しかはあれど、今院宣(いんぜん)を辱(かたじけなう)し、父(ちゝ)が年来(としごろ)の勘当(かんだう)を許(ゆる)されて、洛(みやこ)へ上(のぼ)りぬる身(み)の、小事(しようじ)にかゝつらひて止(やむ)べきかは。よしや洛(みやこ)に赴(おもむ)きて、首(かうべ)を白刃(はくじん)の下(もと)に喪(うしな)ふとも、生涯(しようがい)不孝(ふかう)の子(こ)とならんには勝(まさ)れり。いにしへの常言(ことわざ)にも、「怪(あやしき)を見て怪(あやしま)ざれば、その怪(あやしみ)散(さん)ず」といへ