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こんばんは。母も参加。スナックで楽しんでます。私の自慢の父。。若いでしょ?75歳だよ。私の大好きな父です❤️^^
昨日は父の命日でした。亡くなって4年早いですね〜未だに私の前には表れていてくれません。夢にさえも出てきてくれないです。前に聞いたことがあります亡くなった人が表れないのは心配していないから、、、安心しているから。とホントかな??なら、今後も心配掛けないようにしないとね。生きてるときはうるさいことばかり言われ、嫌気がさして家を出たのに年を取り病室のベッドに座っていた父の後ろ姿の小ささを今でも思い出し涙します。自分も年を取り順番にそうなるんでしょうね。大好きな
今日は親父の命日。自分が産まれて、1ヶ月過ぎに親父と洒水の滝で撮影した写真。この時を見ると、少し自分に似てるかもと思う。仕事は機械の設計。よく図面を書いていたな。数学、英語も堪能。多趣味で作る事が好きだった。油絵や、木彫りの野鳥、ボトルシップ、クラッシックカーをペーパークラフトで作ったり。そして、家族を大切にしてくれ、いつもダジャレで笑わしてくれた。65歳で大腸がん、食道がん、最後は脳腫瘍で、70歳と言う年齢でこの世を去っていった。この世で一番尊敬している人。天
✳️Instagramより6月に肺炎で入院していた実家の父👴が退院しました✨️今年4月に入居した施設、福岡県は篠栗町にある、特別養護老人ホーム「つくも苑」に無事戻れてホッとしています✨篠栗町のお山の上にある、緑豊かな老人ホームにまた帰って来れました。こちらのホームは完全個室で、家具の配置も家にいる時とそっくりに工夫して頂いているのです😊病院スタッフの皆さまは本当によくして下さったけど、入院中はずっと寝たきりだったしどうしても病人病人してしまい、生きる力が弱まる気がし
うつ病への入り口!最初のきっかけは・・ーーー自分が「うつ病」になるなんて・・ーーー▼幼少時~小学校小さい頃から親の愛情を十分に受け何の不自由もなくスクスクと育った私おてんば、運動好き、面白い子誰に聞いてもそんなイメージを持つ明るい少女でした。▼中学校~高校学生時代も怖い物知らずどんな事もやってみたい好奇心は健在で親も少々手を焼くようなそんな学生時代を過ごしました。ーーー▼20代前半人生初めての挫折は大好きだった人との別れ人生初めての「
大人の発達障がいなっチャンネルなっちゃん(発達障害)と家族のほのぼの日常母っちがブログはじめました❗ブログ→https://ameblo.jp/nacchannel125知的障害のある21歳女子のルーティン😊【なっちの性格】母っちと姉っちの分析(笑)普段との違いを受け入れるのは簡単じゃないけど、入ってしまえばルールはきちんと守る。挨拶は必ずする。姉っちいわく挨拶…youtube.com最後のおこづかい父はパチンコで勝てば余った小銭を次女にくれました次女はそのお金を貯金箱へ入れます
あっという間に終わる。大好きな父のお墓参りに行った。生きてたら69歳。同じくらいの年齢の男性を見ては父はどんな69歳だったのかなぁって思う。きっと変わらず大好きな釣りをして好きなお酒を仲間と呑みながらワイワイしてるんだろうなぁ〜願いがもし叶うならもう一度逢いたいな。
おはようございます😃昨夜は花火大会色々な場所で開催されてました。数年ぶりの花火大会に道路やあちらこちら花火会場ではいつもと違う空気(^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆我が家も19時過ぎから花火の爆音が(0゚・∀・)wktk慌てて窓にかけより大輪の花火が🎇家が響く凄い音ドカーン数年前の花火大会の日に亡くなったので父のこと思い出してしまうけど花火🎇が大好きな父のことだから、どこかで見てるかな?9日水曜日我孫子アビックオーレTIILAカウンセリングルームにて鑑定の日です。素敵出会い素敵
