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関東遠征、ミュージアムめぐりの第2弾は…横浜市だ!弥生博のカイトとリュウさんの冊子でも紹介されていた「横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡」へ行ってきたぞ。http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/manga_blog/isk/index.html↑弥生博の冊子は、上のリンク先から「その4」を見てくれ!遺跡の紹介は後からするとして、まずは博物館へ。しおんじやま古墳もそうだが、この時期は歴史学習の学校見学が多いってことで
横浜市歴史博物館で8日月曜日まで企画展“群集する古墳”が開催知れています。実は横浜市内を含めて神奈川県全域が古代から歴史的に重要な場所で、多くの古墳や遺跡が発掘されており、古代の豪族の王達が身に付けた鉄剣や甲冑や勾玉が古い神社仏閣の史跡から出土し保存されている事を知らない人が移民だらけの横浜市民には多くいます。今回の企画展は展示数も非常に多く、又、比々多神社や森浅間神社等始め古代から存続する聖地や源頼朝公等の教養高い武士によって保護された神社仏閣の境内地からの出土品を纏めて切る事が出来る貴重
昨日は、かにチャーハン爆食後、ブルーラインに乗ってセンター北駅へ移動横浜市歴史博物館に行ってきました昨日より明日迄の3日間、入館料が無料3万年にわたる横浜に生きた人々の生活の歴史をテーマに、原始から近現代までの展示物を見学することができます各展示に解説シートが置いていたり、映像や劇場コーナーがあったりと充実できました時間がなくて見れなかったが、隣接する公園では大塚遺跡も見ることができます歴史博物館の後は温泉へ♨私的にはお湯が熱かった
みなさまこんにちは(^-^)kukoです今日も雨…急に寒くなりましたが体調崩されてませんか?こんな時はあったかい食材で身体ケアしたいですね♪ウチは先日ハーブ教室で作った『ジンジャーコーディアル』の残り生姜を使ったりしてみてますさて「髪にまつわるお話」の途中なのですが…昨日横浜センター北「大塚・歳勝土遺跡公園」で開催されている『遺跡オーガニックマルシェ2017』に行ってみたのでそちらのお話を先にしようかなと。。(本当は昨日のうちに書こうと思ってたのに遅くなってしまった
皆様こんばんは〜最低気温20.0℃最高気温28.2℃最小湿度58%昨日上野動物園の赤ちゃんパンダのお名前が決まりましたシャンシャンですわたくしのお名前と似ております((o(^∇^)o))わたくしも応募致しましたが残念です残りませんでしたシャンシャンにすれば良かったと思いましたひと月ぶりbelle様とお目にかかることが出来ました慶応大学でランチをいただきそのあとbelle様のお教室のありますセンター北へ参りました大学
歳勝土遺跡の方形周溝墓は、多数発見されているものの、大塚環濠集落の住居跡と同様、保存の為にそのほとんどが埋め戻された。そんな歳勝土遺跡、やはり大塚遺跡と同様、埋め戻された所は縁石でその位置が示されている。方形周溝墓の大きさは、皆ほぼ同じ。実測図を見る限り、森の奥には、まだまだ多くの方形周溝墓が埋もれていると思われる。復元されている方形周溝墓を斜めから見ると、周溝の存在がよく解る。以上、貴重な弥生時代の遺跡、大塚・歳勝土遺跡からの報告を終わる!
歳勝土遺跡の復元方形周溝墓の中には、内部の埋葬設備まで復元されている所が在る。方形周溝墓の中心部には、木棺。こちらは、発掘調査時の写真。↓実際に発見された方形周溝墓は保存の為に埋め戻され、その真上に復元方形周溝墓。↓
歳勝土遺跡で発見された方形周溝墓は保存の為に埋め戻されているのだが、その真上に復元墳墓が5基、造られている。大塚環濠集落の人々の為の墓地という事で、かなり多くの方形周溝墓が存在していたという。弥生時代特有の方形周溝墓は、ほぼ正方形の墳墓の中央に遺体が埋葬され、正方形のすぐ外側を囲うように溝が掘られている。西側の3基。↓方形周溝墓の断面図。↓
大塚環濠集落跡に隣接するのは、歳勝土遺跡。歳勝土遺跡は、所謂、『墓地』!弥生時代特有の、“方形周溝墓”が多数発見されている。大塚環濠集落で暮らしていた人々の墓地と考えられている。一見、何もない野原のようだが、僅かながらの盛り土らしき物が複数在るのが判るだろうか?あれが復元墓地である。それでは、墓地内へ!
大塚環濠集落。こちらは中型住居。Y-74号住居。復元住居内部には、これまた弥生式土器の復元模型。以上が大塚環濠集落内の復元住居なのだが、実は発掘調査時に発見された住居跡は、まだまだ存在する。復元住居が建てられているのは、ほんの一部で、大半は埋め戻されたという。ただ、その住居跡には、縁石を並べて場所が解るようにしてある。↓大塚環濠集落内には、この住居跡を示す縁石が多数存在し、この集落の発展ぶりが伺い知れる。次は、隣接する“歳
大塚環濠集落。こちらもまた、大型住居。Y-71号住居。大塚環濠集落内でも、かなり奥の方。なかなかの広さ。隅の方には、弥生式土器の復元模型が在る。Y-71号住居のすぐ裏手の環濠。↓
大塚遺跡内。こちらは、リフォーム?の跡が見られる住居跡。Y-68号住居。小型住居を大型住居に拡張・建て替えたようである。復元住居の中は、かなり広い。こちらは、Y-68号住居の背後の環濠。↓
こちらは…大塚環濠集落の中でも、おそらく最大の竪穴式住居。Y-80号住居。ムラ長の住居だった可能性が指摘されている。太陽光が逆光となる時間だった為に、内部はフラッシュを使っても見辛かった。
大塚環濠集落。次は、こちら。高床式倉庫。大塚環濠集落内は、大きく分けると3箇所の住居群が在ったようで、それぞれの住居群に付随するように、高床式倉庫跡と思われる柱跡も3箇所発見されたという。推定復元倉庫は、高さ3.7m程。奥行きは6m程。床下の柱には、ネズミ返しと呼ばれる板が取り付けられている。
大塚・歳勝土遺跡の大塚環濠集落。次はこちら。Y-11住居。大塚環濠集落の中では大型の住居。ここでは、6人程度が寝食を共にしていた可能性があるとか。床面の中央の窪みは、『炉』跡か?
横浜市北部、横浜市営地下鉄(ブルー&グリーンライン)の“センター南”駅近くの茅ヶ崎城址から少し足を延ばし、“センター北”駅近辺へ北上すると…整備された遺跡公園が。発掘当時の写真等…出土品の写真も。ここは、大塚・歳勝土(おおつか・さいかちど)遺跡。中に入ると、周囲より若干高い所に木柵が見えてくる。入口には、小さな橋。橋の下に在る溝が、遺跡の周囲を完全に囲っている。約2000年前、弥生時代中期の“環濠集落”(かんごうしゅうらく)だ。集落周りの環濠は、600m程。住居跡