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日本神話の会連続講座日本の誇り~神代の時代は終わらない~本日は第1回目ですテーマは…今後の展望「忠臣蔵の行方」今日は、9時前に赤穂を出発かな…少し早めに行って何処かでモーニングとか考えてます(笑)タブン…お昼は、主催者の方と一緒に食べることになるでしょうで…、会場入り前半が70分間お話しして、約15分休憩後半も70分間、お話ししますので結構、長い時間お話しですねそれで終わりかと思ったらその後
今週末の土曜日から…連続講座『日本の誇り』~神代の時代は終わらない~今回の連続講座は…令和元年6月~10月に地元の赤穂で開催された新生忠臣蔵座談会を元にバージョンアップさせてお話しします全体のテーマは…日本の誇りですから^^それに、サブタイトルで…神代の時代は終わらない元禄赤穂事件とどう繋がるのか…等色々あるでしょうけど(笑)第1回目は…秦河勝、山鹿素行。そして忠臣蔵この点からお話しさせて頂く
兵庫県の観光スポットのお話🏯兵庫県赤穂にあるお城跡、赤穂城🏯江戸時代に赤穂藩(加里屋藩)の藩主が暮らしたお城🏯別名・加里屋城、大鷹城と呼ばれます。いわゆる赤穂事件(忠臣蔵のお話)で、播磨赤穂藩藩主の浅野長矩が切腹に処せられたのが赤穂城🏯になるんですね。赤穂城跡に隣接し、大石内蔵助ら赤穂義士四十七士を祀る神社、赤穂大石神社⛩️があります。🔶赤穂大石神社のお話⛩️『赤穂大石神社』兵庫県の観光スポットのお話⛩️12月、師走と言えば~なお話最近はあんまりやらなくなっちゃいましたが、その
ふと過去のブログを振り返ると…2021-09-07付で『こころに陣太鼓』と題して口上書解読時の真実を以下の通り…、掲載しているこころに陣太鼓☆---------------------------------☆9月26日とは…自分にとって、この日はどの様な日なのか…ふと自分自身に問うわたしの話しは…、マジに話したつもりでも周囲の者たちには冗談に聞こえることが多々ある「赤穂実記を手にして浅野内匠家来口上を解読した瞬間…天から山鹿素行が矢を放ちなぜか知
夕方に…、『聖地赤穂宣言-千古-』■聖地赤穂宣言千古は完全に遊び心でスタートしたけど…、その後にまさかの流れについて書いたのでついでに…『永遠の忠臣蔵』の表紙について…<真っ白の表紙>これは、山鹿素行追悼330周年記念と書いている通りで…発行日は、山鹿素行のご命日ということでお分かり頂けると思います「聖地赤穂宣言千古」の翌年の発行です^^千古の中に、山鹿素行と元禄赤穂事件に関する内容を書いているのですが…その部分が、とある映画制作の団体の目
自分のパソコンの中のデータは…年数が長い分、それなりの量がある今日は、久しぶりにiPadminiをパソコンに繋いだので画像データを見てると『聖地赤穂宣言-千古-』の表紙を作るための画像とか題字とか…懐かしい画像がたくさんあった^^それなりの本の表紙に見えますよね聖地赤穂宣言は、2015/9/26発行なので今から7年くらい前です山鹿素行の銅像に行って自分自身のiPadminiで画像を撮って…題字は、作家兄「みぎり甚五郎」に書いてもらって
(9/21)おはようございます。1622年の今日、9月21日(元和8年8月16日)に、江戸時代初期の儒学者、軍学者、山鹿素行が生まれています。今日は、山鹿素行の一言。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【今日の一言2022年9月21日】「リーダーは、怒りにまかせて行動してはいけない、憤怒の感情は身を亡ぼす(意訳)「士は怒りにまかせ行動すべからず憤怒の感情は身を亡ぼす」」(山鹿素行1622-1685年儒学者、軍学者儒学者
