ブログ記事364件
産院へ挨拶?に行った具合が悪くなって最初に連絡した病院、出産予定だったクリニック色々検査でパジャマに着替えさせられて、そのまま大学病院送りになってやっとやっと。何が起こったのか、もう少ししたら、きちんと纏めておかねば病院のパジャマ家で洗濯したって、きっとクリーニング屋に出されるのだから、意味ないだろうな~とおもいつつ、かといって血とかついてるパジャマまさかそのまま返却できないし適当な菓子折りもって挨拶行ったら事務員さんが先生呼びますから、ってパジャマ返却だけのつもり
いくつかあるマタニティマークバッグやらポシェットやら、車にやら県でもらった、マタニティ駐車利用許可証やら電車に乗る機会は激減したけれど、捨てられないのはもちろん、外すことができない。なんとなく、つけていたい!ほどの気持ちではないけれど、なんだかこう、簡単に外せない、退院するときにバッグについていたのに気づいたあの時のタイミングを逃して、、以降しばらく。弱ってしまったから今月いっぱいくらい、図々しく使わせてもらおう。あ、そうそう第一子の時産後すぐにマーク外して、赤ちゃ
時間が経てば悲しみ、傷が癒えるのかないやいや今のところ時間の経過に反比例して、悲しみが増していくこんな気持ちの人が沢山いたんだね。ブログやらなにやらで言える時代だけれどもひと昔前も、そのまた前も、もっともっと昔も、太古の時代から、同じような思いをした人がごまんといるんだよな、とか考えるこの頃。医療が整っていない国で同じめにあった人は、心だけでなく身体も悲惨な状態になるんだろうな恐ろしいねとか、途方もなく時間があるとぼーっと色々考えてしまう。そう、今頃はあれやらこ
不妊クリニックに通院しなくなってまもなく2ヵ月、それとほぼ同時期に在宅勤務もほとんどなくなり、そして5月からはコロナも5類へと移行し、なんとなく、新たなステージに突入したなーと感じます。マスクも外し、妊活中は控え気味にしてた仕事も本腰入れ始めました。それに伴い(?)ブログのタイトルを変更しました。45才になると、アラフィフですかね?でも、なんとなくそう名乗るにはまだ早いような気がして、細かく刻んで「ミドフォー」にしてますそしてジャンルも「ベビ待ち、妊活、不妊治療」ジャン
今日、クリニックで血液検査しました!妊娠判定日でした!結果は、卵が着床せず、陰性でしたま、そうだろうな。3BBの胚盤胞だし、アシストハッチングしても、卵も形も変わらず3BBのままだもん。先生は、申し訳なさそうにお話しされていましたが、私は全然そんなに心のダメージはないんだよなぁ…って思いながら、「あ、もう🥚残ってないので、これで終わりにします!」って言って、最後の挨拶をしました。息子がもういるってのが一番大きいけど、もう、不妊治療で病院に通うこともなくなるし、無事最後の卵をお迎えできて
お腹でしっかり大きく育ってその顔は、うえの子が産まれた時とまったく同じ顔まったくそっか、同じタイミングの卵もし先に戻していたら、君が先に産まれて健康に育っていたのかもしれないね同時にしてたら、双子だったかもしれないね同じ顔、全く。この顔の1年後2年後をリアルに今、目の前で見ているだけに、知っているだけに、将来を想像しまくってしまうこんなに可愛い顔で笑うんだろうなってごめんね病院では一緒に寝たりしながら割と普通に過ごせた。息していないのだけれども、かわいい顔して時に
こちらの希望で夜の退院になった。日中のタクシー送迎聞いたら、そういうケースこれまでにないので、って。日中は家族仕事で難しいからって言ったら、看護師長さんまでやってきて、ご自分での交渉になっちゃいます、って。義理の父からのことば、彼経由でメール「タクシーに赤ちゃん載せられないかもしれないっておやじが言ってる」と。タクシーとかバスとか旅客運送事業者が遺体を運ぶことが禁じられているそう40年生きていても知らないことだらけだね退院の説明書をもらった、送迎場所とか地図付きの
