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霊界は一旦死んで入り込んだ限りは、修正の出来無い、確定した世界であり、覚悟を以て歩み行かねば成らぬ世界なのです。修正が出来るのは生きている此の僅かな数十年の間しか有りません。子供の時分から…と言うのは理想ではあるけれど、現実問題としては、成人して多種多様な思いの果てに、霊界の存在如何と言う事に真面目に向き合えるものであろうと思いますので、実質二十年か三十年しか無いと言うのが本当の所かと思います。自分の生き方、思想、欲望の抑制…と言うものの観方を変え、然も、眼に見えない世界に重点を置いて生活
問「幼少で死んだものが幽界でどんな生活をしているか、ひとつその実況を見てきてくれないか?」答「承知しました。ひとつお爺さんに頼んでみましょう。――(5,6分の後)只今見せてもらいました。赤ん坊でも、小さいながら、われわれと同様、修行させられて、心も姿も発達するのですね。地上の子供のように迅速ではありませんが、矢張り、あのような具合に大きくなるのですね。僕の行った所では、50歳位の婦人たちが2,3人居て、その人たちが子供たちの世話をしていました。子供の人数ですか――人数は5,6人で、3歳
霊界の実在する事を知って初めて理解出来る事…つまり、人間は本質に於いて《霊人》であると言う事が理解され、宇宙を生きる生命の連なりの重要なピースとして生きる己れと知る事で、初めて得心し得るのですが…。其れは、《何故、私は生まれて来たのか?》と言う事に外成りません。古事記·日本書紀の遙か以前の古(いにしえ)の日本人達は殆どの人が、自由に霊人達(神々を始めと言うした人倫秩序の上位に当たる方々)の姿が見え、"会話"も可能であったと伺っております。人が増えるに合わせる様に、次第に我儘と成り、且つ自
書籍「カルマ」からの抜粋です。☆一般的な方のカルマについて話をしたいと思います。今回は、小さなカルマについて話したいと思います。○女神様、一般的な人とは、幽界の下の方の事ですか?☆そうですね。一番、人口の多い方々のことを示しています。〇私にとって一般の方が、どのような人なのか分からないです。例えば、動物の魂から、進化したばかりの方々を見ても皆、個性が違います。☆○○は、3次元の目とあの世的な目の両方で見ているからです。○○から見れば、全ての方が個性的に
私達の対話はそれでちょっと中断しましたが、しばらくして新樹の方から切り出しました。「実はね、お父さん」と彼は割合に快活な語調で、「僕はあの時分、あんまりくさくさしたものですから、思い切って散歩に出てみたのです。ついでにその話をしましょうか?」「幽界の散歩――それは面白い。話して貰おう。」「こちらの散歩は現世の散歩とは大分気分が違います。僕はどこというあてもなく、あちらこちら歩いてみたのですが、いや何ともいえない、のんびりとした感じでした。行ったのは公園みたいな所ですが、少しもせせこま
1.この祈りはいつも申しておりますように、人間の心を去来する業想念を光明心に振りかえさせるために、業想念は、すべて消えてゆくために起こるもの、という真理の言葉を裏づけとして、祈らせ、いつの間にか、個人を安心立命を得させる、という意義であります。この原理は、人間には潜在意識といって、幽体に想ったこと、行なったことが、すべて録音機のように録音されているのでその録音された業想念が表面意識に現われようとする時、あるいはした時、それと同時に、光明心、つまり世界平和の祈りを録音してしまう、ということ
バクテー。お土産のスパイスセットでしか作ったことがない。それはとても美味しいのだけれど。自分でスパイスを掛け合わせて作れたら、いつでも食べられるじゃん。ということで。スペアリブとニンニク以外は邪道と言われたんですが、今日のところは家にあるものをかき集めたので…スパイスはそれなり揃って、あと🧅🫚🧄長葱の青いところも入れたので‥なんか和風です。このまま日が暮れるまでコトコト♨️先週ネトフリで📽️パレードを観ました。生きている人の側に立って話しかけてみても気づいてもらえない👻触れようと