山鹿素行生誕400年今年は会津若松生まれの江戸時代の哲学者・山鹿素行の生誕400年になります8月が誕生日で生誕の地にはこんな看板が掲げられていますもちろん石碑も立っていて東郷平八郎の書です秋にはこんな風景になりますさてここは生誕の地でお墓は東京にあります新宿区の宗参寺に立っています
山鹿素行山鹿素行(やまがそこう・1622年8月16日~1685年9月26日)<江戸時代の儒者>古学と呼ばれる儒教の一派の祖として多くの門人を集めたほか、卓越した兵学者としても知られます。また、武士としての道、思想を「士道」として体系化し、その後の武家社会に大きな影響を与えました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~≪Shikako(しかこ)☆のおまけ≫
古学とは、孔子や孟子に帰れというもの。具体的には、こんな感じ。「孔子や孟子のあと、いろんな流派が生まれてきた。でも、そうしたものは、儒学本来の教えから外れてしまっている。だから派生されたものを読むのではなく、直接原点に帰るんだ!孔子や孟子に帰るんだ!」それが古学です古学は①古学派②古義学派③古文辞学派と3つに分かれます①古学派の祖は山鹿素行です。山鹿素行は言いました。「後世の人が、孔子や論語をあれこれと解釈してきたけど、これってもう儒教本来の教えからか
日本の誇りを語るvol.1本来的に、忠臣蔵は国民に受ける物語です。その理由はたった一つなんですよ。山鹿素行の教えの中で(武士は)農工商の手本となれ!武士は政(まつりごと)をするんでね。今で言う政治家です。政治家であったり官僚であったり。山鹿素行は、農工商の手本となれ。この国を守る役割が武士にある。(武士は)手本となれという教えなんです。忠臣蔵はそういうのが日本の心の反映と言われるところなんで、武家の倫理観の中で受けたものではありません。大衆に広がったものが
素行会について調べていて出会った、眞実と思う言葉。『神様の意思を現すことの出来る人間になるために肉体を持って生まれ変わる』ありがとうございます。自分が自分だと思っているのは本当の自分でない。環境、社会の影響を受けて自分と思って生きている私達。身体も宇宙、宇宙のホシを表すホロスコープは自分を知る第一歩です。
会津鶴ヶ城を歩く。三の丸に、銃を携えた山本八重像を見、そして、「鬼の官兵衛」の佐川官兵衛の顕彰碑…。西南戦争で熊本にて、なんと官軍として戦死したという。会津戦争は賊軍だったのに、西南戦争は官軍として…か。再び廊下橋に戻り、本丸を囲む二の丸のお堀端を周回。高石垣にあらためて感嘆、このあたり、堀も深そう。蒲生氏郷時代は、廊下橋側が大手口だったという。二の丸の南方面へ。樹木雑草に覆われて石垣はよく見えない。天守の南、本丸の南西に位置する干飯櫓。さらに西へ、西出丸を守る
一方、保科正之は二代将軍徳川秀忠の四男であり徳川家康の孫である。会津蒲生家の改易後、加藤嘉明が会津藩主となるが早々に改易となる。その後、出羽山形藩より保科正之が入封したものである。この保科(松平)家の会津藩は幕末まで続く。素行と保科正之。同郷にして同郷に非ず。将軍家光の死後、素行に積み重なる不運の数々に保科正之の影有り。☆----------------------------☆以上の文章は…わたしの著作「永遠の忠臣蔵」から抜粋したものです今月22日に…茅野
東京・立川市にある国文学研究資料館でまた新しい特別展示が始まりましたので、出かけてみたのでありました。「創立50周年記念展示こくぶんけん〈推し〉の一冊」というものです。ひとつのテーマのもとに展開される展示もありましたけれど、今回並べられた資料はそれぞれに個性的。それもそのはず、古典研究という点では同じとしてもそれぞれに専門の異なる国文研の研究者が、それぞれに一推しの資料を挙げているものですので。挙げた理由も人それぞれ、なかなかに興味深いものもあれこれありましたですよ。見る側としても興
