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こんにちは。遠藤享佑(こうゆう)です。今日も神奈川はきれいに晴れでした。冬晴れですね☆明日1月20日日曜日1030~17:00プチ癒しフェスタ入場無料私はチャネリング個人セッション15分2000円で出店しております。私がずっと出店させて頂いているイベントでもう4年を超えての出店となります☆以下、プチ癒しフェスタのブログです♪https://ameblo.jp/puchiiyashifesta/冬になるとつくづく思うのが、富士山はきれい
今日は、古代文字講座を受講してきました私は、古代に大変興味があり、前から竹内文書や、宮下文書、エメラルドタブレット、フラワーオブライフなど、色々と読んでいて、このように、きちんと先生から習う事が出来た事に、感動です❣️天日草文字(あびるくさもじ)が、一番パワーのある文字だそうです。この文字で、自分の名前を書いて、部屋に置いたり、持ち運ぶと、運気がパワーアップするそうですよ‼️是非、自分の名前を書いてみてくださいね✨ちなみに私の名前を、書いてみました温故知新古い良き時代のものと、現
ご訪問下さりありがとうございます✨大山祇神の謎の続きですゆうこさんに私の出身地の奈良県吉野と徐福の関係を調べてみてと言われて、早速検索徐福は、日本各地を船で周りあちこちに伝説が残っています🚢その場所が、天孫降臨の場所と重なっていますそして、やはり和歌山の新宮市や熊野あたりから吉野に入って行ったようです徐福が吉野に居たとされる考察が書かれていました✨秦の始皇帝の咸陽宮の後継が奈良の吉野宮だった吉野宮は、天武天皇や持統天皇、歴代の天皇達も通った場所だそうで、重要な場
こんばんはもりしたわこです。温泉三昧で幸せ過ぎてます山梨の温泉は最高ですね昨晩泊まったのはここ不動湯ですRainbow(勝手に題名短くするw)さんオススメなんですね^^温泉ではなく、湧き水のようですが、シャワーも飲み水も全てこの湧き水で、体内の水が一気に入れ替わった気がしますで、翌朝ごはん食べて、お風呂でご一緒したマダム非公認の神社に行こうとしたのだけど・・私の部屋の隣がマダムで、その窓の外は不動明王様が鎮座されているからか・・とっても眠い・・眠
ご訪問下さりありがとうございます✨この頃、私は大山祇神にご縁があるとわかり、そこから何やら謎解きが始まりました先日、いがらしゆうこさんの波動リーディングを受けたんですすると、ゆうこさんが私のセッションの1週間前に、秦の始皇帝から来た徐福の事を調べろと言われたらしいのですそして、私のセッションの時に大山祇神の話が出て、私の為だったとわかりましたありがとうゆうこさん!徐福がどう関係あるかと言うと、何と徐福は大山祇神ではないかと言われているのです❗️神奈川の徐福伝説
2018年11月17日〜18日ヒカルランド地球にグランディング!!宇宙YURAI不二阿祖山太神宮ツアー富士山の東北麓(鬼門)にある日本最古の神社「不二阿祖山太神宮」富士山麓に栄えた超古代文明の富士王朝の中心を成した天皇家ゆかりの神宮です。ここは宇宙神といわれ、国祖の神ともいわれる、富士山にお立ちの富士太神様、即ち国常立大神様の総本宮です。古代文献、宮下文書によれば現在の富士吉田市大明見村(おおあすみむら)に富士王朝が存在し不二阿祖山太神宮は王朝の中心でした。王
最近寺社仏閣巡りを多くするようになり、知らない事だらけなので『まんが古事記』というのを読み、色々な神様のプロフィールを知りました。漫画はやっぱり分かりやすいなーと喜びながら、その後関連書をいくつか読みました。※ちなみに私、神恩感謝等、純粋な信仰としての神道には興味ありますが、お金儲けしかしてない新興宗教とか、団体に所属するとか、そういうのは興味ありません。お金取って縛られて得る幸せって、、、神様そんな野暮じゃないと思うし。で、その後に古事記関連の参考書を読んでるうちに、富士山が全く登場し
