平成5年学生時代の終わり、阪神大震災が起きる直前、6年春からは四回生で卒業後は出身地がある近畿地方へ戻り就職希望へと言う事でぼちぼちリクルート活動へ向けての準備がはじまったころ、当時実家となっていた大阪府内の豊中市と吹田市の境目にある千里ニュータウンに長期休暇となれば居候、隣が吹田市だったので休暇中定期的に小学校時代の友人と阪急関大前駅前にあるボーリング場のフタバボールに隣接する餃子の王将(今もあるかなあ…)の座敷を借り切り同窓会をしていてお酒の席で話していた事はと言えば、「大分から特急にちりん