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旧東海道ではなくて、古代の東海道。延喜式には、丸子の渡し、大井駅、豊島駅を経由して隅田川を渡り、下総国国府(市川市)に至るとだけ記述があるらしい。今回は、京浜東北線の大井町駅→池上通り→滝王子通り→(品川通り)→中原街道→丸子橋→武蔵中原駅まで歩いた(大井庚申堂)大井町駅から来て池上通りにぶつかるところ。近くの三又地蔵堂に寄り忘れた。(鹿嶋神社)西暦969年に南品川常行寺の僧尊栄法印が、常陸国の鹿島神宮から分霊を受けたのが始めりとのこと。このあたり神社仏閣はこのころの創建が
栃木県立博物館栃木県立博物館-TochigiPrefecturalMuseum-栃木県立博物館の公式ウェブサイトです。考古・歴史・民族・美術・工芸・地学・植物・動物に関する情報を展観しています。www.muse.pref.tochigi.lg.jpで開催中の特別展「鑑真和上と下野薬師寺」のレポート『「鑑真和上と下野薬師寺」その1』栃木県立博物館栃木県立博物館-TochigiPrefecturalMuseum-栃木県立博物館の公式ウェブサイトです。考古・歴史・民族・美術・
名古屋のシンゾウです毎回、毎回、《チョット漢字力》コーナーを設けていますが、邪魔では無いですか。京都検定を勉強していると、己の漢字力の無さにガッカリすることは有りませんか。私は、恥ずかしいぐらい漢字力がありませんでした。どうしても漢字コンプレックスがあるので、なにか得体のしれない大きなものを背負って京都検定を受験していましたが、一念発起、基本に戻ってみようと決意し、漢字検定に挑戦することにしました。3級→準2級→2級、一歩一歩です、ここまでは順調でしたが、準1級は2回目でやっと合格が出来
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」148前山塩野神社・平安中期の延長5年(927年)にまとめられた延喜式(えんぎしき)巻九・十(延喜式神名帳)に当時「官社」に指定された神社一覧が記されています。そこに名が載る古社です。・平安時代に編纂された文徳天皇につづく清和・陽成・光孝3代の歴史を858年8月~887年8月まで記載された三代実録にも載っています。つづく
引退した後に住む場所は~大国主神の国譲り~40歳になった同僚が、マンションを買おうかどうしようか、迷っています。ひとり暮らしで、今は賃貸に住んでいるのですが、今後のこと、そして退職後のことを考えると、マンションを買った方がいいのかなぁ、と思ったりするそうです。『古事記』には、国を譲って引退する代わりに、立派な御殿を造ること、と条件をつける話があります。*
名古屋のシンゾウです本日は、月一回の診察日です。持病を多く持つ私にとっては欠かすことが出来ません。『80歳まで「京都検定」に挑戦』と目標を掲げていますが、精神力だけでは無理で、持病を悪化させないということが必須条件なのです。血糖値が高めの私は、ドクターからは糖分を抑えるように指導されています。が、「これが最後、今日だけ、これだけ、一口だけ...」との緩い言い訳を繰り返しながら、日々、弱い自分と闘っています。(いつも白旗をですが)本日の検査結果(血液検査)、特に血糖値!!どうか下がりますよ
延喜式って、100円書斎Love。歴博2192020Marchひろがる『延喜式』佐倉の国立歴史民俗博物館に行ったら、この博物館の会報のバックナンバーが値下げして1冊200円だったので買いました。これは、その一冊。延喜式というと大昔の神社のリストで、これに載ってると格式高いというふうにだけ思ってたんですけど、実際は役人のマニュアルみたいなものらしい。神社関係の記述が多いが、税金の各地への割り当てとか、駅のこととか、地名のこととか、まあいろいろらしい。この本には、そんないろ
