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「どうする家康」は14回まで来て、次回は姉川の戦いです。このときの浅井長政の裏切りは、織田信長の妹の市(いち)が嫁いでいたこともあり、かなりエモい山場の一つで楽しみです。その直前の今回は、マラソンの起源みたいな話を乗せてきて、予想外を超えて見事です。まあ、でも印象的なのは、家康が信長に楯突くくだりですよね。パワハラ上司に立ち向かう姿が身に染みた中間管理職も多かったでしょう。そして前回の光秀に続き、秀吉も結構悪役ですね。これは最後まで引きずる関係性です。私たちの世代で大河ドラマの話をする
雨だったので福井県立歴史博物館に行ってきました。入館料は100円でした県立歴史博物館では、16日に放送されるNHKの大河ドラマ「どうする家康」で、福井県が舞台となる場面が出てくるのに合わせて、「姉川の戦い」の様子を描いた屏風を公開していました。「姉川の戦い」は、滋賀県長浜市で織田・徳川の連合軍と、朝倉氏と浅井氏が衝突した戦いで、「姉川合戦図屏風」は、この戦いを描いた唯一の屛風絵として知られています。屏風は、高さ1メートル横3メートルほどで、家
今日は、「どうする家康」の姉川の戦いについて書きます。明日放送される「どうする家康」では、「姉川の戦い」の前である「金ヶ崎崩れ」が放送されます。この「金ヶ崎崩れ」については、前に書いていいるので興味のある方は見て下さい。『「どうする家康」13話以降の時代考証その1』今日は、13話以降の時代考証と題して書きます。下の図は、1598年の信長の上洛から信玄の西上作戦までの時程を描いています。この時期は、織田信長と徳川家康は…ameblo.jp今日は、この続きから説明しま
徳川家康が上京し将軍に拝謁をしていました将軍はあんなに乱暴だったのでしょうか京都の町もずいぶんちっぽけな作りに見えましたなんだかうまくドラマを受け入れられません嫌みで意地悪な明智光秀も違和感があります来週は姉川の戦いうまくおもしろいドラマが展開してくれると良いのですがまだ来週はどうするそんな私の迷いがあります今年はずっとこんな流れなのでしょうか
どうする家康に浅井長政が登場しましたね大志くんにやって貰いたいNo.1武将です徳川秀頼の母お茶々の父常にノーブルなイケメン俳優が演じてきたような気がします秀頼は190cmもあった巨漢と言われていましたが花のようなるお顔とも言われて真田丸の中川秀頼が後世に語り継がれる秀頼像にになったのは記憶に新しいと思いますで今回の父浅井長政、母お市から産まれたお茶々そのお茶々から産まれた秀頼と考えますと…めちゃめちゃカッコ良い秀頼になるに決まってるやぁんって想像しながら作品をドッキングし
今日は、「どうする家康」信長の上洛、包囲網について書きます。一見すると、この信長の上洛と信長包囲網は、徳川家康と関係のない事項に感じると思いますが、実は、これは、徳川家康の三大危機の一つである「三方原の戦い」に大きな影響を与えています。信長の上洛と室町幕府の再興織田信長は、代々、「弾正」の家系であり、1568年に第15代室町幕府将軍・足利義昭の申し入れを受け入れて武力で畿内を支配していた三好三人衆を退け上洛し室町政府の再興を実現させ、「天下静謐」を成し遂げます。実は、信長は、
先日ブログに書いた『家康と二つの勝山』またまた家康の先走った話になります(そのうちネタ切れになるから)徳川家康が戦に勝利したことを機に山の呼び名を岡山から勝山にしたというエピソード滋賀県長浜市と岐…ameblo.jp姉川の戦いで家康が陣を置いた長浜市にある勝山の方に行ってきました岡山から勝山になったという山やっぱり山とは言い難い動物園並みにぎゃあぎゃあ動物が騒ぐ声がしていてどんな野生動物がと思ったら鷺のコロニー?があるみたい説明板にあった御神木の大杉大きすぎて写真に入らない
