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『武将風雲録』に寄り道してしまい、『三國志Ⅴ』をサボってしまいました。クリアできてるから苦手ではないのですが、なんだか足が遠のいてました。なので、再開します‼︎そのことに伴って、中途半端に書いてたブログは削除していきます。それについては、改めて書いていく予定です。魏(曹操)・呉(孫堅・孫策)・蜀漢(劉備)・後漢(何進)・袁紹とプレイしました。違うシナリオになりますが、今回は呉(孫策)でプレイします。どうも呉王朝(孫家陣営)でのプレイがサクサク進むみたいです。難易度は上級モ
総合評価:7.0/10点ボス:B戦役:B闘技場:A傾国/群雄:A+デバフが効かない孫策はSSR副将では唯一のデバフ無効の副将です。パッシブスキル2の効果で状態異常耐性が100%増加するので、虚弱や流血などの厄介なデバフになりません。そのため、安定した活躍を期待できるのが魅力です。自身と相手のHP次第で火力も上がるアクティブスキルはどちらも与えるダメージにムラが出ます。自身または相手のHPがダメージが大きくなるため、戦闘の後半になるほど火力が伸び
三国志漢末覇業。董卓打倒なシナリオ。何となく難しいみたいなので、取り敢えず、周りに空白地が多い孫堅でやってみることに。うーん、本拠地の長沙とか周りの空白地の在野から、呉の武将がわらわら出てくるのを期待してたんだけど、このゲームは人材を増やすのが難しいらしいです。おまけに敵の兵力が分からないので、荊州の弱小君主を残してたら、結構倒せない存在になってしまい、一回やり直すことに。どうやら、イージーでやっても、のんびりやってると、ジリ貧になってくることがわかりました。黄忠も周瑜も出てこない様
雨宿りの間の雑談にすぎないので玄徳に巧みに答えをかわされたが、曹操は腹も立てられなかった。玄徳は、すこし先に歩いていたが、よいほどな所で、彼を待ち迎えて、「まだ降りそうな雲ですが」「雨もまた趣があっていい。雨情ということばもあるから」「今の驟雨で、たいそう青梅の実が落ちましたな」「まるで、詩中の景ではないか」曹操は、立ちどまった。玄徳も見た。後閣に仕える侍女たちが、雨やみを見て、青梅の実を拾いあつめているのである。美姫は手に手に籠をたずさえ、梅の実の数を誇りあっていた。
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皆様おはようございます!最近かわいい女の子たちが活躍する台が増えてきているので、パンドラのかわいいヒロイン達を少しづつ紹介していこうという企画でございます!第3弾はP一騎当千SS斬孫策Ver.スペックは全大当り後に31or51or100回のRUSHへ突入する1種2種混合タイプ。電チュー経由の大当り後は時短51回転と100回転の2種類で最大継続率は約90%!!さらに右打ち中の大当りはALL1500個と破壊力抜群!!名前の通り演出の主役は孫策!!
