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天真体道は祈りの武道です。誤解を招く言い方かもしれないですが、もうやはり間違いない事でもありますので、、、じゃあ何を祈るのか?って言えば、平和だったり、日々の幸せだったり、道の成就だったり、そういうことです。かつて、ご主人をガンで亡くした、作家の方が「祈りは届きませんでした」と書いていました。たしかに、祈りは届かなかったのかもしれません。その方もわかっている事なんだと思うのですが、「祈り」が自分の望む通りの結果を出すとは限りません。一生懸命祈っても、願い叶わず悲しみに暮れること
口はばったいですが、武道において大事なことは「愛」を知ることです。昔の友人が、これ聞いたら、「ああ、とうとう奴も。。。。」なんて言われるんでしょうね(笑)滝行とかやっちゃって、怪しい奴になった(笑)ああ結構だ!言ってくれ(笑)天真体道・創始者の青木師の事を知る人は「愛のカタマリの様な人」と表現します。オーラとかが見える人は常に愛を放射している、なんて言います。何でもかんでも、斜に構えて見る私のような人間には、その愛は届きにくいかもしれないですが(笑)まあその愛って何よ?て
戦後、いえもしかしたらずーっとわたし達は「勝つ」という事に縛られて来たのではないかと思います。生き残らなければならない。生き残る。それはある種「勝つ」事ですから、宿命なのかもしれないですが、そこにこだわると人生の全てが勝ち負けに支配されます。負ける事は悪であり、負ける事は自分にとっても他人にとっても許されない事になってゆく。身体は勝つために緊張し続け、緊張はやがて様々な精神的偏りと、そこから生じる肉体的不和を呼びます。みんなの回答を見るところで、天真体道の稽古では、負け切るという
天正道場では、11月10日、11日と合宿が開催されます。実技のテーマは「栄光」です。栄光は天真体道の極意技であり、羅針盤です。前回も書きましたが、栄光は「負け切る」と言うことが大きなポイントです。負ける事のないものは、栄光の世界に入ることは出来ないのかもしれません。天地に対して負け切った時、心身は澄み切り、正しく「廓然無聖」。カラリとして、大事な大事な「聖」も無い。あっけらかんとした世界が広がります。そこにはイノチのイノチが充満して、全てが抱擁される世界が広がります。人生で「勝
天真体道の大基本「栄光」ここには大きな学びがあります。一見真反対に見えることも、この技から学ぶことができるのです。天真体道大基本栄光アーの母音を発しながら天に伸び上がり、手を前方へと差し出しながら力の限り走ってゆく。全身全霊で宇宙の真理を求める姿を「型」として稽古します。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたの神を愛せよ」「おのれを愛するが如く隣人を愛せよ」というキリスト教精神を身体で表現した型でもあります。命名は聖書ダビデ詩篇からです。なんにせよ、天
さて、天正道場では2018年11月10日、11日と合宿が開催されます。場所は九十九里、普段の稽古も合宿に向けての稽古に入っています。ところで、皆さんは旅行などで宿泊の際、特に民宿などに泊まった際にお礼の言葉を言っているでしょうか?天真体道創始者の青木師は、何度となく合宿を行なっていますが、その度に宿泊宿へのお礼には本当に気を使っているそうです。世の中は、「お金を払っているのだから、サービスを受けるのは当たり前だ!」とばかりに、お礼のおの字も言わない人が多いのが現実です。金額以上のサー
「礼」と言うのはとても大事です。「礼が武の基本だ」そうおっしゃる偉い先生もいるくらい。礼をきちんとする人は用心深い礼をきちんとする人は呼吸が合っている礼という型を大事にしなければいけません。みんなの回答を見る「呼吸を合わせる」という事について、人を観察すると興味深い事に気がつきます。一般論というか、私が気づいた範囲では、男性より女性の方が圧倒的に呼吸を合わせるのが上手いですね。前にいる人とぴったり同じ呼吸をしてみてください、と言うと男性は途中で苦しくなってきてしまいます。女性は