【Q17755】赤穂藩主・浅野長直に仕え赤穂城跡に銅像が建てられている、2022年に生誕400年を迎える江戸前期の儒学者で、著書に朱子学を批判した『聖教要録』があり、また独自の兵学「山鹿流」を創始したのは誰?【山鹿素行(やまがそこう)】【Q17756】妻は漫画家・イラストレーターの「こやまこいこ」。2016年にはひまわり9号を搭載し打ち上げられたH2Aロケット31号機の機体に描き下ろしイラストがデザインされた漫画家で、代表作に『モーニング』で連載中の『宇宙兄弟』があるのは誰?【小山宙哉(
今年は山鹿素行の生誕400年をむかえる。山鹿素行の菩提寺を訪ねてみた。新宿区弁天町にある宗参寺(そうさんじ)創建は、1544(天文13)年。寺に、素行の墓がある。寺は、新宿区の閑静な住宅街の中にある宗参寺の山門山門を通ると、「史跡山鹿素行墓」の石碑がある。お寺の墓地のほぼ中央に素行の墓がある。「山鹿素行先生墓所」の石碑の左側に墓はある。素行の墓墓石には「月海院殿瑚光浄珊居士」と刻まれている。会津に建つ「山鹿素行先生誕生地」石碑
おはようございます、たけちです。3月に入り、西宮近郊は日中かなり暖かくなってきてますねしかし、まだ、朝、夕の寒暖の差は注意を要しますね。春物はもうすぐなんですが、いつ着るのか判断に迷うところです。もうすぐなんですがさて、今日は平戸城の紹介をしたいと思います。『そして熊本城へ(その4)』おはようございます、たけちです。昨日は午後から雨で家にてゴロゴロしてましたが、今日も寒いですね西宮市近郊では滅多に雪は降りませんが、寒いことには変わりませ…ameblo.jp平戸城石垣と亀
本日の「天守台シリーズ」は、第93弾「平戸城」(長崎県平戸市)です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台
年が明けた正月の廿日、江戸呉服橋の吉良邸から御用を終えた帰り道で「幡豆のたつざ」こと幡豆龍三郎右衛門は去年の卯月、城中で浅野殿の起こしたあの一件について思い起こしていたいきなり指南役のお館様に斬り掛かった匠頭の気持ちがどうしても分からずにいたのだが、一年近く経って何となく見当が付いて来たような気がしていたのだった確かに浅野殿が江戸の火消しの連中をうまく束ねていい仕事をされたのは確かであろうが、気の荒い町衆をまとめるのと帝の勅使をおもてなしするのとではまるで勝手が違うのは当たり前で、例えお
山鹿素行の偉大さを知るために…昨年10月10日に赤穂市文化会館にて、山鹿素行生誕四百年記念講演が開催されました講師は、石平氏です【演題】赤穂で活躍した思想の巨人山鹿素行についてですが…自分は当日、別のイベントの主催を行っていたので残念ながら会場に行けませんでしたその後、赤穂山鹿素行研究会理事さんから講演を収録した冊子を発行するとお伺いし…冊子の発行を楽しみに待っていましたで…、赤穂山鹿素行研究会の理事さんから冊子を頂いたのです
赤穂城です🏯赤穂城は、浅野氏の居城として知られており『忠臣蔵』の舞台になったことでも有名な城です🔥元和偃武のあと、平和な時代に築かれた数少ない城のひとつでありながら、山鹿素行を招聘し甲州流軍学によって築いた実戦的な城です🎌現在、城郭には、天守台や石垣が残っています💁🏻♀️個人的には、本丸庭園、二之丸庭園、大手門、大手隅櫓などが見所かと思います🤡日本100名城にも選ばれており、本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定され、城内は城跡公園となっています🌳
昨年(令和3年・2021年)10月10日、赤穂市文化会館・ハーモニーホールに於いて石平氏の後援会が行われた。演題は赤穂で活躍した思想の巨人山鹿素行について主催の赤穂山鹿素行研究会が、後援会後の12月14日に、「赤穂で活躍した思想の巨人山鹿素行素行生誕400年記念・石平氏講演会記録」と題する冊子を発行してくれたので、後援会内容を知ることが出来た。【先ずは、石平氏について】人気著書が多数あり、テレビやYouTubeなどでも大活躍の石平氏は、1962年に中華人民共和