冥界の冥府で天目一箇之大神から「汝の行くべき處へ行け」と言われて始まった死出の旅は、幽界七層を己れの『業(ごう)』に従い、何とか覚悟を以て第二の死を超えて、確定した霊界は殆どの人が地獄と言われるのですが…。ともあれ、地獄をやっとの思いで抜けると更に其の上には『夢幻界』·『色彩界』·『光焔界』·『光明界』·『超越界』そして霊界で最も高く、天使達が躍動する『究境界(くきょうかい)』と言われる霊界七つの層が開いて行くと言う訳です。地獄界から夢幻界へと昇華して行く場合、何と無くイメージとしては界層を
新樹が少し幽界生活に慣れるのを待ち構えて、私はそろそろ彼に向い、訪問・会見、散歩、旅行等の註文をしました。これは一つにはその通信の内容を豊富にしたいためでもありましたが、また、これによってなるべく新樹の幽界における活動力を大きくし、同時に、若くして父母兄妹と死別した新樹の深い心の傷をなるべく早く癒してやりたい親心からでもありました。このような方針は今後も恐らく変わることがないでしょう。ここには新樹が彼の住宅に母の守護霊を迎えた時の模様を紹介したいと思います。私が初めて来訪者の有無について
『大成境』と言う處迄来ると、漸く惑うて居乍らも、《人間らしい反省心が生まれて来る》…と、言われています。ならば、反省心が有れば、すんなりと"高い霊界"に上がって行けるかと言えば、然に非ず…幽界と言う處は、早い人では二日位で抜ける事が可能だし、長く留まり続けても三百年前後には抜け出す事に成る様です。勿論、僕なんかが確認した訳では無くて、飽く迄も神様が仰言る限りに於いてそうだと言う訳ですが…。其の間、幽体を被った霊人として幽界に生きている訳ですが、幽体はどうしたら脱ぎ捨てる事が出来るのかと言うと
精神統一・・・・・・・これは現世生活において何より大切な修行で、その人の真価はだいたいこれで決められるようであります。五感の刺激のまにまに、気分の向かうまにまに、あちらの花にあこがれ、こちらの蝶に戯れ、少しもしんみりとして落ちついたところがなかった日には、五十年や七十年の短かい一生は、ただ一場の夢と消え失せてしまいます。人間界の気のきいた仕事で、何か精神統一の結果でないものがあるでしょうか。しかし、物質的現世では統一に一心不乱にならなくとも、なんとかその日その日を暮らせます。ところが、一たん
新樹はいったい幽界でどんな修行をしているかということは最初から私が聞きたいと思っていたことでした。昭和4年7月25日第10回目の招霊の際の記録を開いてみると、私は、彼の幽界における指導者について質問していました。問「お前にはやはり生前の守護霊が付いていて、その方に指導してもらっているのか?」答「守護霊のことをいうと僕はなんだか悲しくなるから、その話は止めてください・・・・・。現在僕を指導してくださるのは、何れもこちらへ来てから付けられたもので、みんなで五人おります。その中で一番僕がお
幽界の居住者と交信をする場合に、誰でも先ず聞きたがるのは、彼等の生活状態、例えばその姿やら衣食住に関する事柄でありましょう。私の質問も決して例外ではありませんでした。手帳を開いてみると、私が初めて亡き新樹に向かって、彼の幽界での姿について質問をしたのは7月26日、第9回目の招霊を行った時でした。問「いまお前は以前の通り、自分の体があるように感ずるか?」すると新樹は、考え考え、次のように答えました。――答「自分というものがあるようには感じますが、しかし地上に居た時のように、手だの、
さて、これから新樹の通信を発表することになりますが、この仕事についてすべての責任がある私としては、通信者が果して本人に相違ないかどうかをまず最初に読者にお伝えするのが順序であると考えます。この点に関して充分の考慮が払われていなければ、結局は新樹の通信といってもそれは名ばかりのもので、心霊事実としては、まったくとるに足らないものになってしまいます。非才とはいえ私も心霊研究者の末席に連なる者として、この点については常に、できる限りの注意を払っているのであります。すでに述べたとおり、真っ先に新樹の
此の世界に存在する"眼に見える形有るもの"は全て幽体を備えているのです。失くした記念品とか、火事や災害で焼失した大切な思い出の品も、皆"この世"の役割を終えるや否や、霊界の《相応しい界層》に出現すると伺っております。例えば、煙草なんかは燃える先から霊界に徐々に出現するという具合です。絵画、漫画等も地獄から高い霊界に至る迄、作品の芸術性に応じて夫々の世界の図書室や伽藍に集積されて行くと言う訳です。音楽も有ります。『地上境』と言うのは、正に我々の地上に隣接している"幽界の地上"なのです。唯