大好きだった父が、亡くなったのは、7月23日仕事が忙しく、疲れていたようで、その日、夜の会議に出席するため、家を出るとき、「明日は、休むかなぁ」と言って、クルマに乗り込みました仕事を休むなんて、言ったことがなかった真面目な父でしたそして、夜9時頃、職場から電話が一人で1階に降りて、戻ってこないので、見にいったら、1階で、倒れていたと・・・母と姉と私、急いで駆けつけた意識は、戻らないまま、翌明け方息を引き取りました最後に大きく息を吸い込んで・・それが最期でした人間、生まれ
こんにちは我が家のアイドルライラック色のセキセイインコぽーちゃん🐦6月24日午前5時30分頃大好きな父の手の中で8歳と3ヶ月の生涯を終え虹の橋を渡りました取り急ぎご報告まで落ち着いたらまたここにご挨拶に伺いますmiKKo
ブログご訪問ありがとうございます。夫・娘・孫コト(3歳)4人家族のコトコトです。育児・副業・介護体験・お得情報ついでにちょっぴり愚痴こんなことを発信しています。よろしくお願いします♪毎月22日になると、実父を思い出します。もう、父が亡くなってから10年以上たっているのに。通勤途中に大きな杉の木があります。徒歩10分の職場だけれど、毎朝杉の木のてっぺんに向かって「父さん・まるちゃん・アポちゃん・母さんおはよう!」私より先に逝ってしまっ
私の父はもう他界しています。大好きな父でした💓♥️❤️父に感謝です。父の若い頃。私は幼い頃、父に似てるねとよく言われたけど、歳をとってきたら母に似てきたようです。元気な頃はよくランチに行ったりして。すねかじりでした😝よく目黒雅叙園でランチしました。従兄弟の結婚式で妹と撮った写真。晩年、前立腺肥大症の手術のために我が家で過ごしたころ。2ワンがいて楽しかったね。父は元気で最後まで歩いて自分のことはできてました。心不全でポックリでした。私も父みたいに逝きたいな。夫の父は晩年我が家で一
今日は「父の日」でしたね。カラオケ、将棋、囲碁が好きで、いつもニコニコ笑顔で優しい父でした。怒られたり親子喧嘩した記憶はありません。老後も夫婦仲良く、孫と一緒に暮らすことができ幸せな人生だったと思います。子育てではいろいろ心配かけたけど、孫たちも無事就職して独り立ちしたのを見届け、安心して旅立つことができたでしょう。最後まで家族に迷惑をかけず、93歳大往生でした。これからも、ずっと見守っていてね。パパ大好き先週、母と出かけた日に大雨に降られ、お昼の時間には少し早かったけど、開
今年の2月私の父は天国へ旅立ちました大好きだった父なのでまだ、どこかに居るような気がします誤嚥性肺炎で昨年11月に入院し、コロナ禍で面会が出来なく、12月に面会へ行った時は、もう、話すことすら出来なかった最後に呼ばれた時は、ドラマのように、モニターがツーとなって、医師が、日時を言って、ご臨終ですと、、、🙏現実なんだその後のドタバタで記憶はこんなものです大好きなお父さんへ5才の時にが描いた絵神様がいて、家族がみんな笑っていて、いい絵だなぁと思って
久しぶりの投稿になりますよろしくお願いします。昨年末、最愛の父が他界しました。父が亡くなってから私は「どれだけ父のことが大好きだったか」を改めて知りました。会いたくて会いたくてでもどんなにそう思ってももう父はいなくて…🍃🍃🍃自分の時間ばかり優先して「もっとゆっくりしていけばいいのに」と言ってくれた父に「また来るね!」と言って早々に帰ってしまったことが何度もありましただってまだ父がずっ
