好みの顔の女性を書きましたけど、今日は男性編です。とはいえ、男の好みの顔なんてどうでもいいし、友達になりたい人とかにしよかなって思いまたけど、会ったことない人ばかりなのでそこまで判断できなきゃってことで、飲みに行きたい人ってことにします。あくまてもテレビで見た感じでの判断なので、どうしてもバラエティー系の人ばかりになりますが。早速第三位からと思いましたけど、順位つけられないや。それぞれ良さが違いすぎますので、みなさん同列ってことで。ジャングルポケット斎藤さん柳沢慎吾さんずん飯
…築かせた人物は誰か?「御土居」とは、天正19年、豊臣秀吉によって構築された洛中の市壁(土塁)である。堀が併設されており、当時は・土居堀・京廻ノ堤(キョウマワリノツツミ)・新堤・洛中惣構(ソウガマエ)などとも呼ばれた。竹が植えられ、当初の出入口は10カ所とされる。江戸期の絵図によれば、北は鷹峯・紫竹、東は鴨川右岸、南は九条通、西は紙屋川・千本通辺りに位置し、当時市街化していなかった農村部を含め、京都・洛中を広く囲んだ。聚楽
↑昨年撮影した伊奈波神社私、青いのも好きです♪↑こちらは関善光寺先日実家に向かって山道を走っていたら、茶色かった山の木々に新緑が芽生え、全体的に抹茶ラテ色になってきました。これが段々濃茶色になるのを見るのが楽しみです。私、紅葉も好きなのですが、実は青紅葉とか苔とかも大好き。今年は北野天満宮の御土居の青紅葉を撮影に行きたいですねぇ。ちなみに↑一昨年撮影した御土居の紅葉この時、同年代のおねえさんにちょっと絡まれたんだけど、それはまたいつかw
京都の街並みを、80km以上に渡ってぐるりと囲む京都(一周)トレイル。その一部になる北山西部コースにあるハンバーグ屋さん「山の家はせがわ」は、山の中の不便な場所にも関わらず、時には入場待ちになるほどの人気店です。私は過去に数回訪れたことがありますが、「まだ行ったことがないので、連れて行って欲しい!」というラン仲間のリクエストに応えるかたちで、久しぶりに行ってきました。普通の人は車で訪問しますが、そこは全員ランナーということで、嵐山から16kmほどを走っていくことにしました。実はこの企
前回はこちら西側の摂末社付近の梅の木です。西北側の摂末社です。西北側の摂末社付近の梅の木です。西側の摂末社です。摂末社の神明社です。文子社です。梅苑「花の庭」の外側にある、史跡御土居の説明板です。史跡御土居の紅葉の石碑です。摂社の火之御子社です。摂社の火之御子社の説明板です。摂社老松社です。摂社老松社の説明板です。摂社白太夫社です。摂社白太夫社の説明板です。摂社福部社です。摂社福部社の説明板です。末社伴氏社の鳥居です。末社伴氏社の説明板です。末社伴氏
前回はこちら史跡御土居の梅の木です。お茶とお菓子と引き換えました。七軒だんごもいただきました。梅苑「花の庭」の梅の木です。梅苑「花の庭」で、僕の着物姿の写真を撮ってもらいました。スマホでも、僕の着物姿の写真を撮ってもらいました。文道会館です。白い花のしだれ梅です。赤い花のしだれ梅です。続きはこちら
前回はこちら櫻坂46「桜月」の第2部:齋藤冬優花のオンラインミート&グリートの後、京都駅から嵯峨野線で円町駅まで乗り、そこで、オープニング動画を撮りました。そこから、西ノ京円町バス停まで歩いて行き、そこから、京都市バス203系統で北野天満宮前バス停まで乗りました。北野天満宮の鳥居です。北野天満宮梅苑「花の庭」公開のポスターです。二の鳥居です。神牛です。神門です。北野天満宮の説明板です。神門近くの梅の木です。梅苑「花の庭」の入口です。梅苑「花の庭」入口付近の梅の木です。
…【89】御土居である。東は鴨川・西は紙屋川・北は鷹峯・南は九条通で囲まれる長方形の4辺に土塁を構築して洛中・洛外の別を確定し、秀吉の統治が一元的に及ぶ区域の視覚化を意図したと推定される。建造当初には京廻ノ堤(キョウマワリノツツミ)・新堤の名もあった。土塁の高さは約5m、底幅は約20m、上部には竹が植えられ、伐採は役人が管理した。
