ブログ記事107件
4巻より第5巻の副題は「ギンノクニ」。ギンは、涙で世界が崩壊してゆく時の色。あるいは、介錯に際し、振り上げられ天を斬った一閃の煌めき。【壊れたままの閂】「ねぇ、護良さま。何度か言ったけれど、ここから逃げましょう」瞬時に彼の顔から、笑みが外れるのを見る。「閂が壊れているのよ。お願いだから逃げましょう」彼が首を縦に振れば、簡単に逃げ出せる。そのことは、ここに来てすぐに気づいた。恐らく直義様も知っていると思うのに、閂を直そうともしないし、彼を別の場所に移すわけでもなく、
鎌倉散歩続きましては悲劇の親王の悲話が残る、こちらの神社さんです。あら♪もっと…なんていうか、おどろおどろしい雰囲気かと思いきや、頼朝の墓同様と〜っても良い雰囲気ではございませんか!ご一緒したかんさん、南天さんも同じものを感じていらっしゃったようです(^^)『鎌倉宮』ご祭神護良親王(大塔宮)後醍醐天皇の皇子である護良親王(もりながしんのう)は幼少より英明で、11歳の時に比叡山延暦寺に入室、尊雲法親王と呼ばれ天台座主となります。父帝の後醍醐天皇は、鎌倉幕府の専横な政治を憂い討幕を
スピリチュアルな集いの場で2年ぶりに再会したジョルジュに、チャンちゃんの身の上に起こったライフイベントの数々を話したら、この本が存在することを教えてくれた。ジョルジュは梅谷百さんのことを良く知っていて、本書の内容のほんの一部を話してもらっただけで、チャンちゃんはドッキュ~ンと撃たれてしまい、闇雲に思考が散乱してしまう日々を数日間過ごしていた。1巻から5巻まで(6巻は番外編)を読み終え、漸く、この読書記録を書く気になったところ。とはいえ、一体全体、どのチャンちゃんでこの読書記録を書くべきなのか・
小室浅間神社(富士吉田市)から【石舩神社】35号線(四日市場上野原線)沿いにあります。石舩神社に保管されているのは、大塔宮護良親王の首級であると書かれています。次の雛鶴神社(都留市朝日曽雌)へ
大塔宮と雛鶴姫に関わる4つの神社を巡る旅。大塔宮護良親王は、後醍醐天皇の第3子(文献によっては第1子)と言われる皇子。また、「護良」は、文献によって「もりなが」とも「もりよし」とも表記されている。雛鶴姫は、大塔宮の妃(正室)。雛鶴姫は、鎌倉二階堂の土牢(現在の鎌倉宮)で斬首されてしまった大塔宮の首を持って、都へ向かう途中、山梨県内で亡くなってしまったらしい。『太平記』の時代を生きた二人の愛の物語は、前世の記憶を持つ著者の手によって、『キミノ名ヲ』梅谷
天河に向かう途中に残留思念について話をする天皇社平城宮こんな来ていてもしかとを決め込んでいるkyokoあははは今やっとネットでお勉強してみましたなるほどね天河弁財天様へひんやりとした空気K介もこれは日影だからご神域だからか?と聞くくらいそもそもリサーチをしないのは先入観が入ると行けなかったりするからKちゃんがkyokoちゃんいったことないの?と言った天河こちらでKすけに鈴を頂こうとしたのだけど形は五十鈴がkyoko自身が欲しかったけど社務
こんにちは😃歩くの大好きちょこっとです富士山下宮小室浅間神社ふじさんしもみやおむろせんげんじんじゃ駐車場の隣に可愛い馬がいました例大祭流鏑馬祭りで活躍する馬名前はシロ坂上田村麻呂が東征の折富士山に戦捷を祈願し大勝をおさめたその後出世もしそのお礼に草創した古くは「宮」と呼ばれていた今は「下宮さん」と呼ばれている二の鳥居御祭神木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)手水舎富士山の上から龍が聖水を出している様に見えます大塔宮