九州の戦国武将・鍋島直茂が秀吉や家康に許され大名になるまでの混乱-BUSHOO!JAPAN...BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)本日は直茂の生涯を見ながら、化け猫騒動についても触れていきましょう。お好きな項目に飛べる目次[とじる].1ページ目.文化財の保存と活用「地域総がかり」の出発点大阪府文化財センター理事長・坂井秀弥さん毎日新聞法改正のポイントの一つは、市町村が「文化財保存活用地域計画」を作成し国の認定を受けられると法制化されたこと。「観光活用」の是非ば
*2月26日エントリーの続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授と、教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回のテーマは徳川家康です。本日は、姉川戦記のおはなし。あんみつ「先生、三河一国を領有し、徳川家康を名乗ったのは永禄九年(1566)十二月、25歳のときです。ここから同盟者である織田信長の勢力が増したため、ローラーコースターに乗せられたように運命が加速しますね」ぜんざい「永禄十年(1567)八月、信長はついに美濃・稲葉山城を
なかなか詳しい、100円書斎Love。姉川の合戦A3を蛇腹に折ったペラ一枚のりーふれっとだけど。内容はなかなか充実。姉川の合戦の部隊配置図と関連の史跡の地図。年表も解説もなかなかよし。
姉川忠義北近江合戦心得(〈一〉)(小学館文庫Jい04-1)Amazon(アマゾン)392〜2,169円姉川の合戦で織田・徳川軍を相手に初陣を果たした遠藤与一郎、15歳。同じ合戦で父が討たれます。その3年後の小谷城陥落の直前に、主の浅井長政と市の方より長男万福丸10歳を落ち延びさせるよう命ぜられ、郎党で山賊上がりの弁造と敦賀へ向かいます。敦賀では「浅井万福丸儀、幼い童に罪はなし。酷い仕打ちは致さぬ信長」の起請文とともにお市の方からの手紙が届きます。しかしながら史実は変え
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またまた家康の先走った話になります(そのうちネタ切れになるから)徳川家康が戦に勝利したことを機に山の呼び名を岡山から勝山にしたというエピソード滋賀県長浜市と岐阜県大垣市の2ヶ所にその話がありますどっちも近いから写真撮りに行こうと思っていて行きそびれました(寒い)まずは一つ目姉川の戦いで家康が陣を置いた場所現在の上坂神社の裏手にあるこれ山?なのか?ただの森っぽい?Googlemapより姉川の戦いに勝利したことで岡山の名を勝山(かつやま)としたそうですそして二つ目
越前・疋壇城から越前国へ乱入するかと見せかけて、近江方面へ引き返しました。冷え冷えのお茶のペットボトルを保冷ケースごと疋田に置き忘れたのがぐやじいので、小谷城歴史資料館へ寄って御城印(実名・登城記念符)を乱取りしようと思ったら、休館日であった北近江・浅井氏に仕えた三田村氏が築いた城館跡滋賀県長浜市三田町近江・三田村城(みたむらじょう)別名;三田村氏館城跡の北(元は複郭)に「三田村公会堂」があり、その駐車場にある説明板。すべてお読みください。因みに、三田村氏は
彼岸花の別名は『曼珠沙華』サンスクリット語で『天界に咲く花』仏教の経典『法華経』をお釈迦様が説いたのを祝って天から降ってきた花の1つとされています。昨年は、滋賀県高島市の琵琶湖のほとりの『桂浜園地』へ見にいきましたが今年はどこへ行こうかなぁどこに行くと会えるかなぁ💓って思っていたら見つけました❣️凛々しく生き生きと‥‥咲いてる💓咲いてる💓探してもなかなか見つからなかったのに川のほとりに偶然見つけました!咲いてますね〜♡綺麗‥‥山