中京区、河原町御池西南角。いつもよく通る場所に、今まで気づかなかった石碑と案内板。2013年に建立されたものですが、ちょうど落ち椿の艶やかさに見入っていて、史跡があることに気づきました。京都あるあるなのか、こちらは2つの歴史を併せ持つ場所。案内板にも2つの史跡が併記されています。まずは時代の古い方から。天下統一を成し遂げた戦国武将・豊臣秀吉(1537~98年)が、京都の都市改造の一環として外敵の来襲や鴨川氾濫に備え、天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして、総延長
木曜日の祝日。天皇誕生日らしい。おめでとうございます。そして散歩はまた探し物のように歩く。まずは「鳥羽天皇皇女尊称皇后統子内親王花園東陵」この辺りは陵がいくつかあるけれど辿り着ける所はなかなかない。ここから先は入れず。致し方なし。こちらはまだいけました。「鳥羽天皇皇后璋子花園西陵」ここからが下立売通りスタート。西からです。妙心寺ら辺からになります。長いね。実は大文字が見えるのですよ。コレはなかなかすごいのですよ。ちょっと写真からは無理があるかしら。紫野西
前の投稿やインスタのストーリーで紹介したさかなクンの自叙伝夫も読み始めて面白いと好評です♪子育て中のパパママにおすすめです👍さかなクンの一魚一会~まいにち夢中な人生!~[さかなクン]楽天市場1,430円
2022-12-17どんどん中に入っていきます御土居近くの石碑御土居の紅葉うん、確かに紅葉があるねおっと、ここでまたスタッフさんらしき人達を発見アンカーさんなのか分からないけど、ついて行こ出るみたい〜振り向いてパチリなんだか、モッコリなってるねごちらも〜御土居トコトコ〜あ!ここにも豊臣秀吉もなかなかやるね〜トコトコ〜最初スタートした公園に戻って来たてことでゴール♪ライオンちゃんと撮ってもらいました雨が降ってるのでライオンちゃんは、屋根のあるところにいまし
…都市改造を進めたのは誰か?信長の後を継ぎ、天下統一を進める羽柴(豊臣)秀吉は、当初その本拠を大坂に求めたが、種々の事情で断念。本拠は京都に置き、関白として天皇の伝統的権威を借りる政権構想に変えた。そのため洛中西端の内野に聚楽第を築城し、周囲に多数の大名屋敷を営んだ。これに併せて、応仁の乱の痛手が癒えない京都の再開発を行う。例えば天皇の居所である内裏の周辺に公家町、洛中東端に寺町、正方形だった平安京建設以来の街区の真ん中に南北の新道
北野天満宮の梅は蕾をふくらませていましたここはいつもたくさんの参拝客ですね我が家も初詣に行きました楼門には干支のうさぎの絵馬扁額の「文道大祖風月本主」は慶滋保胤、大江匡衡が菅原道真を讃えた言葉中門の三光門は後西天皇御宸筆『天満宮』の勅額威風堂々と美しい門参拝客のみなさんカメラをむけています本殿は慶長12年(1607)に造営安土桃山様式の華麗さです北野天満宮は村上天皇天暦元年(947)御神託により平安京の天門(北西)にあたる北野の地
北野天満宮⑬御祭神菅原道真公令和4年5月3日参拝御朱印『御土居の青もみじ』(史跡御土居の青もみじ公開記念御朱印)北野天満宮御土居青もみじ御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
天下統一を進める「秀吉」は関白に任官し、大坂ではなく京都を本拠とした。そこで、応仁の乱で壊滅し場当たり的にしか復興されていなかった洛中を統一的に整備した。この一連の事業を「秀吉の京都改造」と呼んでいる。この改造された京都が今の京都中心部の骨格となっている。秀吉は都市改造の最終段階で、京都を大きく土塁と堀で囲い込んだ。その位置は江戸初期の絵図によれば、南は九条、東は鴨川、西は紙屋川(北野さんの西)・千本、北は鷹峯・紫竹辺りであった。
この日(2022年4月)は京都の円町での用事を済ませ、悪天候ではあったが散歩がてら、バス停にして2つ分ほど南へテクテク。↓市五郎大明神鳥居ここに、豊臣秀吉が築いた御土居(京市街地の周りにぐるりと巡らせた防塁)の一部が残るという。1591(天正19)年、建設。天下統一を成し遂げ、しばしの平和な時代の事だ。↓史跡御土居_説明御土居の目的としては、うやむやだった洛中と洛外の境界線を確定させる守るのに脆弱な政務の中心地(聚楽第など)を、外敵から守る用心、桂川の氾濫から住民を守る戦乱の中