世界平和の祈りを祈り、「我即神也」「人類即神也」の印を組んでいたのなら、なんら恐れることはないのですが、「幽界の生物たち」というよりも人間の神(愛)から離れたネガティブな、暗い想念エネルギーが消えずに漂っている(存在しているのではない)のです。そこに共鳴してしまうので、同じように暗くなったり、自己否定をしてしまいます。しかし、冒頭にあるように絶対に大丈夫なのです。宇宙のプラスのエネルギーはマイナスの想念エネルギーを遥かに遥かに凌駕するからです。補足・・・私も世界平和の祈りを祈り気をつけてい
人間死んだらどう成る?死ぬ前に分かって居たら、何れ程死を前にした時の"心の救い"と成る事か…。誰しも思う処では無いでしょうか。"死の直後"…勿論、"死の直後"と言う事は、臨死体験と言った死の疑似体験は既に過去の事に成り、所謂、最後の幽体と肉体を臍に因って繋いで居た霊線が切れて二度と幽体が肉体に戻れなく成ってからの事ですが…死の直後に赴く場所は『冥界』と言う處です。所謂、冥府や三途の川と言ったものが在る…未だ死の自覚を持てないで、オロオロとしている世界と言うか、虚ろな世界とでも言える世界な
昨日は前回ブログでお勧めした世界に1つだけのパワースポット講演会in福岡に参加してきましたもう幸せな気持ちが溢れちゃって今でもその余韻が残っています初めて講演会に参加したのは12年前。1枚のチラシがキッカケでした。YouTubeで大森和代さんのラジオの第1回〜5回迄を一気に見て参加を決めたのでした。あれからもう12年の歳月が経ちました。早いものですねその間、色んな方に講演会の情報を渡して来ました。やはり、死んだ後の世界をリアルに受け入れれる方は少ないものです。そんな中、
本編は新樹が彼の母を通じて送りつつある初期の通信の集成であります。そのなかで最も早いのは、彼の死後わずかに百日あまりが過ぎた昭和4年7月頃のもの、その最も遅いのも昭和5年2月頃、つまり彼の一周忌前後のものであります。それ以来今日までに現われたのも少なくありませんが、それらは漸次、機会をみて発表していくことにしましょう。私どもが新樹の通信を発表するについては、これに対して世間では、必ずしも賛同するものばかりでないことは十分に承知していますが、私どもとしては、しばらくは一切の毀誉褒貶に眼をつぶり
調べたいことがたくさんあって、次々とネットサーフィンして漁っていたらシャーマンとか気になってお薬系体験談までたどり着いたのだけど、これが高次元に行けるというもので、努力や修行なしに不正してちょっとだけ体験できるというようなものらしいです薬には興味ないけどそのやってる人達がどういう視界になるのかがとても興味深く読んでるのが面白くなってきましたこれ見ると神界、霊界、幽界って意識の段階?で仕切られているみたいですね実は次元は同じ場所で交差している(この交差というのはリール博士の本で知りました)
きらきらフラーレン製作&プロテクションプロのMeliaLinoです!※私についてはこちらを!※MeliaLinoの名前の由来はこちらをどうぞ!※お問合せ・ご相談・お申込みはこちらからお願いします!以前の私は、あちらの世界と通信ができるなんてすごいなあと霊能者のことを尊敬すらしていました。ただ、霊能者さん自身にそんなに興味はなかったのですが。また、霊界には、無数の段階があるようだとは思っていました。でも、そ
神から人へ。神から人へ、伝えて残せよ、人のため。後の世のため。人のため。それのみ思いて今は励めよ。そなたの霊行、真の行は、これから始まり、さらに進まん。さにて本日いかなる問いか。(先祖のご供養について、さらに詳しくお教え下さい)では答えん。先祖というは今ある祖先と、そのまた前世、前々世、遥かに上らば、己が作られ、御霊(みたま)授けし親神様まで、元まで返りて含まるるなり。なれど今の世、今世にては、知ること適わぬ親神なれば、今の世のみの先祖を供養し、ご縁を尊び、