孫策からキングダムコラボの王騎までのフルコン動画でございますー(^^)/https://youtu.be/qFnHp4XnqII
【英傑大戦】陸奥陽之助、孫策、王騎、楢崎龍vs関羽、夏侯月姫、鳥居元忠、劉備©SEGAラストフルコンでございますー(^^)/©SEGAyoutu.be英傑大戦キングダム後半イベントの目玉商品‼️王騎と孫策の4枚デッキでございますー‼️王騎マジやばいすね‼️知力高い3.5コストだから攻城力がやばいす‼️計略も武力8アップの速度アップに攻城力アップもやばいすがねー‼️ははは©︎SEGA
孫策、孫堅、キングダムの嬴政、信デッキです(^^)/https://youtu.be/tvUMqqbDWyM
ゲームアプリのダウンロード呉国英雄編成のメリット国強化を特化して素材を節約できる支援所では英雄を配置して指定された国の英雄を強化できる。英雄の星が上がると支援所に配置した時の効果が大きくなる。強化する英雄の国を固めることで、素早くステータスの底上げも可能。強化する英雄を絞れるため、全体的に強化するより素材も節約できるメリットもある。焼灼により安定したダメージを与えられる敵の防御力が高いと、ダメージが与えにくくなる。呉国英雄の周瑜や陸遜は焼灼効果を持っており、敵全
https://youtu.be/EjHB894QwZw
209年、勢力は孫策陣営に大きく傾きました。劉琦陣営を叩くべく、桂陽へ。ここだけの話、劉琦を『三國志Ⅱ』で見た時は「これ人の顔?」と思っていました。シリーズが新しくなるにつれ、幸薄い若僧になってきました。史実では病弱で早逝しましたが、まさかゲームでチョンパするとは。そういや、孫策も病気を得て亡くなった😇ような(不慮の死説もある)。そこからは韓遂→馬騰陣営を倒しました。最後は劉璋陣営を雲南に追い込みました。英雄バトルロードをやっていたせいか、戦場マップにおける部隊の動かし方
結論から書かせていただくと、曹操と劉表をチョンパしました。劉表陣営に至っては、劉琦が跡を継いだ格好になりました。君主って、そう簡単に登用できるわけじゃないんですね。幕閣に加えたかった武将も充実です。史実では曹操陣営にて密かに活動していた司馬懿。活躍するのは魏王朝になってかららしいですが、即戦力になるところがうれしいです。呉王朝の天敵となった張遼。すんなり降ってくれてうれしいです。劉表軍でめちゃくちゃ活躍した黄忠。断ると思ってたら、あっさり降りました。そして
208年まで進めました。史実なら、孫権・劉備連合軍が曹操軍を赤壁の戦いでボコボコにしてます。こちら孫策陣営でも曹操軍をじわりじわりと追い込んでいます。銅雀台をぶっ潰す‼︎かつてどこかの政党の党首が言っていたセリフをパクって、鄴に進攻しました。歴史イベントって、こんな呆気なく潰れるものなんですね。かなり前にやった曹操陣営のリプレイを考えました。もちろん、難易度を高くしてですが。劉表陣営もガンガン叩いています。親父の仇・黄祖を捕らえ、そして…。かなり語彙力のないブログに
207年まで進みました。ライバルだったはずの袁紹陣営が曹操陣営に滅ぼされてました。曹操陣営と同盟を結んでいたのが良かったのか、河北にうまいこと進出できました。しかし、兵力が膨張する劉表陣営に恐怖を覚え、やむなく同盟を再度締結しました。正直、武将の質に優れた曹操陣営はイヤでした。しかし、兵力が多い劉表陣営に喧嘩を挑むのは、多勢に無勢で無理がありました。銅雀が見つかるというイベントがありましたが、曹操陣営を叩くしかなくなったようです。とはいえ、team呉(この表現も久しぶり)で挑む