【4/302日目⑤】車で走っているときに、ちょっと目を惹いた神社。伊勢久留麻神社。祭神は天照大神。淡路國三宮らしい。なんかね。いい雰囲気だったんだよね。でも、だーれもいないのがなんとも寂しかったけど。伊勢久留麻神社の由来。伊勢の国の久留真より勧進したといわれるとのこと。500年代末期に作られたらしい。でもって、927年の延喜式には淡路十三社の3番目に明記されたとのこと。まあ、淡路島と言えば、国生みの島だからね。でもなあ。現地で
旅行中は、お昼を食べてから、御朱印巡りしてきました待ってる間、溶けるかと思うほど暑かった2ヶ所回ってきました井伊谷宮さんと延喜式天王宮大歳神さんに行ってきました御朱印は、色んな素敵なのが沢山あるからいっぱい集めたいな井伊谷宮延喜式天王宮大歳神
・(ZAKZAK)NATO(北大西洋条約機構)は、ウラジーミル・プーチン大統領率いるロシアに対峙(たいじ)する態勢を強化する。トルコが、北欧フィンランドとスウェーデンの加盟を支持することで合意した。さてプーチンよ、どう出る?・(スポニチ)日米欧の先進7カ国首脳会議(G7サミット)について、鈴木氏は「圧力をかけて紛争が終わるならよいが、長引くだけで犠牲者が増え、被害が拡がり、復興に多額のお金がかかる。負の連鎖ではないか」と続けた。批判だけならアホでも出来るが・・・(デイリー)NYは普通
鎌倉時代においては、荘園と公領が半々であったと言われ、荘園制的交通が律令制的交通を凌駕するに至ったとされます。院・寺社・貴族が主な荘園領主であったため、年貢を荘園から京都または奈良にまで運ぶ必要がありました。こうした年貢を実際に運搬する任務を担ったのは、荘園の農民たちでした。当時の主な陸上輸送手段は、馬と人であり、極めて効率の悪いものでした。馬一頭で2俵90KG・人は30KG程度が荷載量なので、例えば650石の輸送には馬1000頭以上また口取りとしての人員も同程度以上の動員が必要でした。更に、
明け六つ暮れ六つ?江戸時代までの時刻法の一つ太陽の入出時出入時を明け六つ暮れ六つと⁈中世では出入り時刻をもって昼夜の境としていた⁈江戸時代には、生活に即したものとなり朝薄明が始まるときを明け六つ夕方薄明が終わったときを暮れ六つとして時刻の基準としたらしい明け六つは日の出の時刻ではないとあるがほー前後約30分?なるほどですたほかに干支で時刻を数える方法と九つ八つ七つと数字で数える方法があるらしい詳しいことは暦と時の事典内
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー「ニニギ」と「ニギハヤヒ」7Cひじかたすいげつつづき古代、北九州から出雲や土佐を含む西日本は、「賀茂」の支配地であった。「賀茂(かも)」は「神(かも)」であり、「鴨川(かもがわ)」も「神川(かもかわ)」である。そこに天孫が降臨した。「邇邇芸命」である。彼は高千穂に。彼は弟であった。そして、兄「饒速日」は出雲に降臨した。その後、弟「ニニギ」は、ホオリとホデリの話に変えて古事記に書かれたように、兄「ニンギ
2022年3月5日頃、栃木県那須町の那須岳に祀られていた「九尾の狐」に由来する「殺生石」(国の名勝)が真っ二つに割れた。割れた日時は定かではないものの、5日に観光客がツイッターで画像を投稿したことで発覚した。数年前から、ひびが確認されていたことから自然に割れた可能性が高いと思われる。この出来事はメディアが取りあげ、SNSでも話題を集めた。一部の海外のメディアも殺生石に纒わる伝説を紹介しながら報じた。殺生石は那須岳の標高850メートル付近の斜面に鎮座しており、高さ約2メートルで横幅は不明だと
こんばんは(・∀・)福岡県那珂川市多次元ライトワーカー光の案内人Greenessence〜緑の滴です。一昨日、勤務終了後、JR夜行バスで出雲市へ行って来ました。本日の朝、福岡へ帰って来ました。弾丸ツアーです出雲は曇り☁️で、風が強かったです。髪の毛が顔を覆いまして、貞子😱状態さて、彌久賀神社へ一畑バス(小田線)を利用しました。彌久賀神社はアマノミナカヌシをご祭神としまして、出雲の一ノ宮一の鳥居でふわっと風が吹き、曇り空から日が差したり、歓迎が多くとても嬉しかっ
