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引接寺の龍唐戸の赤間通りを東に突き当たった所に引接寺がある。このお寺は、明治二十八年(一八九五)三月、春帆楼で日清講和談判が開かれたとき、清国使節、李鴻章一行の宿会舎となったところである。山門の天井に飾られたみごとな龍は、左甚五郎の作と伝えられているが、この龍について次のような伝説が残っている。旧藩時代のこと、夜中に引接寺の石段下で、旅人が何者かに殺害され、それから何度となく同じ時間、同じ場所で入が殺された。犯人がわからないため、町の人は鬼が出るといって恐れ騒いだが、旅の侍が待伏せて
2023年5月5日越前ぶらり旅、舟津神社に続いて千代鶴神社に行ってきました越前打刃物の祖、千代鶴国安を祀る神社とのことで。きれいな水を求めて京都から越前にやってきたそうで、刀を打つ水を汲んだと伝わる千代鶴の池もあります。粟田口派に変わって山城で栄えたのが来一門。淡路来国安の門弟の二代国安が千代鶴派の祖となったそうです。ただ、千代鶴派の名前は竹中大工道具館で見たことがあったのですが、国安ではなかったではでは、武生駅から千代鶴神社までの見どころを紹介していきましょう!蔵の辻大正・昭和
近くのお寺へ参拝日2023/3/286/6引接寺いんじょうじ山号:普照山宗派:浄土宗愛知県豊田市畝部西町国江32☎0565-21-0838寺号票山門山号額本堂境内には大きなクスノキが御朱印はご住職が不在でいただけませんでした。駐車は境内が狭いので道向かいにある集会所に停めるのが良いと思います。
【4月8日】京都市上京区にある高野山真言宗引接寺(千本えんま堂)さんへ。普賢象桜の御朱印。切り絵御朱印。
名古屋のシンゾウです塵も積もれば山となる.....このブログの掲載問題数が、まもなく40,000問になります。本格的に問題掲載を始めたのが、2021年1月3日、現在、39,560問です。間違いも沢山あったでしょう、重複した問題もあったでしょう.....それでも良く続けられたと思います。続けられた原因、一番は大きな病気をしなかったこと、多くの方が見てくれていること、京都検定(京都)への情熱が冷めないこと、京都検定の存続への祈り、自己啓発、仲間づくり等々です。100,000問を目指します。新規
京都市上京区千本通廬山寺上る閻魔前町にある高野山真言宗の寺院・引接寺(いんじょうじ)。一般には千本ゑんま堂の名前で知られていますね。そして、このお寺にある「普賢象桜(ふげんぞうざくら)」を知っておられる方も多いかもしれません。「千本ゑんま堂」には源氏物語を書いた紫式部の供養塔がありますが、そのあたりに「普賢象桜」はあります。このお寺を八重桜の時期に訪れて最初に目につくのが、千本通に近い桜。この桜は「松月桜」といって、「普賢象桜」でないことの注意書きもありますので親切ですね。◇千本
行動制限のない大型連休に、無料でゆっくりと狂言三昧はいかがでしょう?令和5年5月1日(月)~4日(木祝)セリフがあってわかりやすい、爆笑伝統芸能。会場はオープンエアーなので換気対策は十分。千本ゑんま堂引接寺(いんじょうじ)大念仏狂言五月本公演。4日間で27演目(延べ31回)が上演されます。(観覧無料)今年は観客席をコロナ前の規模に戻し、椅子席が約200、それ以上も立ち見が可能です。番組表と演目紹介↓五月本公演例年通りで開催決定!京都の古寺『引接寺=千本ゑんま堂
4月16日は所用で京都までドライブ〜♪金閣寺近くで用件をすませてあたりをふらりと散策してみたところ〜こちらの「千本えんま堂」と呼ばれてる引接寺に引力を感じてふらりと中へ♪普賢象櫻という雄蕊が2本、にょにょ〜っと伸びててその姿が普賢菩薩が象に乗ってる姿に似てるということで普賢象櫻という名前になった、というお話を可愛い尼さんから聞かせていただきました♪尼さんてあまりお見かけしないですよね・・・。しかも結構お若い方で、なんというかちょっとファンタジーの
この日は千本ゑんま堂(引接寺・いんじょうじ)へ。普賢象桜発祥の地である千本ゑんま堂の普賢象桜、松月桜、関山桜を愛でに行ってきたんです☺️千本ゑんま堂HPより普賢象桜射干関山と普賢象桜が満開🌸🌸🌸💕モッコウバラ黄色のモッコウバラはもふもふ💕していて可愛らしい☺️関山こちらはツノがあるので普賢象桜普賢象桜と関山桜えんま様の下は松月桜が満開で普段のえんま様は怒ってるような顔だけど松月桜🌸が満開の時は少し微笑んでるような気がします☺️松月桜ほぼ独り占めの満足