看護師さん?と話していてそう言われたのは2回目。出産直後分娩室でも、そう言われた。鼻と目元が一緒で、、とかなんとかこの病院のマニュアルなのかな卵子提供で血はつながってないんですけどね、そうですかね、って思わず言っちゃおうかと思ったけれど、そうですか、ありがとうございます、でやめておいた。全くありがたくないけれども。元気だったら嬉しいのかな、息してたら嬉しいのかなよけいに悲しくなるからマニュアルなら外してほしいなぁそんな話をする気力はないけれどもご飯はあまりにも味
辛くても悲しくても、お腹がすく。生きているんだね昨日からは完食勝手なママだねーごめんねきみは何も飲めなかったのにね、ごめんね大学病院出てくるごはんの色気の無さ、味気無さ。全くもって美味しくない病院ご飯出産予定だった近所の産院は、おんぼろだけれど、ご飯が美味しいのは評判だった入院中の楽しみってご飯くらいだと思っていたから、近所だし、そこで通院していた。前回のお産は県をまたいだ産婦人科だったけれど、そこも、とにかくご飯は美味しかった。ボリュームもあって、色とりどり華
この学年で産むことが条件で始まった期間限定の4人目妊活をしています3人も子どもいるんだからと言う理由で、旦那とは不妊治療せず自然妊娠と言う条件でやり始めて、はや1年たとうとしてます。(本当に早い)残念ながら、未だにかすったこともなく、もはや絶望的な結果でここまできてます(もう笑うしかない)3月までに出産しようと思えば、いよいよ6月で妊活終了となります旦那もそれはすごく意識していて…よって、あとチャンスは、今月と来月の2回だけ!?(絶対無理〜)これがダメだったら、わたしは綺麗さっ
思い出すのは友人達。流産を繰り返した子、43歳、妊娠7カ月で死産の経験の親友。あの時、どういう気持ちだったんだろう自分のかけた言葉、なんと薄っぺらかったことか。彼女たちにも連絡しなくちゃあのこにもこのこにもあー、あの人にも近所のおばちゃんにも学生時代の彼女たちにも最近会って言ったばっかりだったけどねんーいやだねもう大丈夫って思ってたね8か月、産まれても十分生きていける大きさと経験者だから、とか調子に乗ってたのかな自分もっともこんなケース微塵もよぎらなか
冷たい子を産んだ出てきた瞬間は暖かかったけれど、冷たくなった。もう大きく育っていた。そしてどんどん冷たくなっていった。どんどんどんどん。産まれたその瞬間、ぬくもりがあったのは、自分の体温。救急車騒動病院でもばたばたバタバタと周囲はうるさくて。激痛の中、「早く切ってくれ眠らしてくれ意識をなくしてくれー」としか思わなかった。自分の事しか考えていなかった。けれど、顔をみたら苦しかったよね、辛かったよね、ごめんね、ごめんね、と。これは夢なのか現実なのか
1年ぶりにクリニックへ。2日前位から痒みが・・・・不妊治療を辞めることにこの1年迷いまくって行けてなかったクリニック。どうやら神様が、いい加減腹を括ってこい‼️と言わんばかりに猛烈な痒みに襲われ、ついでに不妊治療終了する事を伝えてきました。受精卵1つ残ってたけど。すごく二人目欲しかった。子供がすごく可愛くて。大好きで。娘に兄妹を作ってあげたかった。でも、多分。これでいい。1年前に起きた旦那大激怒事件。いまだに娘は覚えていて思い出す度に怖いと言う。だから。これでいいんだと自
今日のお昼過ぎに大阪に戻ってきた娘をバレエのレッスンへ連れて行き、夕方、リプロへ。先週、流産確定の診断がされたわけではない(99%流産だけど)から、僅かでも可能性があるのであれば、覚悟はしつつも期待もしてた。けど、やっぱり、流産確定の診断がされた。もうね、感情は特になくて、無って感じ。『2人目妊活終了☆』2人目妊活を始めてもうすぐ5年が経過する。『2022年の妊活と今後のこと☆』1人目は妊活せずとも授かったため、高齢ながらすぐに授かると思い込み、2人目妊活に…ameblo.jp
ちょうど1週間前、心拍が停止していて、すぐに手術するか、もう1度、違う先生に診てもらってから流産を確定するか決断を迫られた胎芽が少し大きくなっていたけど、数週に比してめっちゃ小さかったし、流産の診断が覆ることはないと思った。でも、GWは帰省する予定だったし、ネイルもしてるからすぐに手術はできないし、奇跡が起こるかも!?と思い、すぐに手術はせず、今日の夕方、病院を予約している。ただ、本来なら薬を継続しなければいけなかったけど、私は止めた。娘を自然妊娠で出産してるし、薬がなくても育つ時は