天真体道は武道、しかも元々創始者の青木師は空手をしていましたので、組手があります。この組手、単に相手を倒す練習とかいうことだけじゃなくて、「自分の意思を伝える」ということでもあります。天真体道ではコミュニケーション自体を、組手と捉えています。もちろん恋愛もです。みんなの回答を見るある種の教育、道を伝える手段であり、学びです。かつて、半農半Xと言う言葉がもてはやされました。ブームのような波は落ち着いて、今は半農半Xを真面目に考える人が活動していますね。半農半Xとは、塩見直紀氏が1
「我々は徳を積まなければいけない」天真体道創始者の青木師は言います。徳に「陰徳を積む」ことが大事だと言います。武道、特に近代武道ではこの辺りが軽視されがちです。古来、武道家は武徳を積み、人格を円満にすることを要求されましたが。格闘技的になり試合偏重になると、センセーショナルなものがもてはやされてしまいます。「武道をやってむしろ君は弱くなれ」誰が言った言葉か忘れましたが、とても印象的です。「陰徳を積む」と言いますが、陰徳とは「人に知られないようにひそかにする善行。隠れた、よい行い
道の修行の過程には、世界と一体となったような感覚を得ることがあるといいます。みんなの回答を見るその辺りを詳しく書いた禅の指導書というか、道しるべに「十牛図」がありますが、これはとても勉強になります。一体となった、そういう事がわかったら次はどうするか?そこに「入廛垂手」という言葉がありますが、武道を稽古する人は、「入廛垂手」ということを、もっとしっかり考えていかないといけないと思います。「入廛垂手」は悟ったら、その悟りを持って市井で生きる。というくらいの意味です。武道自体は現代社会で
稽古をやっていて単に、喧嘩が強くなるっていうことの寂しさを感じます。単に腕力が強い、というのは人生という旅路を半分も楽しめないと思うのです。やはり、哲学があるのとないのとでは格段に違います。特に「いのちの哲学」みたいなものがあるのとないのとでは、格段に稽古の面白さが違います。天真体道の哲学を支えているのは「無」というか「空」というか、そういうものを更に包含するものです。そこに至る最高のメソッドが、大基本・天真五相、そして栄光です。みんなの回答を見る「人生は『栄光』だ!」天真体
天真体道は宇宙武道だ!なんていう事があります。これは間違い無いのですが、ちょっと間違えると、変なオカルトと一緒くたにされてしまうので、言い方に注意が必要だなぁと思います。身体を無視すると、そういう言い方がどんどん大げさになって、宇宙意識やら、カタカナの名前のなんちゃら天使やら、難しい漢字を並べたなんちゃら神や古代文字やら超古代の叡智やらが出てきます。みんなの回答を見るインターネットではよく、宇宙の真理を得た!とか、宇宙意識と繋がった!なんて言葉が、今だに踊りまくっていますね。で
道を求める人には「悟り」というのは、とても魅惑的な言葉です。ですが、悟らねばならないと他人から言われ始めると、急に色あせてきます。それは、人から与えられるものでも、強制されてたどり着けるものでもないからなのでしょう。天真体道では体を開く動作が多くありますが、これも自分の意思でやらないと辛くってしょうがないです。そして、驚くなかれ身体を緩める動作も自分の意思でやらないと、キツイのです。自分の意思でやるからこそ、癒しが起こるのですね。本当の癒し系は、とても深くて、魅惑の!「悟り」につ
稽古は何をどの様に言っても、自分で歩む世界です。自分で進んで、自得する世界です。みんなの回答を見る人生きつい事もありますから、いつも同じ様には稽古できません。身体がきつい事もあれば、メンタルがキツイ事だってあります。ところで禅の修行段階を示した、十牛図を見ると、社会との関係が出て来るのはかなり後の方です。また、神様がすくい上げるなんていう事も書いて無いです。ですが(ここから抹香臭いよ!笑笑)これは、救済、救いですね、の階梯を書いているとも言えるのです。でもね私達は、世俗に生きてま
