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関ヶ原古戦場から、不破関資料館に行きました。昨年来た時は、月曜休館でした。中に入ると、壬申の乱になった経緯が詳しくパネルで紹介されていました。壬申の乱672年に起きた古代日本最大の内乱。天智天皇の弟大海人皇子と太子大友皇子が次の皇位をめぐり争う。戦乱は美濃國、近江國、伊勢國、伊賀國まで広がる。大海人皇子が勝利して即位天武天皇になります。*古代史は難しい(泣)館内は撮影禁止📷🎥🈲なので画像は無いです😔詳細は昨年のブログを参照して下さい↓『不破関壬申の乱』岐阜県不破郡関ヶ原
▶︎行ってみよう❣️浄瑠璃姫と義経の浄瑠璃人形が見られる【岡崎市中央図書館りぶら】はコチラ
昨日のブログを書きながら思いました。平清盛と常盤御前が別れなかったら、日本の歴史は変わっていたな、と。(実際には2年足らずで別れている。その間一児出産している訳だから、男女としての付き合いは、もっと短い)。シミュレーション。もし常盤がそのまま清盛の妾でいたら…。常盤に会いに来た源義経と常盤に会いに来るであろう平清盛が鉢合わせ。すると↓「よくも俺のオヤジを殺したな!しかもおふくろの元に通いやがって」と義経は清盛を殺したと思います
新・平家物語[DVD]Amazon(アマゾン)1,726〜5,205円あまりにも有名な常盤御前。(源義経の母です。念のため申し添えます)。源義朝の側室だったが、義朝が平清盛に破れ殺される。その後、平清盛の側室になる。このドラマでは、清盛の弟が対面を気にして常盤御前を一条長成に嫁がせた設定になっています。別のNHKドラマでは清盛の正室時子に責められて再婚(再再婚?)させたことになっていました。また別
新・平家物語[DVD]Amazon(アマゾン)1,800〜5,205円仲代達矢さん主演のNHKテレビドラマ「新・平家物語」総集編第1巻見ました。(2巻完結です)。平清盛というとどうしても私には日本的な顔立ちのイメージがありますが、仲代清盛もいいかと。(目が大きい方なので迫力があります)。ハイライトは若尾文子さん演じる常盤御前でしょう。女優若尾文子Amazon(アマゾン)2,355〜6,160円源義朝の側室だ
顔も真っ赤に爛れたり年末年始返上の理由は幾つもありました。周りからは理解不能の域ですので、身内との連絡も心がぎりぎりの状態でしたし、たつ方が自分自身を保っていられる。互いにそれが最善だと判断しました。辛いけれど、それはまた正解でした。いつも決断が誤っていなければ、完成へと近づく次のメッセージがご褒美のように入ってきます。悩んで塞ぎ込んでる時間は既にないからです。今年最初は、何年も前にメッセージにきていた『平治の乱』1月3日源義朝公のお墓呼ばれ足を運ぶと、その日は源頼朝公や範頼公
疲れたので帰りは、叡山電鉄で帰ります帰宅してから見たら何かが飛んでます
▽源平合戦スペシャル・女たちの戦い(北条政子,常盤御前,巴御前,静御前)YouTubeを視聴します。
京都「時代祭」の前回の続きです。今回は、20ある時代祭の列の12番目から15番目までです。時代は「藤原時代」へと遡ります。まずは、⑫「藤原公卿参朝列」から。公卿(文官)です。目線いただきました。公卿(武官)です。胡床に座る際に使用されていた皮。公卿は「豹」です。殿上人(文官)です。同じく胡床に座る際に使用されていた皮。殿上人は「虎」です。華やかな列が見えてきました。⑬「平安時代婦人列」です。先頭は「巴御前」。「横笛」。「
先週の続きを。どうも「関ケ原」が正解のようです。JRは「関ヶ原」駅なんですよ。「松尾山」を下山します南側が虎口になっています「松尾山城」は元々北側に虎口は無く、南側の虎口しか出入りできなかったそうです。今の北側ルートは切岸に無理やり坂を作って直接主郭へ入れるようになっています。道理で最後の上り坂はキツイはずだ。この「制覇コース」は「松尾山」を南に抜けて、山を大きく迂回するルートを取っているため次のチェックポイントまで結構な回り道になります。そのため
2022年3月10日千葉県佐倉市上志津の天御中主神社に参拝しました。由緒この神社はもともと、妙見菩薩を祀っていました。妙見菩薩は、北極星を神格化したもので、千葉県北部に勢力を伸ばした千葉氏が信仰した氏神として知られています。神社を含むこの一帯は、志津城跡と考えられ、中世には志津氏あるいは千葉氏系統の豪族の館があったとされています。現在の社殿は、寛永三年(1626)、付近の八幡神社と同じ年に創立されたと伝えられます。明治時代の神仏分離令により、妙見菩薩と同一とされた天御中主神に祭神が改め