翌日、目をさました才一郎はハサミと銀紙・青竹を持ってくるように求めた。器用に御幣を切って青竹に挟んだ。才一郎は秋葉山で習い覚えたというのである。そうして昨夜のことを語りはじめた。「・・夜ふけ前、小便にゆくと大屋根の上に、七~八寸の金光りするものが見えた。何とはなしに屋根に登ってみると、そのまま空中に昇り、気がつくと左右の手を左右の一人ずつが持ち、飛んで行く速さと言えば耳もちぎれるかと思うほどで、髪は吹き上げられ月も星も大きく見え、秋葉山の御神前に着いていた」と、才一郎は語った。才一郎は、三
よく、思考は現実化すると言われますが、幽界が機能している時代のことです。個人の事業や夢も、人が強く思念すれば、内容に関わらず実現しやすかったでしょう。個人または集団が発する思念エネルギ-が幽界に蓄積してそれが、サポ-トする霊的存在を生み出し、現実界へ作用するのです。昭和の時代に、大きな事業を展開した人には、龍神の形態を取る幽界の存在が憑いていることが多かったです。この龍神は、太古から存在する神界の眷属としての真の龍神では無く、個人が強く思念することで幽界で形成されたか、呼び寄せ
霊は類は類に集い生きているのです…つまり、高い低いに拘わらず、善は善に集い、悪は悪だけが集い霊団と言う界層を成して、其の中へとどうしても入って行かなければ成らないのです。《畜生》と言うのは、此の世…現界に於いて"畜生の行為しか演(や)らなかった人"が霊界に還ると『畜生道』へ堕ちる訳ですが、其れを佛教の世界では、「再び生まれ変わる時には、犬や猫や牛や馬の様な"四つ足"の世界へと還って行きますよ」と言うているのです。つまり『傍生(ぼうしょう)』と言われる世界に還ると言う事です。『傍生』とは、"
みなさま、"影占い"Shadowcasting.をご存じでしょうか?ShadowcastingwithBoneandCurio.直訳致しますと、骨と骨董品による占いでございます。BetweenTheWorlds.二つの世界の狭間、現世と幽界の端境、とでも訳せましょうか。世界中の、迷える子羊さん達、悩める乙女達の心を安定に導くアイテム。"お守り"は、現世に生きているわたくし達と、異界、幽界を繋ぐ道具でもございます。神社のお守り
『日本人の心のふるさと(かんながら)と近代の霊魂学(スピリチュアリズム)』(近藤千雄)(コスモス・ライブラリー)2006/3<サマー・ランド、ブルー・アイランド>・言って見れば、「因果律による審判が行なわれるわけであるが、皆が皆、素直に更正するわけではないから、三つの階層に収まることになる。・しかし、ここは、まだ虚構の世界で、死後の世界ではあっても、実相の世界ではないことが、肝心なところで、死ねば地獄か極楽へ行くとか、無で帰するというものではない。当分は、
今世の幸不幸は前世、前前世の因果と関係している。その時点での現世の罪やいい加減さが翌世に関係してくる。前世のプロジェクターがあるとしたら、そしてそれを見たらなるほどと納得するだろう。こりゃ仕方がないぞと。ここから導き出される教訓は一つ。現世を善で生きる、ということだ。そうしないと来世は因果でその逆反応をモロにかぶってしまう。また、幽界・霊界での生活が反省ばかりになってしまう。幸福な人生は前世における生活の賜物だ。じっくり味わいつつさらなる善や正義を目指せばいい。難しくてよく分
愛の専門家鑑定士・幸粋(コウスイ)です。はじめましての方は幸粋プロフィール→★★★【墓問題】お墓参りを開運するのかhttps://stand.fm/episodes/65a41a579bfee34e9995a338【スタンドエフエム】standFMメンバーシップ(月額500円)→★★★※stand.fmアプリをダウンロードすれば、1.5倍速や倍速で聴けておやすみタイマーもありますよ。アプリ(apple)⇒★★★アプリ(android)⇒★★★人気!あなたの設計図
私は生きることが大変と思う。楽しいことは数%で、あとは修行ばかりである。早く幽界に行きたいと愚痴を繰り返すと猫7匹が不安になった。私はてっきり死後には集団で暮らし猫達も一緒だと考えていた。しかし動物には動物の類魂があり、集合するので、人間と一緒には過ごさない。さらに人間も集団で過ごすのではなく、個人で過ごすと守護霊に教えてもらった。以前から感じていたのだが、幽界は全ての望みが叶うところ。だから相手が本