閻魔法王を本尊とする千本・廬山寺上ルの「引接寺(インジョウジ)」は「千本閻魔堂」の別名を持ち、「迎え鐘」を撞いて精霊を迎える「盂蘭盆会」は参詣者で賑わい、5/1~4には「ゑんま堂狂言」が上演される。「閻魔前町」は引接寺を北・東・南の3方から囲む形で形成されている。
西陣にある遅咲き桜が咲くスポットへ散策。撮影日:2023.4.3引接寺千本釈迦堂雨宝院
寺社No.2204御朱印No.6502光明山千本ゑんま堂引接寺京都府京都市上京区高野山真言宗通称寺の会、尼寺の会2023年4月2日紫式部供養塔と普賢象桜【普賢象桜】東京府江北村(現・東京都足立区)の荒川堤で栽培されていた品種です。室町時代から知られ、葉化した2本の雌ずいの先端が曲がっていて、その状態が普賢菩薩が乗っている象の鼻に似ていることからこの名が付いたといわれています。
日本の塔千本ゑんま堂引接寺京都府京都市上京区重要文化財紫式部供養塔九重石塔高さ6メートル幅・奥行き185センチ花崗岩製境内の西北隅に建立されています。南北朝時代の至徳三年(1386)円阿上人の勧進により建立されたとの刻銘があります。紫式部のあの世での不遇な姿を見て成佛させんがために建立した供養塔と伝えられています。
2月3日御朱印を頂きに行きましたが、何人か並んではって、誰か倒れてる人がいて、救急車🚑️を呼ばれたと。えっ😱💥慌てて、取り敢えずこんにゃく煮を買って、く○○退かさないと、邪魔になるということで、御朱印は諦め退散。~ゑんま様とこんにゃく煮き~よく嘘をつくとゑんま様に舌を抜かれると聞きます。ゑんま様は、嘘を大罪とされ、裏表の無いこんにゃくがお好きということから、ゑんま様の好物がこんにゃくとなり、ゑんま様の舌を想像されるようになりました。倒れてはった方は、意識はある様子。千本えんま堂に来
千本通に面した場所にある「千本ゑんま堂」に雪景色を見に行きました。このお寺の正式名は引接寺(いんじょうじ)といいま。このお寺の本堂北側には紫式部の像と供養塔もあります。雪景色が源氏物語のポイントとなっている場合もありますので、雪の日のここを訪れることが出来てよかったです。2023/01/2514:00訪問撮影◇千本ゑんま堂の公式サイト◇千本ゑんま堂引接寺yenmado.blogspot.com<千本ゑんま堂の基本情報>拝観時間:境内自由拝観料:無料
…催される寺院は何処か?大蔵流・和泉流など能楽の中で発展して来た狂言とは別に、寺院などの伝統行事と共に民俗芸能として今日まで伝承されて来た狂言がある。その代表が「京の三大亥念仏狂言」で、・壬生寺の「壬生大念仏狂言」・引接寺(インジョウジ・千本閻魔堂)の「ゑんま堂大念仏狂言」・清凉寺(嵯峨釈迦堂)の「嵯峨大念仏狂言」がその3つで、壬生と嵯峨の大念仏狂言が面を着け、無言劇なのに対して、ゑんま堂の場合は、能楽中の狂言と同じく、殆どの演目にセリフが入るのを特徴
暫く書き置きになっていたので、久しぶりにお参りしました。直書きして下さいました。☺️
釘抜地蔵から歩いてすぐのところに、千本ゑんま堂があります。本当は、光明山歓喜院引接寺という名前ですが、千本ゑんま堂の方が良く知られています。あの、小野篁に縁のあるお寺です。※知る人ぞ知るあの世とこの世の行き来ができると言われた人です。祇園の近くにある、六道珍皇寺にある井戸を使って小野篁が行き来したと言われています。その小野篁のご霊跡と書かれていますね。境内に入ってすぐ左手の建物の二階には大きな閻魔大王が!こちらが本堂です。ご本尊は、もちろん閻魔大王様です
下関市阿弥陀寺町3−9李鴻章道参考日清講和談判と下関日清講和談判は下関で行われた。明治二八年三月二〇日、李鴻章は清国講和全権大使として百数十人の随員を従えて下関に着いた。日本側は、首相伊藤博文、外相陸奥宗光であった。三月二四日第三回目の会見が終って李鴻章が宿舎の引接寺に帰る途中、小山豊太郎から、ピストルで撃たれた。(写真集明治大正昭和下関より)(彦島のけしきより)下関の地で李鴻章の治療にあたった陸軍軍医総監・佐藤進医学博士李鴻章道と受難地点