先日、息子誕生日を迎えました恒例の0時ピッタリのLINEぶうちゃんに先越された悔しいーすぐ既読がつきました。ゆーきち、待ってたのね…笑あれ?32歳じゃなかったっけ?たぶん32歳で合ってる!(我が子の年もうろ覚え…笑)社会人10年目かぁ。早いなー息子の会社って入社してから何年っていうのを「〇年生」っていいます。「今年入った1年生が~」「3年生の子に~…」それがすごくおかしくって。いつまでその呼び方するの?さすがに10年超え
こんにちはファッションであなたのマインドも変えるパーソナルスタイリスト筒井智代です5日ぶりの更新になります5月25日の朝大好きな父が永眠しました82歳でした年齢的にいつどうなっても仕方ないと覚悟はしていましたが急だったのでいざそうなると気持ちがついていきません病院からお通夜、葬儀バタバタとすぎていく時間の中でそばにいる父の顔を見にいくと涙がでてきてとまらなくなる涙ってこんなにも出るんだね3日間涙をガマンしないで泣いていたら声が枯れてしまいました喪主のあいさつ
2023年5月1日(月)ご訪問ありがとうございますアラフォー母ちゃんです7歳長男、4歳長女、0歳次女、ダイエット中の旦那(92キロ→77キロ4月現在)、近場だと必ず知り合いに会う地元の有名人のババと6人で賑やかに暮らしていますフォロー、いいね嬉しいですコメントも出来る限りお返事しますので、お気軽にどうぞウタちゃんチビもいるので、習い事の待ち時間とか兄妹で時間がズレた用事とかの時、カラオケに拠点をもちながら、過ごすことがあるのですがまぁ、うちの子達はカラオケ大好きで、時
心をパステルで描いてみようよ♪greenwindyuyaゆ~やです昨日は、脳外科と精神科の定期受診日でした父の亡くなった日の空前回受診から昨日までの間に父の入院~亡くなり、葬儀・・・色々ありました脳外科の先生も私の顔を見て「疲れちゃったね」とお声掛け下さり精神科の先生からも「○○さんが思ってるより疲れていますよ」そうでしょうか?「自覚されていないかもしれないけれど疲れているんですよ、絶対疲れてます」そうなんですね・・・「そうです、だか
みなさん、こんにちは(^^)オンエアになりました「SHOW激!今夜もドル箱」まさか、自分がパチンコの番組に出させていただける日が来るなんて…夢にも思っていませんでした(*☻-☻*)しかもMCは大好きな純烈さんがなさっているので尚更嬉しくて、ものすごく楽しみで(≧∀≦)実際に台を打って、テレビで観ていた感じだぁ〜と感激しながら…結果は……(๑˃̵ᴗ˂̵)ともかく(笑)チャンスが二度到来しましたが。。。残念‼︎でも白川さん、後上さん、天野麻菜先生と一緒に最高に楽しい時間を過ごさせて
2023年4月23日(日)ご訪問ありがとうございますアラフォー母ちゃんです7歳長男、4歳長女、0歳次女、ダイエット中の旦那(92キロ→77キロ4月現在)、近場だと必ず知り合いに会う地元の有名人のババと6人で賑やかに暮らしていますフォロー、いいね嬉しいですコメントも出来る限りお返事しますので、お気軽にどうぞブログ更新約2年前から、癌の闘病中だった父。安らかに息を引き取りました。悲しみの中、お通夜、葬儀、娘として、母と兄とともにしっかり送り出しができたと思いますまだ心
霊園の桜枝垂れ桜は五分咲き位です週末には満開になりそうです雨が降ってなければ🏍で週末に行く事にします
9月7日(水)父の手術の日。その日は朝から待機するため、母と2人で朝から病院まで来ていた。最初母が病室に入っていたが、先生が説明に来て母では話が分からず戻ってきたので、交代して病室に入った。先生の説明が終わり自由時間となったら、父は母の顔を見に行くと言って病室を出て2人で廊下を歩いた。しかしあと数歩で病棟の出口(透明ガラスドアなので母の姿が見える)まで来るところで看護師に捕まり、口腔ケアのために連れていかれた。私が「ちょっと母の顔をみるだけ」と口を挟めば少しくらい待ってもらえると頭を