205年まで進めました。史実なら、孫権陣営の周辺は曹操陣営にどう対応するかワーワー騒いでた頃と思われます。本格的に騒ぎ出すのは、諸葛亮先生が劉備陣営に入る前後ですが。袁紹陣営に兵力や武将の質で勝(まさ)っていた曹操陣営。勅令で同盟したのをきっかけに河北の袁紹陣営の都市を次々と攻略しました。その前に中原に進出した袁紹軍をなんとかしたいと思い、父の仇である劉表陣営とほんのちょっと同盟を結び、共同軍で宛に進攻しました。陣形の向きや兵力を活かした戦いで、曹操陣営や孫策陣営の形成が逆転。
甘寧の歴史イベントを出そうと思い、リセマラしたら…他の勢力に投降してしまい、結局引っ張ってしまいました。歴史イベントとか武将カードとか、振り回されるもんじゃないですね。203年、結局はこんな感じの版図になりました。袁紹陣営が強いのは以前と一緒ですが、曹操陣営がなかなかしぶといです。徴兵を乱発したせいか、袁紹陣営は民衆に嫌われたようです。その間、勅令で曹操陣営と同盟を結びましたが、袁紹陣営の悪政に民衆がブチ切れました。正直、北海とかに進出したくなかったけど、民衆に見切りをつけられた
203年まで進みました。やったことと言えば、この2つ。領土はあんまり拡げてませんでした。しかし、河北・中原は袁紹陣営が着々と拡げていました。曹操が倒され、曹丕が跡を継ぐなど、史実とまた違った展開になりました。こんなことなら、甘寧を劉表陣営から引っ張ってこないで、歴史イベントを待てばよかった…と思ってもあとの祭り。思ってたのと違うにせよ、流れはこちらに傾いています。そんな中、朝廷より曹丕陣営との60ヶ月(5年)の同盟をお願いされました。劉表陣営との水際の睨み合い、袁紹陣営の
201年になりました。史実では、弟・孫権が跡を継いでいたように思います。とは言え、呉の形は孫策が作ったと見るのが妥当かもしれません。評定では、徐氏(孫翊の女房)を修行に出すことにしました。計略担当ですが、使うところがあるわけじゃないので、そのまま修行に出しました。ここで于吉先生の治水イベントがあったのですが、治水の目標値100に達することができなかったため、去られました。そんなイベントがあったことも失念するという残念な事態に、雪とコロナとハードワークに振り回されてゲームすらどうで
ミク「こんにちは。このブログのアイドル・ミクです♥」リン「やっほー!このブログのアイドル・リンだよ♥」ルカ「ごきげんよう。このブログのアイドル・ルカです♥今回は三国伝リバイバル記事の第5弾として孫策をレヴューします♥」人物孫策(伯符)後漢末期の呉の君主。父・孫堅の死後、袁術の元にいたが、やがて独立して江東に進出し、賢者、武者たちを多数配下に集め、江東、江南一帯の太守たちを次々に撃破していき、僅か10年がかりで江東に一大勢力を持った。その電撃的な快進撃から楚漢戦争における楚の覇王・項
孫策陣営でプレーしてましたが、人をかき集めるのが精一杯で、いつの間にか曹操・劉表陣営を強くさせていました。少ない命令書で何をするか、全くわかってなかった証拠です。違うシナリオでリトライも考えてます。今回は、「関羽千里行」についてです。【英雄バトルロード】でもそのタイトルのついたステージがあります。今回は、歴史イベントのほうになります。条件が揃えば、歴史イベントとして発生させることができます。一番やりやすいメインシナリオが官渡の戦いです。この時、張飛が汝南で君主として君臨してい
プレー開始から半年前後。南の盧陵に大喬・小喬姉妹を派遣し、8都市に拡張しました。秋になり、勅使からお金の無心をされました。カツカツじゃないので、お金を献上しました。(せびられて献上って、この表現合ってるのかな?)袁紹陣営でプレーしてた時と違い、広い版図での運営は何かと苦労します。とにかく人材集め。そんなんでやっとかき集めたのが、この方々。まず、徐盛。イカつい顔に徐盛(女性)とはこれいかに?と言いたくなりますが、初期配置が下邳ということもあり、すんなり孫策陣営に
