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昨日の記事の続編であります。昨日と同様の趣旨で利用していたお店が三宮にもう2軒ありますが、そのうちの1軒を引き続き紹介させて頂きましょう。こちらも三宮にありますが、北野坂より一本、東へ入った通りにありまして、こちらは昨日のお店程は人通りが激しい訳ではありません。こちらは我が團の各種コンパはもとより應援團、少林寺拳法部、空手道部から三武会のコンパの会場としても利用されておりました。3団体とも盛期には50名以上の構成員を抱える大所帯でありましたが、時代が下りましても3団体合わせれば100名を超
去る3月23日、定例会に続き甲南大学体育会少林寺拳法部との意見交換会兼懇親会を開催しました。少林寺拳法部からは西村会長以下甲拳会執行部の方々及び田井地主将以下現役幹部の方々にご臨席頂きました。これまでご報告申し上げております通り、少林寺拳法部は私共の苦境を我が事の様に心配して下さり、10年の空白の中、大学側との調整に悪戦苦闘していたところ、現役部員が奔走して下さり、ご支援頂いております。加えて今春、新入生に配布する部員募集のチラシに團員募集の旨のスペースを割いて下さりました。【今春配布予定の
昨日、忘年会に関する記事を書かせて頂いたところ、早速「甲兄の此の度の壮挙、我、まさに意気に感ず。不撓不屈の精神を以てこれを扶翼せんと欲す」といったメールがあれよあれよという間に集まりまして、関西屈指のお洒落スポット尼崎で集合する事が忽ち決議されたのであります。こういう場合の我が会の動きの機敏さは、瞠目するものがございます。さて目的地尼崎に到着しますと、右手にワンカップ、左手に競艇新聞と云う出で立ちのおっちゃん達が既にあちこちで酩酊しておられ、年の瀬のハイソサエティタウンを彩っておられ
去る11月17日に開催されました甲南大学体育会少林寺拳法部創部50周年記念式典に、当会より関会長以下5名で出席させて頂きました。以前にも書かせて頂きましたが、我が應援團は空手道部、少林寺拳法部と共に三武会という組織を結成しておりまして、日常の稽古や活動はそれぞれでございましたが、あたかも1つのクラブの様に鉄の結束を誇っておりました。三武会という形で正式に機能し始めたのは昭和40年代後半の事でありますが、3部合わせれば総勢100名を数える大所帯でございました。その友部である少林寺拳法部
大学應援團というものはかつて世間様をお騒がせした事がございました。これは紛れもない事実であります。私共自身も新聞沙汰という事がゼロだったとは申せません。この事実について我々も真摯に反省し、それから目を背ける事なく、その反省を新生應援團に活かして参りたいと思う所存であります。とは申しましても頂戴したメッセージを拝見しますと、かつての全国津々浦々の大学應援團はそもそもどういう事件を起こしたのか、という事を知りたいという内容が多うございます。昭和40年代~50年代の各社新聞の縮刷版などを丹念に見