湊川神社の例祭に楠公末裔として参列いたしました。延元元年5月25日、大楠公は足利の大軍とここ湊川にて激突、約7時間にも及ぶ激戦の末、神社境内北西辺りで弟・正季と刺し違え自刃しました。本日は、5月25日を新暦に改めた日にあたり、大楠公の遺徳を忍び毎年盛大な神事が斎行されます。神社の4大大祭の一つとされ、私どももとても重んじている神事です。この日は、全国神社からも多くの祝辞をいただき、厳かな祭となります。神事後の直会では、日頃より懇意にさせていただおります兵庫県議会議員の和田有一郎様もご参
こんばんは、春希です。歴史ネタです。ちょっと前から、後醍醐天皇のまつわる場所や、大塔宮護良親王の絡みの所に偶然行ったりする事が多いです。ここ数日は、鎌倉幕府の最後の将軍北条高時が亡くなった「腹切りやぐら」が気になって前に行った時の写真をずっと探していたんですが先程やっと見つかりました。いつ滅亡したのかなと調べたら昨日命日だったみたいですね。呼ばれたかな(;^ω^)最近、このパターン多いです。この奥にやぐらがあります。鶴岡八幡宮から南東徒歩15分くらい。北条一族80
『杉本寺』での浄化も終わり今度は予定外の場所へ・・・⬆️『鎌倉宮』塗り直したばかりの白い鳥居が、純白で本当に綺麗でした(^_^)『杉本寺』から徒歩で15分ほどの距離だったので、歩いて行きましたここは、ブロ友のなるみさんが最近お志事した場所だったので、今回はスルーする予定でした(>_<")その時の『なるみさんのブログ』は、こちらです(^-^)/⬆️青葉が綺麗な季節ですね♪さて事の発端は・・・今回の鎌倉は、狐さんたちの復活と鎌倉浄化が大本命!!それでも直義の墓参りは、少し
新しき元号[令和]になって2日目は、立春から数えて88番目のなんと、八十八夜…ある方たちを、富士山の某所にご案内することに。88は、フジの数霊でもあるし、『れいわ』は『◯1∞』とも感知されるので、なんとも素晴らしき約束の日…ご案内するのは、横浜からいらした◯◯丸さん、という変わった苗字の姉弟とウィーンからいらしたオーストリア人のYさんの3名。そもそも、今年の3月17日に横浜の彼女のお宅にお邪魔しておしゃべりしたとき、ふと、彼女の変わった名前について由来を質問してみた
昨日は、とある場所にてGW明けに行われる高校生相手の防災ワークショップを行うための講習会へ行って来ました。わたしは昨年と同じ『水』の担当。一日に人間か必要な水の量はなんと、2L、3日間水を飲まないと死ぬ!だから、タイムリミットが72時間なのですね。身近にあるもので、飲める水にするための『濾過器』を、作る、というワークショップ。リーダーのT美ちゃんが用意してくれたこのは、五つのコップ。その中に、濾過器を通せば飲めるようになる水が一つ。実は、一番左の泥水以外は灯油や洗
一昨日は満月でしたが、なかなかパワフルな満月だったようで、一昨日の夜は瞑想してみようかと思ったのですが、PTAの打ち合わせで疲れ果てて、寝落ちしてしまいました(-.-)Zzz・・・・昨日は夫が休みだったので、公園に出かけたり日帰り温泉に行ったりしたのですが、その時にふと、ぱよこさんのインナーマリアージュリーディングで鹿が出てきたことを思い出しました。鹿といえば、奈良育ちの私からすると犬猫の次に身近な動物なのですが、私とご縁が深い春日大社や香取神宮は御眷族が鹿だということを思い出しました!!(
寺社No.2844御朱印No.2464鎌倉宮神奈川県鎌倉市建武中興十五社2012年6月15日
去年は、河内音頭の台本として「新説楠木正成伝」を書き上げました。楠公さんのゆかりの地である様々の地へ足を運びました。そして、最後にまさか大塔宮護良親王の所縁の地である大塔にたどり着きました。そこで見たとんど焼きは素晴らしく、炎の力というものを感じました。楠公伝を書き上げたご褒美に楠木正成公が、与えてくださったご縁だという気持ちになりました。