徐福が富士山麓に落ち着き、古史古伝の分類に入る歴史書を書いたのが宮下文書とされ、ここ富士吉田市の東北本宮小室浅間神社の宮司の宮下家が加筆・保存してきたと言われている。この神社そのものは1686年に建てられたとされ、それまでは東の旧社の地にあったとされている。全国の神社の由緒書きにあるように「旧社から移転した」と言う類いの一文が目につくが、古さを演出したものである。すなわち、平安時代に、僧侶の寛輔が「蓬莱山」とは富士山を指すと述べたのが初見であるようだ(wikiより)。宮下文書そのものは例え偽
不都合な歴史(オハラの記憶)考古学の部類に入る縄文時代カタカムナ文明や富士王朝、神代文字の存在。竹内文書や宮下文書などの古史古伝の存在も、世界のアカデミーにとっても、天皇皇室にとっても、不都合な歴史でしかないのです。古史古伝については、偽書とされ原本が焚書されたモノもあります。縄文時代は、考古学の分野となり歴史から抹殺されているのです。都合が悪い理由①世界4大文明でなくなる。②日本は文字文化がなく支那から漢字を教わった。③日本列島には、天皇より先に優れた王朝が存在した。古事記の
日本人は文書を漢字仮名交じり文で書くと、日本人自らだけで無く中国人も思い込んでいる。そこで、最近の日本の若いネットユーザーが送り仮名無しの漢字だけの文書を書いて遊んでいることに、偽の中国語を書いていると中国人が興味を持っているとか!実は奈良時代の石碑に、この偽の中国語と同じ送り仮名無しの日本語文が書かれており、現代人の我々でも適当な送り仮名を足して読むことが出来た。また、秦の始皇帝が日本に送った徐福が書いたとされる宮下文書には、送り仮名を一種の万葉仮名で書いた日本語文が書かれている。すなわち
グーグルマップで関東平野と富士山周辺の浅間神社の分布を調べた。四角白抜き赤丸又は赤点で表示される。ただし、グーグルマップの検索機能の制限で画面の中の範囲でしか表示してくれないので、場所を替えながら調べてみた。果たして、大国魂神社、江島神社、玉前神社、鹿島神宮、筑波山神社、二荒山神社などの古社の周辺には分布密度が低かった。予想通り、富士山信仰の浅間神社は比較的新しい時代のものであることが理解出来る。富士山周辺には浅間神社が取り巻いて存在大国魂神社周辺には小さな点で1社あるが、ほとんど空白地帯
東洋医学は中国伝統医学、漢方医学とも言われているが、中国最古の医学書は黄帝内径、薬学書は神農本草経と言われている。これらの書は、今から2200年以上前の戦国時代(紀元前403~前221年)に書かれたと言われ、秦の始皇帝が中国大陸を統一する前にあたる。これらの書の書名に黄帝と神農の名前が付いているが、中国大陸の神話にある三皇五帝のうちの二人であり、神農、黄帝は現代のチャン族や日本人、そして古代の秦氏の先祖神だった。すなわち、東洋医学の最古の医学書と薬学書は日本人の先祖神に敬意を払った著作物であ
偽書とされる宮下文書(富士古文献、支那震旦国皇代暦記)によると、伏羲、神農、炎帝、黄帝らが秦の始皇帝、神武天皇、徐福などのルーツとなっている。また、原初神の伏羲は日本列島の蓬莱山の高天原から中国大陸に進出したと書かれている。こんな記述をチョット見ただけで中華文明4000年の歴史と、日本の2600年の神話を否定することになり、荒唐無稽な物語であるとして宮下文書は偽書として否定され、内容を読んだ研究者は私を含め皆無であろう(参考)。しかし、考古学的な研究により日本列島には3万年前の後期旧石器時代か
日本列島の考古学的な歴史を見るとは、3万6000年前-1万5000年前の後期旧石器時代そして1万5000年前から2800年前あたりまでの縄文時代にかけて、富士山を含む関東平野周辺に多くの遺跡が出土し、人口密度的にも集中していた。偽書と言われている宮下文書(支那震旦国皇代暦記)によると、蓬莱山すなわち富士山の山麓に高天原があったとされるが(参考)、富士山麓の狭い範囲とせずに富士山が見える関東平野一帯と考えられないか(参考)?!ところで、著者が40年近く勤務した職場の周辺は武蔵野台地と言われる後期
