ブログ記事220件
探偵ナイトスクープの人気企画の一つ。「通天閣の上で叫ぶ」です。まずは田村裕探偵が通天閣の上で叫びます。「YOUTUBEで始めた「おんぶ飯」っていう企画みんなみたよというから、どれくらい再生されたのかと思ったら53回しか再生されていなかった。」そうです。では、新世界を歩きます。人少ないな。早朝かな?店締まってるし。でっかい荷物を持った青年がやってきた。声をかけて、荷物の中身を見てもらうと、白いカッパみたいな腹話術の人形。腹話術師だそうです。いっこく堂さんにプロとしてやっていけると太鼓
名古屋のシンゾウです「世界にひとつのプレイブック」(2012作品、アメリカ)、この映画を知っていますか。私は、全く知りませんでした。「妻の浮気が原因で心のバランスを崩した一人の男と事故で夫を亡くして心に傷を抱えた女性の出会い、二人はダンスに打ち込み、色々あってお互いの愛情に目覚めていく」というストーリーなのですが、最初は最後まで観れるのか(欠伸の連続)と不安でしたが、お終いの10分は、涙が出るほどの感動を与えてくれました。主演の2人の俳優は全く知りませんでしたが、男の父親役がロバート・デ
かえる触ったことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう触りたくないのにちょんと足に乗ってきたことある幸盛寺へこちらは山中鹿之助幸盛公のお墓があります山中鹿之助は我に七難八苦を与へ給へと、三日月に祈った方です桃鉄で出てきたのをぼんやり覚えてる程度です笑尼子方ですね現在の岡山県高梁市で毛利に敗れますその後、甥にあたる亀井武蔵守茲矩公が鹿野城主となり、お寺と遺骨をこの地に移しましたいまはこの地に眠っています御神木はイチョウ樹齢400年以上
某日、荘内神社「宝物殿」の人形を見てきました。写真撮影OKでした。弁慶と牛若丸武田信玄と山中鹿之助何だか迫力ある、舞う人形。
城をめぐります。有名無名関係なく、興味があるところならどこへでも!今回のルート:若桜駅-若桜町観光案内所-八幡広場-若桜鬼ヶ城登山口-三の丸-二の丸-本丸-天守台-六角石垣-蔵通り今回は若桜鬼ヶ城城をめぐります。スタートは若桜駅です。これがまた風情のある駅ですので、列車とともに写真撮影が捗りそう。これは鉄道ファンでなくても撮影不可避。駅前の観光案内所で続100名城のスタンプと御城印をいただくことができます。若桜鬼ヶ城へは登城口まで徒歩15分、そこから山
週末に出勤だったので今日はお休みそこで毎度バカバカしい話を一席、、、以前のブログで死んじゃおっかなは典型的東洋破滅観と書きましたそうなんです戦国の世の数々のいくさ場で、名だたる武将たちの多くが自軍の敗北を悟って自刃してますまだ戦の途中であるにも関わらず『もはやこれまで』となります破滅観というより美学に近い計算高いと言われる徳川家康でも聡明さで有名な直江兼続でもいろんな理由から敗北手前の段階で自刃しようとしたことがあると伝えられています一方、単純に言ってしまえば
子供の日ということで兜とともに。山中鹿之助の兜です。最近はどうなんでしょう?知っている人も少ないだろうか。山中鹿之助の解説を少々。もともと戦国時代、織田信長が活躍する時代。尼子氏という大名が中国地方にいました。そこに使える勇猛な武将それが山中鹿之助でした。ところが戦国好きな方ならご存知毛利元就に尼子氏は滅ぼされます。有名な「天よわれに七難八苦を与え給え!」と叫んで巨大な毛利と戦い続ける・・・