宮島のお土産物屋さんやまむら商店店番便り店主の山村ゆう子です。今日はお酒のネタ貴醸酒の新酒入りました。貴醸酒きじょうしゅ仕込みの時にお酒を使います。鳳の舞(あげはのまい)シリーズ〜豊醸祈願祭〜貴醸酒(きじょうしゅ)無濾過生原酒720ml1700円これは(これも!)旨いです。とても甘口で世に甘いお酒は色々ありますが、作られた甘さではなく、飲むと混じりっけなく日本酒だ〜と感じます。アルコールは低めの13.5度。薄いのではなく、爽やかです。蔵出し限定の
風神を祀る龍田大社ならではの「風鈴祭」。◆「龍田の風神」と「廣瀬の大物忌神」(~5「風神祭」後編)◎「風神祭」の詳細「大忌祭」でも書いたことをコピペして、ごくわずかに修正を施しそのまま掲載します。「風神祭」は「延喜式」の定例祭(四時祭)の一つであるということを記してきました。そこには祝詞が掲載されています(巻9)。祝詞とは言え、これは「天御柱神・國御柱神」に対して奏上する祝詞ではありません。天皇が詔(天皇の仰せ)したものが書記され、使者を通じて神主や祝部(はふりべ)に読み聞
パトロール中は太陽にほえろのボスも真っ青なほどの覗きっぷりですあは~わたくし、延喜式とはなんだろう?おまいりしながら氣になりだりたもののお勉強はキレイサッパリ過去形古いんだろうよそうだろうよで、全然頭に入らないちょっと頑張った調べてみると平安時代の法典なんですねしかも50巻古代史の研究の上で重視されるとかわたくしは研究家ではなく一般ピーポーですその延喜式の9、10巻が神社の一覧表いわゆる神名帳神社とその祭神が記されているそうですわたくしの住む香
こんにちは日々の暮らしに彩りをリーフです。🍃今日は日本の伝統文化『ひな祭り』について・・・(4)🎎2022年の3月3日は旧暦で2月1日(新月)旧暦の3月3日は今年の4月3日です。前回までは『雛人形』の原型の触りを書きました。そして『祓え』について【天児】と続き今回は【這子】についてです。【這子】((ほうこ)這子は、天児と同じような目的で登場したものでぬいぐるみの原型だと思います。形は赤ちゃんのハイハイの姿をイメージしてくださ
◆「龍田の風神」と「廣瀬の大物忌神」(~4「風神祭」前編)続いて龍田の「風神祭(かぜのかみのまつり)」を。■過去記事~1概要~2「大忌祭」前編~3「大忌祭」後編~*~*~*~*~*~*~*~*~*~◎「風神祭」既に記してきたように、大和国平群郡(奈良県生駒郡三郷町)に鎮座する龍田大社にて行われる神事。律令時代の宮廷の定例祭(四時祭)の一つ。廣瀬大社(廣瀬神社)の「大忌祭」とともに、毎年四月四日と七月四日に同時に行われました。天武天皇即位四年(675年)に「風
さてと本日は、私が子供の頃からの行動範囲に突如現れた謎の社のお話・・・川崎市中原区の多摩川寄りで幼少期〜現在まで過ごしている私が、普段はまるで使わない路地を低速で『黒い悪魔』で走った時に『?っ‼️』と思った風景がこちらっ‼️『何じゃここはっ‼️』と言うのが第一印象で、この辺のことなら漏れなく頭に入っている『ゑびすマップ』にも記載が無いダークスポット・・・奥に鳥居見えるのでどうやら此処は神社らしいし、何やら白い砂利と踏み石も等間隔に敷かれていて、つい最近手が入ったようだ・・・陽当たりが悪そ
こんにちは日々の暮らしに彩りをリーフです。🍃今日は日本の伝統文化『ひな祭り』について・・・(3)🎎2022年の3月3日は旧暦で2月1日(新月)旧暦の3月3日は今年の4月3日です。前回までは『雛人形』の原型の触りを書きました。そして『祓え』について今回は【天児】についてです。【天児】(あまがつ)天児は幼児の守りとして子供の枕もとにおいた「かたしろ」の一種です。何度も言いますが平安時代の貴族の間で用いられていました。
