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いくつもの澤が渓流となり主流の円山川を創ります。その小さな澤が渓流になる辺り自然豊かなそんな場所に楯縫神社があります。渓流に架かる太鼓橋を渡り階段を上がると楼門にあたる建物があり極彩色豊かな歴史絵を見ることができる門をくぐると古社ながらも堂々とした境内を見ることができます。両脇の狛犬の下には守り神のように2匹の蛇の子供がいました。そしてその堀のあちこちにモリアオガエルの卵があります。遠くには翼の大きな鳥の声も聞こえます。豊かな自然に溶け込んで自然界の食物連鎖までが
奈良旅行2日目今日のお山は三輪山朝早くに出発して大神神社に到着鳥居のところで光が差し込んでいてとても素敵でした。光があるからこそものが見えているのだけれど、眼で太陽の光を認識することってなかなかないな~参道も木々の間から光が差し込んで神聖な雰囲気。朝の神社の参道って、ひんやりとしたさわやかな空気。境内の鳥居のところで。太陽の光を背負って幻想的社殿光がたくさん歓迎されているようで嬉しいこの後、三輪山に登拝してきました。
相撲神社の後は近くというか、本務社にあたるであろう大兵主神社に参拝しました。何度か山の辺の道は歩きましたが、いつも檜原神社までしか行っておらず、今回は初参拝です。元は穴師坐兵主神社(明神大社)、巻向坐若御魂神社(式内大社)、穴師大兵主神社(式内小社)の三社があったと言われ、室町時代に合祀されたそうです。御祭神はその三社の面々鳥居手水舎祓社その隣の名無しの社天王社素盞嗚というか牛頭天王でしょうか。その対面にあたる場所の石段上にも社がありました
2018年1月1日。JR桜井線・巻向駅の東に約1.5km。R169・辻北交差点を東に折れて突き当たりです。なお、辻北交差点に、相撲神社の案内看板はありました。鳥居くぐって右手に駐車場あります。※社号標と鳥居(と駐車場)。※由緒書。※手水舎。※境内社。※狛さん。※拝殿。※拝殿前にも狛さん。※本殿。※こちらも境内社。創建は崇神天皇年間とも垂仁天皇年間とも伝わる式内社。御祭神は、兵主神・大兵主神・若御魂神(稲田姫命)。元々は穴師坐兵主神社・巻向坐若御
ハイヤーセルフからのメッセージ気がつく、ということが大きなキーワードになっています。気がつく、ということで、今までにすでに受け取っていたものが、とても大きなギフトだとわかるでしょう。✨✨✨✨✨✨✨写真に写った光のハート♥️2枚目は、奈良県の大兵主神社日常の中に伏線がたくさんあり繋がっていく。それぞれ形の違うパズルのピースが合わさっていく。あれもそうだった、これもそうだったと、後から宇宙からのギフトだと気づく。ハイヤーセルフは、いろんな方法で、ヒントを与え色んなことに気づかせてく
こんばんは。育自カラーセラピスト☆青苑(SEIEN)です。今日は長谷寺脇の素盞雄神社へ。数日前よりご縁をいただいていて、急遽参拝になりました。(いつも大体急です)用事を受け、参拝し始めると雨が降り始め参拝が終わると同時に、雨がピタリと止みました。清めの雨です。ご挨拶を申し上げ、素盞雄神社を後にしました。それから長谷寺へ。長谷寺へは10年ぶりくらいの参拝です。長谷寺は季節ごとの花々が迎えてくれるのですが、今日はひっそりとした印象でした。寒桜です。本堂の十一面観世音
山の辺の道に沿ったデンジャラスゾーンうさご老公えらい殺気感じまっせうさ子わしも背中から刃(やいば)を突き付けられてるみたいじゃはな今迄散々悪さをしてきたからねいつ刺されてもおかしくないよミミそれってオッサンそのものですよごましかしそんなのに限って刺されないのですねオッサンほっとけ全ては神の御加護じゃごまこんなんを護る神なぞいるのでしょうかね
檜原神社から山道を突っ切って大兵主神社と相撲神社を訪れましたが、またまた不在…(´・ω・`)さらに徒歩で北上し、天皇陵を2つ越えて伊射奈岐神社にやってきました。もうね…本当にバスの本数増やして欲しいわ。なんでこんなに歩かないかんの…(´・ω・`)■由緒社記を天文年間に紛失したため創建年代等不詳だが、崇神天皇の御代に崇祭されたと伝わる。■住所奈良県天理市柳本町1899■御祭神伊射奈岐命、菅原道真■公式HP
JAで、屋台。安いは正義、正義は安い。安いと、心が温かくなる。(15-11-28)毎年は、赤くならない紅葉。(15-11-28)よく、見にくると言う、おぢいさんに、そうぐう。(15-11-28)セットのが安いとか、こちらが知るかよ。(15-11-28)まやちゃんには、ワシが悪いって、言われた。(15-11-30)変なかぶりものを着て
昭和のスーパー、ミリオン跡地万代になっていたのかー、なつかしー(14-11-23)まったく、少年時代の記憶は当てにならず(14-11-23)秋の渋滞はひどい平日でも、リタイヤした団塊ジジイがフラフラと車で出掛けてるから渋滞する(14-11-23)imagine衣装武器を持つと、プリングルスのヒゲのオッサンロゴが隠れてしまう。(14-11-25)資本主義なんだから、もっとお金の教育を(14-11-26)
