ブログ記事302件
篠原美也子『誰の様でもなく』今が今しかないようにあたしは世界でたったひとりのあたしでありたい橘いずみ『永遠のパズル』いつか君が出会う真実は君だけのために輝くはずさ氷室京介『NATIVESTRANGER』なぜここにいまがあるかを知りたいひとつだけのすべて尾崎豊『存在』誰もかれもの存在ならばいつも認めざるをえないもの鈴木彩子『最後の抵抗』数字で競い合って誰かと比べられて秤に掛けられていくそんな毎日ならば決め
物が、そのものであることをどのように理解するのか。これは日ごろ意識されずに行われているが、心理学では特に一致がうまくいかない場合の状況がよく記述されている。サルトルはかの有名な『嘔吐』という小説でこのようなことを書いている。ある日何気なく散歩をしていたら、道端の白樺の木の表面に何やら苔のようなものがついており、いや樹皮がめくれたのかもしれないが、とにかく斑(まだら)模様を発見し吐き気を感じた。この吐き気は何だったのか、結局主人公は、いやサルトルは分かったのかどうか私は知らないが
幸せの法則相談考え方を学ぼううめがらんですお電話で📞カウンセリングもやってます💞『《宇宙の法則カウンセリング》豊田市』宇宙の法則カウンセリング&ヒーリング毎月2回土曜日13時半〜豊田市深見町で行っています。12月は11日、25日の土曜日1月は8日、22日の土…ameblo.jpこちらからお申込み頂けます📮うめがらんブログメールフォームこちらからメッセージをお送りください。ws.formzu.net実存「わたしは存在する」理由なんてないよ「今ここに生きている
筒井康隆『誰にもわかるハイデガー』(河出文庫)筒井康隆はちょうど2年前の2020年3月に『旅のロゴス』という壮大なスケールのSF歴史ロマン小説を取り上げたのに続き、当ブログ2回目です。(新型コロナのパンデミックが始まった頃でそれから2年経ちますが、コロナ禍が収まりかけたと思ったらあろうことかプーチンロシアによる残虐なウクライナ侵略が起こりました。ロシア、中国、北朝鮮という三つの独裁専制国家を並べて見ると、アジアの後進性といった言葉が頭を過ってしまいます)さて筒井康隆は1934年大阪生
憎しみを感じたなら心の中に恐怖があると知る争いを感じたら心の中に不安があると知る恐怖や不安を持つ自分自身とは一体何なのだろう本当に実存するのだろうか@皇居の堀
施設に行って、担当さんと、短い時間ではあるけど、濃密な話をした。担当さんに同意を得て、新兵器を体験して頂いたのだが、面白い感覚、と体感的に捉えておいでだった。で、その後、新兵器をいろいろ一人で試していたのだが、大切な存在と約束の時間があるので、施設を出て、いろいろ話していた。大切な存在は、いつも、急がなくて大丈夫だよー、と告げつつ、いま、慌ててるよー、というメッセージをする。その、慌てている体感とか、パターンは、意識的には認識できているのだが、改善が難しい。その大切な存在が、不思議な一言を
治療の本質は、《原因》除去ですか?では、《加害者型PTSD》を[鑑別]して、[政治弾圧]を辞めさせましょう。“実存は本質に先立つ”とは、どういう[こと]か?考えてください。《安倍晋三王朝》時代を永続させる3大悪法:“教育基本法の骨抜き”日本人だけツンボ桟敷にする秘密保護法“公認心理師法システム”←システム[設計]思想が根抵から間違えているため、《カルト連合》を維持&強化する機能を果たしている。安倍自公による3大悪法[強行採決]は[無効]として、国会[審議]をやり直しましょう。
またも同じ繰り返しの国なのか?心配していたことが起きた。起こらないようにと祈っていたことが起きた。大国ロシアが隣りの小国に侵略を始めたのだ。国際法なるものを無視し、日本人が大好きな国連憲章を踏みにじってである。19世紀、20世紀の話ではない。「文明が進化した」と言われるこの21世紀、私たちが生きている世紀に、である。テレビの解説者が、今回の侵略を対岸の火事のように、ニヤケて解説していたが、その感覚がわからない。東大を出ながら、自国の歴史を知らないのだろうか。
磯野先生と伊藤先生のご著書はほぼ必ず拝読している。『伊藤亜紗編「『利他』とは何か」仕事は、世のため人のため、なのか』何気なく手に取った本書。読み始めたら止まらず、あっという間の楽しい時間でした。ケア・ギバーなら必読です。まず伊藤先生の章。倫理学の第一人者で…ameblo.jpお二人とも、ご専門が違うのに、探求方法が共通している。具体例から考え始める。第一部はリスク管理について。第一章は総論、第二章は抗血栓療法の医学的説明
