続きまして、大稲荷神社です。歩いて1分です。隣です。ここは後北条時代に修験者によって修験堂を建立された仏堂が起源で、田中稲荷と称していましたが、貞享3年(1686)大久保忠朝公が小田原に帰藩が許されその子の忠増公の時、家臣清水氏の息女並びに側近内柴氏に御神託があり、その御告に従い小田原城の鬼門除稲荷として再興した後、忠増公は老中執政職に昇進しました。その御神徳の崇高拡大にしてそのあらたかさに恐懼感激し、宝永3年(1706)忠増公により現在地に遷座されて、谷津村、竹の花町、須藤町、大工町の鎮守とし