先日、前やんと月山富田城へ行きました。福崎駅で待ち合わせしまして、帰りも福崎。そこから、安来市広瀬にある月山富田城に出発。かつての尼子経久の居城であり、難攻不落と言われた名城です。御子守口から登山開始で、そこからまず巨大な空堀があり、そこで侵入した敵が狙い撃ちされる。そこを突破したとしても、山中御殿から狙い撃ち。さらに七曲がりから山頂の本丸を目指すも、急峻な地形になっており容易に登れない。途中で山吹の井戸が、今でも湧水を湛えておるんよ。周囲に似たよ
山中鹿之助さん。戦国時代の人。この人の解説はまあ、いいや。有名だし。鴻池家の祖だったとは。鴻池家は大阪でブイブイ言わせた豪商なんだよな。渋沢栄一みたいな派手さはないけど。山中鹿之助と鴻池家の大河ドラマは面白いかもな。時代を行き来しながら。「転生モノ」も良いかも。
2008山陰12神西湖8/14(木)③出雲大社の鳥居前に大宮ナンバーのでかいバイクが停まっていたが、持ち主は服装ですぐそれと分かった。ひげ面の大柄な人、年の頃は30過ぎくらいか。僕らも埼玉からだ、と話になったが、これから帰るところだと言う。今朝の6時に出て17時頃に着いた、これから出て帰着予定は明日の朝、というから恐れ入る。そんなことして楽しいのか、とは聞かなかったが、ここは縁結びの霊験あらたか、という世間の評判だから、何か切実なものがあったのかもしれない。いずれにしろ、ご苦労なこと
2008山陰11出雲大社8/14(木)②美術館を出てすぐ右手にある和食の店「竹葉」でお昼をいただく。「朝とれ魚定食」と「マクロビオティック定食」を注文。刺身の魚はアゴ。小さいけれど、トロッとして美味。マクロビオティックの方は、その名の通り健康を志向したものだけに、薄味に仕上がっている。実は肉を使っていないという唐揚げは、言われなければ鶏と間違えるほど、おいしくいただいた。車に乗り込み、そのまま南下すると、途中でものすごい雨に襲われた。夜の幕営が頭に浮かび、どうしようと思ったが、す
2008山陰10足立美術館8/14(木)①朝になっても一向に涼しくならない。後に、夏の旅でテン場を選ぶ場合、状況が許す限り標高の高い場所を鉄則にしているのは、こんな経験が積み重なった結果といえる。この前の投稿でも触れたが、現在なら、それにもましてアスファルトの上を選ぶようなことはしない。テン場に取った駐車場の一つ下に位置する広場で朝食にする。ここは「淀江どんぐり村」の一画で、大山の麓に湧く名水「本宮の泉」を引いてあり、早朝から水汲みに来る人たちが絶えない。淀江どんぐり村山陰
おもしろ日記ランキング※人気ブログランキングに参加中。ぜひ、1日1回ポチッと押してください。みなさん!こんにちは!ちぃで〜す☆イェイイェイ今回は、毎度お馴染み、道の駅大好きVTuberちぃさんが通りまーす☆なんと!今回の道の駅!今まで行った中で一番道の駅ってわかりにくい上に、渋い!!!!それがこちら。【広瀬富田城】看板も渋い遠くからだと本当に道の駅がわからずこの看板を見てやっと確信。でも、この看板も小さいので遠くからだとわからない。
財力に恵まれ、摂津の技術の値を600ちょっとまで上げることができました。が、兵士の相場は相変わらずの高値です。金800の鉄甲船を作ってたほうが安いくらいです。そんな鉄甲船を山中鹿之助に持たせて、大阪湾や紀伊水道に制海権を得ることができました。こうなれば、大軍の毛利家は簡単に片がつきます。備前で大軍を大砲でガンガン片付け、本陣を乗っ取り快勝。瀬戸内海を荒らしたら、毛利家は一気に片付くでしょう。たぶん。ただ、鹿之助だけじゃ不安なので、もう一人に鉄甲船を持たせ、朝倉・浅井両家に当たらせま
