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僕の体⑤の続きになります。前後しますが僕も余命宣告を受けたことがありました。(ALSなら誰もが経験することかと思いますが、たぶん)2014年5月19日ALSの宣告を受けたとき(僕は38歳)余命宣告も同時に受け、長くて半年と言われました。とは言っても、2年くらいは持つでしょ、って勝手に思ってました。だから7月中には手術日を決めてくださいと言われたこと、その前に呼吸器をつけて生きるか呼吸不善で死ぬかを今日決めてくださいには全く納得出来ず(今はこの判断をもちろん100支持しています)1ヵ月先伸
昨日はおばあちゃん(90)のお見舞い&3年ぶりの帰郷をすることが出来ました。
僕は電車や車、バスなどで日常のケアをしてもらいます。徒歩での移動中にはなるべく我慢して移動時間に支障きたさないように気をつけています。ヘルパーさんにもその考え方を共有してもらい、乗り換えのどのタイミングで水分補給をして、食事をとるか考えてもらいお任せしています。基本的に時間の管理は外出中は帰りに余裕が出るようにスケジュールをたて、ヘルパーさんにお任せしています。駅員さんの活用はマストです。
前回のALS僕の体④の続きになります。僕は5ヵ月の入院生活を経てようやく念願の在宅生活を始めることが出来ました。一度在宅を経験すると2度と病院には戻りたくないと思うほどに在宅は良いものです。僕の体は、左手の中指が僅かに動くのと表情筋が残ってたので、コミュニケーション機器はオペレートナビを使っていて、僕にはとても合っていたと思います。
ALS僕の体③の続きになります。③の最後にまた明日と言いながらなかなか書けずにいた自分に反省してます…気管切開手術後に、僕の体はその後5ヵ月に及ぶ入院生活でかなり病気が進みました。とにかく早く在宅に移りたいと思っていた僕は焦っていました。なんでも自分で出来ると大きな勘違いをしていたのもこの時期だと思います。この頃はまだ左手にiPhoneを操作できる力が残っていたのと生命保険が数千万円入ったこともあり(ALSは死人扱いなのですがこの時はその意味も分からず、法人を立ちあげ、代表になって…
前回のALS僕の体②の続きになります。強い負荷をかけたリハビリはかえって進行を早めてしまう、PT、OT、看護師さんは医師の指示で動くんで余り深く考えていないのでいいのですが、先生たちには知って欲しい事実です。私どもに出来ることは正しい知識を持って、断わる勇気を持つことだと思います。2014年の4月に地元のM県S市に戻ることになり、三度目のオピニオンを25年前に最初に遺伝子検査を受けた大学病院で5月に検査を受けて5月19日にはALSの診断を受けました。その後6月になって胃ろうの造設術を受
前回の続きになります。そしてなんの因果かわかりませんが(そういうものを全く信じていないので、、、)父が亡くなった直後に痩せが急速に進んでいきました。このとき私は36歳でした。そこからは坂道を転げ落ちるように病気が進んでいきました。わたしの場合、首から症状が出て次に右腕が上がらなくなりました。この頃38歳までは仕事をしていました、が朝の通勤ラッシュの電車で踏ん張りがきかず倒れてしまったことがありました(この時助けていただいた方、本当にありがとうございました。)多くの方が舌打ちする中で
ALSの認定を受けてからのお話をする前に25年前に遡って見ます。僕は今現在43歳ALSの認定を受けてからまもなく5年が経ちます。25年前18歳の時にどのような経緯ですることになったのかな覚えてないですが、遺伝を心配して遺伝子検査を受けました。当時はまだsod1という遺伝子しかALSの原因遺伝子として発見されていなかったので僕は白の判定を受け安心しきっていました。というのも僕の父親はALSで20年以上の在宅生活の末に2011年62歳で亡くなってます。壮絶な人生だったと思います。思い
今日は石神井庁舎にと郵便局に行き野暮用を足してきました。
遺伝子検査でALS6型と診断された方へhttps://ameblo.jp/wgen19751130/image-12444334061-14366168849.html