以前、孫堅陣営で洛陽炎上のシナリオをプレーしていました。『三國志Ⅱ』でも『Ⅳ』でも孫堅陣営はやりやすいです。初心者向けの君主と言ってもいいくらいです。今回は、父親同様にやりやすい孫策陣営でプレーすることにしました。シナリオは、【英雄バトルロード】の特典で得られた官渡の戦いです。見た感じ、孫堅時代よりやりやすいと思われます。隣に曹操陣営がいるから、多少厄介ですが。曹操陣営に睨みをきかせつつ、劉表陣営を攻撃目標とします。ただし、レベルを中級にします。上級(または上級者向け陣
今日は三国志的ニュースをお届け♪諸葛孔明先生ファンクラブ日本代表の玄子(げんし)です。三国志の三国とは魏、呉、蜀の三国今日の三国志ニュースは呉から!呉はざっくり言えば中国の南方です。上海とか、蘇州とかあの辺をイメージしてくだされ。で。呉は孫堅さんが勢力を伸ばしますが戦死。その後を継いだのが長男の孫策殿。小覇王とも呼ばれ一度は父上の死と共に失われた勢力を幼馴染みでもある大親友周瑜殿と共にどんどん増やしあっという間に呉国の基盤を作り上げました。人柄
【英雄バトルロード】は、全ステージ制覇しました。【英雄バトルロード】で拾った武将は全部登用しました。ここで、三国志のストーリーに基づいた武将で戦いを再現してみました。まずは、江東攻略戦から。順不同ですが、今回は孫策が中心メンバーです。そこに落穴の使える劉勲と娘(?)の孫氏を加えてみました。劉勲は袁術配下のため、(頼りなさそうだけど)援軍(もしくは目付役)で参戦です。突撃対策のため、この布陣にしました。早速攻められましたが。比較的簡単なステージなので、サクサク攻めました。特別褒
一方、孫策は、敵の布陣をあらまし見届けたので、「帰ろうか」と、馬をかえしかけていた。ところへ、麓のほうから、「逃ぐるなかれ!孫策っ、逃ぐるなかれ!」と、呼ばわる者がある。「――誰だ?」屹と振返ってみると駒を躍らせて、それへ登って来た太史慈は槍を横たえて、「その内に、孫策はなきか」と、たずねた。「孫策はここにおる」「おッ。そちか孫策は」「しかり!汝は?」「東莱の太史慈とは我がことよ孫策を手捕りにせんため、これまで参ったり」「ははは
やがてその中から、大将らしい者が二人。「孫将軍に会わせてくれ」と、先へ進んできた。孫策は、近づけて、その二人を見るに、ひとりは、漆を塗ったような黒面に、太くして偉なる鼻ばしらを備え、髯は黄にして、鋭い犬歯一本、大きな唇をかんでいるという――見るからに猛気にみなぎっている漢だった。また、もうひとりのほうは、眼朗らかに、眉濃く、背丈すぐれ、四肢暢びやかな大丈夫で、両名とも、孫策の前につくねんと立ち、「やあ、お初に」「あなたが孫将軍で」と、礼儀もよくわきまえない野人むきだしな挨拶の仕振
孫策は、勇躍して、即日、勢を揃えて出立した。従う面々には、先の君理、子衡をはじめとして、父の代から仕えて、流浪中も彼のそばを離れずにきた程普、黄蓋、韓当などの頼もしい者もいた。暦陽(江西省)のあたりまで来ると、彼方から一面の若武者が来て、「おっ、孫君」と、馬を下りて呼んだ。見れば姿風秀麗、面は美玉の如く、年頃も孫策と同じくらいな青年だった。「やあ、周君か。どうしてここへ来たか」なつかし気に孫策も馬を下りて、手を握り合った。彼は盧江(安徽省)の生れで、周瑜字を公瑾
大河は大陸の動脈である。支那大陸を生かしている二つの大動脈は、いうまでもなく、北方の黄河と、南方の揚子江とである。呉は、大江の流れに沿うて、「江東の地」と称われている。ここに、呉の長沙の太守孫堅の遺子孫策も、いつか成人して、当年二十一歳の好青年となっていた。「彼は、親まさりである。江東の麒麟児とは、彼であろう」世間でも、父の遺臣の中でも、彼の成長に期する者は多かったが、如何せん、父孫堅の屍を曲阿の原に葬って、惨たる敗軍をひいて帰ったその年は、まだ年歯わずか十七歳で――。以来、