(正月早々、4回もブログ更新www)お隣の出雲から早く来ないかと(リセマラして)待っていたら、やっと来ました!山中鹿之助幸盛これで外敵内紛の七難八苦があっても大丈夫。たぶん。春になり、追加メンバーがめでたく元服。本当ならとっくに登場してるのですが、この仕様なので。毛利に警戒しつつ、徐々に国力を増強したいところです。
山名家で始めてみました。とりあえず、富国強兵で。前回ご紹介しました山名家のメンバーはこちらに載せてあります。『【天下布武】追加メンバー【山名祐豊】』コロナ禍で思い立ってプレーを始めた『武将風雲録』。登録する月が長いほど加入するシナリオや武将が増えます。10ヶ月経ち、山名家家臣の3人が揃いました。残りの一人…ameblo.jp彼ら山名四天王の中の一人、垣屋続成。最期がアレですが、けっこうなお年です。いつお迎えが来てもおかしくないです。山名家の武勇派、吉岡定勝。不足ですが、防衛戦には
すばらしい!内容に関しては、ノーコメントでいきたい。12月7日、届く。同12日読了。なんといってもこの表紙がカッコいいこの↓表紙のもありましたが、こちらを選ばなかったのは、一重に挿絵画家の才覚に感じ入ったから、だと思います。そして、手に取ってみて、即、挿絵画家が誰かを確認。中一弥も~嬉しかったです。池波正太郎&中一弥コンビの絶妙な阿吽の呼吸。ずっと前から、このコンビのファンだったので、受取った時、脳幹と骨
江戸時代初期に存在した鹿野城の城下町で、尼子氏の家臣から鹿野藩主になった亀井氏は、山中鹿之助の娘を妻としていた関係で、城下には山中鹿之助の墓も残っている。(墓は次の記事で紹介)
月山富田城・前編の続きですやっと三の丸広場の先に!三角点何等?三角点は有っても上に続きます二の丸やっと頂上エリア神殿良い景色です最近は山に行っても山頂から景色が見えない事が多いのに城に来たら絶景(笑)石垣も立派下山途中に尼子氏の碑へ実は誰も来ないのかヤブの中ここを歩いてきました城でも藪漕ぎ(笑)やっぱ低山ハイキングレベル(笑)
11月中旬に安来市の月山富田城へまずは駐車場の横の歴史資料館へ富田城の概要模型いよいよ登城尼子神社山中様鹿介幸盛かなり汗だくになってきましたまだ半分以下?花ノ壇意外と案内が少なくちょっとルートを迷いました今更ですがパンフレットが有りましたあと20分?ここまで20分近く登ってました山頂はまだまだ低山ハイキングレベルは有りそうつづく・・・・・・----------------------
11月5日月山富田城を登る道は最近整備されたらしく、階段は綺麗にコンクリートで固めて、手摺もある途中に井戸がある籠城に強かったのは水が有ったから、とテレビで言ってたあんまり綺麗ではなさそうバイクを停めた駐車場が見えるここまで30分くらいか😅3回は休憩した3年前に備中松山城に登ったが、あのときよりは楽な気がした気候が少し寒いくらいでちょうど良いでもアンダーシャツ1枚で汗をかいた😅本丸山中鹿介の石碑がある天守閣は無い神社がある頂上からの景色は良い😃御城印は道の駅で売
夜中に起きて風呂は終わっていたので仕方なく今日のルートを考える😔少し西から島根からこの前行ったR314を南下して、広島県の帝釈峡から福山経由で帰ることにしてまた寝た😅6時半起床朝風呂に何と朝風呂は家族風呂に入れる☺️鍵もかかるのでひとりでゆっくり出来る一応20分まで素泊まりだが朝食はサービスコーヒーやジュースなどもある部屋から見た景色山側なので日本海は見えない😅今日は山登りがあるので少し薄着で8時50分出発30分ほどで道の駅広瀬富田城とりあえず300mのところに山中