人を社会科学的なカテゴリーで分類することは、その人の実存に対して失礼です。その社会科学は、19世紀のイギリスには当てはまったのかもしれませんが、それを21世紀の日本の認識に使おうとする態度が、それ自体非科学的です。今、日本では、ピラミッド・システムがうまく機能しない時代になり、それぞれの人がいろいろな生き方をする可能性が広がっています。その状況を認識するにあたって、そもそも社会という概念を用いることが、有効なのかさえ疑問です。社会科学自体が変革を迫られています。
前回記事では疑似問題というものをとり上げた。問題としての体裁は整っているが、実はそれには回答がない。なにを問うているかが分からないのである。なぜそのような問題が生じるのか?おそらくそれは私たちが言葉で考えるからだろう。私が幼稚園の頃、次のような歌を教わった。〽朝はどこから来るかしらあの山越えて谷越えて光の国から来るかしら〽いえいえそうではありませんそれは明るい家庭から〽朝が来る来る朝が来るおはようおはよう一体朝はどこから来るのか?幼い私は結構一生懸命考
実存とは「現実存在」のことである。端的に言えば、私が今現実にここにこうしていることである。それがどうして不安なのか?不安など感じたこともないという人もいるかもしれない。そうであれば、それはそれで素晴らしいことでありなにも問題は無いが、大抵の人はこの大宇宙にただ一人取り残されているような感覚に襲われたことがあるのではないかと想像している。他人の心の内は分からないので、それはあくまで私の想像でしかないが、‥‥。とにかく私は子供の頃はとても怖がり屋であった。毎
シャワリング・ウィズアウト・クラウズAmazon(アマゾン)574〜6,578円一時的なもの、現れては消えるもの、やって来ては去っていくもの、永遠ではないものが真理たり得るでしょうか?スピリチュアルな探求に迷った時や、何が真理かわからなくなった時は、そのことを問いかけるといいのでしょうね。
「何が起きようとも私を傷つけることはできない」と言い切れるほどの大安心に生きています。絶対の安らぎの中で全ての現象は起きては消えて起きては消えて。。。それは、誰もの真実の生き様でもあるのです。生かされている私たちの真実の有り様が明らかされたならばこの生とは、死に向かう性質の''生''であるはずはなく''生''が生それ自体として立ち上がると同時に概念の''死''は死に至るのです。生は生なり死は死なりそれは事実の活動としてあるだけでしかし、その実体はないのです
今日の関東のお天気は、大雨暴風警戒状態。窓から見える木々は幹から揺さぶられ、雨も風にあおられています。天災というのは脅威であり、だからこそ、まだ起こってもいない地震にも恐れを抱きます。けれども、恐れよりも根本的な情状性は、不安である。不安はそれ自身としては恐れをはじめて可能ならしめる。(M.ハイデガー『存在と時間』、原佑・渡邊二郎訳、中公バックス)恐れとは、何か脅かすものがあるからこそ恐れる。確かに地震は予測不可能ですが、日本が四つのプレートの境界線上にあって、だからこそ地震が起
主治医の診察。お米さん買った。友人との計画は流れて、メガネ、来た。メガネというか、イノチグラス、というものなのだが、謎の感覚。いままで自動的にやっていたことが、自動的ではなくなる、というか、確認しながら、動く、というか。階段も床も確かめながら歩くというか。iPhoneのキーボードにしても、自動的に打てないというか、確認しながら打つというか。自動的に動く、というのは、言い方を変えれば、「疎外されている」状態。自動的に動く、というのは、よさそうに見えて、実は、生きられない世界へ、自分自身を追い
「生きているってどうしてわかるの?」というテーマの哲学カフェに参加しました。そこで、僕が考えたことを書きます。●自分の生まれた町に久しぶりに行ってみた。自分が生まれた場所、自分が育った場所を歩いてみて、「自分はいつから生きていたのだろう?」と自分に問うたときに、それは曖昧で、実感のないものであった。●哲学カフェの中で、生きていることについて「代謝している」「欲求、執着がある」「役割が有る」等の参加者の発言があったが、「私」はそれが正しいかどうかを判断することができない。私は、学校等で科学
思考は、いつもネガティブへ流れる。それがデフォルテ。自然に、自然に。思考は、未来と過去。いまは、感じること。漂う香り聞こえてくる音、触れた感触、いま、ここにある、その全ては感じるもの。そこにネガティブが入り込む隙間はない。思考が、自然と流れていくままに無意識の中にいても、いま、ここに、現れるすべてが気づきを、与えてくれている。実存。
去年9月からスタートした足作りプロジェクト今日やっと、私の周りの友人に作ってもらう事が出来ましたまだまだ伝えていきたい方々もいるので、引き続き作ってもらう予定ですhttps://instagram.com/existence.50?igshid=1d9fenu9c84v0
