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先日、夫が姑の四十九日の法事で帰省した時に実家から送った荷物が届きました。その中には、親戚からいただいたお菓子等もあったので、息子が開けろとうるさいので開封しました。そうしたら、夫が自分でダンボールに詰めた物と微妙に違っていたとのことで、ダンボールを見たら、夫の妹の名前が書かれていまして、夫の妹の家に送る筈だった荷物が間違って届いてしまったことが判明しました(;´・ω・`)中に香典返しが二つ入っていまして、そのうちの一つは夫の妹が自分の姑さんに渡す予定だったとのことだったのですが、うっか
「弁証法的論理学」について、ChatGPTに質問してみました。最後の方では、説明の矛盾点など少し意地悪な質問もしてみました。User●弁証法的論理学について教えて下さい。ChatGPT弁証法的論理学は、古代ギリシャ哲学の思想家ヘラクレイトスやヘーゲルによって提唱された、論理的思考の方法論の一つです。弁証法的論理学は、対立する考え方や概念を統一するために、論理的矛盾や対立を積極的に扱います。弁証法的論理学において、ある命題や概念を分析する際には、その命題や概念の対立する側面を含
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)GWはいかがお過ごしでしたか。私は、一人旅で、奈良郊外の神社仏閣巡りをしましたよ😊明日から仕事で、ちょっぴり憂うつですが(^^;今回紹介する本は、田坂広志さんの最新刊!人類の未来を語るこの本、フランスの経済学者・思想家ジャック・アタリ氏からの要請から生れた本なのですが、過去の著作、未来を予見する「5つの法則」の内容も、加筆・修正されて、この本に含まれていま
📩◾️『流れとよどみ-----哲学断章-----』(大森荘蔵/産業図書)❽🔹「時を刻み切り取る」・「ゼノンの矢」と呼ばれるパラドックスがある。飛んでいる矢がある。時間幅ゼロのある時点でのその矢の状態を考えてみよう。何物であれ動くためにはどんなわずかであってもある時間がかかるだろう。だから、その時間幅がゼロならば、その矢は動ける道理がない。だからその点時刻での矢は静止状態にあるほかはない。しかし、すべての点時刻で静止している矢が飛べる道理がないではないか、というものだ。
仕事で上司に意見を聞いてもらえなくて、くやしかったことありますかー?私もよくありますとももう話聞いてよーと心の中で叫ぶけど上司の意見だから、自分の意見と違ってても受け入れるしかない。絶望すら感じつつ、あきらめる🥲そんなあなたに最近みたNHKの100分で名著のヘーゲルの「精神現象学」の弁証法的な運動は役に立つと思うヘーゲルさんによると個人の意見は、単独で存在するのでなく、相手との関係の中で成立する自分の考えをA上司の考えをBとする弁証法的な運動とは、ど
俺がマルクス思想の礎になる弁証法に興味を抱いたのは20歳の頃だった。当時、いろいろな図書館によく通っていたので探したが、タイトルに「弁証法」と書かれた本は一冊も見つからなかった。同様によく足を運んでいた新宿の紀伊國屋書店で新書が一冊だけ見つかった。しかし、それがどうしようもない本でね。当然である。弁証法なんて余りにも簡単なので200ページも書こうとしても無理があるのだ。弁証法とはこうだ。男と女親と子供先生と生徒経営者と労働者医者と患者喫煙者と非喫煙者
散歩道では、この時期ハナミズキの花が目につきます。淡いピンクの花は彩も鮮やかです。真っ白の花は緑の葉の中で美しく映えています。紅白並んで植えられている庭が良くありますが、色の対照が抜群でとても惹かれます。我が家のハナミズキはピンクが三輪だけ咲きました。白い方は今年も咲きません。きっと、日当たりが悪いせいです。いっぱい咲いている庭を見るとうらやましい限りです。せめて肥料でもやって、来年は頑張ってもらいましょう。ツバメが一羽、目の前をビュッと飛んで行きました。軒先をかすめて八の字を