稽古に没頭するっていうのは、凄く貴重な時間です。いろんな事を忘れて、自分自身になる時間です。忙しく生きている私たちが、本当の意味で自分を忘れる時間って1日の中でどのくらい取れるものなんでしょうね。これが自分だ!っていう枠組みが外れた時、本当の自分が見えてくると思います。没頭するって、素直でないとできません。そして素直になると、突きが通る様になります。みんなの回答を見る本当の自己、なんというか、永遠に変わる事なくあり続ける自己。そんな事言うと、なんだかおかしいって思うかもしれませ
ああ四年前はこういう事書いていたんですねぇ稽古の中で気づきって多くあってこうしてブログに書くおかげで、再認識できます。初心にかえるというかね。稽古をしていると気づきが起こります。これは、いろんな気づきがあります。日常に関する事、技に関する事、仕事に関する事いろいろです。稽古に全く関係ない事を「はっ」って気付いたりする事もあります。そう言う気づきは、ちょっとメモでもしておくと、後ですごく役に立ちます。奇妙に感じるかもしれないのですが、そういう気づきが起きないということは、稽古への
先日、とあるキッズクラブで体験稽古を開催させていただきました。小学1年生20人を中心に40人いやあ凄かった!楽しかった!やったのは、栄光、ジャンプ、黙想、これを組み合わせを変えながら、繰り返すんですね。子どもたちの黙想がだんだん深くなるのが嬉しかったー😃小さな子どもは自分の欲求に素直ですから、動きたい時には、動くし、やりたくない時にはやらないしで、こっちの言うことなんて聞くもんじゃありません(笑)これまで、教育と言われてきたものは、その「言うことなんて聞くはずのない存在」を強引に
稽古を続けていると、「あ!そっかー」と気づく瞬間があります。でも、その「あ!そっかー」は放っておくと消えてしまう事がよくあります。あれ、なんだったっけ?そう思っても、何に気づいたのかも覚えていなかったりする。「あ!そっかー」をキチンと自分のものとしていくと、まるで貯金が貯まる様に、自分の内側が豊かになっていきます。その豊かさに浸るというのではなくて、その豊かさをうまく使って生活をすると、さらに内面の豊かさが大きくなると思います。気づきをいかに掴まえておくか?それにはコツがありま
私たちは、何故稽古するのか?これ実は、意外ときちんとした答えが出ない問いです。特に稽古歴が長くなると、この辺りが曖昧になってきます。そして、だんだん「楽しいからやってる」とか「気持ち良いから」やってると表現することが多くなります。それ自体は悪くないのですが一番最初にあった、ほのかな求道心を否定することも多くなってくる人が多いですね。ああ!この道には何かあるのかもしれない。そうほのかに思ったことも、忘れたかのように振舞います。何故そうなってしまうのか。これは実に単純で、日々の稽古
天真体道では、稽古の感想を文章にする事を推奨しています。どうして?という理由は、一つではありません。その理由の一つに「言葉を磨く」というのがあります。言葉を精査する。と言っても良いかもしれません。論文を書きなれていたり、手紙を書きなれていたりすると、言葉に気を使うものですが、普通私たちは、言葉を正しく使うということは意識しません。釈迦が説いた八正道というのがあります。涅槃に至るための8つの実践徳目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことを指します。その中に正
演武会、楽しかったですねー!今だに演武会の余韻に浸ってます(笑)ところで舞台に立つというのは、凄く度胸がいります。「エイヤ!」って行かなきゃいけない。私なんて、気が小さいものだから、いつもドキドキしてますよ。そういう時に大事なのが、「一切捨」迷っていないで、飛び出すことです。「迷う」というのは悪くないのですが、悪くないだけです。良くはない、往々にして時間の無駄であることが多い。だから、迷いを捨てて、希望も捨てて、喜びも、悲しみも、思い出も、将来への希望も全て捨てて、スパーン!