今日の湘南🌴🌊✨は、朝から『晴れ☀️』🔍現在、江ノ電・湘南海岸公園駅🚉を出て鎌倉へと向かっております🚃※鎌倉宮(大塔宮)の寒紅梅🌸、キレイでした(*^^*)💓まもなく、『江ノ島駅🚉』🔍みなさん、今日も一日それぞれに自分らしさを活かし、共に自分らしく頑張りましょうね(*^-^*)✨行ってまいります(^-^)⛵※ご予約・お問い合わせは、①『LINE』②『メール』③『SMS』④『お電話』にて承っております。🍀下記のページよりご確認下さい🍀http://hakuryu
ブログの内容が行ったり来たり😅10月の鎌倉詣りの続きです。鎌倉市鎌倉宮紅白の鳥居大分奥に拝殿が見えますここも紅白の鳥居だ主祭神大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)後醍醐天皇の皇子拝殿に壁がない❗こういう造りを何と言うのでしょうか?勉強不足で分かりません😞摂社村上社前の「身代りさま」吉野城落城の時に親王の身代りになり亡くなった村上彦四郎義光の木像親王が幽閉されていた土牢などが残っていて見学もできます宝物殿には鹿の剥製や獅子頭前は獅子頭は拝殿内に
久々の関東の狛犬めぐり♪紅葉狩りも兼ねて山梨県の雛鶴神社に参拝🍁雛鶴神社は前々から参拝したかった神社のひとつなのです。平成元年に再建されたみたい。平成最後の年に参拝出来て良かった。こちらが雛鶴姫の像雛鶴姫は私が歴史上好きな人物の双璧のひとり、大塔宮護良親王の寵妃でした。Wikipedia雛鶴神社に紹介されています。いざ参拝…の前に狛犬さんチェック。………阿吽逆置きの岡崎さんだ。吽形ちび狛阿形平成元年奉献岡崎さんのため、多くは語らず。こちらは参拝することが第一の目
建武中興十五社の一つである鎌倉宮へ参拝。小岩宮司様にご挨拶に上がらせていただきました。鎌倉宮は、後醍醐帝の皇子・大塔宮護良親王をお祀りされている神社。建武中興が成って間もなく、大塔宮の優れた先見の明を畏れた足利尊氏の奸策によって捕縛され、ちょうどこの地にあった東光寺の土牢に幽閉されてしまいます。そして、遂には、中先代の乱の混乱に乗じて、尊氏の弟・直義は、刺客を土牢に差し向け、大塔宮は僅か28歳の若さで薨じられました。土牢は、今もご本殿
達磨寺、ここも教えていただいたお寺の名前の中で、記憶に残っていたので、昨日、當麻寺の後にお参りをさせていただきました。拝観料もなく、自由に見て回ることができます。境内の中には、片岡八郎という方の墓がありました。何気に読んでいると、大塔宮護良親王(おうとうのみやもりながしんのう)の家来で、親王を助けた方だということ、ふむふむ、ここかー!私が呼ばれたのは!他に、聖徳太子とのご縁もあるという事も!聖徳太子の飼われていた犬の「雪丸」のお墓もあったと言います。へー、そ
予定が無くなって、久しぶり?に丸一日お休みに。夏の疲れが出たのか、なんだかお疲れモードのここ数日。今日はどこにも出かけないと自分に宣言して、部屋着にノーメイク荒れ放題(笑)の家の片付けに、庭を掃いて、子どもの衣替え…あとは、袷の長襦袢に(やっと)半襟付けを。わたくしのやり方は、以前和裁師のにいひさえさんに教えて頂いた「針一本でできる半襟付け」マチ針も使いませんくけ縫いもまつり縫いもいらない、なみ縫いのみ。面倒な半襟付けがストレスフリーにテレビを見ながら2枚分あっという間に完成
さくっと、般若寺まで行って参りました。般若寺と言えば近年、コスモス寺として有名ですね。↓私は5~6年くらい前の晩秋に、般若寺に清掃奉仕で落ち葉の清掃に行ったことがありますが、それ以来です。この辺りを掃除しましたキリッ↓と、恩着せがましく言う石仏とコスモス。⬆秋の風情ですねえ~蜂が遊んでいます🎵↓十三重の石塔。後ろの山は若草山。その間に東大寺大仏殿が鎮座ましましています。鐘楼です↓大塔宮護良親王の供