源義経の母常盤御前からきています京都六地蔵の一つ常盤地蔵の常盤源光寺のお寺があります嵐電北野線の常盤駅から2、3分かなあ私は映画村から近いので常盤駅で降りたことないけど明日明後日とお参りの日でうちも地蔵盆の関係で役が当たっているので天気が心配です常盤は映画村から常盤に抜けて太秦開日町というバス停があるんですが靴のシューズセンターに買いにいくときくらい新丸太町通常盤、鳴滝、宇多野と周山街道ですよね山越というんですが双ヶ丘や広沢池嵯峨野に出て嵐山にも行けるというヒーリング
2022年3月31日茨城県守谷市乙子の石神神社に参拝しました。由緒創建は、江戸時代後期の享和三年(1803)。御祭神は大日比谷維奈尊者。拝殿の裏に小高い塚がありその上に本殿がある。御神体は一丈二尺(約3.6m)の石棒とされ、本殿下の塚の中に埋められているという。家内安全と子孫繁栄にご利益があるとされ、幅広い信仰を集めている。特に子孫繁栄に霊験あらたかで、多くの木製や石製の男根が奉納されている。拝殿本殿本殿の前に狛犬の代わりに男根向拝柱に巻き付く昇龍・降龍
2022年6月26日埼玉県吉川市加藤千葉県印西市大森の大森鳥見神社を参拝しました。由緒大森鳥見神社の創建年代等は不詳ながら、物部氏族がこの地方を開拓した際に祖先饒速日命を祀ったのではないかと推定される鳥見神社の一社で、崇神天皇の御宇5年の創建とも伝承されています。また、平岡鳥見神社の獅子頭獅子舞は、もとは当社に伝わっていたもので、当社では文明年間(1469-86)から獅子舞が社前で舞われていたと伝えられています。鳥居拝殿拝殿の左右に榧と銀杏の御神木。本殿と玉垣
【今宮神社】の近くに、源義経の誕生地があると知り、行って来ました【牛若丸産湯井】この付近に源義朝の別邸があり常盤御前が住んでいたそうです由緒京都市の説明板石碑の向こうに見える木の根元に、牛若丸の胞衣が埋められたそうです【牛若丸胞衣塚】ここには江戸末期まで牛若丸産湯大弁財天女社があったそうですこの近くにもう一つ井戸の伝承があり、探したのですがその場所は建売住宅地の造成中で石碑は無くなっていました…石碑が撤去された場所後で調べると、その石碑は202
疱瘡神社広島市堀越疱瘡で亡くなった平清盛の側室常盤御前の娘が埋葬された地に建てられたとの言い伝えが残っています。平清盛と常盤御前(ときわごぜん)の娘、天女姫が祀(まつ)られると伝わります。天女姫の母親は常盤御前、源義経とは父親違いの妹にあたります。平清盛は、天女姫が宮島で亡くなり、治承3(1179)年その亡骸を祀るため堀越の丘に疱瘡神社を建てました。そして、清盛は姫の亡骸(なきがら)を狼や狐から守るために堀越の山(向灘の山)の一部を切り開いて、そこに海水を引き込み神社がある
一昨日の日曜日は上賀茂神社の手作り市バイクで久しぶりに出かけました途中に牛若と言う町名を見つけました大河ドラマの菅田将暉さんの義経を楽しみに観ていただけに少し気になって…源義朝の別邸が北区紫竹にあったとされ常磐御前はこの地で牛若丸を出産牛若丸と常磐御前にまつわる史跡が沢山点在しているらしい歴史が苦手な私ですが京都は歴史を知るには分かりやすく面白い〜😅今度ゆっくり廻って観てみたいと思いました😊上賀茂神社では手作り市をゆっくりと楽しむ事が出来ました〜そして楽し
実朝さんの「ちぶさ吸ふまだいとけなきみどりごとともに泣きぬる年の暮かな」をお借りしてちぶさ吸ふまだいとけなき牛若とともに泣きぬる母の常盤かな
2022年5月5日(木・祝)6時45分、前日の到着地点、JR関ケ原駅を出発した。駅周辺にはこうした戦国武将のキャラクター絵があって、楽しい。関ケ原駅から少し歩くと、旧・中山道になる。関ケ原宿脇本陣の門。江戸時代の高僧、至道無難禅師(しどうぶなんぜんじ)の生誕地でもある。関ケ原の戦いの翌日、勝者となった徳川家康は、首実検に供されたり戦場に残された夥しい死体の収拾、及び首塚を造る処理を関ケ原一帯を領していた竹中重門(たけなかしげかど)に命じた。
京都の1日は思ったよりも道路が空いていたので、たくさん予定をこなせたのですが、思ったよりもい予定で行く場所に興味あるところが多くって遅くなってしまいました。「お玉の井戸」で有名な「今宮神社」に行き、時間が過ぎてしまって⤵︎中には入れたので手を合わせてきました。ギリギリ、「一和」であぶり餅は食べられました。本当に久しぶりです。嬉しい。お土産もできるそうですが、ぜったいこれはその場で、出来立てを食べたいんですね。ふぅ。今日一日、無事おわりました。嵯峨野からこの今宮神社に