◆「龍田の風神」と「廣瀬の大物忌神」(~3「大忌祭」後編)入り口はなるべく狭くしていますが…ご縁あってこのブログに辿り着かれた方に、龍田大社と廣瀬大社(廣瀬神社)で行われていた「風神祭」と「大忌祭」を知って頂くことにより両社が国家にとって、いかに大切なお社であったかを理解して頂こうと始めたテーマ。「大忌祭」前編の続き、後編です。2日続きですが…。今回は少々退屈な記事に思われるかもしれません。「大忌祭」が記される祝詞をつらつらと。どうしても掲載しておかねばならないので…。
こんにちは🍃日々の暮らしに彩りをリーフです。今日は日本の伝統文化『ひな祭り』祓えについて・・・(2)🎎2022年の3月3日は旧暦で2月1日(新月)旧暦の3月3日は今年の4月3日です。前回は=雛人形=の原型の触りを書きました。今日はその中の『祓え』について書きますね。1祓えとは祓えを行う身代わりというのでしょうか。。人形(ひとがた)があります。「延喜式(えんぎしき)」にも書かれていますが人形(ひとがた)に
龍田大社◆「龍田の風神」と「廣瀬の大物忌神」(~1概要)新たなテーマを立ち上げます!せっかくの…またとなさそうな…時間のある機会を生かしちょっと大がかりなテーマを。多くの先達により研究されてきたテーマ。私なんぞが語らずとも既に多くが語られています。書籍や論文を探せばいくらでも出てきます。でもそれらはある程度の知見を備えた人たち向けのもの。浅く広くをモットーとしている私にできるのは、初心者向けに対してのお話くらい。パワースポットなどという言葉は好みません。もしその意味で言え
みなさんいつもありがとうございます。今回は、前回の坂本日吉神社⛩から1キロ程西側伊予市宮下にある伊曽能神社⛩朱色の⛩神名石参道本殿吹揚神社⛩延喜式内伊曽能神社⛩延喜5年(905)醍醐天皇の命により、藤原時平忠平らが22年の歳月をかけて、延長5年(927)年完成する法典『延喜式』の施行にかかる全国神社名鑑(神名帳)に記載されている伝統ある神社です。主祭神は、伊勢から勧請された天照皇大神あまてらすおおみかみ。次回は、ここから8キロほど南西側にすすんだ伊予稲荷神社です。
宮城県の古代の伝令中継所「駅家」らしきものが見つかった。現在のJR常磐線の沿線に出土した。古代の官道が高速道路沿いに発掘されたりするが、古代の道路建設技術者が合理的に設計したことの事例であった。鉄道の路床に並行して古代の駅家が出土するとは、驚嘆としか言えない。宮城県岩沼市南長谷上原原遺跡参考律令時代の伝令中継所「駅家」か宮城県の遺跡から公的施設跡共同通信(2019.1.8、参考)律令国家時代の公的施設跡が見つかった原遺跡の調査現場=2018年10月、宮城県岩沼市宮城県岩沼市の玉
11月11日は「ポッキーの日」。お菓子メーカーの江崎グリコが「1」はグリコで発売しているポッキーやプリッツに似ているところから、「ポッキー&プリッツの日」として平成11年(1999年)に制定しました。テレビでもCMが流れて有名な記念日ですが、ちょっとマイナーな記念日で「チーズの日」でもあります。古代の日本では「蘇(そ)」という、今のチーズに似た乳製品が作られていました。「蘇(そ)」について記述された最古の記録が、「文武天皇4年(700年)10月に、全
国道1号線沿いの小さな広場の脇に、石段があり、国道1号線の高架下を通り過ぎると、旧東海道はしばらく簡易舗装された道路になりました。しかしすぐに石畳の曲がりくねった道になりました。この石畳は多分江戸時代に造られたものと思います。途中江戸時代のものとは思えない石垣がありましたが、何の石垣なのか説明がありませんでした。国道1号線脇の石段を下り始めてから約3分半、「延喜式内片山神社」の鳥居がありました。本殿は階段の奥にあるので、そこまで行くのは
延喜式に記されている、特に霊験あらたかな神社を何というでしょう。1、明神大社2、名神大社3、官幣大社4、神祗大社答えは2、名神大社官幣大社は神祇官から奉幣を受ける神社です。