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「姉川の合戦」殿(しんがり)みなさん、おはようございますジメジメして体力を使います健康第一で頑張りましょうさあ、今日「6月28日」の國史を学びましょう「姉川の合戦」永禄13年(元亀元年、1570年)織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が姉川(滋賀県)を挟んで戦います信長は本拠の岐阜から京都への交通の要所である小谷城(長浜市)の浅井長政へ妹のお市の方を嫁がせ同盟を結びます長政とお市の方の3人の娘はのちに茶々は豊臣秀吉へ初は京極高次(若狭小浜藩主)へ江は徳
■イベント名マリーナブルーショー~いざ姉川決戦へ!前日スペシャル~■日時2023年7月1日(土)①開場11:30・開演12:00②開場14:30・開演15:00■会場滋賀県守山市守山駅前・チカ守山パブリックスペース滋賀県守山市梅田町2−1−1地下1階JR琵琶湖線(=東海道本線・新快速停車)「守山」駅西口を出た駅前ロータリーの右側ビルの地下1階。徒歩1分。近隣に有料駐車場あり(1日700円程度)https://chika-moriyama.com/https://g
どーも、castom98です。今回は2021年春の古墳見学の際、偶然発見した史跡をご紹介いたします。滋賀県長浜市にございます、遠藤直経墓です。現在では状況が異なっている場合がある点をご了承ください。その日私は、長浜市の垣籠町の山中に分布する古墳群を見学予定でした。説明板lの地図の中に、遠藤塚という見慣れない遺跡を発見。振り返ってみると、後ろの農地内に何やら遺跡を発見!さっそく見学開始。おお、姉川の合戦に関連する遺跡ですか。浅井家の重臣、遠藤直
1570年姉川の戦いO-157だ~お姉ちゃん、助けて~157=157お=0姉=姉川の戦い男はいくつになっても強がりなものです。あみパパさんは、強がりの最低先生をからかいます。「もらって嬉しい物」編の始まりです。
2023年5月24日(水)歴史探訪の山歩きで、滋賀県長浜市にある小谷山、虎御前山に登ってきました。小谷山は戦国の武将、浅井長政の居城、小谷城跡がある山です。その小谷山の前に対峙している山が虎御前山。織田軍は虎御前山に陣を築き、難攻不落とされた小谷城を落城。城主である浅井長政は小谷城で自刃しました。そんな歴史ある2つの山に登り、当時に思いを馳せながら散策してきました。追手道から城跡へ登ります。新緑の中、気持ちの良い登りです。ネジキの花があちこちで咲いてます。UV
お花のお友達のお店ドライフラワーギャラリー遊花さんへ行ってきましたうちから約100kmの長浜市へ電車に乗ってのんびりひとり旅です伊吹山をバックに麦畑風になびく麦の穂がキラキラ~めっちゃキレイで開店したお店の写真を撮り忘れてひたすらおしゃべりこのお店で生花を加工してドライフラワーを作ってるので品質は極上花好きさんには居心地がとても良い居場所だと思いました楽しい時間はあっと言うまで頑張りやさんの店主さんとの再会を誓って帰路についた次第ですこのお店のフ
浅井長政#浅井長政#姉川の戦い#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
朝倉義景#朝倉義景#姉川の戦い#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