先日、静御前の生誕地を訪れて、なぜ、義経の生誕地を考えなかったのかわからないのですが、昨日、京都に遊びにいき、偶然通りかかったところに👇こんな看板がありました。車で通り通り過ぎら時に「牛若…」とみえたんです。もしや…と思い、ひとまず時間指定の今宮神社に行く用事があったので先に行ったのですが、ここから車で2、3分のところです。帰りに寄ってもらいました。👇看板は👇「牛若丸生誕ゆかりの地」とあります。(牛若丸産湯井・胞衣塚)※「胞衣」とは「えな」と読み胎児を包
旧中山道から脇道に入ったところにある小さな公園。その敷地内に、源義経の母・常盤御前の墓と伝わる宝篋印塔と五輪塔が並び建っている。(諸説あり)後に常盤御前と呼ばれるようになったこの女性、元々は、朝廷の雑仕女として、都の美女1,000人が集められその中でもピカいちの美女だったらしい。16歳の時、源義朝に見初められて側室となり、今若丸・乙若丸・牛若丸(源義経)の3児に恵まれた。しかし、平治の乱で敗れた義朝が逃亡中に殺害されたために、常盤は子供たちを連れて逃亡し、
こんばんは久しぶりの更新となりますお待たせしてごめんなさい🙇はい、いちご狩り🍓を楽しんだ後は前橋市亀里町にある‘極楽寺’へ向かいましたちなみに極楽寺の前の道は「鎌倉街道」と言います細い道ですが鎌倉の極楽寺にちなんでの事かも知れませんね極楽寺も以前に訪問しています『極楽寺~常盤御前の墓~』こんにちは。昨日の記事から引き続きまして…その2前橋市亀里町にある「極楽寺」に常盤御前の墓と言われる宝塔がある。鐘楼~大ケヤキ~観世音菩薩~精進童子~うん、う…ameblo.jp
第11話「許されざる嘘(うそ)」挙兵の年の暮れ。頼朝は力を蓄えている。打倒平家の旗の下、鎌倉に集う新たな面々真に頼れるのは誰だ「うそ」とサブタイトルがあると、何がうそ何だろうと、一言一言に注視してしまっていました。義時と八重の見合い話しで、頼朝が政子に突っ込まれて「あれ(八重)の幸せを願っているだけだ」なんていってたのも…八重さんの義時との縁談を断ったのも嘘?「本心」ではないのですかね。三浦義村と北条義時はお母さんが伊東祐親の娘同士なのでいとこ同士伊東
昨日の続きで【牡丹】の記録【No.11皇嘉門】蕾の数:11【No.12ロマンゴールド】蕾の数:3【No.13新国色】蕾の数:2【No.14五大州】蕾の数:4【No.15紫晃】土に返りました植替えしたらご機嫌を損ねて・・・【No.16常盤御前】蕾の数:6【No.17初烏】蕾の数:10【No.18島の藤】蕾の数:2【No.19雪笹】蕾の数:4【No.20華扇】蕾の数:4植替えしたらご機嫌を損ねて【No.15紫晃】は土に返りました💦
金曜日の歩数7327歩体重55.5キロ昨日の歩数9013歩体重55.3キロ昨日記録するの忘れてたんですねー。どちらの日もワンコの散歩しかしてません💦さて、NHK+で毎晩観ている平清盛ですが、やっと鎌倉殿の13人に追いつきました。33回でヤエさん出てきました演じる俳優さんの年代が後白河院の松田翔太さんと西田敏行さんとかね物凄く違うので少し戸惑いますが、ちょうど線が繋がった感じがしてスッキリしました。伊東祐親は「平清盛」だと峰竜太さんでした。臆病で慎重な感
名古屋のシンゾウです前回試験のために作った最終資料を覚え直しています。覚えながら、試験がだんだん難しくなっていることを強く感じます。自身の実力は確実に上がっている筈なのに、どうしても高得点(140点)が取れません。私の旧態依然とした勉強方法には無駄が多いようです。時間を一杯使って覚えても全く出題されない箇所が多すぎます。今年は、出題傾向をしっかり見直し、勉強方法を替えようと思っています。「広く、浅く、確実に+漢字力!!」でしょうか。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(4
●源義経の家臣⑥一条能成(いちじょうよしなり)(1163年~1238年)源有綱(ありつな)(?~1186年7月4日)佐藤継信(義経四天王)(1150年?~1185年3月22日)(佐藤兄弟)佐藤忠信(義経四天王)(1161年~1186年11月4日)(佐藤兄弟)(姓氏と家紋・佐藤氏)(信夫佐藤氏)伊勢義盛(いせよしもり)(義経四天王)(?~1186年8月11日)鈴木重家(三郎)(1156年~1189年6月15日)(鈴木兄弟)亀井重清(義経四天王)(?~1189年6月1