***わら天神***1980年頃『わら天神行き』の市バスがあることに気がついてました。《面白い名前の神社♪》と思いつつ40年が過ぎたのね。平野神社の近くということもあって(300m/歩いて5分)今回初めてお詣りが叶います。きっとこれも何かのご縁なのでしょうね(^o^)わら天神は正式には『敷地(しきち)神社』と言います。天神という名前だけど、ご祭神は菅原道真さまではなく『木花開耶姫命(コノハナサクヤビメノミコト)』。このことも、そしてサクヤ『ヒメ』でなく、サクヤ『ビメ』と読むことも
そしてそのあと向かったのが、千本ゑんま堂・引接寺さん、検索して初めて知ったぐらいで、こちらにもあるとは初めて知った、他のシーズンにはおジャマしてるんだけどね。お堂前にはお彼岸らしい活け花が、曼殊沙華は、お堂の裏の方なので、そちらに周ってみます、うん、なんか、異世界。独特の雰囲気が漂っていて、なんかこれ以上近づけない感、ズームで撮ってみました、石仏群ををバックに、なんかね、お寺さんに曼殊沙華、とてもよくマッチしてるね。そしてもう一か所、ここからあ少し東へ歩いて、妙蓮寺さん、
す釘抜き地蔵から次は、近くに有るという閻魔堂にむかいました。ちょっと心配になり、小学生の女の子に聞いてしまった。もう少しです、と言われた。雲行きも怪しくなってきたしな。着きました。引接寺(千本えんまどう)というらしい。え?開基は7世紀に、あの小野篁だそうです。あの世とこの世を行き来して、閻魔様に仕えたという、、。そうか閻魔様だものね。夫が好きな世界だ。今度は一緒に来ないとね。宗派宗旨を問わない民間信仰が続いている、とある。なるほどな感じです。非常に庶民的な駐車場みたいな場所に入ると
名古屋のシンゾウです私の家は、写真で埋まっています。玄関口の壁、廊下の壁、階段の壁、書斎の壁、家中にA4写真を貼っています。娘・孫・夫婦・旅行写真等々が100枚以上、孫9人の写真(成長記録)が中心です。始めたのは、コロナで自由に逢えなくなったことです。日々、それらの写真に癒されながら生活をしています。カラーインクの消費が激しいのが玉に疵ですが!!本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(592)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《漢字書取り》
8月16日に行きました。
最近、ずっと暑いですが今朝は一段と早朝から日差しが強く激アツでした。うちのお寺は通称「寺町通り」にあり、まあまあ風情がいい所です。良かったらその様子を動画で見てください。歩いている人がいないのはみんな暑さで?車で来ているからです。お墓参りにご家族で次々来られていますがなるべく人は避けました。本日の武生「寺町通りへ」福井県越前市ECHIZENTAKEFU2022年8月13日撮影#越前市#寺町通り#お墓参りyoutu.be
京都の千本ゑんま堂(引接寺)では7月15日まで風まつりが行われます。引接寺・ゑんま堂HP風祭り7月1~15日風祭り夜間特別祈願会ゆるやかに暮れ行く夏の夜心に染みる風鈴の韻と心に広がる香の薫りを愉しみながら雅やかな風を感じてみませんか本尊開扉...yenmado.blogspot.com行こうと思いつつも急な雷雨⚡️☔️で行けず。。。境内は無料、風鈴が飾られてるとか。
圓成寺をお参りした後、来た道を戻ります。行く時は気付かなかった「史跡御土居」。豊臣秀吉によって作られた京都を囲む土塁です。以前、ブラタモリで見た記憶が…。向かい側に「都本舗光悦堂」という和菓子屋さんがありました。「名物御土居餅」がとっても気になりましたが、朝一に「やきもち」を購入しているので…今回は泣く泣く諦めました。次回は食べてみたいです!光悦堂さんの過去のブログには豊臣秀吉が、洛中洛外を分ける折に築いた土塁である御土居を模して、光悦堂主人が考案した御土居餅は、
…「ゑんま堂大念仏狂言」が行われるのは?ゑんま堂嵯峨壬生京都には、古来、三大念仏狂言が伝わっている。念仏の意味を庶民に広げる為のもので、よく知られているのは、無言劇と云われる①「壬生大念仏狂言」。これは鎌倉期、円覚(エンガク)上人が始めたとされ、他に清凉寺(嵯峨釈迦堂)に伝わる②「嵯峨大念仏狂言」もあり、この2つは国・重要無形民俗文化財に指定されている。そして、3番目が③「千本ゑんま堂狂言」で、西陣の千本ゑんま堂こと「引接
続いて向かったのは「引接寺」です。こちらは千本ゑんま堂と通称されるそうです。高野山真言宗に属する寺院ですが地獄の裁判官である閻魔様をお祀りしています。その閻魔像を拝見したいと思いお訪ねしたのですが、ちょうど本殿では法要が執り行われていました。扉が閉じられた状況でしたので閻魔様のお姿はお目にかかれませんでした。残念閻魔様にお会いするには時期が早かったってことで・・・(笑)扉ごしにお参りだけさせて頂きました。地域に密着したとても親しみやすいお寺のようで