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)前回から、運気を磨く心を浄化する三つの技法(光文社新書)という田坂広志さんの著作を紹介しています。そこから、私の「人生観」にもアプローチしていきたいと思います。お付き合いいただければ嬉しいです(^^;「良い運気」を引き寄せるためには、「ポジティブな想念」を持てばいいのか?たしかに、「表面意識」では、それで、どうにかなるかもしれません。しかし、「無意識の世界」では
島根県安来市:月山富田城。築城主:堀尾吉晴。山城。日本100名城No.65。城巡り西国出陣、二日目。松江城から約30km。尼子経久像、山中鹿介像にお会いしたのち訪れたのは、安来市立歴史資料館。重要ミッション、100名城スタンプを押印。三種の武将印をお迎えしました。下剋上武将・尼子経久、その嫡孫・尼子晴久、そして山中鹿介。そして月山富田城の御城印をお迎えしました。2019年11/10に参加した、山城サミット(可児市)。この時に知り合った方が
今回は広島県福山市鞆の浦の風景最終回です。1回目から2回目では、幕末の時代この鞆の浦の近くで海難事故が発生、沈没した「いろは丸」に乗船していた坂本龍馬と海援隊についてでしたが、今回の時代は戦国時代です。室町幕府15代将軍足利義昭。ちょうど明日のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」で、明智光秀を介して織田信長に身を寄せた足利義昭が、上洛する話となっております。上洛後、義昭は15代将軍になることができますが、政治の実権を握ったのは織田信長。義昭は信長追討を計画
城巡り西国出陣、二日目。島根県安来市、月山富田城エリア。尼子経久像につづき、山中鹿助像に会いに行きます。山中鹿介幸盛。尼子氏に仕え、武勇智略で名を馳せた。尼子氏滅亡後の再興戦で善戦するも、毛利軍に敗れ捕えられた。尼子氏再興戦。毛利氏により一度は滅ぼされた尼子家を再興しようと出陣。不落の堅城、月山富田城をあと一歩のところまで追いつめた戦いでした。また別の機会に詳しく探訪してみたいと思います。オフィシャル版武将印と、戦国魂版の墨将印とスリーショット。
城巡り西国出陣、二日目。松江城から一路、月山富田城を目指します。(探訪835/安来駅はこの途上で訪問しています)一帯はかなり広いエリアです。城巡り隊の基本ミッションには銅像巡りがあります。まずは尼子経久像に行きます。三日月公園内、尼子経久像、正面図。赤丸の中が、月山富田城の頂上(本丸)です。尼子経久は出雲国守護代から成りあがり、周辺諸国まで治めた下剋上型戦国武将です。斉藤道三と同様のタイプと云ってよいでしょう。居城であったのが月山富田城。武将印とのツ
ここは島根県安来(やすぎ)市。広島の安芸(アキ)市じゃないよ〜訪れたのは月山富田城(がっさんとだじょう)。これまた読みにくい。ここは戦国武将の尼子氏ゆかりの地。こちらは尼子興久のお墓。山に川に高台にと、防御力高そうなお城。この日も暑かった!さて、登りますか〜アセダクマヤコンになりながらの城攻め。攻略後はびっしょびしょ。。尼子神社に手を合わせ、お目当ての山中鹿之助像へ!何度でも何度でも何度でも立ち上がる、ドリカムもびっくりの戦国武将!!試練にめげず忠義を尽くす男!行
前回からやってます(武将銅像×御朱印・御朱印帳・御城印)のまとめ比較シリーズ。前回の「武将銅像×御朱印帳」編に続いて、今回は拡大成長著しい「御城印」編です。戦国武将銅像とお城、城跡(公園)は相性がイイのは言わずもがな。どちらも間違いなく重要な観光資源ですから組み合わせるのは必然的と言えましょう。これまた前置きが長くなってしまいました。どうもすみません。では、まずは今年の顔から。(明智城ブロンズ像建立記念)大河ドラマでもおなじみとなった「明智荘」の明智城跡に今年新しくできた銅像