例えば、似ても焼いても食わぬほどろくでもない泥棒をやるような息子がいると、その苦労のあまりさっさと死んでくれとは思うが、殺すわけにもいかない。勘当するにしてもどうしようもない。死刑になるには、何ともしようもないので、議論するまでもない。しかし罪には軽重があるので、御仕置にも様々ある。こういうのを庶民に見せるのは、こういうことをすればこういう刑に処せられるので、こういうことはしないようにという教えである。悪人には不仕合せ、善人は果報が良いので、お世話あるいは慈悲を頂く。御法度、神道、仏
このフリーメイソンが作り出した保守と革新の両建て、弁証法戦略が、日本および世界の自由民主制をマインドコントロールする仕組みになっている。
4月15日、広島「逆ものものさし講」でご一緒させていただきました皆様、広島「逆のものさし人参畑塾」にご参加いただきました皆様、ありがとうございました。今回から、「逆のものさし講」は、「逆のものさし道」と、名称が変わりました。逆のものさし道今回、清水代表の講義から、『二元性一元論』を学びました。それは、東洋にも西洋にもあります。東洋では、仏教で『三性の理』の教え。相反するものの本質を見極めて、その本質的な機能を全うすること。西洋では、哲学で『弁証法』。一つの意見(テーゼ)に、反対
ヘーゲルの「法の哲学」(原題:GrundlinienderPhilosophiedesRechts)は、ヘーゲルが1820年に発表した哲学書であり、彼の倫理哲学、政治哲学、法哲学に関する主要な著作です。本書では、ヘーゲルは自由の概念を中心に、個人、家族、市民社会、そして国家という異なるレベルでの人間の営みを分析しています。ヘーゲルは、「法の哲学」で彼の弁証法的アプローチを用いて、法と道徳、個人と共同体、そして自由と権威の緊張関係を調査します。彼は、自由とは人間の理性と精神が目覚め、個人
『名言名文句事典』●ヴォルテール(694~1778)フランス詩人・劇作家・哲学者・歴史家✪真の欲求なくしては真の満足はないたとえば何かが欲しいという欲求があってそれが満たされたとしよう。望むものが手に入った。さあその満足はいかばかりか・・・・・・・。ここで”その欲求が本当に切実な心からのものでないとしたら、その満足も心からの真実の満足ではない”というのが彼の言葉。あれも欲しい、これも欲しいと安易に多くの欲求を表し、もしもそれが簡単に満たされたとしたら、その満足心は一時のものに
6.1.11自由とは自由とは、個人や集団が自己の意志に基づいて、行動し、選択することができる状態を指します。つまり、外部からの制約や圧力によらず、自分の意志で自分自身の人生を決めることができる状態です。自由は人間の根本的な権利の1つとされ、政治的自由、経済的自由、社会的自由など様々な面があります。ただし、自由には責任が伴い、他者の自由や社会的規範との調和も必要です。自由とは何でしょうか。広辞苑を引くと、結構長い説明があります。一般的には、責任を持って何かをすることに障害(束縛・
ヘーゲル・キルケゴール弁証法テーゼ(生活主観)→アンチテーゼ(認めたくない客観、アンサイクロペディアみたいな)→ジンテーゼ(新主観)→実存(今・ここ、ありのまま)
かつて「エスペラント語」や「英語」のような世界共通語が待望された時代があった。しかし今は、多種多様な言語・文化・民族・宗教・政治体制・政党・企業・芸術・スポーツ・食文化・生命・性別などが存在し、コミュニケーションに於いて『齟齬があった方が良い』とされる。そこから、最も遠いのが左右の全体主義、あるいは「弁証法哲学」である。地球上に国境線は見えなくても、国境線があって助かる生命もあるのである。同一化の論理はそれだけ恐ろしいものである。