井原忠政著「旗指足軽仁義」読了しました。こちらは姉川の戦いメインの話でした前巻も面白かったですが、こちらも凄く面白かったですどの登場人物もキャラが立っていてとっても魅力的です本多平八郎が格好良かった早速続刊も予約しました。楽しみです
姉川の合戦は、織田、徳川軍と、浅井、朝倉軍が激突した、戦国史の中でも屈指の合戦です。大苦戦の末、徳川軍の本多平八郎、榊原康政らの活躍で織田、徳川軍が勝利しました。今では橋のたもとに古戦場の碑があるだけで、当時の様子をうかがうことはできません。2009年の記事です。
三宅弥平次㉗「言継卿記」『●六月廿九日〇江州北郡軍有之、浅井討死、其外七八千計討死云々、昨日巳刻、磯野丹波守同、〇昨日江州北郡合戦、北郡衆、越前以下九千六百人打死云々、首四千八百有之云々、徳川衆、織田衆も多死云々、越前衆五千余討死、前波以下云々。●七月三日〇織田弾正忠今明日之間に上洛云々、今日江州北郡佐和山之城磯野丹波守、信長へ可渡云々、●七月四日〇申刻織田弾正忠信長上洛、四五騎にて、上下卅人にて被上、遂遂に終夜上云々、直に武家へ被参之間、四
美濃金山城の前は烏峰城といい、斎藤大納言正義が築城したと過日書きました。その時代は斎藤道三による美濃国国盗りの真っ最中でした。そんな中道三は美濃国守護・土岐頼芸を尾張に追放し、事実上の美濃国主となります。そしてなぜか斎藤正義は久々利氏にだまし討ちにされ、ここに道三の美濃国平定が完結するのです。「森可成」は、父と共に土岐家に仕え、尾張国羽栗郡連台(現在の岐阜県羽島郡笠松町)を治めていましたが、道三による土岐頼芸追放後、尾張の織田信秀のもとに転じます。父可行は高齢でもあったので、信秀が信長に家
三宅弥平次㉖「織田信長書状」『今日巳時、越前衆者并浅井備前守、横山為後詰、野村与申所迄執出、両所備人数候、越前衆者壱万五千計、浅井衆者五六千も可有之候歟同刻従此方切懸、両口一統ニ遂合戦、得大利候、首之事、更不知校量候間、不及注候、野も田畠も死骸計候、誠為天下大慶不過之候、小谷之城雖可攻崩、山景之由候間、先相抱候、畢竟落居不可有程候、両国共ニ以武篇之一儀非物之数候、江北之事ハ属平均候、横山楯籠候共、種々侘申候へ共、可討果覚悟候、可為今明日之間候、即佐和山之儀
三宅弥平次㉕「信長公記」『然るところ、朝倉孫三郎、後巻として八千ばかりにて罷り立つ。大谷の東、をより山と申し候て、東西へ長き山あり。彼の山に陣取るなり。同浅井備前人数五千ばかり相加わり、都合一万三千の人数。六月廿七日の暁、陣払い仕り、罷り退き候と存じ候のところ、廿八日未明に三十町ばかりかかり来たり、姉川を前にあて、野村の郷・三田村両郷へ移り、二手に備え候。西は三田村口、一番合戦、家康公むかわせられ、東は野村の郷、そなへの手信長馬廻衆、東は美濃三人衆諸手一度に諸合す。』
NHK大河ドラマ「どうする家康」は徳川家康をヘタレとして描くのが最大の特徴だ。本多忠勝をはじめとする家臣らに口撃に近い諫言を受け、全てが武田信玄に至っていないとまで言い放たれた。近江で浅井と朝倉の連合軍に対して、先陣をきって勝った1570年姉川合戦の15回「姉川でどうする!」をみてみよう。冒頭で「金ヶ崎の退き口」(14回に小豆の暗号物語のアレンジあり)から始まると思われた展開が一瞬でナレーション処理されて間もなく、報復のために姉川の戦場へ。プロファイラー司会者の岡田准一(ついでに「軍司官兵