三連休突入またまたご近所ブラリ散歩相撲館の方にオススメされてたもう一ヶ所行ってみようってか細い道に迷い込む地図見たのにまた迷子諦めて大きな道に出て来たらおぉ看板発見ダメ元で再挑戦あったよぉ相撲神社本殿またまたお相撲さん見っけ土俵らしいここが初めてお相撲取った土俵らしいシートかぶってるけどねお相撲さんいっぱいここからちょっと行くともう一つ神社あったよ大兵主神社意外にも立派な神社御朱印もらえるみたいもう一回連れってもらおういいお天気で山の中で涼しい
こんにちは、祈祷師の孫ひろのりです。2017年10月に、奈良県香芝市で「大相撲香芝場所」が開催されるのは、ご存知でしょうか?奈良県にとっては町おこしなわけですが、何故、奈良で相撲なのか?それは、実は奈良県が相撲発祥の地だからです。今回は、そんな相撲の発祥に関係が深い相撲神社(すもうじんじゃ)を紹介します。神社の由来垂仁天皇の時代、當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が垂仁天皇の前で力比べをし、野見宿禰が勝ったという話が、日本書紀にあ
大兵主神社の帰りに相撲神社に寄ってきました相撲神社と言っても大兵主神社の摂社です相撲神社相撲発祥の地。垂仁天皇の御前で相撲の元祖といわれる野見宿禰(のみのすくね)が當麻蹶速(たいまのけはや)と力比べをしたという言い伝えによる。穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうず)の境内にあるカタヤケシの社が、日本で最初に相撲がとられた場所とされ、勝負に勝った宿禰が祀られている。鳥居鳥居脇の石標には、祭神野見宿禰と刻まれています。2013年に桜井ライオンズクラブから寄贈されたの事です野見宿禰(のみ
長岳寺から山野辺の道を桜井方面に歩いた所にある穴師坐兵主神社に向かいました。櫛山古墳外形が双方中円墳という特色を示し、一般的な前方後円墳の後円部分に、さらに短い方形部を敷設している。古墳は3段に積み上げられており、前方部と中円部の頂上は平坦で、径3~4cmの白色の小石がちらばっていることから、埋葬施設の周辺に敷きつめられたと推測される。1948年(昭和23)に墳丘の整備も兼ねた発掘調査が実施され、全長148m、中円部径90m、前方部の長さと幅が60m、後方部の長さが25mの規模であることが判
穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)=大兵主神社ようやく参拝する事が出来ました。奈良まほろばソムリエ検定の試験にも問題が出ていた神社。国道に「相撲神社」って看板が出ているのは知っていたんやけど。国道から入るとまずは珠城山古墳群や景行天皇の宮跡など古代ロマンたっぷりの道を進みます。昨年2月に歩いた「山辺の道」沿いにある。桜井市穴師に鎮座。古代の香りが漂ってます。到着。小さな駐車場に(笑)車を停めて。祭神は兄のブログにもあったように(笑)よく分からない神様です。雰
まき向遺跡相撲神社相撲発祥の地とのことでした大兵主神社初詣をかねて山の辺の道に沿って三輪山の麓辺りのみ散策したのどかな冬の1日でした。
こんにちは西宮北口、甲子園口の着付け教室と着物レンタル・あんにゅい堂、きもの屋ピンキーチックmanaです。初詣記事まだ続きます。初詣2017山の辺の道①ニワトリさんの神社初詣2017山の辺の道②夜都岐神社夜都岐神社のあとはそれはそれは長い道でした。普段運動もしない私達は徐々に足が痛くなってきました。それでもまだ歩けるのでなんとか騙し騙し進みます。こちらは歴史好きなら嬉しいかな、崇神天皇、景行天皇の古墳のあるあたり。昔この辺りが都だったんだなと肌で感じる場所です。そこ
12月4日巻向山から降りてきてから穴師坐兵頭神社(あなしにますひょうずじんじゃ)へお参りしました。穴師坐兵主神社、巻向坐若御魂神社、穴師大兵主神社の3社が合祀されています。穴師坐兵主神社の旧鎮座地は万葉集にも歌われている「弓月岳」だそうですが、竜王山・穴師山・巻向山の3つの説があるそうです。後で調べていて、末社に「水神社」がありました。摂社として相撲神社があり土俵(シートが被せられている)もあります。同行の元神主さんは「こっちの方が有名になって」とこぼしておりました。国道
當麻寺の山門から参道をまっすぐ歩いて行って、交差点を渡れば『葛城相撲館』があります。當麻寺から車で行くとほんの近くです。葛城市は「相撲発祥の地」という事なので「相撲館」にも行ってみました。相撲館は観光案内所の隣にあって、駐車場もあります。その相撲館の前の道沿いに五輪塔が立ちます。「當麻蹶速の塚」と刻まれた史跡です。その「當麻蹶速の塚」について書かれてあります。「當麻蹶速(たいまけはや)」とは日本で初めて、国技として相撲を取った力士でした。相撲開祖だそうです。でも出
相撲神社の前の道に石鳥居があり、その右の石碑に「大兵主神社」と書かれているので、それを通りさらに山のほうに進むと、斜め左手に石灯篭と参道入り口が見えます。参道は、木々で生い茂り暗く、すぐに案内板があります。「大兵主(だいひょうず)神社」と書かれた下に小さく、大和国穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)と書かれています。そして、ご祭神はと言うとなぜか神社名が書かれています?どうも、ご祭神の「神」の後に間違って「社」を書いてしまったのでしょうね。若御魂神(左)・兵主神(中)・大