バンドを初めて13年。かねてから準備を進めていたオリジナル曲の映像を4曲、YouTubeチャンネルにUPしました。その中の「アネモネ」は亡き父に贈った曲。父が亡くなり、手続きのための書類を取りに井の頭線で吉祥寺に向かったとき、全ての景色が一色に見えました。吉祥寺の街に降り立つと、父との思い出が溢れ出ました。「命日」というものが受け入れられず、父のことを思って祈る日は、父の「誕生日」だけにしようと思いました。そこに飾るのは、父の誕生日の頃に咲き乱れる「アネモネ」の花で
今年はお金にも働いてもらおうと思う。なので今年最強の開運日には父と投資や株の話をしたかった。今までもこういう話はまぁまぁしてきましたが今回のように最強の開運日に重なるなんて初めてのこと。サクラ咲くなか、穏やかな父の表情が嬉しかった。お父さん元気でいてね。
翌日。手術の詳細を家族に説明するからと、朝8時から呼ばれた。実家から2時間かかるため、私たちは5時半に家を出て病院に向かった。先生の説明を聞いたあと、父の病室を訪ねた。1Fのタリーズで買ったコーヒーを差し入れるとものすごく喜ばれた。なんと父は、病院の夕食で出た一杯のお茶だけで一晩過ごしており水分を取っていなかった。看護師さんに頼めば売店で何でも買ってきてもらえると聞いていたし、お金も持っていたのに、わざわざ呼びつけて頼むのが悪いと思ったらしい。私と母は憤慨しながら大量のペットボトルを
父の手術に合わせて、会社に休みをもらった。有給が足りなくて無給の介護休暇の申請をすることになった。職場の現場や人事や、あちこちに相談して手続きをした。開胸はしても入院は2週間ほどで帰宅できるという話だったので、手術の週と、退院予定の日後1週間、あわせて2週間休む予定だった。入院前、父はやたらと外食したがった。私の運転で、父母を乗せて父の好きなお寿司やさんへ行ったり、ファミレスにも行った。入院の朝はコメダに行った。父はコメダのモーニングが好きだった。美味しいと満足そうに笑っている姿
父の手術は9月に決まった。父は涼しくなってからと思っていたらしく早いと文句を言っていた。しかし動脈瘤が肥大化するスピードが速いらしく医師も早めの手術を勧め、私と母も早く手術を受けて欲しくてやきもきしていた。その間も診察は続き、2週に1回、私は休みを取って父に付き添い続けた。勤務先の都会と田舎を片道4時間かけて往復し、仕事終わりの夜の高速で途中のSAで仮眠を取りながら移動した。例年より暑さがきつく、かなりバテていた。精密検査をすると父の動脈瘤が更に進行していて、当初予定の手術では対応で
父のこと。記憶と気持ちを書きなぐったものを置いておきます。なかなか、書ける精神状態にならなくて半年経ちました。------------実家は田舎県で、私は離れた都会で会社員をしていた。実家までは高速道路を使って片道4時間。父は、心臓のすぐそばの血管に動脈瘤が出来ていた。瘤が大きくなるスピードが速く、破裂の危険があるからと手術を勧められた。父は、破裂するならそれが自然の成り行きだから自然に死にたいという。なにしろ本人に自覚症状はなく、痛くも苦しくもないため、毎日普通に歩き回り、家
2023年を迎え、あっという間に3月🌸今年1月人生最大の悲しい出来事がありました。大好きだった父が亡くなり、昨日、無事に四十九日の法要を終えました。先日夢の中に出てきた父は、実家のリビングテーブルに座り、新聞を読んでいました。最後ガリガリに痩せ細ってしまった父とは違って、ふっくらした父でした。何気ない日常のひとコマでしたが、今となっては、何気ない日常がどれだけ幸せなことだったか…改めて実感しています。大して親孝行も出来ず、いくつかの後悔もあります。これからは残された母を支え、