ヘーゲルの弁証法は俗に正反合と言われる。今朝、数学書を読んでいて行列を距離空間にする話が載っていた。距離空間とは、その集合の任意の2つの要素について距離という性質を持った関係が設定されている集合のことである。ユークリッド空間の2点間の距離は直観的に分かる。現代では、デカルトの解析幾何学によって座標を導入して、ピタゴラスの定理を応用して表現される。ベクトル空間については、あの式で表されるが、式として見るとユークリッド空間の距離と同じである。そういうことでその本では、ユークリッド空間で
弁証法にとって、『「わかりやすさ」の内部の矛盾における外部の促進力』という観点からの重要性について、マルクスの文献に則って教えてください。弁証法にとって、「わかりやすさ」の内部の矛盾における外部の促進力という観点からの重要性は、マルクスの『資本論』において重要な位置を占めています。マルクスは、『資本論』の中で、生産過程の中での技術的進歩や労働力の増大などが生じた場合、その結果として生産物の生産量が増加し、価格が下落することを説明しています。しかし、このような変化によって、利益率が下がり、資本
弁証法は、私たちを取り巻く世界を理解するための強力なツールです。物事がお互いにどのように関連しているかを見ることによって、私たちの世界を構成している複雑なシステムについて、より深い理解を得ることができます。パズルのように、それぞれのピースは重要であり、より大きな絵を作るための役割を持っています。例えば、「木」を見てみましょう。一見すると、木は葉と枝と幹からなる単純な生物に見えるかもしれません。しかし、弁証法では、木がどのように食物を得て、他の植物や動物と相互作用し、時間の経過とともに変化してい
結論から言って、「◯◯は間違えている。だから、私は正しい。」という論理は、フリードリヒ・ニーチェに言わせると、「奴隷の論理」即ち「ルサンチマン」であるそうだ。昨日、衆議院予算委員会で日本共産党の笠井亮は、「原子力発電は間違えている。だから、私は正しい。」という論理を展開していたが、「原子力発電は間違えている。だけど、私も間違えている。」とは思わなかったのか?もちろん、福島第一原子力発電所の事故は東京電力の大エラーである。しかし、そもそも福島第一原子力発電所の事故と自分が正
あしたは何の日???2月9日は何の日でしょうか???フグの日らしいです。広告に、フグの日ってかいってあったから。スーパーマケットにあさいちでいって、フグの刺身2個とフグのなべ用のフグ一夜干しのフグを3品買ってきました。そしたら、2月9日は肉の日って、肉こーなーで書いてありました。どっちーーーーーーぃ笹川美和/「笑」-2018Ver.-ミュージッ
今日の一日一読は第八話「フィールド仮説によれば「死後」に何が起きるのか」の最後までです。今回は読み進めていく中で、いい意味で予想を裏切ってくれてよかったです。読む前までは、期待外れの議論が多いかと予想していたのですが、田坂氏の主張はそうではありませんでした。田坂氏はゼロ・ポイント・フィールドに記録された「我々の意識の情報」が肉体の死後どうなるのかという問いに対して、単に情報として記録されるだけではないと書いていました。ではなぜ記録という言葉を田坂氏が使うのかと疑問を持ちながら読んでいったら、
弁証法という哲学用語の語源は対話術である。Aという考えとBという考えがぶつかって、その違いを検証する対話の内からどちらをも超えたCが生まれる。すなわち思想の生成の過程である。しかし、我々の日常的な会話の大半はそれほど生成的ではない。双方の思いの違いが明らかになるばかりで、いかなるCにも到達できないのが普通の会話というものだ。両者がボールを投げるばかりで相手の球を受けらないのでは会話はキャッチボールにならない。それがまた哲学と文学の違いでもある。人間は互いに了解可能だという前提か