1570年4月20日、織田信長は若狭の武藤友益、及び越前の朝倉義景の討伐のため、守護や奉公衆、昵近公家衆からなる幕府軍3万を率いて京を出発し、若狭へと向かいました。ただし、朝倉氏は討伐対象ではなく、若狭武田氏に抵抗する武藤氏のみが討伐対象だったとする見解もありますが、ここは朝倉氏を叩くのが目的だとはおもいますが・・・。また、本国時の変の失敗を教訓として、二条御所の完成後に出陣しています。織田信長が京を出陣したのち、近江を経て若狭に入ると、高浜の辺見氏や西津の内藤氏といった若狭の国衆が馳せ参じ、
生蓮山興徳寺こうとくじ御本尊阿弥陀如来御由緒一遍上人の弟子である他阿(真教)が北陸遊行中の1290年に開創したと伝わる、時宗の寺院。他阿上人は時宗2世として全国を遊行し多くの寺を開創している。戦国時代、長さ3mにも及ぶ大太刀を振るったといわれる、越前朝倉氏家臣・真柄十郎左衛門直隆の菩提寺でもある。真柄十郎左衛門は、講談や落語などにも登場する剛堅無双の武将で、1570年朝倉・浅井軍と織田・徳川軍が戦った姉川合戦においても大太刀を振るい奮戦し討ち死した。真柄十郎左衛門直隆の墓
【問題】姉川の戦い前、援軍として到着した朝倉軍は、浅井軍主力とともに、次のうちどこへ布陣したか?【選択肢】上坂神社石田村大依山国友城【正解】大依山【解説】織田・徳川軍によって包囲された横山城の救援のため、浅井・朝倉軍は、同城への眺望が効く大依(おおより)山に布陣した。これにより両軍は姉川を挟んで対陣する形となった。
↑の字書いてる時のBGMが高中正義「TropicBirds」でした字がハネハネ『茶臼山古墳(龍ヶ鼻砦)長浜市東上坂町』茶臼山古墳(龍ヶ鼻砦)姉川古戦場を望む自然の山を利用した前方後円墳。後円部の登り口から多数の円筒埴輪の破片が出土した。市内では最も完全形に近い古墳。姉川…ameblo.jp↓1年前の今日書いた記事『宮地城2(下呂市宮地)』さていよいよ城域へ(^^♪↑ヤマップデータより立札が・・・外側の堀北側はそのまま
詳しくは↓にて先ずは場所↓↑黄色〇の箇所長行寺の北西高速の南側となります取付く箇所は赤矢印に林道がありますが・・・矢印すぐ南側に最初に紹介した看板あります看板には「山脇山」陣城とか城とか砦の名称はついていません(^_^;)遺構は無いのかな?と思い少しだけ見てきました検索しても遺構らしいものを書いた記事を見つけられず行けば分かるかな程度のノリでした↓いつの削平地?↓???↓???↑
茶臼山古墳(龍ヶ鼻砦)姉川古戦場を望む自然の山を利用した前方後円墳。後円部の登り口から多数の円筒埴輪の破片が出土した。市内では最も完全形に近い古墳。姉川合戦前の横山城攻めの際には、織田信長・徳川家康が陣としてこの古墳を利用し龍ヶ鼻砦とも呼ばれる。姉川合戦が始まると陣を取り払い、それぞれ別のところへ陣を構えた。この日熱中症警戒アラートが発表されたもちろん出陣には空調ベスト首掛け扇風機冷感タイツ&シャツ短パン
※画像は公式ホームページからAMAHAGANWORLDMALTEDITIONNO.3MIZUNARAWOODFINISHNonChill-filteredNonColoured産地:日本滋賀県原料:モルト(日本産、外国産)容量:50mlアルコール:47%希望小売価格:700ml/税込7590円総評:3.5色:金色トップノート:3アタック:3香り:お香、バニラ、干し草味わい:ジンジャー、シナモン、シロップアル
みなさん、こんにちはソフトブレインのシニアAです今日は前回の続きで、信長が朝倉・浅井軍に報復する「姉川の戦い」ですそれではどうぞ(^o^)/【姉川の戦い】元亀元年(1570年6月15日)、織田信長は、朝倉義景(あさくらよしかげ)を討つため、浅井長政(あざいながまさ)の居城である小谷城(おだにじょう)周辺の長比城(たけくらべじょう)や苅安城(かりやすじょう)の堀秀村・樋口直房を調略(ちょうりゃく、はかりごとをめぐらす)して、長比城・苅安尾を陥落させた。6月19日、信長は岐阜を出
