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今日は東京は曇ってますが暖かいです。身体も緩み軽いですね。今日は尼子の少し遅めの新年会です。コロナ禍で、なかなか集まれなかったからね。その間に病気などの理由で、移動するのが不可能となってしまった、そんな方もいます。とても残念だなぁと思いました。そんなことを改めて考えてみると、コロナ禍の何年もの間は、皆の大切な命や年月を奪ったことになります。なんだか改めて憤りを感じました。尼子の新年会を始めてから、主人の代で3代目。子たちが4代目。そのまた子たちが5代目となりま
尼子10旗の一つ、白鹿城(松江市法吉)。ここは、尼子勢の重要な城で、すぐ近くに陣を構えた毛利勢と死闘を繰り広げたすえ落城。尼子勢は月山富田城に逃げ落ちた。登山口から頂上の本丸まで、光の祝言を何度もあげながら,さ迷える御霊たちに光の柱に入り、天に昇るよう呼びかける。合掌
尼子の本拠地月山富田城。戦国屈指の難攻不落の山城であったが、毛利勢との攻防にて兵糧が尽き降伏。登山口から七曲、頂上のある本丸まで、何度も光の祝言を上げながら、さ迷える御霊たちに光の柱に入るよう呼びかける。また、近くにある新宮屋敷跡にも参り、光の柱を立てて、呼びかけた。
大東にある佐世城跡。1326年に築城、戦国では尼子の家老衆だったが、毛利に攻められ落城。登山口から光の祝言を何度もあげ、光の柱に入るよう、さ迷える御霊たちに呼びかける。
尼子10旗の牛尾氏の居城、三笠山城跡とその麓に鎮座する「出雲国風土記」に記される古いお社海潮神社(御祭神は、宇能治比古命(うのじひこ)にて、光の祝言を何度もあげて光の柱をたてる。辺りは古戦場でもあるので、さ迷える御霊たちに光の柱に入るよう、天に昇るよう呼びかける。
三刀屋城跡に巡礼。ここも尼子と毛利の合戦の地で、山陰山陽の要所にある。本丸まで、光の祝言をあげ、光の柱をたてる。
三田谷の古戦場跡と上乃郷城跡。ここも尼子と毛利の激戦地の一つ。五百年経てども、恨み、怒りでさ迷える御霊は多いと思われる。光の祝言をあげ、光の柱をたてる。
おはようございます。ひろ*です。体重の乱高下発生中。今日のネタは彦根のカフェのような洋食屋さんのようなお店、ローズマリーです。ローズマリー(尼子/洋食)★★★☆☆3.24■予算(昼):¥1,000~¥1,999tabelog.com牛すじ煮込みハンバーグ定食。ごろっとした牛すじがデミグラスソースで煮込まれたハンバーグの上に載ってます。全景はこんな感じで。奥に見えるのはオムカレーなので私が食べた物とは無関係です(笑
戦国時代の尼子氏と毛利氏の古戦場跡の一つ、和久輪(わくり)に巡礼してきた。五百年の歳月をしても、無念さ、悔しさ、憎しみの中で苦しんでいる御霊がどれほど居られるだろうか…。光が届き天に昇られますように。
昨夜帰ってきた時は何にも言わなかった息子ですが、今朝「これ食べる?」とくれました。安来市の尼子吐月糖本舗の吐月糖。1個取り出すと下にも入っていました。2段になっています。吐月糖|しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト砂糖、本くず、かたくり粉の和三盆を原料としたらくがんです。www.kankou-shimane.com口に含むと、ゆっくりと溶けていく砂糖。上質な落雁です。
末吉城跡付近の山中鹿之助供養塔(鳥取県西伯郡大山町)戦国時代初期の中国地方では山口の大内氏が一大勢力を築いていたが、やがて出雲守護代であった尼子氏が台頭し、両者が派遣を競っていく。後に中国地方を制覇する毛利元就も、当初はこの二大勢力に挟まれた国人にすぎず、どちらに就くかで一族の間で争いも起こっている。出雲国を拠点とする尼子氏は、居城月山富田城の防衛のため出雲国内に10の支城を築き家臣団を配置。尼子十旗と称された家臣団のうち、第七位に位置付けられたのが、尼子氏の足軽大将で、出雲国神
埼玉に生まれ育った私は、どうしてもあづま魂(ちなみに私は上尾市東町(あずまちょうと読む)小学校出身)が抜けきれず、こちらの方が主人公である作品を読みがちなもので、中国、九州地方はいつも相手側として接しておりましたので、今回の舞台となる山陰出雲地方で吉川(毛利軍)VS尼子軍なんてほぼ初めての体験。しかも嬉しいことに主人公たる少年側の一方的な視点だけではなく、相対する相手側、つまり尼子側でもしっかりと描かれており、これがまた感情が入りやすいエピソードまであり、とてもいい感じです。そして私