土曜日の午後にドライブ行ってきました🚘奈良県の般若寺別名コスモス寺楼門は国宝色々な人物の供養塔が立ってました。左大臣で藤氏長者にまでなりながら保元の乱で敗死した「藤原頼長」父、平清盛の命で南都焼討を行い奈良の大仏を消失させ、後に一ノ谷の戦いで捕えられた「平重衡」後醍醐天皇の皇子で足利尊氏と激しく対立し最期は足利直義に謀殺される「大塔宮護良親王」癖のある人物ばかりでちょっと笑ってしまいました。僕の頭の中は常に大河ドラマが回っているので藤原頼長=山本耕史(「平清盛
富士山北麓の富士信仰の中心地、“富士吉田”って不思議な町だ。あの、北口本宮富士浅間神社は今となっては山梨県唯一の登山道、吉田口登山道の拠点でもあって、御師の町として、富士山が世界遺産となってからは“上吉田”の街並みは、かなり整備されたのだけと、どちらかというと“下吉田”は庶民的な町。昭和初期あたりから機織りの町として、独特の文化を築いてきた。そんな、下吉田が最近、元気を取り戻しつつある。なぜだかわたしはここに関わることになったみたいだ。富士河口湖町に1
いま!素晴らしい満月の光が地上に降り注いでる!!!ああ、もっとちゃんと撮れたらステキなのに!今宵お月さまを見上げるとそれは銀河の中心をみているそうなのです。さとうみつろうさんのブログより毎年、旧暦の7月15日に開催されてきた、お盆。どうして、その日なのかということを、科学的に考察するべき時代です。夏頃、地球の夜空には、銀河の中心がやって来ます。そして、重力が一番強まる、満月の日に、何千年も昔から開催して来た、お盆。きっと、昔の人は、天才だったんだと思う。それか、アタマ
少し前に、山梨県都留市の雛鶴伝説の地を巡ってきました。[伝説]後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王は鎌倉宮で悲惨な最期を遂げます。親王の南の方であった雛鶴姫は親王の首を携え、従者とともに逃げます。大塔宮護良親王が最期を遂げた鎌倉宮の牢(絵葉書/筆者蔵)秋山村へたどり着いた姫はそこで産気づかれ、王子を産んだが母娘ともに亡くなってしまいます。松の根元に親王の首を埋めたと伝わる小室浅間神社の護良親王古蹟。宮司の代代わりの時に親王の首を見られる(毎日新聞サイトより)雛鶴姫像
足利尊氏との縁を知らされ、吉野にある金峯山寺の大塔宮跡地を見た時のことを想い出し、急遽、鎌倉宮を詣でることにしました。鎌倉宮は、大塔宮(後醍醐天皇の子、護良もりなが親王)を祀る神社です。大塔宮は、足利尊氏によって土牢に幽閉された後、殺されてしまいました。足利尊氏は、“時代を変える仕組み人として、やむをえぬ役割を担っていた”のだと理解しています。であるにせよ、大塔宮様にお詫びの祈りを捧げてきました。『太平記』(暁教育図書)☆☆大塔宮護良親王☆
閼伽井の不動明王様と龍さん達のパワーを頂き、来た道をクネクネとまた戻りました。よく見るとネットで見たお寺や神社がいっぱい!行きたいと思うけど、守護霊さんに「駄目!忘れないでくださいよ、憑依体質なんですよ。」ですよねぇ…。吉野山まで来たのに…。奈良を車で走らせても教科書で見た事のある所ばかり…、残念。なんて思っているうちに、蔵王堂に到着。私の10年越しの想いの場所、念願の場所です。護良親王という方を知ってからずっと、ここを清めて、ここにまつわる霊を私なりに供養させて頂きたかった
古都鎌倉。鶴岡八幡宮の東側を10分ほど歩くと鎌倉宮があります。鶴岡八幡宮や箱根神社・寒川神社などの名社の多い神奈川県の中で、それらを上回るもっとも高い社格の神社です。御祭神は護良親王。大塔宮という名前で知られています。建武の中興の後醍醐天皇の皇子で、天台座主(仏教の最高の公的役職)、征夷大将軍の経歴を持つ皇子です。建武の中興の実現に大きな功労を残した方で、明治となり天皇のご親政にが始まった明治2年に造営されています。造営にあたって天皇の東京奠都(てんと)以前に造営を命じられる