あいかわらず一回遅れのど家(Twitterでの略され方がすごい)姉川の戦いでしたが思うよりは時間かけていましたね姉川は滋賀県米原市の奥伊吹を源流に長浜市を通って琵琶湖に流れ出る川で古戦場は姉川の中流国道365号線あたりにあります史実の家康さんには浅井方につくかそういう葛藤よりも最初から織田勢の有力な援軍として参戦していたようですが自分ちの方も無理矢理?浜松(引間)に居城を移したり武田の脅威もありそんな中での出陣相当数の朝倉軍を敗退させここでの徳川軍の活躍は評価す
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜金ヶ崎で浅井長政の裏切りに会うところからだねってことで第15話の感想ぉ〜!浅井長政の裏切りから、なんとか金ヶ崎から帰還した家康。これは『金ヶ崎の退き口』と言われてますが、秀吉が殿(しんがり)を務め、手柄を立てましたが…⬆️この秀吉、なんか嫌味があって…嫌いです。秀吉さんの印象が悪くなるよね家康は信長に浅井、朝倉との戦いに出るように言われます。信長は家康の耳を噛んで…変な趣味…浅井、朝倉との戦いで先陣を命じられた家康。しかし、信
お市から伝言に従い、金ヶ崎から撤退した信長。秀吉の姑息なアピールが光るのですが。冷めた目で秀吉を見る信長。浅井につくか、信長につくか、選択を迫られる家康。「浅井様が人間として好きだから、浅井につきたい」と言う家康。孤独のグルメが「今なら信長を討てます、しかし、ぐっちゃぐちゃをもう一度やりますか?やり直して生き延びられるならやりましょう」足軽一人一人に人生があり、大河に出たという誇りがあり。信長に「これからも判断を間違えるな、白兎」と耳に噛
浜松の荘(しょう)と呼ばれてたそうな、、浜松。。。そなたは凄いの!そういうのがぱっと出てくるのだから浜松に決まりじゃ!!でしたが、民には恨まれ刺客までΣどうなる?遡ること姉川の戦いでも家康、ぐだぐだ笑人柄がいいから、好きだからと浅井長政に就こうとするかたや、暴君のような織田信長に正直嫌気がさしている現代の選択では、永く良好な関係が続きそうな前者が◎ただ命を脅かされる乱世、英雄の選択はすんでのところで後者結果、圧倒的実力の差で大勝利
木下藤吉郎とともに金ヶ崎における激戦を生き延びた徳川家康。そして、織田信長から浅井・朝倉連合軍討伐の先鋒を申しつけられます。一方、浅井長政からは打倒信長を呼びかける密書が届きます。姉川をはさんで両軍が向かい合い、家康は信長を裏切るかどうかの選択を迫られます。家臣たちの意見が分かれて紛糾しているところに、徳川の陣に織田軍から銃弾が撃ち込まれます。織田につくか、浅井につくか悩む場面が長いようにも感じました笑家康は好き嫌いと情勢でどちらにつくか決めようとしていま
大河ドラマ、どうする家康、第15回「姉川でどうする」、よかったですね!秀吉と家康公は金ヶ崎の退き口で、殿(しんがり)を務め、なんとか浅井・朝倉軍を退け、京の信長屋敷に帰還する。秀吉はここでも、まるで、一人で戦ったかのようなほら吹き自慢をする。過去の大河ドラマ、「麒麟が来る」では、しんがりは明智光秀と秀吉が務め、秀吉は自ら申し出てしんがりを務めていたが、この「どうする家康」の秀吉と「麒麟が来る」の秀吉では性格もやることも大きく違いますね
「どうする家康」第15話「姉川でどうする」を見ました。んーーーーって思ってこのドラマを見ている。フィクションが強すぎる気がする。本当に家康は浅井長政の調略に乗って信長を討とうとしたのか??家康は浅井長政を「義の人」としてるが、金ケ崎で家康は裏切られてるよね?金ケ崎の退き口が全カットになってるけど、家康も浅井・朝倉軍の追撃に遭って、大ピンチだったんですよね?命の危機だったよね?浅井長政を許せないから、織田軍に加勢したのではなく、織田軍を討つために姉川に出向いたのですか?