新宮党尼子氏の勢力拡大に大きく貢献した中心的な武力集団。尼子一門による親衛隊的な精鋭集団。月山富田城の北麓の新宮谷に居館を構えていたことから新宮党と呼ばれる。新宮党当主:尼子久幸(宗家:尼子経久の弟)→国久→氏久新宮党の勢力国久の代には出雲国東部だけでなく、謀反を企てて追討された塩谷興久(経久の三男)の遺領である西部の一部も引き継いで支配。宗家とは別の独立した権限を持っていた。新宮党の増長尼子当主である経久の死後、晴久の代になると、国久は晴久の
叔父夫妻が朝一ばんに買ってきてくれた野焼き父の好物なので仏壇にもお供えしようその他親戚から頂いた数々母からの注文は尼子味噌従兄弟が買ってきて下さった後日母はとても懐かしがり喜んだ従兄弟から後日届いたギフトで美味しい旅の余韻もまた格別
前から行きたかった月山富田城跡に10月6日(木)行ってきました月山富田城の城主である尼子氏は滋賀県(近江)の出身ですし、ここの近くに叔母の家があって縁のある城跡だと勝手に思っていました(小学生の時に泊まりに行った叔母の家はチラッと見てきました)難攻不落の城として有名ですね。主要部分全体図周辺にも城のあとがあります尼子神社付近から馬乗馬場を望む堀切はいくつも確認できました山中御殿平の石垣三の丸、二の丸、本丸を望む西袖ヶ平の先端をみる
2週間ぶりに、米子市清水先生の歯科医院へ行って参りました。到着時はAM11時半過ぎ、予約時間はPM12時。昼食は何時摂ろうかと受付で確認を取ると混雑しているので食べてきてくださいとの事…ならばと、お腹が空いて機嫌が悪い家内を連れて選んだお店はすぐ近くの尼子三日月さん下調べもせず立ち寄ったので、2人が頼んだのは一番大きなPOPの焼豚麵1,500円!特大チャーシューが美味しかった~トッピングサービスで大量のニンニクも出して頂いたのですが、この後歯医者さんなので
おはようございます。ひろ*です。東京駅から更新中。今日のネタは彦根のローズマリーです。ローズマリー(尼子/洋食)★★★☆☆3.25■予算(昼):¥1,000~¥1,999tabelog.com出張に行くとちょいちょい行くお店です。この日はかつ丼。つゆだく形式の珍しいかつ丼です。ボリュームもあり、満足でした。こちらは牛すじ煮込みハンバーグ。ゴロゴロと牛すじが乗ってます。ご飯、サラダ、みそ汁も
おはようございます。ひろ*です。名古屋から先に進めず、無念の延泊。今日のネタは彦根のカフェのような洋食屋さんのようなお店、ローズマリーです。ローズマリー(尼子/洋食)★★★☆☆3.25■予算(昼):¥1,000~¥1,999tabelog.com牛すじ煮込みハンバーグ定食。ハンバーグの上にもりもりと牛すじが乗っかっています。全景はこんな感じ。サラダも結構量があります。別の日に頼んだナポリタン。
おはようございます。ひろ*です。今日は一日バタバタしてそうな予感。今日のネタは彦根の喫茶店、ローズマリーです。ローズマリー(尼子/洋食)★★★☆☆3.24■予算(昼):¥1,000~¥1,999tabelog.comカツカレーを頼みました。ほどよい辛さとフルーティーさが同居。まったりしたカレールゥも、好きな人ははまりそう。野菜サラダもついてきます。ごちそうさまでした!人気ブログランキングに参加しています
東広島へ来たついでに広島大学近くまで行き広いキャンパスの近くにある鏡山の麓へ行きましたかつて鏡山には大内氏の城があり東西条代官を置き安芸国をおさえる目的で築かれました大内氏は細川氏と海上交易の覇権を巡って対立しており応仁の乱では京都から離れたこの地も戦いの場となりました応永3年(1523)鏡山城は勢力を伸ばしてきた尼子氏に奪われます毛利元就は尼子の傘下として戦いに参加しますが尼子氏は元就に警戒して恩賞を与えず元就も後に尼子から離反していきます
「山中鹿之助」と三日月大雨の地方の皆さま特に東北地方の皆さまくれぐれもご注意くださいませ今日の國史を学びましょう!「山中鹿之助」没天正6年(1578)山陰地方の戦国大名「尼子」家に忠誠を誓いました「尼子経久」(4代)は島根、鳥取、備中を支配し「十一ケ国太守」となります経久の長男「政久」の子である「尼子晴久」(5代)の時には山陰山陽「8国」の守護となり中国地方最大の大名となりますしかし晴久の急死(1590)を知った「毛利元就
本日11時、合戦イベント「上月合戦」の勝敗がついに決しました。その前に、昨日と今日、石川県で大きな地震が発生しました。被災された皆様にはお見舞い申し上げるとともに、お近くにお住まいのユーザーの皆様は引き続き余震等にお気をつけ下さい。合戦イベントの結果は…、史実を覆しての尼子軍の勝利となりました!本イベントでは、スタート時から毛利軍が少しづつ人数差を広げる展開となりました。そして、恐らく今までの合戦イベント史上でも最も早いと思われる、開戦3日目にして両軍同時の総攻撃へ突