あっという間に妊娠後期28WGW突入と産休まで間もなく。間違って出てきても生きていける週数また暫く働けないかと思うとラストがんばるぞ!の気分。去年、就活を20年ぶりにして40代の厳しさ現実を目の当たりにした働けることが有り難い。一層精力的に頑張りたい。全ては秋の保育園申請の為。働く為に保育園申請っていうより保育園預ける為に労働時間を稼ぐ本末転倒甚だしく。正社員退社は後悔もあるけれど管理職激務で1年も2年もそれ以上毎年、月の半分近く通院してたあのとき思い出すと辞める以外
昨日朝起きた時に天井がぐるんとまわって、めまい、、立ち上がってもクラッとめまいがして仕事中にも立ちくらみがありました。。なんでだろう。。低血圧だから?前の日の夜しっかりご飯食べずに寝たからかなーとかついに更年期?!とか自律神経乱れてる?!とかいろいろ考えてみたものの。。答えは出ませんがきっと眼精疲労やスマホ首?からくるめまいなのかなーと思ったり。。それとも貧血??今日も同じ感じだし。。様子見です。。そして、明日は卵管造影検査予定だったのですが、パートナーに
ずっとひきづっていた気持ちを昨日バイトの時意外にあっさりと?伝えられました!当たり前だけど気持ちの切り替えができるとサラッと言えますねまだ私の心、ウジウジしてるのかなと心にモヤがかかってる。と思ってましたが焼肉の思い出、久しぶりに飲んだお酒楽しかった時間次の日彼とツーリング、そして昨日は一緒にダーツを教えてもらいながら一勝負して、手作りでピザを、生地から作る彼の頑張りをみて、出来立てほやほやのピザを一緒においしいね!って食べたから元気が出て話ができる。しっ
こんにちは昨日は判定日でクリニックに行ってきました結果は陰性先生はキレイな胚だから行けそうな感じするんだけど年齢的に胚の質の問題でしょうね年齢的に1/10の確率なので続ける価値はあると思います!ということでしたがこれで終わりにしますありがとうございましたとお礼を言って終わりましたまた再開するようだったらいつでもどうぞとの事でした後ろ髪引かれることを先生も看護師さんも言ってきて少し心が動きましたがもう終わりです!クリニックのあと息子のランドセルを見に行きまし
妊活終了と言いたくなくてまだできる方法ないかなーと考えたくて諦めたくなくてパートナーにまだ話せずにいます。1週間、顔も見れなかったけどこの間バイトのあと4人で打ち上げ。焼肉とミュージックBARへ行って久しぶりの肉、お酒を堪能していい息抜きができたみたいでとっても楽しかったその次の日パートナーとツーリング行きました。パートナーなはずだけどん?この付き合いって友達と同じじゃん?という距離感。遊び方。女として求められないって悲しいですよね。相手も私が落ち込んでいるのをみて
今日リセットです!高温期9日目、10日目、11日目、インプラテーション、着床、たくさんたくさん検索しまくりました!!が、しかし。。今日悲しくもリセットです。しゅうりょ〜!!って感じで終わりの鐘がなりましたパートナーとは今向き合えず気落ちしたままです。失恋したあの日と同じくらい気落ちしてます。どうしましょう。このぽっかりあいた穴はどうやって埋めたらいいんだろう。気持ちの切り替えがとても下手なのでこれから先の不安しか手元にありません。次の切り札もなし。悲しい。。
こんにちは不妊治療終了後の人生について考える会のお話、最後になります。最後は、夫婦2人で生きていく選択。これも、素敵だと思います。お話の中で、今まで夫婦2人で頑張って来たことは決して無駄なことではなく人生の大事な時間。そして、妊娠しなかったから、子供がいないから、そこで人生が終わりでは無いから。これから先の長い時間、一生一緒にいようと決めた人と楽しい時間を生きる事は素晴らしいんじゃないかと。妊活をして夫婦の絆が深まったのでは無いか?と。我が家の場合は、
こんにちは先日不妊治療後について考える会に行って来たお話の、続きです。次は、特別養子縁組のお話でした。事情があって親と暮らせない子を実子として養子縁組する制度。新生児からある程度の年齢まで申込ができます。まず、里親希望として行政に申請し、研修を受ける行政の制度と、斡旋団体に登録する制度がありました。斡旋団体の方はだいたい45歳くらいで年齢が切られます。一応、超える人は要相談らしいですが。そして費用が100万ほど。生まれて7日目から一緒に暮らせます。