こんにちは、tenです。アメブロ投稿、千百八十三日目です。それでは、今日は、何の日?6月28日は、何の日で、どんな出来事があった日なのか?記念日の由来や、関連する雑学をあわせて、紹介していきますね。ほんなら、今日は?『貿易記念日』通商産業省(現在の経済産業省)が、1963年に制定。安政6年5月28日(新暦1859年6月28日)江戸幕府が、ロシア・イギリス・フランス・オランダ・アメリカの五か国に、横浜・長崎・箱館(函館)での自由貿易を許可する
道の駅「湖北みずどりステーション」を15時45に出発して道の駅「浅井三姉妹の郷」に向かいました↑↑↑ここで~す15時35分に到着しました!空はどんより☁️としています…「姉川の戦い」ってなんか歴史で習ったような気がする…😅建物の中に入ってみますハンパない存在感!😅歴史関連のものがたくさんありました定番のお土産も(当然)ありました😁新鮮な野菜も(もちろん)ありましたたくさん並んでいました😁時刻は16時25分今日の道の駅巡りはこれで終
こんばんは。今日は晴れたり曇ったりして、梅雨時特有の蒸し暑い日でした。😱さて、前日の池田温泉から移動して来て車中泊した『道の駅伊吹の里』ここも何度か車中泊で利用しています…静かで伊吹下ろしの風が涼しくて、寝やすいんです。🆗ちなみに、この道の駅伊吹の里は、2017.8.22に記事発信済みです。👍目覚めてから、周辺地図を眺めていると…よ・こ・や・ま城…?えー!こんな近い場所にー!と、言う事でこれまた急遽、登城を思い立ち行く事にしました。💦横山城址へはいくつかの登城コースがありまして、『道の
日本の張飛本多忠勝をそう呼んだのは織田信長らしい。張飛とは、三国志に出てくる蜀の武将。劉備が旗揚げして以来、関羽とともに劉備を助けた。長坂の戦いでは数千の曹操軍に対し、20騎でしんがりを務めた中国史屈指の豪傑だ。花も実もある勇士、とも言ったという。合理的でシビアな信長に称賛される忠勝は、いったい何をしたというのか。織田信長は桶狭間の戦いのあと、家康と軍事同盟を結んだ。今後、双方が他の国と交戦に及ぶときは軍事的に共闘するというものだ。紙本著色織田信長像(狩野元秀画・長興寺蔵)Wi
-2022年3月29日-この日の予定では海津大崎を散策して桜を撮るはずでしたが、全然無理だと判りましたので(当然だろ!!)歴史巡りに変更です!(^_^)v琵琶湖周辺って遥か昔の古墳時代から、沢山の遺跡に囲まれているんですね。戦国時代の城郭の跡なんかも有名無名含めて沢山あるそうですが時間的に限りもあるので、有名な所を幾つかだけピックアップして見て廻りたいと思います。海津大崎から長浜に向かう途中に織田政権の跡目を巡って羽柴秀吉と柴
次に訪れたのは、『藤堂高虎・京極高知(きょうごくたかとも)』の陣跡です。『岡山一人旅~歴史の狭間に眠る想い~ーその⑦ー』神奈川県に帰る前に、もう少し旅を続けます。訪れたのは三重県。せっかく三重県に立ち寄ったので、4年ぶりに鈴鹿市にある『椿大神社つばきおおかみやしろ』へとご挨拶…ameblo.jp藤堂高虎については、直近の岡山旅で津城跡を訪れた記事の中でお話しました。私がその生き様に触れた事から、どんどんと惹かれていった大好きな武将です。京極高知はというと、高知自身ではないものの過去の
明日ボートレースびわこで開幕する、GⅠ第65回近畿地区選手権競走の初日のドリーム戦「姉川の戦い」の私の予想です。◎②松井繁○④魚谷智之▲①丸野一樹△③今垣光太郎注⑥遠藤エミ松井は現時点でまだクラシック出場権を持っていない。近況もなかなか勢いがつかない状況だが、今回は久々に前検の手応えをかなり掴み取った様子だ。これなら実績あるびわこで久々に王者らしさを出すか。魚谷もかつての切れ味にはほど遠い状況だが、こちらも気配面ではいいレベルにある感じだ。今回は今垣が3カドにするだけにその展開を突