上月城址(兵庫県佐用町)先週金曜日に陣触れが発せられた合戦イベント「上月合戦」。本日は、さっそくその日程などの発表をさせて頂きたいと思います(」゚ロ゚)」まず、スケジュールは以下の通りを予定しています↓【開戦日時】2022年06月10日(金)17:00【参戦期限】2022年06月15日(水)10:00【終戦日時】2022年06月20日(月)11:00期間としては長くもなく短くもない、中くらいの日数といったところです。よく考えたらもうあと10日ほどで始まります(汗
尼子家再興に燃える山中鹿介の姿は、羽柴秀吉率いる中国方面軍の中にあった。天正5年(1577)、西播磨まで進出した秀吉は、美作・備前国境を扼する要衝・上月城を攻略。対毛利戦の先兵として、尼子勝久を奉じる鹿介を城番に入れ置いた。これに対し、毛利方もすぐさま上月城奪還に動いた。毛利両川に宇喜多勢を加えた大軍を動員し、十重二十重に城を包囲したのである。危急の報せを受けて舞い戻った秀吉らの後詰も、厳重な包囲陣にうかつに手を出すことができない。かくして、数万の軍勢が上月城を挟んで対峙する事態となっ
高確率で発生するこの件何気なしにうぃきぺでぃあ先生で確認してみると、急死だった模様気になったので、出典元を探ると、『雲陽軍実記』に記載があるとあり、さらに便利なことに電子文書になっていた出典元国立国会図書館デジタルコレクション『運陽軍実記』より一部抜粋これを読み説くと、手水(厠)での縁先で頓死(急死)したような記述になっており、これをもってうぃきぺでぃあは脳卒中ではないかとしているよう。ただ、この作者は前後で毒薬云々の記述もしているので、暗殺等を疑っているようにも見え
「山中鹿之助は、寡兵で大軍に勝つこと数え切れないほどであった。その武名は天下に響き渡り、樵の子供や猟師の老人までもが日常の会話にしたほどであった」鹿之助が聖地、月山富田城(島根県安来市広瀬)に最も近い鹿之助墓所は、城のふもとの巌倉寺供養塔。松江城主だった堀尾吉晴妻室が遺徳をしのび、立てたという。……それにしてもなにゆえ鹿之助は、最後の最期まで、あれほど「尼子家再興」にこだわったのだろうか。これこそ鹿之助本人にしかわからないか…。秀吉は鹿之助を残したまま上月城を退却する際
おはようございます。ひろ*です。デスクトップPCの起動がもっさりしているんだよなあ。今日のネタは彦根の洋食屋さん、ローズマリーです。ローズマリー(尼子/洋食)★★★☆☆3.25■予算(昼):¥1,000~¥1,999tabelog.com牛すじ煮込みが乗っかったハンバーグです。ボリュームたっぷり。全景はこんな感じです。野菜もご飯もいっぱい入ってます。味もボリュームも満足。ごちそうさまでした!人気ブログラ
経久の子どもたち尼子経久は、永正14年(1517)には国内各荘園の年貢進納をそれぞれの荘園領主に報じていて、対外的にも経久が守護に準じた支配者である、という事が認められていたことが見てとれます。そして翌永正15年には出雲最西部、飯石郡の有力国人赤穴氏に対してその所領を安堵し、またこの頃から出雲国外への進出が見られるので、この頃までには出雲国内全域を掌握したものと思われます。このように、尼子氏は京極氏の権威を背景に出雲を統制し、最終的にはその守護権を京極氏から引き継ぐ形で支配権を確立した
おはようございます。ひろ*です。週末は髪を切りに行ってコストコに行って、あと経理作業だな。今日のネタは彦根の喫茶店、ローズマリーです。ローズマリー(尼子/洋食)★★★☆☆3.25■予算(昼):~¥999tabelog.com安定の牛すじ煮込みハンバーグにしました。牛すじがたっぷり乗ってます。ぷるぷるです。全体としてはこんな感じです。ご飯も野菜もボリュームあるのでいいんじゃないかなと。ごちそうさまでした!
尼子経久の出雲掌握雲陽軍実記、陰徳太平記などの軍記ものによれば、尼子経久は富田城を追われた後、流浪の身となって復権の機会を伺いながら旧臣たちと連絡を取り合い、文明18年(1486年)元旦、富田城に奇襲を仕掛けて新しく城主となっていた塩冶掃部介を討ち、富田城を奪還したとされています。しかしながらこれは物語の話で、この富田城奪還に関する一次史料は見当たりませんので、実際のところはどうであったのかは不明です。ただ、守護•京極政経が文明8年の7月5日に出雲から上洛して将軍に出仕しており、その後