演武会楽しかったですねー!まだ、演武会の余韻が残っていますね~。演武会もまた、私たちが道を歩む上で大事な、マイルストーンですね。去年より緊張した。去年よりここが進歩した。もっとここをこうした方がいい。いろんなことがわかります。十牛図というのがあります。禅の修行段階を示したものですが、それは①尋牛、②見跡、③見牛、④得牛、⑤牧牛、⑥騎牛帰家、⑦忘牛存人、⑧牛人倶忘、⑨返本還源、⑩入廛垂手、と続く。最終的には「市井に生きる人々と共に生きていく」というものです。演武会に参加する事、そ
9月19日は剣武天真流の演武会「大剣祓い」でした。みんな、一生懸命やってくれました!。天正道場からも大人、子ども合わせて12名での参加でした。いやあ、盛大な素人集団(笑)みんな初心者(笑)良いよねぇ・初心者って・何をしても緊張してる(笑)あんなに初々しい自分はどこに行ったのだろう(笑)そう自分を振り返りますが(笑)いつの間にやら、ずうずうしい大人に(笑)特にウチからは子どもが出るんです。それがかわいいんだ(去年と同じ事書いてる(笑))最初の子ども達の栄光(大)では、観客席で泣
過去は未来を語れません。しかし、未来は過去を振り返ることができます。私のように活動していると、親切な方がいろいろ教えてくれます。ですが、まず殆どが全て私が承知していることばかり。ありがたく教えてもらいますが、その視点のズレに驚きます。もう私はそこにいないんだけどねぇ言うなれば、風は過去から未来へ吹いて私たちを未来に運んでいるのです。声をあげても聞こえません。天真体道創始者の青木先生は標語として「若者は走れ、ただ前を向いて走れ」と言いましたが、まさにこの事なのでしょうね。過去は
天真体道の呼吸法では、「吸ってーー、吐いてーーー」と指示を出すことは少ないですね。インド発祥のヨガなどでは、何秒吸って、何秒吐いてと実に細かく決められている事が多いです。天真体道に始まって、日本の武道には呼吸法が付き物ですが、呼吸の長さ方法について細かな取り決めのあるメソッドは少ないものです。これは、日本という風土の場合、呼吸自体をコントロールするより、身体の形を整える事で呼吸を整える方がより効果的だったからでしょう。ごく単純な例では、腰を立てた場合と腰を引いた場合では呼吸が変わります。
そこでの学びの中で、いちばん大事なことは、やはり人を愛することなのである。愛情があってもそれを表現できないというのは愛が足りないからで、困っていたり苦しんでいる人々には、お母さんが子供に手を差し伸べるごとく、素直に手をさしのべればいい。ごく自然にできることである。また、苦しいこと、辛いこと、いやなことは、それを乗り越えることによって過去生の償いと修復をし、自己の霊性を高めるため神に与えられた課題だと思って、真正面から取り組んでいかなければならない。結局、辛苦は神からの愛にプレゼントだというこ
阿波おどりが始まった。「阿波おどり」?なんだかなあ。。ここは、阿波の国ではないよ(笑)在来の踊り、地元の踊りはないのかなあ。集客出来るから、という経済的な理由で別の土地の祭りが行われる。その踊りに、込められたいろんなものを無視して。本来、その土地ごとに祭りがあって、土地ごとに祭りが違うのが当たり前。その土地の人の身体感覚で練り上げられた祭りが、その土地には合うんじゃないかと思います。ある土地の民を弱体化させるのに一番効率的なのは、その土地の神を奪うこと。近代日本がやったのは、
✲•*´¨`*•.¸¸.✲*•.¸¸☆•*´¨`*•.¸¸「栄光」においては光やアガペーを、「天真五相」では絶対無を、そのままからだで感じとってしまうわけです。これが武道家のものの考え方であり、追求の仕方です。体技をやる人間はこのようにからだの言葉を使うわけです。「新体道ー智慧をひらく身体技法」青木宏之春秋社p64✲•*´¨`*•.¸¸.✲*•.¸¸☆•*´¨`*•.¸¸たまには、直接稽古に関係のあることを、書かないといけませんね(笑)金曜日には、月に二回ですが整体のクラス
無というのは日常生活でとても大事な、邪心のない状態です。早くそこに到達して、そこから人生が始まると、とてもいいと思うのです。「からだは宇宙のメッセージ」青木宏之地湧社p31✲•*´¨`*•.¸¸.✲*•.¸¸☆•*´¨`*•.¸¸運を良くするには、無心にするべき事をして、その上で「感謝、感性、感動」の3つを大切にすることが大事だと、よく言われます。ようやく(笑)最近「そうだなあ」と思うことができるようになって来ました(遅いですねぇ)確かにね、毎日毎日、感謝、感動していたら、そり
現代の人は、これら体からのメッセージを受け取れなくなってしまっている。別の言葉でいうと、身体感覚をなくしてしまっている。「運をつかむ瞑想法」青木宏之青春出版社p30✲•*´¨`*•.¸¸.✲*•.¸¸☆•*´¨`*•.¸¸なんかね、満員電車に乗ってるとよくわかりますね。自分の体をどこかに置きわすれた人の多いこと、多いこと。以前もご紹介したと思いますが、スティーブ・カッツの作品は現代をよく表現してると思います。https://youtu.be/VASywEuqFd8世界はバーチ