宮下文書(富士古文献)に記述された縄文時代の富士高天原が、富士山の直ぐ麓の富士吉田市あたりであろうとされて、宮下文書を所持する大明見小室浅間神社が所在している(参考)。しかし、富士山の噴火が激しかった縄文時代に日本を代表する高天原があったとは考えられない。平安時代に僧侶の寛輔が「蓬莱山」とは富士山を指すと述べたのを根拠として、大明見小室浅間神社の宮司の宮下さんが富士山延暦噴火(参考)の後に移り住んだのであろう。もちろん、この富士吉田市あたりには縄文遺跡が沢山あるが、噴火と言う自然災害に耐え凌
日本列島の考古学的な歴史を見るとは、3万6000年前-1万5000年前の後期旧石器時代そして1万5000年前から2800年前あたりまでの縄文時代にかけて、富士山を含む関東平野周辺に多くの遺跡が出土し、人口密度的にも集中していた。そして、黒曜石や縄文土器が中国大陸東部から出土し、日本海を越えた人的交流があったことが証明されている。偽書と言われている宮下文書にある「蓬莱山すなわち富士山の山麓の高天原から伏義が中国に渡って、中国の原初神となった」の話は、まるきりのホラ話では無さそうだ(参考)!すな
中国大陸の原初神の三皇五帝は中国の神話として語られている。宮下文書によると伏蒙(伏義)、神農、炎帝、黄帝らが秦の始皇帝、神武天皇、徐福などのルーツとなっている(参考)。日本人の男性遺伝子Y-DNADに着目するとチャン族と同族となるが、さらにチャン族の祖先の羌族は春秋戦国時代の秦や斉と同族であり、この羌族の由来を中国古代の歴史書から読み取ると、中国大陸の原初神の伏蒙(伏義)、炎帝、黄帝に結びつく。ただし、男性遺伝子Y-DNADの観点で、チャン族と漢民族とはつながりが無い。すなわち、徐福らが
秦(シン)の国を支那(シナ)とか震旦(シンタン)とも呼ばれいる。秦は後の漢時代から漢民族に付けられた名前で、シナが秦の始皇帝と国民の秦氏自らが呼んだ国名であり、インド発の名前では無いことを指摘した(参考)。シナの音写としての支那や震旦は、音だけで意味は無いのであろうか??現代の漢字の意味から推測すると、支那とは「星空の美しい村」と解釈した。支は十二支に由来し、星空を12区画に分けたもの(天道12宮)ではなかろうか!?そして、那は美しい村を意味すると言う。秦の始皇帝は星空の下で天子になったと言わ
秦、新羅、百済、高句麗は原日本語を喋った同族である(参考)。春秋戦国時代の秦、羌族、斉なども同族である(参考)。漢民族は3000年前に中原に侵入してきた(参考)もので、それまでの東アジアは秦の始皇帝の祖先のものだった。国名の秦の字そのものは漢の時代の史記に秦と書かれたためで、以降、秦と呼ばれたのである。秦人たちは秦を原日本語(訓読み)で「支那」とか「震旦」と読み書きしたのであろう。紀元2世紀前後にインドで中国を指して「チーナ・スターナ"Chinastaana"」と呼んでいたが、これが秦の国名
神奈川県にシダンゴ山がある。この山の上に居住し仏教を宣揚したといわれている仙人を「シダゴン」と呼んだことからこの地名が起こり、「シダゴン」が転じて「シダンゴ」(震旦郷)と呼ばれるようになったと、説明がある。しかし、真剣に考えると、何故、仙人の名前がシダゴンなのかが説明されていない。近くの秦野市には徐福伝説があり、秦野市は秦氏の渡来地であるとか!古の秦の国は震旦国と呼ばれており、シダンゴ山の名称は「震旦郷(シンタンゴウ)」から訛って付けられたものと伝えられたとの説明の方が納得がいく。ジタンゴ山
秦の始皇帝や徐福は原日本語を喋り、漢字を使用したが漢語や万葉仮名の類いを使用していたであろうことは、既に指摘している(参考)。ただし、八母音の日本語を喋る百済からの渡来人が作ったと思しき万葉集などの歌、奈良・京都の公家言葉、そして現代の大阪弁や京都弁などの京阪式アクセントの言葉(参考)と異なり、江戸から東京で喋られた現代標準語と同じ東京式アクセントの言葉(参考)を喋ったことになる。それでは、彼ら秦氏はどのような文字言語を使っていたのであろうか?日本に渡来した徐福が書いたとされる偽書の宮下文