僕はベストセラーは原則読まないことにしているが、たまたまフェイスブックの友だちが斎藤幸平の「ゼロからの『資本論』」を話題にしていたので、購入して一読して見た。まず新書版であることにビックリした。いくらエッセンスだけではあっても、それでは書き切れないと思ったからだ。『資本論』ということであれば、梯明秀の労作と比較してしまうからだ。「はじめに」からして、現代の危機なるものを並べ立て、マルクスの思想を生かす必要性を訴えている。左翼思想は衰退の一途を辿っており、それを復権しようとする意気込みだけは伝
こうして、生命という事実にそなわる弁証法は、存在論的自由という根本的な高弟性(形相‐質料)から、生物学的必然性という否定性(質料依存性)へといたり、ふたたびそれを超えて、積極性と消極性の両者を統一する、いっそう高い積極性にいたる。この超越において自由は必然性を我が物とし、世界をもつ能力によって必然性を克服したのである。言い換えれば、世界へ向かう生命の自己超越、感性において世界を現前するものとしてもつにいたる生命の自己超越は、その起源を、いっそう高くいっそう包括的な段階への約束をそなえた、自由と
僕は、マルクス主義も嫌いであるが、それに輪をかけてヘーゲル弁証法哲学が大嫌いである。どれくらい嫌いであるかは、口ではなかなか言えないが、グスタフ・マーラーの音楽と同じくらい嫌いである、と言えばお分かり頂けるであろうか?兎に角、ヘーゲルの用いる概念は空虚で内容が伴わないと僕は思う。そこに実質を与え〈ようとす〉るのだから、中身が伴わない。そのため、批判する概念もまた「トートロジー」になり易い。こういう全体主義の源になるような阿呆な哲学の研究は、批判するためのみに使い肯定形で使うことがあってはな
したがって、形相が質料に対して絶対的な優位を占めていることは、同時に、形相が質料を求める必要性に従属していることでもある。たんなる物質的な自足的なあり方にはまったく疎遠なこの必要性は、生命がもつ力に劣らない生命の比類のない特徴であって、この必要性はひとえに、生命の力の裏面を表わしている。つまり、生命の自由自体が生命固有の必然性なのである。これは、生命の根元における、そして自由のもっとも基礎的な形態、すなわち物質交代という形態における、自由のアンチノミーである。158.👼物質はまったく孤独
ヘーゲルと言えば弁証法。著者の長谷川氏は冒頭でかつての日本の哲学の権威主義的な難しい記述についての批判をくりひろげられます。それ故、記述に気を付けられたせいか、この本は結構読み易く書かれています。ここ数年で哲学の入門書を何冊か読んでいると西洋哲学の方向性というものもなんとなく分かってきました。哲学者それぞれが独立して持論を述べているわけでもなく、先人の論述との繋がりというものがあるわけですね。この本でもカントの論じたことが書かれてあり、ある面カントのことの理解を深めることができました。
弁証法を「詩作」に応用しようと思って購入。確かに。。
社員とのコミュニケーションを深めるために、月一度30分の個別面談を継続しています。はじめはお互いに探り合いのような状態でしたが、続けていると少しずつ本音がでてきます。会社方針への疑問や自分の待遇や給与への不満など、経営者として直接聞きたくないことがぶつけられることもあります。以前はこの段階で相手を否定したり説得したり、または個別面談をやらなくなってしまうということもありました。経営者と社員は、立場や視座の違いがあり本音で話せば葛藤や対立が起こります。大切なのはその対立を
即自的に真理であるとともに意識に対しても真理であるもの(すなわち、観念論者のみが概念的に把握しうる真理)お確立するためには、つぎの二つの道がひとしく不可欠なのである。ひとつは、意識の道―自分の前から即自存在の幻が消えさるのをみる意識の道―、いまひとつは、自己意識の道―きびしい長い教育の過程をへて、自己意識(個別的な意識としての自己意識)に対してしか存在しない本質が消滅してゆくのをみる自己意識の道―、この二つの道が、ひとしく、不可欠なるものなのである。305.👼この二つの道は同じひとつの道の