「君は海を見たか」というドラマをご存じでな方はいるでしょうか。1982年にフジテレビ系列で放送された倉本聰脚本によるドラマで、自分は、子供の頃にテレビの連ドラで観ていたんですけど、その昔にも、1970年に日本テレビ系列で1971年に大映で上映されていたらしいですが、それは知りませんでした。で、このドラマ(自分が見たフジテレビ版)は、ショーケンこと萩原健一がお父さん役で、9歳の男の子がウイルムス腫瘍になって亡くなるドラマで、※ウイルムス腫瘍(腎芽腫:小児の腎腫瘍の中
先月、予告したnote.comへ新規投稿をしました。ジョルジュ・バタイユ『魔法使いの弟子』(景文館書店)恋愛論|佐藤守徳|note薄い冊子だ。帯にバタイユの恋愛論とあるがなかなかその恋愛が出てこない。19ページにやっと出てくる。でもこれは男の側から見たものになっている。(このことは、注意してもしすぎることはない)その文脈だけをたどる文言は以下のようになるだろうか。「ひとまとまりの偶然なのだ」とあって↓「男がしばしば死ぬほどまでに結ばれていると感じている運命の女の形象…n
*:..。o○○o。..:*梶間和歌プロフィール小説梶間和歌YouTubeチャンネル歌集『生殖の海』歌をやり取りするfacebookグループ*:..。o○○o。..:*note新企画「源氏で紡ぐ和歌便り」。2021年1月分アップしました*:..。o○○o。..:*及ばぬ高き姿を体現する子宮系歌人梶間和歌です。暑苦しい連載だったかと思いますが、ついてきておられますでしょうか。ここまで読み進めてこられたあなたに、心からの敬意を表した
*:..。o○○o。..:*梶間和歌プロフィール小説梶間和歌YouTubeチャンネル歌集『生殖の海』歌をやり取りするfacebookグループ*:..。o○○o。..:*近日中にインスタグラムにて読者プレゼントを始めますnote新企画「源氏で紡ぐ和歌便り」。2021年1月分アップしました*:..。o○○o。..:*及ばぬ高き姿を体現する子宮系歌人梶間和歌です。昨日までの記事を読まれた方は、ご自身の好きなもの、嫌いなものについて、
*:..。o○○o。..:*梶間和歌プロフィール小説梶間和歌YouTubeチャンネル歌集『生殖の海』歌をやり取りするfacebookグループ*:..。o○○o。..:*近日中にインスタグラムにて読者プレゼントを始めますnote新企画「源氏で紡ぐ和歌便り」。2021年1月分アップしました*:..。o○○o。..:*及ばぬ高き姿を体現する子宮系歌人梶間和歌です。哲学ブログみたいな、たまたま通り掛かった人が「あ、……おけ」
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【本文より引用】我々は乾杯して、グラスをあおった。「じゃあ、地球はどこにある?」「宇宙にです」「宇宙はどこだ?」僕は一瞬考えこんだ。「宇宙は宇宙にあるんですよ」「その宇宙がある宇宙はどこにある?」「僕の意識にです」「どういうことだ、ピョートル。それじゃおまえの意識は、おまえの意識にあるってことになる「まあ、そうなりますね」「なるほど」チャパーエフは口ひげをしごいた。「じゃあ、大事なことを訊くぞ。つまり、それはいったいどこにある?」「ご質問がよくわかりません、ワシーリイ・
なにがおもしろいって、自分はどんな人、???そこがおもしろい。前にも感じていて、夏目漱石が吾輩は猫である名前はまだない。と、書いたのは。+++江戸から、明治の代になって人はどう生きるか。だいたい、人はなんだ?オレはどう生きるのか????、、、て、ことの一つの答えだったのが。夏目漱石だとか、、、+++ああ、そうだ、と、そのときおもったんだが、いま、あらためて小説はなぜ面白いのかつまらない小説はなぜ読めないのか。おもしろい小説はなぜ?
美術批評家にとってマニエリスムは二元性の危機〈Soannung〉つまり決定的解決を見ない緊張である。マニエリスム心理や芸術がドラマティックなのはこのためである。つまり、ドラマティックな行動は論理ではできない対立物の調和を計ることができるからなのだ。184マニエリスム芸術には「存在」がなく「生成」しかない。ルネサンス芸術の美的領域をはみだし、実存を発見したのである。196マニエリスム的人間は両極に引き裂かれた人間である。霊的なものと肉的なものと。恩寵と重力と。救済と拒絶と。しかし、その
ひとの出産の刻の数時間前からひとの臨終の刻の7日前から部屋の角にガブリエルが立つガブリエルの本名があるのかないのか知らないけれど内容から命名するなら「実存を助産するもの」だろう助産というのは誕生と死と両方であるひとのたましいは生まれる直前あるいは生まれた数日後までに肉体に入る妊娠中の胎内にある肉体とは繋がってはいるがまだ入ってはいない臨終が近づくと胎内にあるときと逆でたましいは肉体にあるけれど時