ブログ記事100件
1月16日未明、実の父が急死しました。以前ブログで話していた肺がんとは別の理由で、母も最後の言葉を交わすことなく、私たち姉弟も死に目に会えない、そんな突然の別れでした。正直、実感は薄く、今でも実家に帰るといるんじゃないか?と思いつつ、できる範囲で自宅でも、お香を炊いて、手を合わせています。身近な人の死というのは、本当にいろんなことを考えるきっかけとなるもんだなぁと。まだ、考えたり思い出したり、整理したりしている途中です。少しずつ書いてみようと思うので、お付き合いください。
うっ…、背中が痛い!(>_<)断捨離による霊障でしょうか?身体に異変が起きているんです。一昨日の深夜は、胸の上に誰かが乗っかっている様な重苦しさを感じて、目を覚ましました。私は生理前になると乳腺が張るタイプなので【夜桜お乳】かな?「夜桜お七」また毎月の【オッパイデイ】だろう…と、「グッバイデイ」軽く考えたのですが、ふと、暗闇の向こうを透視すると【遥かなる影】がチラリと見えたんです。「遥かなる影」ヤバイ、何か来てる…、と思い、線香を焚き、除霊しました。廃棄処分される物達の
8年になるのかぁ長渕剛ファン繋がりのナイスマイフレンド❗live後や飲み会でも楽しくてでも君はいつも何かを抱え、精神的や肉体的にも辛そうでそのぶん、誰よりも優しく繊細でね武道館の後、4人で朝まで長渕剛を歌ったのが君の笑顔を見たのが最後になっちまったまさか43歳の若さで大動脈瘤破裂で遠い空に旅立つとは胃が痛くて眠れなかったよ複雑な事情があるからお線香あげにいけないかもしれない必ず会える日が来るからそれまでちょいと待っててねその時は長渕剛の君の大好きな曲を歌ってあげる。心より
朝9時から手術開始。先生からは、もしかしたら日をまたぐかもしれないというお話があった。母と兄妹と待合室で待つ。15時頃待合室の内線が鳴る。予定より随分早い。一瞬どきりとしたが、手術は無事終わった。今後の経過は、母から毎日送られてくるラインをそのまま載せようと思う。
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慢性閉塞性肺疾患でお亡くなりになったんですね…享年81歳、父親より3〜4歳若かったんだ…見た目が父親にソックリだったんです。80歳を過ぎても落語を続ける歌丸さんがテレビに映る度に生きていた頃の父親を想像していました。昨年の1月に83歳で亡くなった父親、65歳で大動脈瘤破裂、生死をさまよい、人工血管をつなぎ、胃を全摘し、腸を胃の代わりに持ち上げ、9時間の手術の末なんとか命を繋ぐことができたが、入院中に肺気胸を患い、またICUへ…しかしそれも乗り越え4ヶ月で退院。病院スタッフから奇跡の人と呼
こんばんは☆呉市のアロマ&カラーLuxe<リュクス>のyoshikoです前述の記事で病院へ行って来た!と書きましたが、循環器の病院へ。心臓をくまなく調べてもらいました。というのが、弟が大動脈瘤で緊急手術となったから。コレステロール値も低く、高血圧でもなく、なんといってもまだ若い!先生もこの若さで理由も無く、ここまで瘤が出来るのは考えられないという診断で、遺伝によるものかも?という診断だったからです。まさに医療ドラマ「ブラックペアン」で放映されるような治療だったようで。。
"アルコール依存症"子供の頃からそれに振り回されてきました心が弱いとお酒を飲み強くなったと錯覚したい人が飲むものなのかも知れません私も普通にお酒を飲む大人になりましたが、樂しく少し飲んで終わる飲み方です"酒乱"此の世で一番嫌いな言葉の一つです私の義父は酒乱でしたお酒を飲まなければそんなに悪い人では無かったと思いますただ飲んだら理性が全く失くなってしまうのでした飲んで暴れるそして周りに多大な迷惑を掛ける家族は堪りません飲むと人が変わってしまいます私の大好きなおじ
最期の言葉こんなことで死んでたまるか河野一郎(こうのいちろう)1898年(明治31年)6月2日-1965年(昭和40年)7月8日日本の政治家。副総理、日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。昭和中期の政界実力者の一人。河野派会長、領袖。自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」と呼ばれた。農林大臣、建設大臣、経済企画庁長官、行政管理庁長官、副総理、国務大臣(東京五輪担当)を務めた。また、地元神奈川県県政にも強い影響力