こんにちはさて、先日、これからのことを考える会に行って来ましたクリニックが主催されていて、不妊治療に行き詰まったり終わりを考えている人に向けた、これからを考えるお話会です。私達は夫婦で伺いました。お話の内容は、卵子提供特別養子縁組2人の暮らしについてでした。まず、卵子提供。アメリカと台湾でしているそうで、費用はざっと、アメリカで500万〜台湾で230万〜で、日本人もしくは、台湾人女性の卵子を提供してもらい、夫の精子で受精させ、胚盤胞移植する、と
2日にリセットしたんですが、タイトル通り妊活を終了することにしました。旦那さまと相談して3月までで終了することにしてたんですが。職場で使っているレセコンの入れ替えがあり、新しいソフトになるため、今以上に忙しくなることが予想されるんです。最後の妊活期間をストレスフルな状況で過ごしても、妊娠できるものもできないだろうと思い、繰り上げてこれで終了することにしました。娘ちゃんはやはり『赤ちゃんが来てくれないかなぁ…』と言うとこもあるしねねちゃんを膝掛けにくるんで抱っこしてみたり、そのままゆらゆ
実母への報告から遅れること数週間義両親へもついに報告。正確にいうと、義母へ。そして義母経由で(おそらく確実に)今現在は義父へも伝わっているはず。子供も夫も不在の、昼下がり落ち着いた空気感の義実家上の子は不在で、いるのは赤ちゃんだけなので、ある意味、絶好のタイミング、到来もちろん、夫婦で一緒に報告しよか、って聞いたけれど案の定「オレはいいよ・・・(で、マジで産まれんの?)」っておいおい、もう妊娠期間も折り返しだからってもういい加減諦めてくれ笑われたっていいんだじじいに間
長いこと空けてしまった。あっという間に安定期に入った。因みに、そこにいる赤ん坊は順調。お腹の子もまた順調帰省した際母に告げてみた。もう40も、とおに過ぎて、しかもつい最近一人産んでいるわけだからきょうだいがいて更に一人なんて想像だにしなかった様子。年寄りにとったら1年2年は”最近”だ心の動揺?驚きを努力して封印していたわけでは恐らくないけれど「驚いたわ~、まさかそういう話が来るとは思わなかった。おめでとう」って。きょうだいの子らに、ばぁば”こき”使われて、顔
その後…無事に経過し、次女チホが誕生しました。記録は残していましたが、そんなに身のある話もないかなと思ったので詳細は割愛します。さらにその後、あわよくば3人目もと考え、少しでも若いうちに(そう若くもないけど)とさらに採卵し、出産1年後から計4個の受精卵を得て全て移植しました。しかしいずれも陽性に至らず、タマゴがなくなった時点で妊活を終了しました。結果的に、今までの妊活中で見かけ上最も悪かった「CCタマゴ」で妊娠、出産。期待してない時ほど意外な結果が出るもんですね。もしタマゴのグレー
私は数年前体外授精したときに採卵し受精した卵ちゃんたちを移植しています。娘は新鮮胚で妊娠し出産しました。そのときの凍結卵が無くなったら妊活終了のつもりです。今回は分割胚を移植しました。2度の流産を繰り返し、今回の移植まで長かった…そう感じてます。ホントなら昨年で妊活終了のつもりでした。でも、昨年内に間に合わないとわかって、やめることは考えられず、それまで内服等で子宮の状態を整えてきたこともあったので、年明けの移植に挑みました。移植日、時間を指定されていたのでその時間前に受け付け、待
こんばんは、いとです。D13、通算3回目の排卵日でした。D11で既にLHサージが始まっていたようで、とにかく排卵していませんように!と願いながらクリニックへ向かいました。しかし、今朝体温が上がっていたんですよね…めちゃめちゃ嫌な予感を感じながら来院。今回は順番も最後の方で、ベッドの上で1時間以上待ちましたそしてついに順番がきて、エコーで確認したところ…あれ?全然黒い丸が見えない…そしてしぼんだ卵胞みたいなものが何個か見えましたやっぱり排卵済みで、しかも採れそうなものも無かったみ