次は赤穂城跡へ。後でわかったのですが、大石神社と赤穂城跡は隣接しているんですね。知らないものだからわざわざ車で東駐車場というところまで行ってしまいました。歴史博物館の横を通って城内に向かいます。お堀を渡る小さな木の橋。かたわらには雑草が生えた石垣が。近くにあった案内板によると、どうやらここはお城の東にあった清水門という門の跡。その先には開けた広場のような場所が。【④8791】武家屋敷公園といって、坂田式右衛門という重臣だった方の屋敷跡なんだとか。立派な門構えですね。ただし
前回からの続き前回忠臣蔵の真実前編赤穂事件と呼ばれる松の間での出来事の経緯は次の通りです。正月に江戸幕府より天皇家に贈り物をします。それに応える形で天皇家からもお返しの品を送ります。もちろん、宅配などというものはなく幕府からは征夷大将軍の名代として高家である吉良上野介が贈り物を持参します。天皇家からは勅使という人が天皇の名代として贈り物を持ってきます。その対応をするのが高家である浅野内匠頭でした。事件は浅野内匠頭が勅使の接待役をして
だいたいこの季節になるとテレビで放映されるのが忠臣蔵。ただ、この最近は不思議なぐらいドラマがなくなりました。何かの圧力がかかってると思うのは俺だけやろうか?俺の叔父が赤穂浪士47士におる潮田又之丞(高教)の家に養子に行ったんで親戚筋でもあるんです。世間一般的には江戸城内で吉良上野介(義央)に「この、田舎侍めが。」と馬鹿にされたことに腹を立てた浅野内匠頭(長矩)が感情的になって刀で切りつけその結果、幕府の処分で切腹させられた。残った家臣たちは自ら
直江兼続屋敷跡であり山鹿素行誕生の地慶弔3年(1598年)越後から会津120万石の城主として移ってきた上杉景勝は、上杉家の筆頭家臣の直江兼続の屋敷にとここの場所を与えたそうです説明看板には直江兼続の兜の前立て≪愛≫の文字が薄っすらと・・・それとここは、江戸時代の代表的兵学者・山鹿素行が生まれた場所軍学・山鹿流の創始者で武士の心構えや道徳を教え、幕末の思想家たちに与えた影響も大きく、赤穂義士の師であった山鹿素行誕生地を記念した碑石は
日本史の「効率的な暗記方法」をスタサプ人気講師と早大生Youtuberが伝授|高校生新聞...高校生新聞オンライン覚えることがたくさんな日本史の勉強。四苦八苦している受験生も多いと思います。スタディサプリで社会科講師を務める伊藤賀一さんと、早稲田大学の現役学生...石見小笠原氏の歴史解説史料集発刊記念し講演会川本|山陰中央新報デジタル山陰中央新報島根県川本町を拠点とした中世の武将・石見小笠原氏の史料集発刊を記念した講演会が6日、悠邑ふるさと会館(川本町川本)であった。
今、赤穂夢物語りの特別上映会を前に☆ポイント紹介(見どころ)を紹介しているが…本音で言えば早々に…当時の儒学・兵学者の山鹿素行を紹介したいのです何度も山鹿素行のことを記そうと思うのですが…この人物を書くとキリがない^^どれほど多くの言葉を費やすことになるのか等と考えてしまう(笑)また何処から解説したらよいのだろうかと思うそれほど重要な人物ですわたしの著作「時を超えた男たち」は…今回の映画の原作ですが物語を書くにあたり先ず、山鹿素行
昨日…、自身のFacebookで9月26日とは…自分にとって、この日はどの様な日なのか…ふと自分自身に問うわたしの話しは…、マジに話したつもりでも周囲の者たちには冗談に聞こえることが多々ある「赤穂実記を手にして浅野内匠家来口上を解読した瞬間…天から山鹿素行が矢を放ちなぜか知らないが、その矢が俺の心臓を射ただから、結果的に口上が解読出来た山鹿素行のお陰です!ま~、山鹿素行の手元が狂ってしまい俺に矢が当たってしまったのでしょう」と語れば、冗談に聞こえるらし