2018年(平成30年)3月16日19時頃、私の携帯電話に母の勤務先の保育園から連絡あり。お相手は園長先生。『お母さんが園内の階段で座り込んでいたところを同僚の先生が発見してくださり、今救急車の到着を待っている状態。こちらからの呼びかけに対し、「ウーウー」と唸っている状態で正常な受け答えが出来ていない。ろれつが回っていないようだ。また救急車に乗って搬送先が決まったら連絡しますね。』とのこと。数分後、再度園長先生から来電。『救急車が到着し、ようやく搬送先が決まった。(数件空
本日2月7日(水)よる7時少し前〜テレビ東京ソレダメ!ベストセラーのコーナーに出演いたします!まだまだ寒い日が続きますね!突然死は、12月から2月までがその発症のピークとなります!突然死はそのほとんどが血管に生じるトラブルなんです。心臓を養う冠動脈が詰まれば心筋梗塞これが突然死の約60%脳動脈が詰まったり、破れたりすれば脳梗塞、脳出血、そしてくも膜下出血といった脳卒中これらが約20%そして残りが大動脈のトラブル大動脈が破裂すれば、大動脈瘤破
昨年の12月26日一緒に暮らしていた兄が急逝したあまりにも突然であまりにも辛すぎる出来事であったがこれが現実今私は生きているこれからも生きていくだから立ち止まってばかりはいられない乗り越えていかなければならない兄の死を通して自分や家族・友人・知人の命について初めて本気で考えた気がする生きること死ぬことこんなに深くて難しい課題についてはそう簡単に答えが出るわけがないだから答えは出なくてもいいから迷いながら悩みながらでもいいからまずは動き始めよう
夫がくも膜下出血で倒れてからブログを始めて以来、読んで下さった方の人数が初めて3桁になりました読んで下さった方々…ありがとうございますさっそく、昨日の続きとなります夫は1月10日付けで退職扱いとなりましたが、本人は理解が出来ない為、いまだにあえて報告はしないでいます。その日はなぜか朝から何だか胸がザワザワしていました。このザワザワした感じは何なんだろう考えてみました。もしも、普通に定年を迎えて退職していたら、長い間お疲れ様でした…と会社から花束贈呈があったり、家族でお祝いしたり、
確定的にそうなるとかじゃないんだけど『伴性遺伝』というのがあってそういう人はこういうものを生まれつき持っている可能性があるよ原因を持っている可能性があるよというものそれがルックスとかパッと見でわかるということがたまにあるんですよ例えば『手・足』や『ユビ』とりわけ手の指がずば抜けて長いひょろっとしている生まれつきのモデル体型とかあと生まれつきそういう人がいるのか?知らないけど『バスケの選手』みたいな体型の人どちらかと言うと日本人みたいなモンゴロイドよりもコーカソイ
母の人生の幕が降りましたやはり人生で一番の悲しみと辛さは・・母との最後のお別れでした父が亡くなり母一人10年間の時がながれましたどんなに気丈に一人で頑張ってきたか、、そんなさみしい思いを少しでも紛らわせてあげたいとそんな毎日を感じながらいろんな日々を迎えました10年間・・時間に変えたらどんなに長い年月か父がいなくなり杖をつきながら愛犬のラッキーと過ごした日々の数年間そしてラッキーが亡くなりもっ
ドクターXの最終回を見ていたところ、「なんで生きているのか?」とツッコミたくなるシーンが多かったので、ちょっとひとりごと。メシを食いながら適当に見ていたので、ストーリーにはあまり触れていません。大門未知子が「患者でも失敗しないので」と言いながら受けた、後腹膜肉腫の手術中に胸腹部大動脈解離が見つかったにも関わらず、なぜ生きていられるのか?大動脈解離の場合は、一度激痛を感じた時にはすでに手遅れという感もあります。生きて病院に到着することさえ難しいという病気です。直径3cmに及ぶ胸
脚本家で作家の早坂暁(はやさか・あきら)さんが昨日(16日)、体調不良を訴えて都内の病院に緊急入院し、腹部「大動脈瘤(りゅう)破裂」のため、亡くなられたとのこと。88歳だった。早坂さんは愛媛県松山市出身。NHKドラマ「天下御免」「夢千代日記」などの脚本が代表作。必民放では「必殺」シリーズやサスペンスの他、ドキュメンタリー番組の放送作家としても活躍された。鶴ひとみさん(57)の死因は、所属事務所によって、「大動脈瘤乖離」と発表された。早坂さんの死因と発表された「大動脈瘤破裂」は
初めましていづみと申します。ブログは初めてです(°▽°)使い方、あまり良くわかりませんがよろしくお願いします笑ずーっとずーっとブログ開設しようと思ってて、だけどなかなか行動に移せずにいました先日、ラインのタイムラインにブログ開設の事を書いたら読むよ〜って言ってくれる友達が結構いてやっと開設に至った次第です思ってることは表面化させることで行動力は上がりますね!大事なことですさ、いざ開設したわけですが…開設した大きな理由をまず。プロフィールにも書かせていただいています