耶蘇ちゃんが、upしてて言うてるので発信を急ぎます。。。。つづき(3)天孫降臨の奇跡から、数千年も前に、富士文明から、伏儀(ふくぎ)が、中国へ行き、遺伝子操作で、他の生物から、人間を復元。八卦はDNAの塩基配列を記したものだった。天孫降臨の奇跡から、数千年も前に、富士文明から、伏儀(ふくぎ)が、中国へ行き、遺伝子操作で、他の生物から、人間を復元していた。彼は、ムー大陸の沈没で、絶滅した人類を増やそうとして、遺伝子操作の技術を用いたのである。それが、八卦であり、それには、遺伝子の
神代文字の豊国文字そのものを直接見ていないが、・豊国文字(古体)はエジプトの象形文字に似ている・豊国文字(新体)はヘブライ文字に似ている・豊国文字(新体)はカタカナの起原・ヘブライ文字の一部がひらかなの起原と報告されている。豊国文字は古史古伝のウエツフミを記述する神代文字で(参考)、海人族安曇氏が使用した。漢字は秦の始皇帝が書体を統一した文字であり、宮下文書を徐福が書いたように、漢語と万葉仮名を使用したことを明らかにしている(参考)。漢民族が幅を効かせる前、東アジアに広がる同じ原日
ウガヤフキアエズは神武天皇の父親として記紀には書かれているが、一人の神様として書かれている。しかし、ウエツフミの中では数十代ものウガヤフキアエズ王朝として複数の王を記している。宮下文書やその他の古史古伝でも性別や代数など異なってはいるが、ウガヤフキアエズ王朝が存在している。実は、ウガヤフキアエズ王朝とは海人族安曇氏の王朝であり、日本列島周辺の漁労民達の王朝であった。彼らは縄文時代から陸上の縄文人達と共存していた。彼らは、中国大陸からの渡来人(弥生人や秦氏など)を船に乗せて日本列島に運んだ。彼ら
秦の始皇帝は紀元前210年9月10日に無くなったが、その前、始皇帝の命を受けた徐福は3,000人の童男童女と百工を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢」を得て、王となり戻らなかったという。この童男童女は始皇帝の一族であって、亡命の意味があった(参考)。この時期、秦の始皇帝は漢字の書体を整えた。著者は既に、この時期、原日本語は東アジア全体で話され(参考)、秦の始皇帝は原日本語を喋っていたことを論じた(参考)。すなわち、書体の統一より前は神代文字の様な原始的な文字を使い、書体の統一以後
米軍高官が衝撃の発言「ガチで宇宙の戦いに備えよ」トランプの宇宙支配構想がついに実行される?日本人はエイリアン…核DNAの解析から導かれる仮説【日本人のルーツとは】空ばかり見ていた幼少期。なぜこの世界に来てしまったんだろうと、なんなく疑問を持ちながら見ていた『空』核DNAの解析により振り出しに戻った『日本人のルーツ』古事記によれば、ノアの大洪水·縄文海進後に僕らを残し、去っていった天空神。ドロドロの沼地状態だったのは地球なのか?火星なのか?あるいは?◆地球介入宇宙人の順序(プレアデ
3月中旬、東京新宿で開催の作家佐藤愛子先生の娘さん、響子氏の「あの世のお話し会」に参加するために、福岡から友人と二人で、三泊四日の旅に出ました。まずは羽田から、佐藤家と関わりの深い若き霊能者Nさん(「90歳何がめでたい」の本にも登場され、お話し会でもお話されました)に霊視カウンセリングをしていただきました。失礼な言い方ですが、やはり本物だと感じました。私達は、すっきりして心が軽くなり、いたく感動しました。夜には富士山駅(旧富士吉田駅)へ(写真は翌日に撮影)夜だったので、富士山
今日は言わずとしれたホワイトデー2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日日本でバレンタインデーが定着するにしたがって、若い世代の間でお返しをする風潮が生まれ、お菓子業界では昭和50年代に入ってから、マシュマロやクッキー、キャンデー等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになり、キャンデーやマシュマロをお返しするのが一般的となっているこの動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合関東地区部会が「ホワイトデー」として催事化し、1