さて…。一昨日の、どうする家康・姉川の戦い篇ですが…結構、面白かったです。その前の金ヶ崎撤退篇が、なんだかもう走れロメス戦国女子篇みたいでして、、なんだこりゃ~~~~、と言いますか…実験的すぎるし、、姉川の戦い編の、もし、家康が裏切ればというIfはたしかに、興味深いす。たしかに家康が裏切れば信長は負けた。姉川の戦いって、結構資料が無いとか。どうするで言ってた、織田軍大勝利とか徳川軍の奮闘とかも…あんまり資料がなくて、軍記モノ系とかからの話しらしいです。そもそも劇的
織田か浅井か戦闘開始ギリギリまで迷う家康今回もあまり間を置かずに見ることができました、「どうする家康」の第15回「姉川でどうする!」。時は1570年(元亀元年)、家康は満27歳になる年のお話です。ここからはネタバレになりますので、まだ見ていない方はご注意ください。番組紹介|大河ドラマ「どうする家康」-NHK・織田か浅井・朝倉か戦場での寝返りまで考えて迷う家康タイトルどおり、劇中の家康
NHK大河ドラマ「どうする家康」。去年の北条義時に比べると、関心は弱いのですが、ちょうど時刻が合ったときは見ています。昨日はもう15回になっていました。姉川の戦いです。なんだかんだ言われている松本さんの家康。私は演技の良し悪しは分りませんが、そんなに悪くはないように思います。そもそも大河に演技の明らかに下手な役者って、出ないんじゃないですか。今のところ善人として描かれていますが、結局最後は、難癖つけて豊臣を滅ぼした悪党に変貌させるしかないでしょう。去年と同じで、そのとき
大河ドラマどうする家康第15回「姉川でどうする!」2023.4.23放送NHK総合BSプレミアムこんばんは~今週の松潤・家康、さっそく書いていきますよ~!なんかそれぞれの役のキャラを再確認するような回でしね。松潤・家康は、お坊っちゃま育ちの優柔不断で~理想主義。(今川義元に仕込まれた)苛烈で偏屈な、岡田准一さんの織田信長がこわくて嫌い。けど、逆らえずにここまできた。対する浅井長政(大貫勇輔さん)は立派な”義の人“で家康を味方につけようとする。この松潤・家康は、
やっぱ、秀吉って…。まあそうでなきゃ、天下人にはなれないよなぁ。この信長は今までの信長と違って、そこまで思慮深くはないのだろうか…。酒井忠次はさすが大人だね。この後も、三方原や長篠の戦いとかで度々戦略眼で家康を助けるしね。いい家臣をお持ちだ。でも、本当に合戦シーンが少ないなぁ。金ヶ崎も姉川も、三河武士の活躍の場なのに。ってか、渡辺守綱の見せ場でしょうが!何でいないのよ!!
織田信長のガーン織田信長のピンチまっすぐで真面目な義のあるmen's義理の弟の裏切り出る杭は打たれる苦労するやつじゃさんのとかぶる、、カ。ほんと迷惑複雑なシーンちょっと🤏カ。なんでこの時期よ、、頑張って苦労して努力して積み重ねて馬鹿にするなよホトトギスわかるよ!凄くその気持ち!!浅井さんイイ人優しいイケメン!そっちにつきたい!がんばれ!!家康!泣かなくてイイYO!!姉川の戦い🪖は有名ですが滋賀県茶臼山のあたり岡山という
4月18日以前からフォローせてもらっている『北近江@旅人』さんのブログは、私と同じ滋賀県湖北エリア在住の方なので、バイクや車で訪ねた旅先情報はとても参考になる。最近『旧湖北町の菜の花畑』を紹介されていたが、ココは私も知らなかったので、早速行ってみる事にした。この方とは、2021年にスーパーカブで訪ねた鹿児島県の、誰もいない開聞岳を望む岬の先っちょで偶然に会った。同郷の滋賀県から1000kmも離れた場所での出会いは、奇跡の様な偶然と思った。『鹿児島県開聞岳と知覧特攻平和会館を